魔法の鍵の情報を求め、俺はアッサラームへとやってきた。
この町は砂漠の国イシスを西に、ロマリアへと続く街道を北に、東にはバハラタへ抜ける洞穴が、南には海が広がり、港を様々な大陸の船が行き来するという交通の便が非常に良い場所にある。
ゆえに様々な人種、文化、品物などが混在し、アッサラームは世界貿易の要所となっていた。
しかし多種多様な流通の要所であるからこそ闇の部分も存在し、人身売買などの非合法な取り引きがあったり、いかがわしい商売があったりと、昼と夜で全く別の顔を見せることでもまた有名な町であった。
ちなみに俺はどちらの顔にも興味は無い。情報さえ得られれば十分だったが、着いたのが夜だったせいか妙な女に引っかかってしまった。
「ちょいとそこの強そうな兄さん、アタシと良いことしない?」
独りには慣れていた。
いや、ここでこの言葉を使うと意味が違ってきそうでアレだから、「独りで旅をするのは」と変えておくべきだろうか。
そんなくだらない事を考えながら、俺は暗がりから声をかけてきた人物を確認しようと目を凝らした。
闇が濃くて容姿ははっきりしないが、そのシルエットはやや小柄であり、声からして女性であるのは分かる。
これがアッサラームの夜の顔か。俺は自然と眉根を寄せた。
噂には聞いていたが、こういう誘惑は良い気がしない。彼女達の境遇には同情する。しかしそれはそれとして、やはりこういった事には嫌悪感を抱いてしまう。
自分の身を売らねばならない境遇とは、残念ながら魔王とはあまり関係が無い、人が作ったものだ。
せめて魔王を倒して世の中が平和になれば、兵役で男が減ることもなく幸福な結婚ができるような環境が増えるかもしれない。
口惜しいが今の俺に出来る事はそんな事くらいだ。
俺は声をかけてきた女性に同情しつつも応えず、新たな誓いを胸に背を向け立ち去ろうとした。
「兄さん、つれないね。そんな邪険にしないで、アタシと良いことして……」
直感を通り越して鍛え上げた危機回避能力が、迫り来る脅威に即座に反応した。
「――くれなかいっ!」
反射的に身をかがめた俺の頭上を、ボンッという恐るべき音を立てて蹴りが通過する。
鋭い蹴りを、時に「空気を切り裂くような」と表現することはあるが、これはそんな生易しいものではなかった。
表現するなら「大気が爆裂する」ような、未だかつて体験したことの無い恐るべき破壊力を秘めた蹴りだった。
「くっ……」
俺は身をかがめた勢いで地面を転がり、距離を取って声の主と相対する。
遅れて、戦慄に冷や汗がどっと吹き出るのを感じながら、俺は蹴りを放った人物を改めて確認した。
間合いを詰めるように歩み寄り、女は月明かりの下に出て姿を見せた。
小柄なせいか年の頃は十代半ばに見える。黒い髪を左右に纏め、歳相応と思われる幼さを顔に見せながら、同時に精悍さも見て取れた。
服装は夜に働く娼婦のものではなく、似ても似つかない朱色の武道着。左胸を守る黄緑色のプロテクターには赤い円の中に染め抜かれた「武」の文字があり、その奥には女性たるふくらみがあるのを確認できた。
旅の女武道家といったところだろうか。表情に緊張が見られないことから、ずいぶんと戦いなれているようだった。
改めて相対してみれば、その物腰は隙だらけに見えて、その実、一分の隙もない。
身体全体に力がよどみなく等分され、あらゆる状況下においても即座に動けるような体勢が自然と出来あがっている。
「……凄いな。どう訓練したらそんな事が出来るんだ」
背にかけてある剣に手をかけながら、その明鏡止水のごとき澄んだ佇まいに俺は自然と言葉を漏らしていた。
「へえ……凄いね、兄さん。アタシの蹴りをよけただけじゃなく、たったこれだけの事でそこまで見切れた奴は初めてだよ」
女は感嘆の声をあげる。
しかしその佇まいからは緊張を解いたような雰囲気は感じられない。むしろやる気が増したように見える。
戦いは避けられそうになかった。
「悪いが、出来れば戦いたくはないな。アンタを殺すほどの覚悟で挑まなければ勝ち目が無さそうだ」
女の物腰は熟練した達人のそれであり、本気で戦わなければ本当に勝ち目は無さそうだった。
「はっ、アタシに勝てるつもりかい? 冗談いわないでくれよ。男がいつも女より強いとでも思っているのかい?」
「気に障ったのなら謝る。しかし俺も冗談で旅をしているわけじゃない。相手に男女は関係無く、自他の力量を見誤っているつもりはない」
「…………」
俺の言葉に真実を感じたのか、女はしばし俺を睨み、そして構えた。やはり戦いは避けられないようだ。
