ドゥーのリベリオン 作:夏で腐ったチキン南蛮
午後の授業は、いつも通り退屈だった。
窓際の席で、ドゥーは教科書のページをぼんやりと眺めていた。教師の声は、耳に入っているようで入っていない。半年もこの生活を続けていると、聞き流す技術だけは妙に上達していた。
制服のポケットの中で、通信端末がごく小さく震えた。授業中に使うことは禁じられている。ドゥーは机の下でそれを一瞬だけ確認し、視線をすぐに教科書へ戻した。
――ゲーツ。
文面はそれだけだった。だが、それだけで十分だった。この半年、こういう連絡が意味もなく来たことは一度もない。
しばらくして、教師が黒板に向かっている隙に、もう一度端末を確認する。今度は短い文字列が並んでいた。
『軍警が赤いガンダムと接触。追跡中。至急、校門へ』
その瞬間、ドゥーの中で何かが切り替わった。
さっきまで気だるく机に頬杖をついていた姿勢が、わずかに変わる。背筋が伸びたわけではない。ただ、目の奥の焦点が変わった。ぼんやりと宙を見ていた目が、はっきりと何かを見据える目になっていた。
ドゥーは静かに手を挙げた。
「先生、気分が悪いので、保健室に行っていいですか」
教師は少し怪訝そうにしながらも頷いた。ドゥーはノートと筆箱を鞄にしまい、席を立つ。
「ドゥー、大丈夫?」
隣の席のクラスメイトが小声で聞いてくる。
「うん、平気。ちょっと、頭痛いだけ」
愛想笑いを浮かべて、ドゥーは教室を出た。廊下に出た瞬間、その笑顔は音もなく消えていた。
保健室には向かわなかった。校舎の裏口から出て、通学路とは違う道を選ぶ。慣れた足取りだった。この半年で、こうした「早退」は何度目になるだろうか。数えるのをやめて久しい。
校門を出たところで、鞄の中の端末がもう一度震えた。
『校舎から離れたら通話に出ろ』
人気のない路地に入ったところで、ドゥーは端末を耳に当てた。
「出た」
「状況を話す」
ゲーツの声は、いつもと変わらず平坦だった。だが、言葉の速度がわずかに速い。
「軍警のザク部隊が、外壁付近で赤いガンダムを発見。追跡を開始している。詳細な交戦の有無は、まだ確認できていない」
「……追いかけてるってこと?」
「そうだ」
ドゥーの足取りが、自然と速くなった。
「学校は?」
「今日はもういい。拠点へ直行しろ」
「わかった」
通話を切り、ドゥーは駆け足に近い早歩きで、いつもの道を進んだ。制服姿の少女が、鞄を抱えて路地を急ぐ姿は、周囲から見ればただの下校中の生徒にしか見えない。だが、その内側では、さっきまで小テストの結果を気にしていた頭が、まったく別の回路に切り替わっている。
――赤いガンダムが、動いている。
その一点だけが、ドゥーの意識を占めていた。
拠点は、住宅区画から少し離れた、下町寄りの一角にあった。
表通りに面した、古びた金属製の看板。塗装は剥げかけ、辛うじて「ジャンク・リペア」の文字が読み取れる。並んでいるのは、用途不明の機械部品や、旧型の民生用ユニットの残骸。埃っぽい店先には、客の姿はほとんどない。
ドゥーは慣れた様子で、店の脇にある通用口から中へ入った。
店番をしている中年の男が、ちらりとドゥーを見て、無言で顎をしゃくった。奥へ行け、という合図だった。この男も、表向きは店主だが、実態は情報部の要員だった。名前を、ドゥーはまだよく知らない。知る必要もないと言われている。
雑然とした店内の奥、部品棚の裏に隠された扉を抜けると、空気が変わる。埃っぽい匂いが消え、金属と潤滑油の匂いに変わった。
格納庫だった。
広さは、決して大きくない。だが、天井は高く取られ、中央には一機の軽キャノンが据え付けられている。装甲の色は薄汚れたグレーとオリーブ。あちこちに補修の跡がある、どこにでもある払い下げ機にしか見えない外見。
だが、ドゥーにとっては見慣れた、自分だけの機体だった。
整備要員の一人が、無言でドゥーに目礼した。
「準備は」
「もうできてる」
簡潔なやり取り。ドゥーは更衣スペースへ向かい、制服を脱いだ。
