「アン!」
村に戻ったアニス達を出迎えたのは、赤い旅人の服を着た金髪の青年だった。
「アレクス!」
一団から弾けるように抜け出した娘は、青年に駆け寄って互いに抱き合った。
華奢な身体に着た旅人の服の下から、すらりと伸びた白い足がまぶしい。腰は細く、また胸も薄い。下肢まで伸びる髪は輝くような翠であり、その目は大きく宝石のように煌めく。小さな肩の間から伸びる首は今にも折れそうな細さだが、自然に育まれた確かな生命力にあふれており、たおやかな印象を見せつつも内から高潔な魂の輝きを感じさせる。
アンと呼ばれた美しい娘は、しかし人間ではなかった。
彼女はエルフ。
それを証明する笹の葉のように先のとがった長い耳が、艶やかな髪の隙間から顔を出して、嬉しそうにぴくぴくと動いていた。
「エルフが来たってのに、なんでこの村の人は何も騒がないんだろうね?」
助け出した村娘達が各々散らばる中、商人カナン・アルバートは誰ともなく疑問を投げかけた。しかし、いつ情報を得たのか相変わらず不明のトウヤの説明によって、その疑問は発した直後に解消される。
カザーブとは、どんな変わり者でも簡単に受け入れてしまうような、少し奇妙な大らかさを持つ村だった。
最初こそ多少の注目は浴びるものの、数日もすればエルフといえども「少し変わった人だねえ」程度の認識となり、得てして特別視する程でもない瑣末なことになってしまう。
シャンパーニの塔でエルフの娘アンを見つけたときには、皆一様に驚いたものだったが、そんな村人達を見てアニスは自分もまだまだ未熟だなと心の中で反省した。
何が未熟なのかは自分でもサッパリ分からなかったが。
「皆さん、ありがとうございました。僕からもお礼を言います」
不意に、先ほどまで抱き合っていた二人が目の前まで来て、改めて礼を述べた。
「彼女はその……こういう種族なので、目の前で攫われてしまったときは生きた心地がしませんでした。本当は僕が助けなきゃいけないのに、盗賊にやられた怪我で身動きが取れないなんて情けない……」
言ってうつむく男をアンが「そんなことないわ」となだめた。
彼らに明るく対応するカナンの横で、アニスはその男の気持ちに強い共感を覚えて同じくうつむいた。何も出来なかったのはアニスも同じだ。
意気込んでカンダタに挑んだまでは良かったが、結局は一蹴されてしまった。カナン達が助けに来てくれなかったら、今ごろは塔の屋上で鳥のエサになっていたに違いない。
世の中には強い人がたくさん居る。
今さらな話だが、今回のカンダタとの対決で、それを知ってはいても、全く分かってはいなかった事がアニスには実感できた。
自分は弱い。
その事実がアニスの背に重く圧し掛かる。
すぐに父や兄のような勇者に足る力を持てると思っていた。何て勘違い、何て楽観、何て無力だったのか。
村娘達の無事な帰還を喜ぶその影で、アニスはひとり、足取り重く宿へと入っていった。
日も落ち、すでに部屋には灯りが必要な時間となっていた。
夕食を済ませ、所在無さげにベッドで寝っ転がって暇を持てあましていたアニスは、控えめなノックに上体を起こした。
エヒルンは散歩と称した夜の秘密特訓に出かけたばかり。ライドウはノックせずに呼ぶか、あるいはドアを蹴る。トウヤに至ってはドアから入ってくる方が珍しい。
はて、誰だろうと考える。「どうぞ」と声をかけると、やってきたのは翆髪長耳のエルフ、アンだった。
彼女は「少しよろしいですか?」と意味深に、何かを含むような面持ちで訊ねてきた。
アニスが椅子を勧めると、アンは長い髪を横に垂らし上品に座った。
伝承では、エルフは自分たちを上位種族と考え、人間を下に見ている者が非常に多いと書かれていたのを覚えている。それを読んだ当時は、何て高慢な種族なんだと思ったものだった。しかし今こうして実物のエルフを目の当たりにすると、エルフ達のそんな考えも納得できるような気がした。
彼女達エルフに比べると、人間が汚れた種族のように思えても不思議は無いと納得してしまう。
魂の清らかさが滲み出ている。その生命が輝いている。そこに居るだけで周囲がひときわ明るくなったような錯覚すら覚える。
そんな彼女が自分に一体なんの用だろう、とエルフの少女を控え目に窺った。
見れば、アンはその愛らしい顔を精一杯引き締め、耳をピンと伸ばして、少し言い難そうに口を開いた。
「ぶしつけな質問ですが、何か思い悩んではいませんか?」
