ドゥーのリベリオン   作:夏で腐ったチキン南蛮

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第2話 鬼武者 ①

 その報告が入ったのは、まだ夜が明けきらない時間帯だった。

 

 イズマ・コロニー内、民間の事務所を装った臨時指令所。窓のない一室に、端末の通知音が短く鳴った。

 

 ゲーツ・キャパは、仮眠も取らずに机に向かっていた。ソドンの動静を追う定時報告は、ここ数日、深夜であろうと構わず届く。慣れた手つきで画面を開く。

 

 文面に目を通した瞬間、その手が止まった。

 

「……シャリア・ブル」

 

 声に出すと、その名の重みが、あらためて胸の底に落ちてきた。

 

 隣の端末を操作していた別班の要員――セイという名の、痩せた男が顔を上げた。

 

「本当か」

 

「艦の通信を傍受した別班からの報告だ。指揮系統の中に名前が上がっている。誤認の可能性は低い」

 

 セイは淡々と答えたが、その声にも、隠しきれない硬さがあった。

 

「灰色の幽霊、か」

 

「独立戦争で活躍したニュータイプのエース。シャア・アズナブルのマヴだとは聞いていたが……よりによって、ここに出てくるとはな」

 

 ゲーツは、椅子の背にもたれかかった。

 

「うちの戦力で、まともにぶつかれる相手じゃない」

 

「言うまでもない」

 

 セイは短く応じた。

 

「軽キャノン二機と、潜入班が数名。向こうは強襲揚陸艦一隻に、歴戦のパイロットを揃えたMS部隊。オールレンジ攻撃を操る指揮官付きだ。接触すれば、抵抗する間もなく終わる」

 

 その言葉に、ゲーツは何も言い返さなかった。反論の余地がなかった。

 

「今のところ、ソドンは外縁宙域に留まっている。それだけが救いだ」

 

 ゲーツはそう言って、画面を閉じかけた。

 

 その時だった。もう一件、通知が続けて届いた。画面を開いたゲーツの表情が、わずかに強張った。

 

「……セイ」

 

「どうした」

 

「ソドンが動いた。港湾部への進入を強行している」

 

 セイが素早く自分の端末を確認する。

 

「――本当だ。軍警の制止を振り切って、港湾部のゲートを突破したらしい」

 

「地位協定は」

 

「向こうもその建前は崩していない。恐らく、現行犯逮捕された士官の解放が”見せて来る本音”だろうが……」

 

「それだけじゃないだろうな」

 

 赤いガンダムの捜索。ソドンにいるシャリア・ブルが赤いガンダムに搭乗していたシャア・アズナブルのマヴであること、あの不明MS―― ドゥーは「鬼武者」と呼んでいた―― が赤いガンダムと接触して戦闘していることを顧みると、”本音”はそれなのだろう。

 

 しかし、いずれにせよ確かなことは、灰色の幽霊が乗る艦が、正規の手続きを踏み倒す形で、このコロニーの内側まで踏み込んでくる。ということだった。

 

「本部の判断は」

 

「まだ来ていない。だが、現場としては、今動いている観測任務を、いったん止めるべきだと具申している」

 

「……そうだな」

 

 ゲーツは短く頷いた。

 

「赤いガンダムの件は」

 

「後回しだ、今は。まず、こちらの存在を絶対に気取られないことが最優先になる」

 

 セイはそう言うと、自分の端末に向き直った。ゲーツは、しばらくの間、画面に表示されたままの「シャリア・ブル」という文字列を見つめ続けていた。

 

 これまで追っていたものより、遥かに大きく、遥かに危険なものが、すぐそこまで来ている。

 

 その事実の重さを、どこまでドゥーに伝えるべきか――ゲーツには、まだ判断がつかずにいた。

 

 

 

 自宅に戻ったのは、日が昇り切ってからだった。

 

 ドゥー・ムラサメは、テーブルでパンをかじりながら、対面に座るゲーツの様子を横目に見ていた。

 

 朝から、ゲーツはずっと様子がおかしい。端末を何度も確認しては、画面を睨みつけるように見つめている。

 

「ねえ、何かあった?」

 