鏡に映る自分の姿が、一瞬だけ視界に入る。学生服を脱いだ体は、下に着込んだインナースーツに覆われていた。パイロットスーツに袖を通しながら、ドゥーは無意識に、机の上に置いてあった小さな布――薬液を染み込ませたハンカチ――をポケットへ移し替えた。
制服のときも、パイロットスーツのときも、それだけは変わらず持ち歩いている。
スーツを着終え、ヘルメットを小脇に抱えて格納庫へ戻ると、通信用端末から、ゲーツの声が聞こえてきた。指令所とこの拠点は、専用回線でつながっている。
「状況は」
「今、乗る」
「急げ」
タラップを上がり、コクピットへ滑り込む。シートに体を沈め、各種のロック機構を締めていく作業は、もう体が覚えていた。メインモニターが点灯し、機体各部のステータスが並んでいく。
「起動、確認」
「よし」
ゲーツの声に、いつもよりわずかに硬さがあった。
ドゥーは操縦桿に手をかけながら、モニターの隅に表示された、灰色のままのアイコンに一瞬目をやった。
「ねえ、ゲーツ」
「なんだ」
「これ、使っちゃ駄目?」
「駄目だ」
即答だった。ドゥーはヘルメットの中で小さく唇を尖らせる。
「今日くらい、いいんじゃない?」
「封印を解く理由にはならない」
「使ったほうが速く見つけられるかも」
「マニュアルで十分だ。今のところ、その必要はない」
いつもの押し問答。だが、今日はドゥーもそれ以上は食い下がらなかった。時間がない、ということは、ドゥー自身もよく分かっていた。
「わかった」
軽キャノンが、格納庫のハッチへと移動を始める。狭い作業用エアロックを通り抜け、機体が宙域へと押し出されていく。
視界いっぱいに、静かな宇宙が広がった。
「観測位置につけ。座標を送る」
「うん」
届いた座標に向けて、ドゥーは軽キャノンを進めた。コロニーの外殻に沿って、いつもよりやや外周寄りの位置。センサーの感度を上げながら、ドゥーは周囲を一通り確認する。
いつもの監視軌道とは、微妙に違う緊張感があった。
「赤いガンダムは」
「まだ視認できていない。軍警側の通信も、こちらでは断片的にしか拾えていない」
「ザクが追いかけてるんでしょ?」
「傍受班からの報告では、な。だが、詳細な位置はまだ掴めていない」
ドゥーはセンサー画面に目を走らせながら、小さく息を吐いた。
「……あ」
視界の隅、通常の航路からは外れた位置に、見慣れない輪郭が浮かんでいる。ドゥーはセンサーの倍率を上げた。
巨大な艦影だった。
「ゲーツ、なんか、でっかいのいる」
「座標を」
ドゥーが数値を読み上げると、しばらくの沈黙のあと、ゲーツの声が返ってきた。
「……ソドンだ」
「……あれが」
ドゥーは画面越しに、その艦影を見つめた。距離があるせいで、細部までは分からない。全体の輪郭と、艦橋らしき構造がぼんやりと見える程度だった。それでも、「ジオンの軍艦がすぐそこにいる」という事実には、妙な重みがあった。
「思ってたより、近い」
「外縁宙域に留まっている、という話だったが……この位置は、想定より内側に寄っている」
ゲーツの声に、わずかな苛立ちが滲んだ。
「動きを監視しろ。ただし、絶対に近づくな」
「わかってる」
ドゥーはソドンの艦影から視線を外さないまま、機体をわずかに後退させた。物珍しさはあったが、それ以上踏み込む気はまだなかった。
変化は、唐突に訪れた。
センサー画面の一角に、複数の反応が同時に現れる。コロニー外壁に近い区域。動きの速い反応が三つ、四つ。
「ゲーツ、来た」
「見えている」
画面を注視すると、輪郭がはっきりしてくる。ずんぐりとした人型のシルエットが二機。軍警仕様の装甲色。ザクだった。
そして、その先を行く一機――深く鮮やかな赤。
「赤いガンダム」
ドゥーの声から、それまでの平坦さが消えていた。
「記録開始。距離を維持したまま観測を続けろ」
「言われなくても」
ドゥーはすでにセンサーの照準を、赤い機体へ固定していた。
軍警のザクが、マヴを組んで赤いガンダムへ接近する。武装らしきものを構えている個体もある。だが、赤いガンダムは慌てる様子もなく、外壁沿いをすり抜けるように移動していた。
次の瞬間、動きが変わった。
赤いガンダムが、急加速する。
直線的な動きではなかった。外壁の凹凸を利用するように、複雑な軌道を描きながら、追ってくるザクの隊列との距離を、あっという間に詰めていく。