しかし負けるわけにはいかない。俺は覚悟を決め、剣を抜いた。
「ほらほら、どうしたんだい? そんなナマクラな動きでアタシを捕らえられるとでも思っているのかい?」
「くっ……」
女の挑発に返す言葉がなかった。
スタタン、スタタンという軽快な音を立て、踊るようなステップで俺の攻撃の全てを紙一重でかわす。
威力を抑える代わりに速さに特化させた攻撃をしているつもりだったが、俺の攻撃は服を浅く切り裂くのみ。女の薄皮一枚切り裂くことが出来なかった。
「ほらっ、隙ありだよっ!」
ステップ音が消えたと思った直後、俺の視界には女の姿と四つの拳が飛び込んできた。
即座に盾を出したが僅かに遅く、二つの拳を受ける。ダメージで体勢を崩したところを飛び膝蹴りが間髪入れずに迫ってきた。
顔面だけには受けないようなんとか避けたが、膝蹴りは左肩を直撃し、俺は錐揉みしながら吹っ飛んだ。
「兄さん、なかなかやるね。今の攻撃をその程度のダメージで抑えるなんて……いったい何者だい?」
「それは……俺の方が聞きたいな。それだけの力を持ちながら、こんなところで腕試しのようなことをしているとは。宝の持ち腐れとしか言いようがないな」
左肩の痛みをホイミで回復しながら、俺は次の手を考える。
女の圧倒的な素早さでは、安易に呪文を使えば即座に懐に潜り込まれるだろう。相手の動きを止めない限り攻撃呪文は使えない。
しかし俺の剣速では口惜しいが女を捕らえきれない。
「フン、そんなのアタシの勝手だろ。ほらほら次行くよっ!」
「ちぃ――!」
打つ手が見つからない追い詰められた状況で、俺の鍛え上げた危機回避能力が身体に残る過去の記憶を咄嗟に再現する。
風を切るような音を二度聞いた瞬間、目の前に血しぶきが飛んだ。
「く……馬鹿な。今の技は……」
切り口は浅いはずが妙に派手に吹っ飛んだなと思えば、どうやらダメージを受け流すように自分から飛んだようだった。
起き上がった女は胸元から肩口にかけて服が大きく切り裂かれており、血がにじんでいるのが見える。
しかし見た目ほど大きな傷ではないのは攻撃した俺自身が良く分かっていた。
「なるほど。アンタの正体が分かった気がする」
俺は女の正体に見当がついた。今、俺が咄嗟に放った技を知っているのなら間違いないだろう。
それが分かれば、あの捕らえられない動きも「技」なのだろう。
「ああそうかい。でも、だからなんだってんだい……」
言うなり、女はスタタン、スタタンと再び軽快な音を立ててステップを踏む。
しかしそれも「技」であれば、それゆえに法則がある。その前提で観察てみれば、やりようはありそうだ。それは女が未熟だからなのか、そういう欠点が元々あるのかは知らないがな。
大きく息を吐き、そして吸った。
俺の頭が、身体が研ぎ澄まされていくのを感じる。レベルの高い相手を越えるために、身体の内から余計な雑念と力が抜けていく。
感じる。俺の中で意識が洗練されていくのを。雑魚ではない、強敵ゆえに生まれる不思議な闘志の高まりを。
身体全体に力がよどみなく等分され、あらゆる状況下においても即座に動ける体勢が俺の中で自然に出来上がった。
「うっ……」
女が唸る。
「いくぞ」
俺は羽根が舞うように、静かに駆け出した。
女はスタタン、スタタンと軽快なステップを踏んで待ち構える。
「もうそれは通用しないっ!」
剣を斬り上げた直後、女の肩のプロテクターが月に向かって吹っ飛んだ。驚愕に女の動きが止まる。
「そ……んな、アタシの身かわし脚を見切った!?」
「身かわし脚——―やはりそうか」
俺は追い討ちをかけず、距離を取って自分の予想が間違っていなかったことを確認する。
「く、くそっ。ならばこれならどうだっ!」
距離を詰め、女の繰り出す拳が四つに見えた。しかし――。
「こうだったか?」
俺はスタタン、スタタンと軽快にステップを踏み、繰り出される四つの拳を全て受け流し、あるいはかわしてやり過ごす。
そして真横に着地しようとする女を抱き上げるように、俺はその腹に片手を当てた。
「無闇に跳躍すべきじゃないな。着地の直前が瞬間が危険だ――イオ!」
接触して放たれた呪文は、避けようもない腹を直撃し、女を大きく吹っ飛ばした。
さすがにこれで勝負あっただろうと思ったが、女は最後の力を振り絞って立ち上がる。
「まだやるのか?」
「こ、こまでコケにされ、ちゃ……ね。まさか、アタシの爆裂拳……も見切られ……るなんて。でも……まだ、売り物は、残っ……てるし……ね。そう、つれない事、言わないで……見てってくれよ……兄さん」
