名探偵・鬼方カヨコは見逃さない 〜陸八魔アル(非)殺人事件〜   作:アル飯

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1.最悪の日

「〜♪〜〜♫」

 

 小鳥の鳴く声に合わせるように、上機嫌な鼻歌とレコードから流れるクラシックがオフィスに響く。

 

 ブラインドの隙間から柔らかな朝日が差し込む部屋の中は、珈琲の良い香りに満たされている。

 

 淹れたての珈琲を手に、赤髪の少女──陸八魔アルはカーペット敷きの部屋の中を踊るように軽やかに移動し、こだわり抜いたヴィンテージものの椅子に座り込んだ。

 

 ミシリ、と椅子が小さく軋み、コーヒーカップがソーサーに触れる硬い音が事務室内に響き渡る。

 

(うんうん、良い朝はこういうものじゃないといけないわよね!)

 

 満足げに目を閉じながらアルは一人で何度も頷く。

 心なしか、壁に掛けられた【一日一惡】の掛け軸もいつもよりも堂々としているようにアルの目には映った。

 

 一流の社長には、一流のモーニングルーティンが必須なのだ。啓発系動画に触発されて以来、そんなセリフを繰り返しながら、アルは毎朝若干早起きをしてはあまり好きではない珈琲を淹れ、よく分からないクラシックを鳴らし、眠っているのか起きているのか分からない瞑想時間を確保するようにしているのだった。

 

「……おはようございます、アル様」

「おはよう、ハルカ」

 

 いつの間にか現れた猫背がちな少女──伊草ハルカにアルは挨拶を返した。ハルカはアルの挨拶に身を縮こませると、深々と頭を下げた。

 

 いつの間にか机の上にはスティックシュガーが二本と、コーヒーフレッシュが一つ並んでいた。誰にも言ってはいないが、珈琲の苦味が苦手なアルのためにハルカが用意してくれたものだろう。

 

「おはよう……ふぁ〜あ……。ん〜? アルちゃん、今日はなんだか随分上機嫌じゃな〜い?」

 

 社長席の正面側に鎮座する、来客用のソファ。そこに寝転がった白髪の少女──浅黄ムツキが眠たそうな目を擦り、アルに向かっていたずら好きなネコを思わせる笑みを浮かべた。

 

 感染りそうになった欠伸を必死に押し殺し、若干目に涙を浮かべながらもアルはニヤリとニヒルな笑いを返す。

 

「フフ、実は今日、占いの結果が一位だったの! なんだか良いことありそうな気がするわ!」

「えぇ〜そうなの? どんな良いことがあるって書いてたの?」

 

 そこまで言って、アルははたと気付いた。占いの結果だけ覚えていて、中身を全く覚えていなかったのだ。楽しいことが起こる、みたいなこと書いてた気がするんだけど……とアルはボヤいた。

 いい事ねぇ、とニヤニヤしだしたムツキの顔を見ないようにアルは顔を壁の方へ背けた。

 

「まぁ、とにかく良い日なのよ今日は! お天気も凄くいいし、きっと大丈夫!」

「流石ですアル様! 今日は依頼が沢山来るかもしれないですね!」

 

 ハルカが大袈裟なぐらいに首を縦に振りながらアルに同調する。実の所、最近の便利屋68は常に閑古鳥が鳴く状態だった。当然、経営は火の車だが、何回計算しても赤字になる帳簿からアルは目を逸らし続けている。

 

「……そうだといいけど。ところで社長」

 

 ハァ、と朝一番ため息混じりの声が事務所に響く。

 

 声の主である鋭い目つきを持つ少女──鬼方カヨコは腕を組み、壁に背を預けながら顎でレコードを指した。

 

「どうして朝一番に流してるのが『月の光』なの?」

 

 う、そんな曲名だったのね……とアルは呻き声を漏らす。雰囲気作りに適当に流しているだけで、曲自体には然程興味がなかったのだ。

 

「……まぁそんなことはいいわ。些細な問題よ」

 

 負け惜しみを口にしながら、アルは机の上のリモコンを手に取り、電源ボタンを押す。するとクラシックを流していたレコードの音がピタリと止んだ。実は本物のレコードではなく、レコード型のBluetoothスピーカーなのだ。

 

 インテリアとしての見栄えは非常に良いが、その価格を聞いた時のカヨコの海より深いため息をアルは未だに忘れられなかった。

 

「ハルカ、入口のボードをひっくり返しておいてくれる?」

「わ、分かりました!」

 

 ハルカが小動物を思わせるような素早さで玄関へと駆け出していく。玄関のドアの外側に飾られた「closed」のウッドボードを「open」に変えようとした彼女だったが、玄関の扉を開けたところで驚いたように目を丸くして固まっているのがアルの視界に飛び込んできた。扉の前に誰かが立っていることが玄関から伸びる影のお陰でアルにもわかった。