「速い」
ドゥーは思わずつぶやいていた。
ザクの一機が反応し、赤いガンダムに向こうとした瞬間には、もう遅かった。赤いガンダムはその懐に入り込み、腕に仕込まれた何かで頭部を一撃で破壊する。
ザクは、頭部が爆発するとそのまま動かなくなった。
「……やっぱり、すごい」
ドゥーの声には、恐怖よりも、隠しきれない昂りがあった。残る二機のザクが体勢を立て直そうとするが、赤いガンダムの動きに、まるで追いつけていない。翻弄されているというより、最初から相手にされていないようにさえ見える。
「……あれ、好き」
小さな、ほとんど独り言のような一言だった。ゲーツはそれに反応しなかった。おそらく、聞こえていたはずだが、あえて拾わなかった。
「記録は継続する。冷静に見ろ」
「見てるよ」
ドゥーの目は、画面の中の赤い機体から、一瞬たりとも離れていなかった。
軍警ザクを翻弄しながら、赤いガンダムはなおも軽やかに宙域を動き回っている。ドゥーが観測している間に、立て続けに残りのザクが無力化される。
「軍警はまだ追うつもりだろう」
ゲーツが、独り言のように呟いた。
その言葉に、ドゥーが即座に食いついた。
「じゃあ、まだ追うんだ」
「観測を続けるだけだ」
「どこに行くんだろ、あれ」
「分からない」
「私も行きたい」
言葉が、口をついて出ていた。ドゥーは操縦桿を握る手に、無意識のうちに力を込めていた。
「駄目だ」
返事は速かった。
「逃げるの、手伝った方がいいんじゃない? あんなに追われてるし」
「お前の判断で動く任務じゃない」
「でも」
「観測任務だ。お前は追跡に参加する必要はない」
いつもの、短い制止だった。ドゥーは唇を尖らせながらも、機体をその場から動かさなかった。動きたい、という衝動はある。だが、それを実行に移すだけの理由も、まだなかった。
「……わかってるってば」
不満げな声で、ドゥーはそう答えた。
異変は、その直後に起きた。
センサー画面の表示が、わずかにざらついた。
「……ん?」
ドゥーはモニターに顔を近づけた。光学映像の輪郭が、心なしかぼやけている。通信のノイズも、いつもより多い気がした。
「ゲーツ、なんか変」
応答までに、わずかな間があった。
「――ソドンだ。ミノフスキー粒子の散布を確認」
「え、ちょっと」
「電子機器の精度を落とされている。センサーと通信、両方に影響が出る」
ゲーツの声にも、うっすらとノイズが混じり始めていた。
「これから、通信状態が悪くなる可能性がある。何かあれば――」
言葉の途中で、声が一瞬途切れた。
「ゲーツ?」
「――聞こえている。指示に従え。動くな」
声はすぐに戻ったが、明らかに音質が落ちていた。ドゥーは画面のノイズを見つめながら、小さく舌打ちした。
軍警ザクと赤いガンダムの交戦は、なおも続いていた。だが、通信の質が落ちるにつれて、ドゥーの手元に届く映像も、少しずつ粗くなっていく。
「見えにくい」
「距離を保て」
「もうちょっと寄れば、はっきり見えるでしょ」
「近づくな」
ゲーツの声は短かったが、ドゥーはすでに、操縦桿をわずかに倒していた。
「観測するなら、近い方がいいでしょ」
それらしい理屈を並べながら、軽キャノンはコロニー外殻に沿って、少しずつ前進を始めていた。頭のどこかで、これが指示に反する行動だと分かっている。だが、画面の中の赤い機体から目を離せないまま、指先は勝手に操縦桿を動かしていた。
観測のためなのか、それとも、ただもっと近くで見たいだけなのか。
ドゥー自身にも、その境目はもう曖昧になっていた。
「ドゥー、下がれ」
「大丈夫、まだ距離ある」
「下がれと言っている」
「もうちょっとだけ――」
その言葉の途中で、通信が大きく乱れた。
「――ゲーツ?」
応答がない。
ノイズだけが、通信の向こうから断続的に届く。ドゥーは端末の表示を確認した。回線自体は生きている。だが、明瞭な音声が届かない。
「ゲーツ、聞こえる?」
途切れ途切れに、声の断片だけが届いた。
「……づく、な……戻……」