「……ソドンが、港湾部を突破してコロニー内に進入した」

 

「……あの軍艦が、コロニーの中にいるってこと?」

 

「そうだ」

 

 これまで、ソドンは外縁宙域に留まっていたはずだった。ドゥーもその程度のことは覚えている。それが、実際にコロニーの内側まで踏み込んできたという話は、単純な「近くにいる」という話とは、明らかに質が違って聞こえた。

 

「入ってきて、何するの」

 

「分からない。いずれにせよ、サイド6側は大騒ぎだ。実際、イズマのメディアも騒いでいる」

 

 ゲーツは端末をテーブルに置き、テレビをつけると、そこには港湾部のゲートと軍警のザクを振り切って、コロニー内に突入してくるソドンの姿が中継されていた。

 

 食い入るようにそれを見つめるドゥーとは対照的に、ゲーツはもう一度画面を確認した。続けて届いたらしい文面に、目を落とす。

 

 そのまま、しばらく黙り込んだ。

 

「ゲーツ?」

 

 もう一度呼びかけると、ゲーツはようやく顔を上げた。だが、その目はドゥーを見ているようで、どこか別のところを見ているようでもあった。

 

「……灰色の幽霊」

 

 小さな呟きだった。ドゥーには聞き覚えのない言葉だった。

 

「何、それ」

 

「……いや」

 

 ゲーツは首を振り、それ以上は答えなかった。だが、ドゥーはその一瞬の間に、確かに何かを見た気がした。

 

 普段のゲーツは、どんな報告にも動じない。淡々と処理し、淡々と指示を出す。それが、今の一瞬だけ、違っていた。

 

 手の中の端末を、握る力が強くなっていた。

 

「……ゲーツ」

 

「なんだ」

 

「今の、何」

 

「お前が気にすることじゃない」

 

 いつもの台詞だった。だが、いつもより早口で、いつもより素っ気なかった。ドゥーはそれ以上聞かなかった。聞いても答えないことは分かっていたし、何より、ゲーツのその態度そのものが、これまでにない重さを持って部屋の空気に沈んでいた。

 

 

 

 朝食を終え、ドゥーが制服のリボンを結んでいると、ゲーツが端末を見つめたまま、ぽつりと言った。

 

「今日から、しばらく観測任務はなしだ」

 

「……え?」

 

「軽キャノンでの出撃は、当面止める」

 

 ドゥーは、リボンを結ぶ手を止めた。

 

「なんで。赤いガンダム出たら?」

 

「今は駄目だ」

 

「なんでよ」

 

「……今は聞くな」

 

 その声には、拒絶というより、余裕のなさがあった。いつもの「駄目だ」の一言で終わる押し問答とは、少し違う響き。ドゥーは、それ以上食い下がる隙を見つけられなかった。

 

「……分かった」

 

 釈然としないまま、そう答える。ゲーツはもう、端末の画面に視線を戻していた。ドゥーの方を見ていない。

 

 鞄を持って玄関へ向かう間、ドゥーは何度か振り返った。だが、ゲーツはずっと同じ姿勢のまま、次々と届く文面を読み続けていた。

 

 

 

 バス停へ向かう途中、ドゥーは何気なく空を――正確には、コロニー内部の湾曲した「空」を見上げた。

 

 その途端、足が止まった。

 

 居住区の建物の連なりの向こう、港湾部のある方角に、これまで見たことのない影があった。ビル群の隙間から辛うじて覗く程度だったが、それでも分かる。緑色と灰色がかった巨大な艦体の一部が、コロニー内部の光の下にはっきりと浮かび上がっていた。

 

 あんなものが、もうここに。

 

 ドゥーは、しばらくその場から動けなかった。距離があるせいで、細部までは見えない。それでも、「軍艦がすぐそこにいる」という事実の重みだけは、否応なく伝わってきた。

 

 周りを歩く通行人たちも、ちらちらとその方向を気にしながら歩いている。誰もが足を止めて騒ぎ立てるわけではなかったが、いつもより早足になっている人が多い気がした。

 

 バスに乗り込んでからも、ドゥーは窓の外、港湾部の方角から目を離せずにいた。

 

 

 