 

「えっ、もしかしていきなり依頼かしら! 凄い、本当にツイてるわ!」

「ハルカ、お客さん?」

 

 カヨコがハルカの背中に向かって問いかけるが、ハルカはなにか思案するかのように首を捻るだけだった。しばらくの逡巡の末、ハルカは扉を大きく開き、客人を玄関へと招き入れた。

 

「お久しぶりね、便利屋の皆さん? 私のこと、覚えているかしら?」

 

 杖代わりに日傘に体重を預けながら歩く、少しふくよかな体型の大人が、睨め回すように四人の姿を捉えている。犬用チューイングガムを噛んでいるのか、小刻みに顎が揺れているのが傍目にも分かる。

 

「あ、あはは、えっと……」

 

 愛想笑いで時間を稼ぎながら、どこか見覚えがある顔に、アルは必死に記憶の底を探った。が、全然思い出せない。明らかに敵対的な彼女の様子を見るに、思い出せないのはあまり良い結果を生まないであろうことは容易に想像がつく。

 

「あら、オーナーさんじゃないですか。今回はどういったご要件ですか?」

 

 どうしても彼女が誰なのかを思い出せず、冷や汗をかきながら宙を搔くような動作をしているアルを見かねたのか、カヨコが横から助け舟を出してくれた。

 

 と、同時に彼女が何者なのか、アルもはっきりと思い出した。今の便利屋68がテナントを構えるビルのオーナーだった。

 

「陸八魔アルさん。契約者はアナタよね?」

「はい、私が便利屋68、社長の陸八魔アルですが……」

 

 便利屋68なら何でも解決してみせますよ、と言いながらアルは名刺を差し出した。が、オーナーはそんなアルを手で制すと、懐からなにやら権利書の類を取り出し、アルの前に叩きつけた。

 

「今日ここに来たのはあなたたちへの依頼ではありません。陸八魔アルさん、オーナーとして、今日をもってここの賃貸契約を解除させてもらいます!」

「え、あ……?」

 

 ──カチ、カチ、と時計の針が時を刻み続ける音だけが部屋に響く。アルは何を言っているのか分からないといった表情でしばらく口を開けて立ち尽くしていたが──

 

「──な、ななな、なんですってぇえええッ!?」

 

 ようやく事態が飲み込めたのか、契約書の束を握りしめてあらん限りの声で叫んだ。

 

「え〜またアルちゃん何かやっちゃったの?」

「はぁ、今回ばっかりは予想がついてる。正直私たちが悪いから何にも言えないんだけど……」

 

 カヨコが力なくため息をつきながら首を振る。

 

「陸八魔アルさん。あなた、ここ4ヶ月家賃を滞納しているわよね? 違いますか?」

 

 ずい、とオーナーはアルに顔を近付けて言う。ガムのせいか、安っぽいグレープの香りがアルの鼻をついた。

 

「あぁ、いえ、それはその……」

「引き落とし先に指定していた法人名義の口座も凍結されているのが確認できたわ。聞けばあなた、ゲヘナ学園からの要請で口座が凍結されたのよね?」

 

 紛れもない事実である。数ヶ月前に風紀委員と温泉開発部のゴタゴタに巻き込まれる形で、両者に攻撃を仕掛けた結果、風紀委員に再び目をつけられる事態になっていたことをアルは思い出していた。

 

 ただでさえ口座が凍結されて資金繰りが一気に滞ったところに、単純に依頼が減ったことも重なって、便利屋の経営はまさしく火の車となっていたのだ。

 

「残念だけれど、私にも信用問題っていうものがあるの。ただでさえ家賃滞納が重なってるのに、公的機関から口座を凍結させられるような、反社会的な企業をうちのテナントに置いておくわけにもいかないの、分かる?」

「はい、ハイ……全く申し開きようもございませんですハイ……」

 

 まるで羽虫になったような気分でアルは小さく縮こまる。敬語がめちゃくちゃになっていることも自覚してはいたが、それでも上手く言葉が出てこなかった。

 

「とにかくッ!」

 

 バン、と応接用のテーブルに再び書類がたたきつけられる。ビクリ、とアルは肩を寄せ、さらに縮こまった。

 

「引越しの準備の時間も必要でしょうから、一週間以内にここを引き払ってください!」

「ハイ……」

 

 ここ数年出したことのないほど小さい声で返事をする。後ろでムツキがクスクス笑う声と、ジタバタしているハルカをカヨコが羽交い締めにする物音がアルの小さな小さな返事をかき消していた。

 

(今日はいい日になるハズだったのに……)

 

 泣き出しそうなアルのことを嘲笑うかのように、レコードが誇らしげに音を立てた。

 

「Bluetooth disconnected」

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