それだけだった。指示の全容は分からない。だが、「戻れ」という意味であることは、なんとなく察せられた。
ドゥーは操縦桿を握ったまま、しばらく動けずにいた。命令には従うべきだと分かっている。だが、目の前では、まだ赤いガンダムがザクの追撃をかわし続けている。ここで下がれば、視界から消えてしまうかもしれない。
迷いが、判断を鈍らせた。
その隙に、新たな反応がセンサーに映り込んだ。
ソドンの艦体から、一機のMSが射出される。
「……何、あれ」
見慣れない輪郭だった。軍警のザクとも、赤いガンダムとも違う、鋭角的なシルエット。詳細まではまだ判別できない。
「鬼武者……?」
独り言のようにつぶやきながら、ドゥーはセンサーをそちらへ向けた。ソドンから出てきたということは、ジオン側の機体である可能性が高い。だが、それ以上のことは、この距離では分からなかった。
赤いガンダムほどの強い引力は感じない。それでも、正体不明の機体が動き出したことに、ドゥーの意識の一部が反応していた。
その不明機は、遮蔽物に紛れるような動きで、赤いガンダムへと向かっていった。
ドゥーが目を凝らす中、二機が交錯する。
最初の数合で、優劣ははっきりしていた。不明機の動きは、決して洗練されているとは言えない。武装を振り回すような、粗い攻防だった。対する赤いガンダムは、それをかわしながら、時折不明機の武装を弾き飛ばし、破壊していく。
「……こっちも、赤いガンダムのほうが強い」
ドゥーは画面越しに、その差を感じ取っていた。赤いガンダムの動きには、無駄がない。まるで最初から相手の動きが分かっているかのように、常に半歩先を取っていた。
不明機の装備が、また一つ弾かれる。防戦一方になりながらも、機体はなおも食い下がっていた。
そして、最後の瞬間。
不明機が、体当たりに近い形で赤いガンダムへ突っ込んだ。
二機は絡み合うようにして、コロニーの外殻の方向へ吸い込まれていく。
「――え」
ドゥーが声を上げたときには、二機の姿はすでにモニターから消えていた。センサーの反応も、外壁の向こう側へと切り替わり、追えなくなる。
「噓、待って」
ドゥーは思わず操縦桿を握り直した。二機を追って、機体をコロニー内の方向へ向けようとする。
だがその瞬間、背筋に、鋭い違和感が走った。
攻撃されたわけではない。センサーに何か新しい反応が現れたわけでもない。それでも、皮膜の内側を撫でられるような、ざらついた感覚がドゥーの意識を貫いた。
――見られている。
根拠のない確信だった。だが、その感覚は、これまでに味わったことのない種類の圧を伴っていた。視線の先を探ろうとしても、何も見つからない。ただ、ソドンの艦影の方角から、じっと何かが自分を捉えているような気配だけがあった。
ドゥーの手が、操縦桿の上で止まった。
全身の産毛が逆立つような感覚。理屈では説明できない。だが、体が先に判断していた。
これ以上、あの方向へ進んではいけない。
ドゥーは無意識のうちに、機体をわずかに後退させていた。ソドンから距離を取るように、軽キャノンをコロニー外殻から離す。
二機が消えていった所を、ドゥーはモニター越しにただ見つめることしかできなかった。
追いたい。近づきたい。その衝動は、まだ胸の中に残っている。だが、あの「見られている」感覚が、体の動きを縛りつけていた。
通信は、なおも不安定なままだった。
ドゥーは端末を何度も操作したが、返ってくるのはノイズ混じりの断片ばかりだった。
「ゲーツ……聞こえてたら、返事して」
応答はない。
しばらく、静かな宙域の中で、ドゥーは一人、モニターを見つめ続けた。艦影の方角から感じた圧のようなものは、今は薄れている。それでも、警戒は解けなかった。
不意に、通信端末の表示が切り替わった。音声とは違う、光学信号を示すアイコンだった。
「――ドゥー、聞こえるか」
ノイズの少ない、はっきりとした声だった。だが、いつものゲーツの声とは、届き方が違う。
「ゲーツ? なんで急に、はっきり――」
「レーザー通信に切り替えた。近くの作業艇を経由している」
答えたのは、別の落ち着いた声だった。ゲーツではない。おそらく、情報部の別班の要員だろう。すぐにゲーツの声に代わる。
