休憩を終え、店内へ戻る。
相変わらず客の姿はない。
ガラガラだ。
静かな店内を見渡しながら、俺はカウンターへ向かう。
すると――。
「遅い!」
戻って早々、聞き慣れた声が飛んできた。
「……そうか?」
「うん。遅い!」
千束が不満そうな顔でこちらを見ている。
「休憩時間の範囲内だ」
「そういう問題じゃないの!」
「では、どういう問題だ」
「私が待ってた!」
「……そうか」
「そうなの!」
よく分からん。
俺がエプロンを手に取ると、千束がすぐ近くまで寄ってくる。
そして――。
「ん?」
突然、千束が鼻を押さえた。
「くさっ」
「……そうか?」
「うん」
鼻を押さえたまま、千束が俺を見る。
「レン、タバコ吸ってたでしょ」
「……ああ」
「やっぱり!」
露骨に嫌そうな顔をされた。
「そんなに臭うか?」
「臭う!」
即答だった。
「そうか」
「そうだよ!」
「なら離れていればいい」
「それはイヤ」
「…………」
矛盾している。
臭いと言っているくせに、離れる気はないらしい。
むしろ当然のように俺の隣に立っている。
「臭いんじゃなかったのか」
「臭いよ?」
「なら、なぜ来る」
「だってレンにかまってほしいから」
「…………」
迷いのない返答だった。
俺は千束を見る。
千束も俺をじっと見上げている。
「レン」
「なんだ」
「さっき言ったよね?」
「何をだ」
「相手してくれるって!」
「ああ」
「じゃあ――」
「閉店してからだ」
「えぇー!?」
千束の声が店内に響く。
「今じゃないの!?」
「仕事中だ」
「でも、お客さん誰もいないよ?」
千束がガラガラの店内を指差す。
確かに客はいない。
だが、それとこれとは別だ。
「営業時間中であることに変わりはない」
「真面目すぎるよ、レン!」
「働け」
「むぅ……」
千束が頬を膨らませる。
少しして、こちらをちらりと見る。
「……閉店したら、本当にかまってくれる?」
「ああ」
「絶対?」
「ああ」
「約束?」
「何度確認するつもりだ」
「だってレンだもん」
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味!」
意味が分からん。
だが、千束は納得したらしい。
「よーし!」
両手を上げて、急にやる気を出す。
「それじゃあ早く閉店時間にならないかな~」
「仕事をしろ」
「してるって!」
そう言いながら、千束は上機嫌でカウンターを拭き始める。
随分と分かりやすい奴だ。
「へぇ~?」
その時。
少し離れたところから、妙に楽しそうな声が聞こえてきた。
ミズキだ。
「な、なに?」
千束が振り返る。
「別にぃ?」
ミズキはニヤニヤしながら千束を見ている。
明らかに何か言いたそうな顔だ。
「……何よ、その顔」
「いやぁ、千束ちゃんが随分ご機嫌だなぁと思って」
「いつもご機嫌ですー!」
「ふーん?」
ミズキの視線が俺へ向く。
そして、再び千束へ。
「閉店後にレンにかまってもらえるのが、そんなに嬉しいんだ?」
「――っ!」
千束の動きが止まった。
「ち、違うし!」
「何が違うの?」
「別にそういうんじゃないから!」
「私はまだ何も言ってないけど?」
「…………」
千束が黙り込む。
ミズキが楽しそうに笑う。
「千束、分かりやすすぎ」
「ミズキぃ!」
「はいはい」
「もう!」
千束は頬を膨らませ、俺の方を見る。
「レンも何か言ってよ!」
「……何をだ」
「ミズキがからかってくる!」
「そうか」
「そうかじゃない!」
俺にどうしろというのだ。
ミズキが呆れたように肩をすくめる。
「レンもレンよねぇ。こんなに千束がかまってほしそうにしてるのに」
「…………」
「ちょっ、ミズキ!」
「閉店後は二人で何するのかしらねぇ?」
「何もしないってば!」
「私は『何するの?』って聞いただけよ?」
「~~っ!」
また引っかかっている。
本当に単純な奴だ。
「レン!」
「なんだ」
「笑ってない!?」
「笑っていない」
「ほんとに?」
「ああ」
「……怪しい」
千束が俺の顔を覗き込んでくる。
俺は何も言わず、その視線を受け流す。
そんな俺たちを見て、ミズキはますます楽しそうな顔をした。
「それにしても千束、そんなにレンのことが――」
「ミズキ」
低く、落ち着いた声が割って入った。
「ん?」
ミズキが振り返る。
そこにはミカが立っていた。
「その辺にしておきなさい」
「あら、おっさん。いいところだったのに」
「千束をからかうのも程々にな」
「先生ぇ!」
助かったと言わんばかりに、千束がミカを見る。
「ミズキがずっとからかってくるんだよ!」
「誰かさんが分かりやすいからでしょ?」
「ミズキ!」
「ほら、また始める」
ミカは困ったように二人を見る。
「ミズキ」
「分かったわよ。もう言わないって」
ミズキは両手を上げる。
「まったく……おっさんは千束に甘いんだから」
「そういう問題ではない」
「はいはい」
どうやら一段落したらしい。
「先生、ありがとー!」
「千束もだ」
「え?」
「営業時間中だぞ」
ミカが千束の手元を指す。
途中まで拭いていたカウンターが、そのままになっている。
「……あ」
「レンとの約束が楽しみなのは分かるが、まずは仕事だ」
「せ、先生まで!」
千束が慌てる。
「俺は何も言ってないぞ?」
「言ってるようなものだよ!」
「そうか?」
「そうだよ!」
「ふふっ」
横ではミズキが笑いを堪えている。
「ミズキ!」
「私は何も言ってませーん」
「顔! 顔が言ってる!」
再び騒がしくなる店内。
俺はその光景を眺め、小さく息を吐いた。
相変わらず騒がしい店だ。
だが――。
不思議と、この騒がしさは嫌いではなかった。