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「貴女の心から、そのような混沌を感じましたので」
「混沌、ですか?」
聞き返す言葉にアンは神妙に頷き、やおら長い耳を弄りだした。
「私達エルフの耳は、ただ長いわけではありません。この耳は、生きとし生けるものの様々な心の声を感じる事が出来ます。雨が無ければ木々達の空腹を訴える声が、怪我をした動物がいればその痛みを伝える叫びが、邪な心根を持って近づく者があればその邪気が、そして深く悩む者があればその心の混沌が……」
なるほど、とアニスは頷いた。同時に、そこまで自分は悩んでいたのかと頭をがっくりと落とした。
アニスはこの際だからと、自分の悩みを全部ぶちまけた。
リーダーとしての、勇者としての、冒険者としての自身の弱さ、甘さ、未熟さ……アニスには全てが足りない。
特訓はしていても、それが結果につながらない。成長している実感が持てない。歩む道は回避可能なはずのトラブルばかり。自分のあまりの無能さ加減にもはや怒りすら湧いてこない。
しかし仲間には相談が出来ない。なにせ仲間達は自身の力で何でもやり遂げてきたような者達だ。言われることなんて簡単に想像が出来る。それができれば苦労はしない。
だから今まで相談することも出来ず、ずっと心にしまいこんできた。頑張れば自分の力でなんとかなると思っていた。
しかし現実はそううまく行かない。抱いていた理想は砕け、その先に見えたのは地を這い踏みつけられる自分の姿。
「でも……結果だけ見れば、こうして成功していますよね?」
毒を吐き切った後にかけられたのは、そんな言葉だった。
「いや、でも、それはたまたま……」
意外な言葉に戸惑ったが、良くある形ばかりの慰めの言葉のように感じた。
実際に、今までは偶然が重なって上手く行っているようなものだ。こんな偶然に毎回期待できるわけがない。
山道での毒、カザーブでの戦闘、シャンパーニの塔のカンダタ戦……アリアハンを出てからというもの、いつ死んでもおかしくないことばかりが続く。今ごろになって、耳に残る兄アロンの言葉がひどく痛い。
「たまたまでも偶然でも奇跡でも、結果が成功しているなら良いのではないですか? 失敗した過去を振り返ったところで、それが今ここで襲ってくるわけでもありません。過去の失敗は反省してこれからに活かしたら良いのではないですか?」
「う……」
「大切なのは、いま無事にこの場に在る自分と、現実に出ている結果ではないかと思いますよ。要は気の持ち方です」
「気の持ち方?」
「そうですね……例えば、王様ってお金持ちで、偉くて、たくさんの人を従えていますよね? では、王様は幸せだと思いますか?」
「うーん、必ずしもそうじゃないと思うけど……」
「では、ある町のある所に夫婦と子供と平穏だけど平凡に一生を終える人が居たとします。この人たちはもちろんお金も無いですし偉くもないです。では、この人たちは不幸だと思いますか?」
「……それはそれで幸せなんじゃないかな?」
ぶしつけな質問に少し迷いながらもアニスは答えた。この質問が何を言わんとしているのかが分からない。
「それはおかしいですね。王様というのは誰もが憧れる人です。その人が幸せではなくて、平凡な人が幸せなんて。そう判断する根拠は何でしょう?」
「だって、いくら傍目から見て良さそうに見えても必ずしもそうだとは限らないし、結局幸福かどうかなんて判断するのは、各々がどう思うのかが問だ――」
アニスは心のどこかで、穿たれてた穴にその言葉がストンと嵌まったの感じた。
質問の意図に気付いた事を悟ったのか、傍らにたたずむアンは、耳をピクピク動かしながら、これでもかという程の意味ありげな笑みを満面に浮かべていた。
「そういうことです」
ひと言そういうと、話は済んだとばかりに立ち上がり、アンは部屋から出て行った。
「なるほど……」
それしか言葉が出なかった。
幸せになる方法なんて、結局は自分の心の持ちよう以外に無い。
種族を超えて結ばれようとしている二人の事情は帰りの道で聞いていた。両方の種族から煙たがられても、要は自分達が幸福に生きられればそれで良いのだ。
嘆くべき過去は反省して後に活かせば良い。無闇に振り返る必要は無い。なぜなら今、アニスはこの場で無事に生きているのだから。
つまりは、そういうこと――。
ちょっとノアニールの時系列を原作と変えてます。