「ミノフスキー粒子下では、通常の無線がまともに機能しない。近接した中継艇を使って、指向性の光通信で回線を確保した」
ドゥーは、周囲のセンサーに目をやった。少し離れた位置に、小さな輸送艇らしき反応がある。民間の作業艇にしか見えない外見だが、それが今、自分たちの命綱になっているらしかった。
「……そっか」
ドゥーは短く答えた。だが、その声には、まだ状況の重さを飲み込みきれていない響きがあった。
次に届いた声は、それまでとは、明らかに質が違っていた。
「――お前は、何を考えている」
抑えた声だった。だが、その抑え方そのものが、いつものゲーツとは違っていた。淡々とした事務的な平坦さの下に、初めて聞くような硬さが混じっている。
「近づくなと、はっきり言ったはずだ」
「……観測するためだった」
「観測なら、指定された距離で十分だ」
「近い方が、よく見えるから」
「見失いたくなかった、と言うつもりか」
図星だった。ドゥーは口をつぐんだ。
「通信が乱れている状況で、指示を無視して前進した。ソドンが近くにいて、ミノフスキー粒子が散布され、正体不明の機体が動き回っている中でだ」
ゲーツの言葉は、一つ一つが短く、それでいて重かった。
「もし、あのままお前がコロニー内部に踏み込んでいたら、どうなっていたと思う」
ドゥーは、何も言い返せなかった。
「ジオンの軍艦がサイド6のコロニーでミノフスキー粒子を散布したということの意味をよく考えろ。あいつらは秘密裏に軍事作戦をしてるつもりなんだよ」
「軍警にも、ジオン側にも、こちらの存在を気づかれる可能性があった。お前一人の問題じゃない」
いつもなら、「駄目だ」「任務だ」の一言で終わるやり取りだった。だが今日は、ゲーツの声は止まらなかった。
「勝手な判断で動くな。次はない」
最後の一言だけ、わずかに声が低く落ちた。怒鳴っているわけではない。むしろ、抑えようとしているのが伝わってくるほど、静かな声だった。だからこそ、その言葉の重さが、いつも以上にドゥーの中に沈んだ。
「……ごめん」
小さな声だった。ドゥーがそんな風に素直に謝ることは、あまりない。
ゲーツは、それに対してすぐには答えなかった。数秒の沈黙のあと、いつもの平坦な声に戻って言った。
「観測を続ける。位置を維持しろ」
「……うん」
叱責は、それで終わりだった。だが、その静かな終わり方の余韻の方が、ドゥーの胸に長く残った。
通信が安定を取り戻した頃、コロニー外殻のエアロック付近に、再び動きが現れた。
「ゲーツ、出てきた」
「見えている」
先ほどの不明機――ソドンから発進した機体が、コロニー内部から姿を現していた。それを追うようにエアロックから軍警ザクが飛び出してくる。
ドゥーはセンサーの倍率を上げ、その動きを注視した。
最初の数秒で、違和感を覚えた。
「……あれ?」
「どうした」
「なんか、違う」
うまく言葉にできない感覚だった。さっきまでの、粗く、力任せだった動きが消えている。ただ、それでも今度の機体は動きが素人臭い。ただ、体が動いていないというよりは、まだ動かすのに慣れていない赤子のようだ。マニュアル操作にしては、よく動いている。
「操縦、変わった?」
「不明だ。同一機体かどうかも、まだ断定できない」
「同じだよ、多分。でも、なんか違う」
理屈で説明できることではなかった。ただ、さっきまでの「がむしゃら」な印象と、今の「洗練された」印象の落差が、ドゥーの感覚に強く引っかかっていた。
ザクの一機が、あっという間に頭部を破壊され、無力化される。ドゥーはそれを見ながら、モニターの中の機体をじっと見つめ続けた。
「……なんでだろ」
答えの出ない問いを、ドゥーは口の中だけで転がした。
そこへ、もう一つの反応が画面に現れた。
深く鮮やかな赤。
「――来た」
ドゥーの声のトーンが、一段変わった。
赤いガンダムが、コロニーの外殻付近に姿を見せる。ドゥーの意識は、瞬時にそちらへ引き寄せられた。
「記録しろ」
ゲーツの声が届いていたはずだが、ドゥーの返事は一拍遅れた。画面の中の光景に、意識のほとんどを持っていかれていたからだった。
