黒咲瑠璃に転生してしまった…… 作:絶望神サガ
そんなことがあってから、早一年。
窓の外では再び桜が散り、青葉が目に鮮やかな季節を迎えている。真新しかった黄色の通学帽子もすっかり私の頭に馴染み、私は至って平穏に、かつ無事に小学二年生へと進級することに成功した。e・ラーが正座嫌いになったこととか、まぁ特に特筆すべき異常事態は何事も無く、私の周囲は至極真っ当な小学生の日常そのものだった。
ちなみに《絶望神アンチホープ》のカードは、まだカードショップのストレージに放り込まず、私のストレージボックスの隅に保管してある。なんだかんだ言って、私にも一応の情や憐れむ心というものはあるのだ。ほんの最低限、埃を被らないようにしておく程度のものだが。
この一年で明確に変わったことと言えば、兄さんである隼が進学を見据えて本格的に塾へ通い出し、家にいる時間が少し減ったこと。そしてもう一つ、何より大きな変化が──。
「まーた難しい顔。ねぇ瑠璃、知ってる?」
朝の喧騒に包まれた教室。登校して自分の席につき、ランドセルから教科書を取り出していた私の視界に、ひょっこりと顔を出してきたのは九十八さんだった。
「何も難しく無いよ……灯、何を?」
私が自然に下の名前で呼ぶと、灯は嬉しそうに目を細めた。そう、私と彼女が下の名前で呼び合うくらいの、ごく自然な親友の仲に発展したこと。これが、この一年における最も喜ばしい変化だった。
こうして笑い合える関係になるまでには、実は少々の紆余曲折があった。あのお昼休みのデュエルの後、実のところ私は、私たちのデュエルを周りで見ていたギャラリーのクラスメイトたちから、結構な非難を浴びることになってしまったのだ。
当時の彼らの言い分はこうだ。
『あんな真っ黒でバカでかいモンスター、見た目がキモイ』
『なんか怖い』
『せっかく九十八さんがかっこいいモンスターを出して攻撃したのに、なんで真正面から受けないで罠で跳ね返したりするんだよ』
文句、あるいはクレームと言ったほうが正しいのかもしれない。客観的に見れば、もう少し何とか言いようがあるだろうと思うかもしれない。だが、当時の彼らはまだ語彙力も配慮も未発達な小学一年生だ。私の出した《アンチホープ》と、彼女の《エクスカリバー》とでは、少年心をくすぐるのは明らかに後者であることは言うまでもない。であれば、クラスの世論がそちらに傾き、同情が集まるのも必然的な流れであった。
『折角かっこいいモンスターが必殺技を繰り出したのに、罠カード一枚でマジレスして終わらせるなんて、芸の無い行動だ』
彼らの不満を要約すれば、そういうことなのだろう。私からすれば妥当なプレイングだったのだが、そんなこと知ったことではない子供のコミュニティにおいて「空気が読めない」というレッテルは致命的になりかねない。
私は内心で少し焦った。このままクラスで浮いてしまうかもしれない、と。だが、私が言い訳を口にするより先に、私と友達になってくれたばかりの灯が、彼らの非難に対して真っ向から、しかも真逆の意見をぶつけてくれたのだ。
『折角かっこいいモンスターが必殺を繰り出したのに、それを読んで罠一枚でマジレスするなんて、芸がありすぎるだろうが』
それが、彼女の主張の要旨だった。正直に言うと、庇ってもらっている張本人の私ですら、一瞬意味が分からなくて呆然としたのはよく覚えている。だが、彼女の理屈は割と筋が通っていた。
だが、彼女曰く、よくよく考えれば、別に《エクスカリバー》をパンプアップさせて一ターンでいきなり倒す必要は無かったし、守備表示にしておくとかすればまだ試合は長引いていた。私だって黒咲さんに負けたくて負けた訳じゃない、十分勝てた自信がある。
それでも、私が攻撃力を爆増させてまでして《アンチホープ》に殴りかかった理由は、一つは単純に罠カードの警戒を怠っていたから。二つが、黒咲さんの言葉が私の胸に凄く響いたから。確かに、怖いモンスターだけど。それを召喚したときの黒咲さんは迷いが無くて堂々としていた。かっこいいと思った、私も負けられないと思った。
だから私は本気で攻撃した。そこを狙われて、黒咲さんは《魔法の筒》を使った。黒咲さんは私の感情を読んで、デュエルしていた。
正直、凄いなと思った。だから黒咲さんから友達になるお願いを受けたし、実際今の私はとてつもなくうれしくて仕方がない。だから、黒咲さんに文句を言うのなら、まずは私に言ってみなさい。負けたのは私、なんでみんなは勝った人を褒めないのよ?
