「いいえ」
「そうか、いやと申すか……。しかし何ごとも経験じゃぞ。あとになって思い直してもわしは知らぬぞ。王になれるチャンスは今だけじゃぞ」
「いいえ」
「そうか……。そなたもがんこじゃのう。しかしがんこさではわしも負けんぞ!」
「……いいえ」
「なんと! まだ、はいとは答えぬのかっ! じゃがそのようにどこまでも自分の信念をつらぬくとはますます王にふさわしい人物じゃ!」
「いいえ!」
「なんと! まだだめか……。そのようにことわり続けられるとわしもだんだん言うことがなくなってくるではないか」
取り戻した金の冠を返すため、ロマリアへと戻ったアニス達だったが、それを取り戻したことを知ったロマリア王が何を血迷ったのか、王位を譲りたいなどと言い出した。当然、そのような戯れの如き言葉など受けられるはずもない。しかし意外にも、ロマリア王はしつこく言い続け……こんな問答がしばらく続いていた。
「いいえ!」
「なんと! ここまで言ってもだめか……。そのようにことわり続けられるとわしもだんだん自分で言っていることが分からなくなってくるではないか」
「い・い・え!」
「ふむう……そなたも相当ながんこ者じゃのう。しかしここまで言っておいてわしも引き下がれぬ」
「いかに王の言葉といえども、そんな願いは聞けません!」
玉座から立ち上がり、不敵に微笑みながらロマリア王は対峙するアニスと鋭い眼光をぶつけながら肉薄する。計算ずくなのか、はたまた偶然なのか、同じ問答の繰り返しで白熱したアニスの頭からは思考力が奪われていた。
「なんと! まだ引き受けてはくれぬのか。しかしアニスよ、そなたは王位を譲り受けるのをやめるのじゃ!」
「そんなことは絶対にいたしません!」
言った瞬間、大臣が硬直し、姫が笑いを堪えるように口元に手を持っていくのを見た。
……あれ?
周囲の反応が、明らかに今までと違うことに気付いたが、何故なのかが分からない。
振り向けば、眉間をつまんで俯くライドウと、微笑を浮かべて大きく肩をすくめるトウヤと、目が合うなり当てつけるようなため息を漏らすエヒルンの姿があった。正面には、勝ち誇った笑みを浮かべたロマリア王がいて――
「よろしい! ではこれよりアニスがこの城の王さまじゃ!」
ようやく自分が罠にはめられたことを悟った。
***
「ふぅ……ちかれたー」
言うなり、アニスはベッドにダイブした。身体を受け止める布団の柔らかい感触が、疲れた身体には心地よかった。
ロマリアの新王、女王アニスの誕生からすでに一週間という時間が過ぎていた。
前王の罠にはめられた時、アニスに反論の余地も与えない素早さで、次々と王位継承の儀式の準備が成され、取り返してきたばかりの金の冠を頭に乗せ、戸惑っている合間に式典をどんどん進められて、気がつけばアニスが名実共にロマリアの新王となっていた。返答してから半日という異例の素早さである。式典には、仲間の三名とカナン一行も出席しており、なにをのんびり楽しんでいるのかと、玉座で小さくなりながら、ひとり憤慨していたのだが、誰にも気付いてもらえなかったのか、知らん振りされたのか。
そんな周囲の反応に、なんだか無性に腹が立ったアニスは、前王に負けた悔しさを晴らす一心で、がむしゃらに政務をこなした。
税金制度を見直し、雇用対策に兵を募集し、モンスター対策に軍備を増強、併せて新兵の修練に力を注ぎ、町を囲う城壁の修復や、それら様々な法の行使によって動く金の流れを徹底追及し、裏金を暴いて裁き、人道に沿った安価で効率の良い行政が行える知識が学べるよう王宮の議場の一部を使って王立教育機関を設置して若い人材を育てられるよう法を整備しつつ、兵力の増強で国のイメージや城下町の雰囲気が損なわないよう、国内で植樹や花壇の作成などの美化対策を奨励し、逆に王宮では不必要に派手な振る舞いを制限する質素倹約を旨とする新法の制定を、つい先ほど取り決めてきたばかりだ。
今ごろになってアニスは、腹立ち紛れの勢いとはいえやりすぎたことに気付き、ベッドに顔をうずめた。
「なにしてんだろ……」
本来の目的はバラモスの討伐である。そのために仲間を集めたのだし、そのための冒険だった。ロマリアの王になる為ではない。それがこんなところで政務を全うしようと頑張っている自分に、急激に違和感が沸いてくる。
御馳走も、豪華で清潔なベッドも、毎朝さわやかな気分にしてくれるハーブティーも、心地よい香水の臭いにも飽きた。
道中で食べる固くて味気ない携帯食料。星空の下、鼻につく草や土のにおいの中で薄布一枚に包まって緊張と不安の入り混じった睡眠。ホコリくさい道中を、ただただモンスターの襲撃に備えながら緊張して歩く日常。
並べてみれば、いかに王の方が恵まれているのかがわかる。しかしアニスは、アンの言葉を思い出していた。
『王は幸せなのか? 平凡は不幸なのか?』
なんとなく理解はしていても、言葉として認識していなければ、なかなかその気持ちを掴みきれない。だがアニスは、アンによってそれを言葉として認識していた。
それを思い始めてしまうと、今ここに居るという違和感と、冒険を続けたいという衝動が溢れてきて――
ぼろぼろと涙がこぼれた。
「王様、どこへ?」
「城壁の修復状況の確認と、民達の生活環境の視察を兼ねた、城下町の散策です」
そう言って番兵の返事も待たず、アニスは外へと飛び出した。散策を兼ねた視察と言った方が良かったかと後で思い返したが、わざわざ言い換えに戻るのも面倒だった。どちらも大して変わらない。そもそも、そんなものに構っていられない大事なことがアニスにはあるのだ。
「みんな、今どこに……」
がむしゃらに政務をこなしていたせいで、すっかり忘れてしまっていた。アニスは王となったが、それによってライドウ・トウヤ・エヒルンの三人がどうなったのかを全く知らない。アリアハンに帰ったのか、カナンについて行ったのか、それとも――。
怖気の走る想像をして、アニスはそれを振り払うように、首が捻じ切れんばかりの勢いで顔を左右に振った。
「他に仲間を見つけて旅立ったなんてことは……ないよね」
自分を説得するようにつぶやくアニスだったが、今までの自身の不甲斐なさばかりが思い浮かぶ。考えれば考えるほど仲間を繋ぎとめておける確証が崩れていき、不安だけがピオリムをかけられたように倍速で山積みにされていく。
アニスは街中を走り回って三人の行方を捜した。カナン一行は、大陸の品を届けるためにアリアハンへ戻ったという情報だけは得られたが、仲間の情報はどこからも得られなかった。一縷の望みを登城前に宿泊していた宿へ求めたが、宿帳にはアニスの戴冠式翌日に出たという記録が残っているだけ。その後、足が棒のようになるまで調べたが足取りはつかめず、仲間達の姿は影も形も見つからなかった。
「そ、んな……」
絶望に立ち尽くすアニスの影を、背に沈みかけた太陽が、細く長く伸ばしていた。長身痩躯へと引き伸ばされた影の向こうに見えた空には、アニスの心を黒く染め上げてしまうような昏い夕闇が迫っていた。