「ふう、仕方ない。残り物には福があるって言うしな。では、その売れ残りを見せてもらおうか」
ゆっくりと息を吐き、しずかに息を吸う。そして剣を構えて相手に意識を集中した。
「あああぁぁぁっ――!」
女は助走をつけ、気を吐いて跳躍する。月を背に、夜空に浮かぶシルエットのその脚が揺らいで見えたと思った瞬間、怒涛のような連続蹴りが襲ってきた。
盾と剣で凌ごうとしたが、繰り出される連撃の圧力に耐え切れず、五月雨のように襲い来る蹴りに飲み込まれ、俺は吹っ飛ばされた。
「ど、どうだ……!」
着地して、女は搾り出すような声で言った。
目を開けると月が見えた。大の字に倒れていた俺は、夜空に向かって大きく息を吐いた。
「なるほど……なかなかの売りものだった。さすが交易の町アッサラームだ。まさか技まで売っていたとは驚きだ」
言いながら立ち上がり、俺は両手で剣を握り正眼に構えた。
「その技買った!」
「な、に――!?」
「こうか!」
俺は先ほどの技を思い浮かべ、それを剣に応用する――いや、これは元々は剣の技だったはずだ。
瞬間、剣が揺らぎ、怒涛の剣閃が女を襲う。まだ慣れないせいか先ほどの攻撃に比べれば早さも数も落ちる――が、問題ない。
俺の記憶が正しければ、この技は五月雨剣――勇者サイモンの技だ。
***
「大丈夫か?」
呆けた顔をして倒れている女にホイミをかけ、聞いた。
「ここまでやっといて、いまさら大丈夫も何もないだろう。ま、アタシの五月雨脚をあんな簡単に盗んじゃうなんてね。残念だけど完敗だよ」
しばらくして、そんな答えが返ってきた。
「しっかし、乙女の柔肌をこんなにたくさん傷つけやがって……」
「後ろを向いた相手に、あんな首が吹っ飛びそうな蹴りを放つ女を、乙女と言うべきかは議論の余地があるな」
それにホイミで回復してるじゃないかと、さらに付け加えた。
「お前は、勇者サイモンの弟子か何かだろう?」
「良く分かったね。もうサイモン先生の事を覚えている人なんてアタシらだけかと思ってたよ。そのアタシらだって今はもう……」
女は勇者サイモンの弟子だったが、修行ばかりの退屈な日常に嫌気が差して師の元を飛び出したらしい。
勇者サイモンの弟子ね……そういえば最近同じ事をどこかで聞いたな、と俺は苦笑した。
「アタシが国を飛び出してからしばらくして、サイモン先生が行方不明になるし、他の弟子達も次々に連絡が取れなくなるし……心配になって国へ帰ろうと思ったけど路銀が無くてね。ここなら人も多いから腕試しを兼ねて路銀を頂戴しようと、ね」
俺は女のやり方に呆れながらも、今の話と、以前に会った勇者サイモンの弟子という戦士の経歴からサマンオサに異変が起きている事を予感した。
同時に、その異変を辿れば魔王への手がかりがつかめるかもしれない、とも。
「ほら、回復終わったぞ」
「お、サンキュー。助かったよ」
下肢を上げた反動で飛ぶように起きた女は、回復具合を確認するように四肢を動かした。
「兄さん強いね。どうだい、旅の連れにアタシを買っていかないかい? これは役に立つと思うよ」
「残念だがお断りだ。群れるのは苦手でね。それにもうアンタからは十分に買い物を済ませた。なかなか良い品だったよ」
「そうかい、それじゃ仕方ないな。ま、こんな美少女が近くにいたんじゃ、旅に集中できなくなるかもしれないからね。うんうん、分かるよ兄さん。男も色々あるからね」
女はひとり勝手に納得し、げんなりする俺の肩を笑いながらバシバシと叩いた。いちいち突っ込むのも面倒だから聞き流しておこう。
「……で。アタシはまだしばらくこの町で稼ぐつもりだけど、兄さんはどうするんだい?」
「俺は用事を済ませたら明日にでもイシスへ向かう予定だ」
「ずいぶん急ぐね。明日出かけるんじゃ、たぶんここでお別れだ。ま、元気でやれよ」
そういって女は手を差し出した。
「お互いにな」
応えて俺は女の手を握り、そして立ち去った。
その後、俺は本来の目的地である情報者のところを訪れて魔法の鍵の情報を聞き出し、宿を取って休んだ。
後になって互いに名乗るのを忘れていたことに気付いたが、特に必要も無かったから気にしないことにした。
翌朝、俺は砂漠の国イシスへと向かう前に、ふと思い出して女に伝言を残した。
「いつになるかは知らんが、ここで待っていれば、いずれ面白いやつらが来ると思うぞ」と。
第三章があれば、その後に載せる予定だったエピソードです。
……そこまで本編を書けなかったよorz