俺の名前は、朽木レン。
二十歳。
――何者でもない存在。
少なくとも、今はそれでいい。
「マスター」
カウンターの奥にいるミカへ声をかける。
「休憩に入ります」
「うむ」
ミカはいつもの落ち着いた様子で頷いた。
それだけで話は終わる。
俺は身につけていたエプロンを外し、休憩室へ向かおうとする。
――が。
当然、そこで話が終わるはずもなかった。
「あっ! ちょっと待ったぁ!」
背後から聞き慣れた声が飛んでくる。
振り返る必要すらない。
誰なのか分かりきっている。
「……なんだ、千束」
「えぇー? ズルいよ!」
錦木千束。
いつも騒がしい女だ。
俺とは正反対と言っていい。
「何がだ」
「休憩! レンだけ先に休憩入るのズルくない?」
「俺の休憩時間だ」
「私も休憩したーい!」
「働け」
「ひどっ!」
千束が頬を膨らませる。
俺は気にせず休憩室へ向かう。
「ちょ、ちょっと待ってよ、レン!」
ついてくる。
「仕事はどうした」
「今、お客さんいないし!」
「だからといって休憩していい理由にはならん」
「固いなぁ~、レンは!」
「……そうか」
「そうだよ!」
後ろから文句を言いながら、それでも千束は離れない。
昔から変わらない。
俺を見つければ寄ってくる。
暇になれば話しかけてくる。
俺が一人でいれば、いつの間にか隣にいる。
正直――騒がしい。
「レン!」
「なんだ」
「休憩、一緒にしよ?」
「断る」
「即答!?」
「お前は仕事中だ」
「じゃあ私も先生に聞く!」
千束は勢いよく振り返った。
「先生ー! 私も休憩入っていい!?」
「ダメだ」
「えぇぇぇぇ!?」
店内に千束の声が響き渡る。
俺は小さく息を吐いた。
「働け」
「レンのせいだからね!」
「なぜ俺のせいになる」
「だってレンだけ休憩するから!」
「意味が分からん」
「むぅぅ……!」
また頬を膨らませている。
俺はそんな千束を一瞥して、休憩室へ向かう。
「……千束」
「ん?」
足を止める。
振り返らずに告げた。
「休憩が終わったら相手をしてやる」
一瞬。
店内が静かになった。
「……ほんと?」
先ほどまでとは違う、小さな声。
「ああ」
「約束だからね!」
一瞬で元に戻った。
「絶対だからね! 忘れたとかなしだからね!」
「分かった」
「よーし! じゃあ頑張ろー!」
単純な奴だ。
先ほどまで休憩したいと騒いでいた人間とは思えない。
俺は再び歩き出す。
背後からは、機嫌よく仕事へ戻る千束の声が聞こえてくる。
「…………」
ほんの少しだけ振り返る。
楽しそうに笑う千束がいた。
俺は、あいつのあの笑顔が嫌いではない。
いや――。
おそらく。
俺が思っている以上に、あの笑顔を気に入っている。
だが。
それを本人に言うつもりはない。
少なくとも――今は。