彼女はそうして、彼らを一喝してくれたのだ。その時、私は自分がクラスで孤立するかもしれなかったという危うい可能性に今更ながら気づき、同時に、目の前の小さな少女に完全に救われたのだと深く理解した。
彼女を無碍になんてできるはずがない。私はその時、自分の都合で余計なヘイトを買うような真似をしやがったe・ラーを今後どう苦しませるかを脳内で考えておくと共に、少なくともこの学校生活において、彼女とだけは絶対に仲良くしてみたい、と本心からそう思わされたのだ。
そして、その意思はどうやら彼女も同様だったらしい。
とまぁ、そんな出来事があって、自然と時間を重ねるうちに、いつからか私と灯はかけがえのない親友となっていたのだ。本当にありがたいことだ。彼女の住む家の方向に足を向けて寝ないように、自室のベッドに置く枕の位置をきっちり百八十度逆転させることになったのは、言うまでもない事実であろう。
「やっぱり、クラスの噂に鈍いわねぇ……瑠璃がそういう話に興味が無くて悲しいなぁ、私」
私の机の前に立ったまま、灯が大げさに肩をすくめてみせる。周囲を見渡せば、朝のホームルーム前特有のざわめきの中で、いくつかのグループが身を寄せてヒソヒソと楽しそうに内緒話に花を咲かせているのが分かった。
「でも簡単に噂如きに流されないのって大事だと思うんだ。それに、今から灯がその噂とやらを教えてくれるんでしょ?」
私がわざとらしく本から視線を上げて微笑むと、灯は呆れたように息を吐きながらも、どこか得意げな表情を浮かべた。
「それはそうなんだけど……ええとまず、この噂の初出は先生かららしいのよ」
「へぇ?先生から漏れたってこと?」
「そういうことになるわね。まぁどこで、とかは知らないけど。で、その噂っていうのが……」
「噂っていうのが?」
灯は少しだけ声を潜め、私の耳元に顔を近づけて、勿体ぶるようにその言葉を口にした。
「どうやら転校生が来るらしいの」
「転校生?」
思わずオウム返しにしてしまった。小学生にとって、転校生という響きは日常を打ち破る一大イベントだ。どんな子だろう、スポーツはできるのかな、デュエルは上手なのかな、というかどこから来たんだろう。そんな期待と好奇心がクラスの空気を浮き足立たせている原因なのだろう。
「ええ。しかももうすぐらしいのよね」
「確かに転校生はね……そりゃ気になって当然か。ま、けども私には関係の無い話。私には優しい灯と有象無象の話し相手がいればそれで満足よ」
私は興味がなさそうに肩をすくめ、さらりと言ってのけた。特段喜ぶべきことではない。だが、周りのクラスメイトがこれほどまでにそわそわしているのは、初めての経験なのだからだろう。私は既に幾回か経験済みなのでそんな心が動くわけではないのだが。
「嬉しいこと言ってくれるじゃない……いやこれ嬉しいのかな本当は」
灯は私の言葉の前半部分に喜ぼうとして、後半の棘のある表現に気づき、複雑そうな顔で首を傾げた。
「その答えはデュエルの中で知るしかない」
「朝礼始まる5分前なのに無理に決まってるでしょ、いつも通りボンヤリ座ってなさいな」
「はーい」
冗談めかしてデッキに手を伸ばすふりをした私を、灯が笑いながらたしなめる。そんな他愛のないやり取りをしていると、廊下から足音が近づいてくるのが聞こえ、クラスのざわめきが潮を引くように静まっていく。気の抜けた返事をしながら姿勢を正したちょうどその時、教室の扉がガラリと開き、去年から引き続き持ち上がりで私たちの担任となった先生が、出席簿を抱えて入ってきた。
「おはようございまーす、皆さん」
教壇に立った先生が、朗らかな声で挨拶をする。
それに応答するように、周りの生徒たちが元気よく「おはようございまーす」と声を揃えて返した。朝の心地よい空気が教室を満たしている。
「うん、いい返事ですね。さて、皆さん。一年経ってまた春になったわけですけれど、二年生になってどうですか?お友達、増やせてますか?」
先生はにこやかに教室全体を見渡しながら、そんな問いかけを投げてきた。友達、という単語が出た瞬間、隣の席に座っていた灯が、ツンと私の肘を突いて小声で囁いてきた。
「瑠璃、あんたのことよ」
「オンリーワンがナンバーワンよ」
「馬鹿言わないで」