 通学路そのものは、いつもと変わらない朝の景色だった。

 

 バスの窓から見える運河沿いの道。同じ制服を着た生徒たちの列。表面上は、何も変わっていないように見える。

 

 それなのに、頭の中では、さっきの艦影と、朝のゲーツの様子が、繰り返し再生されていた。

 

 あんな顔、見たことない。

 

 ドゥーはそう思う。ゲーツが動揺する場面など、この半年、一度も見た記憶がなかった。ザクの部隊が出た時も、ソドンが外縁に現れた時も、ゲーツはずっと同じ調子で指示を出していた。それが、今日は違う。

 

 ――灰色の幽霊。

 

 あの言葉が、耳の奥に残っている。意味は分からない。だが、ゲーツがその言葉を口にした瞬間の空気だけは、はっきりと覚えていた。

 

「ドゥー、おはよ」

 

 クラスメイトの声に、意識が引き戻される。

 

「……おはよう」

 

「今日、眠そうだね」

 

「うん、ちょっと」

 

 愛想笑いを返しながら、ドゥーは教室へ向かう足を進めた。

 

 

 

 教室に入ると、いつもより生徒たちの声が高い気がした。窓際に集まったグループが、何やら話し込んでいる。

 

「ねえ、見た? あれ」

 

「港湾のとこの? 見た見た、でっかいの浮いてたよね」

 

「ジオンの軍艦が入ってきたらしいよ。お父さんが言ってた」

 

「え、こわ。戦争とかになんないの」

 

「ならないでしょ、さすがに。サイド6は戦争中も中立だったみたいだし」

 

 そんな会話が、教室のあちこちから漏れ聞こえてくる。誰も深刻な顔はしていない。どちらかといえば、ちょっとした事件、非日常のニュース程度の温度感だった。

 

「ドゥーは知ってた?」

 

 隣の席のクラスメイトが、興味本位といった様子で聞いてくる。

 

「……ううん、知らない」

 

「ドゥーは相変わらずのんびりやさんだねぇ」

 

 ドゥーは、それだけ答えた。噓ではなかった。港湾部に何が起きているのか、正確なところは、ドゥー自身も知らされていない。

 

 ただ、他の生徒たちが軽い調子で噂している出来事の裏に、朝のゲーツが見せたあの動揺があるのだと思うと、教室の呑気な空気が、どこか他人事のように遠く感じられた。

 

 チャイムが鳴り、教師が入ってくる。生徒たちの話し声が収まっていく中、ドゥーは席に着いたまま、窓の外の方角――港湾部があるはずの方向を、もう一度だけ見やった。

 

 そこからは、艦影はビル群が陰になって微妙に見えなかった。ただの、いつもの街並みが続いているだけだった。

 

 

 

 授業中、ドゥーはノートを開いたまま、ペン先を動かせずにいた。

 

 教師の声は、いつものように右から左へ流れていく。それを聞き流す技術だけは、もう身についている。だが今日は、聞き流した先に何も残らない、というより、頭の別の場所が、ずっと別のことを考え続けていた。

 

 ――なんで、観測なし。

 

 ――ソドンが、港湾部に。

 

 ――灰色の幽霊。

 

 考えても、答えは出ない。ゲーツが教えてくれないのだから、当然だった。

 

 気がつくと、ノートの端に、小さな光の粒がいくつも描かれていた。丸を重ねたような、瞬くような形。指先が、また勝手に動いていた。

 

 それに気づいて、ドゥーは慌てて手のひらでこすって消した。紙の繊維がこすれる感触が、指の腹に残る。

 

 胸の奥が、ちりちりと焦げつくような感覚があった。

 

 このところ、ずっとそうだった。前は、もっと稀にしかこの感覚は来なかった。今は、気を抜くとすぐにこれだ。

 

 ドゥーは、制服のポケットに指先を伸ばしかけて、途中で止めた。まだ、我慢できる程度だった。

 

 深呼吸を一つ。それだけで、ざわめきは少しだけ収まった。

 

 教師の声が、また耳に入ってくる。ドゥーはシャープペンシルを握り直し、何事もなかったかのように、板書を写す作業に戻った。

 

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