赤いガンダムと、先ほどの不明機――今、動きの違う何か――が、同じ宙域で動き始める。
最初、ドゥーはそれを、単なる戦闘の続きだと思った。だが、すぐに違うと気づいた。
二機は、戦っていない。
互いの動きに、まるで合わせるように動いている。片方が旋回すれば、もう片方もそれに沿うように軌道を描く。攻撃するでもなく、避けるでもない。ただ、二つの機体が、同じ流れの中にいるようだった。
ドゥーは、画面から目を離せなくなっていた。
「……なにこれ」
その光景に、名前をつけるとしたら何と呼べばいいのか、ドゥーには分からなかった。ただ、外壁に残されたあの光の粒――「キラキラ」――を初めて目にしたときと、似た感覚が胸の奥からせり上がってくる。
「……キラキラ、してる」
誰に向けた言葉でもなかった。ただ、口からこぼれ落ちた一言だった。
説明はできない。あの日、外壁の光を見て感じたものと、今、目の前で動く二機を見て感じるものが、同じ根から生えている気がする。それだけは、確信に近い形でドゥーの中にあった。
ゲーツは、それに対して何も言わなかった。指令所側でも、同じ光景を見ているはずだった。だが、通信の向こうからは、しばらく沈黙だけが返ってくる。
「私も」
気づけば、口にしていた。
「行きたい」
「駄目だ」
返事は速かった。ドゥーはそれでも続けた。
「あれ、やりたい」
「駄目だ」
「近くで見たいだけ」
「駄目だ」
三度目の拒否に、ドゥーは唇を噛んだ。分かっている。今日はもう、一度言うことを聞かなかった。これ以上、我を通す資格は自分にない。頭では、そう理解していた。
それでも、胸の奥の疼きは治まらなかった。
「……なんで、あの子たちはいいの」
ぽつりとこぼれた言葉に、ゲーツは短く答えた。
「我々の任務じゃない」
「わかってるけど」
「わかっているなら、それでいい」
いつもの、素っ気ない終わり方だった。ドゥーは操縦桿を握ったまま、モニターの中の二機を、ただ見つめ続けることしかできなかった。
二機の連携するような動きは、軍警ザクの頭部を不明MSが破壊すると、やがて途切れた。
軍警の追加部隊が、宙域に展開し始めたためだった。赤いガンダムと、もう一機は、それぞれ距離を取るように離れていく。
軍警ザクがそこに到着する頃には、二機とも恐らく、そこには既にいないだろう。
残骸となった機体が、慣性のままにゆっくりと宙を漂っていた。それを最後に、宙域の交戦は収まった。
ドゥーは、その一部始終を、瞬きも惜しむようにして見つめていた。
「これで観測は終わりだ」
ゲーツの声が、静けさを破った。
「帰投しろ」
「……もうちょっと見たい」
「終わりだと言った」
「まだ見えるよ」
「帰投しろ、ドゥー」
名前を呼ばれると、それ以上は続けられなかった。今日、一度は無視した命令だった。それを思えば、これ以上駄々をこねる余地は自分にないことも分かっていた。
「……わかった」
不本意な声で、ドゥーは答えた。軽キャノンが、緩やかに機体を反転させる。
帰投コースに乗る直前、ドゥーはもう一度だけ、モニターの隅の記録映像に目をやった。赤いガンダムと、あの不明機――鬼武者――が、同じ動きの中で溶け合うように漂っていた光景。
その映像を、ドゥーは何度も、無意識のうちに繰り返し再生していた。
これまで、ドゥーが欲していたのは、ただ赤いガンダムに近づくこと、それだけだったはずだった。
だが今、胸の中でくすぶっているものは、少しだけ違う形をしている気がした。
赤いガンダムだけでなく――あの光景そのものに、もう一度触れたい。
自分もあの中に、入りたい。
マヴに、なりたい。
言葉にできるほど、まだ形にはなっていない。それでも、その感覚だけは、はっきりとドゥーの中に残っていた。
軽キャノンは、静かな宙域を進んでいく。イズマ・コロニーの巨大な姿が、少しずつモニターの中で近づいてくる。
ポケットの中の布に、ドゥーはそっと指先を触れさせた。
今日は、まだ、それを取り出す必要はなかった。
なんか長くなっちゃってるよ。
正直、あの短い登場シーンからドゥーちゃんの動き把握するのむずいよ。他の二次創作書く人はよくやってるな。