ヒソヒソと言い合いながら、私たちは前を向いたまま忍び笑いを漏らす。先生はそんな私たちの様子には気づかず、少しだけ真面目なトーンに声色を変えて話を続けた。
「……まぁ、そうは言っても私も子供のころはずっと同じお友達同士で遊んでました。これっていいことだと思いますか?黒咲さん」
突然名前を呼ばれ、私はビクッと肩を震わせた。油断していたところを狙い撃ちにされ、私は慌てて立ち上がる。
「はい!とても尊ぶべき行為だと私は思います!」
深く考えずに、ただ今隣にいる親友を肯定するような模範解答を大声で返すと、教室にクスクスという笑い声が広がった。先生も苦笑いしながら頷く。
「そうですね、これは別に悪いことではありません」
先生は私に座るよう手で促すと、ホワイトボードの前に歩み出て、クラス全員の顔をゆっくりと見渡した。
「……ですが、皆さんには固まったお友達だけでこれからを過ごしてほしくない」
「あ、お友達を無くせって訳じゃないですよ?」
少し不安そうな顔をした生徒たちを見て、先生は慌ててフォローを入れる。そして、朝からクラスをざわつかせていた噂の答え合わせをするように、嬉しそうな声で告げた。
「新しいお友達を、歓迎してほしいってことなんです」
その言葉の真意がどこにあるのか。一瞬意味が分からないというように、教室はピンと張り詰めたような沈黙に支配された。だが、数秒後。最も勘のいい一人の男子が、ハッとした顔で声を上げた。
「先生……それって!」
「ええ。転校生が来ます。というか、もう既に廊下で待ってもらってます」
先生の決定的な一言が落ちた瞬間。
「「「うぉおおおお!!!」」」
教室は割れんばかりの歓声に包まれた。特に男子たちのテンションの上がり方は異常で、机を叩いて喜ぶ者までいる。
「せんせっ、男子っすか女子っすか!?」
「ちょっと男子、先生が話してるのに──」
身を乗り出して質問する男子と、それをたしなめようとする女子の甲高い声が交差する。先生はそれすらを上塗りするかのように、ニッコリと笑って答えた。
「女子です」
「「「きゃああああ!!!」」」
今度は女子たちから、黄色い歓声が上がった。同性の新しい友達が来るという事実に、クラスのボルテージは最高潮に達している。
「良かったです、そのリアクションを見るに不安は無さそうですね」
先生はホッとしたように胸をなでおろすと、廊下に向かって体を向けた。教室の全員の視線が、固く閉じられた前の扉へと集中する。私も、興味がないとは言いつつも、自然とその扉の向こう側にいるであろう見知らぬ少女の姿を想像していた。
「では来てもらいましょうか。どうぞ、入ってきてください!」
教室が、唾を飲み込む音すら聞こえそうなほどの緊張の静寂に包まれる。
ゆっくり、ガラガラ……と、少し重たい音を立てて扉が開かれる。
「え?」
そこに立っていたのは、私たちの予想を遥かに超える、異質な存在感を放つ少女だった。
艶やかな藍色の髪を大きな黄色いリボンでポニーテールにまとめ、その顔立ちは小学生とは思えないほどに凛としていて、意志の強そうな鋭い瞳が教室の生徒たちを真っ直ぐに射抜いていた。可愛らしいというよりは、勇ましい。そんな表現が似合う少女が、堂々とした足取りで教壇の横に立つ。
「そういうわけで……はじめまして、お前たち!」
第一声からして、普通の小学生のそれとは違っていた。彼女は緊張する素振りなど一切見せず、むしろこの場を支配するかのように胸を張り、よく通る声で高らかに宣言した。
「今日からここに転校する、セレナだ!慣れないことばっかだと思うが、皆よろしく頼むぞ!!」
元気よく、そしてどこか好戦的にも聞こえる挨拶。クラス中がその圧倒的なオーラに呆気にとられている中、私の頭の中だけは、全く別の理由で真っ白に染まり上がっていた。
……セレナ!?なんでここにいるんだ!?!?
前世の記憶。私が知る原作の知識。彼女は、別次元の融合次元の住人であり、こんな場所にいていい存在ではない。それがなぜ、こんなに幼い姿で、エクシーズ次元の、しかも私の通う小学校に転校してきているのか。
「と、言うわけでセレナさんが今日から皆さんと一緒に勉強することになりました。是非仲良くしてあげてくださいね!」
先生の呑気な声が、遠くの方で聞こえる。平穏だったはずの私の小学二年生の日常は、開始早々、根底からひっくり返されようとしていた。