名探偵・鬼方カヨコは見逃さない 〜陸八魔アル(非)殺人事件〜 作:アル飯
「はぁ、はぁ……も、もうちょっと壁際に寄せられないかしら……?」
「はい、こちらから押しますね……大丈夫ですか、アル様?」
肩で息をしながら、アルは疲れきった表情でデスクを持ち上げる。社長が座る席なのだからと奮発してかなりのお値段で購入した、重厚で高級感のある机なのだが、今となってはその重厚さが完全に仇になっている。過去に戻れるのなら、もっと簡単に動かせる机にする、なんて仕方のないことを考えながらアルは机を床スレスレに動かすと、そのまま半ば床に落とすかのように降ろした。ドスン、と少し床の方が心配になるような音が反響する。まだまだ室内の物が少ないため、部屋中に音が響きやすいのだ。
「ハァ……っ、ハァ〜ッ……終わった……。終わったわよ、ハルカ!」
「はい! ありがとうございました、アル様! これだけのスピードでことが終わったのも、全部アル様の助力のおかげです!」
ぱちぱち、と汗ひとつかいていないハルカが小さく手を叩く。首にかけたタオルで額の汗を拭い、アルはうんと伸びをした。背骨からパキパキというあまり聞きたくない音が響く。
──事務所を追い出されて早一週間。アルたち便利屋一行は、ブラックマーケット付近に位置する家賃が異常に安かった、三十ほどのテナントを構える六階建てオフィスビルの一角を見つけ、そこに引越し作業をしていた。
雑居ビル群が所狭しと並ぶその一帯は常にビル同士が日光を遮るため薄暗く、なによりブラックマーケットが近いからか常に治安も悪い。おまけに築何年なのか、ビルのオーナーも思い出せない程度には建物自体も古く、目の前の道路を戦車が通るだけでグラグラと建物全体が揺れる有様だった。
およそアルの理想とする場所とは言えなかったが、今の便利屋一行の貯金を考えるとどうしてもここにしか居を構えられなかったのだ。
少し埃っぽいわね、とアルが換気のために窓を開ける。が、目の前には、あみだくじに見えるほど複雑に組み合わされた配管が這う、隣のビルの壁しか見えなかった。ハァ、と小さく息を吐き、アルは外を見なくて良いようにすりガラスになっている窓を再び閉めた。後でカーテンをつけましょう、と呟いている。
「え〜? 作業が早く終わったの、単に元のオフィスにあった金目のもの、ほとんど売っちゃってたからじゃな〜い?」
ムツキが新しい事務所に運び込んだソファに寝転がりながら言う。手にはいつの間に買ったのか、ソーダ味らしい青い棒付きアイスが握られていた。
「もう、ムツキが最後まで手伝ってたらもっと早く終わったと思うんだけど!」
ぷんすかしながらアルが叫ぶが、ムツキは我関せずといった様子でアイスの先端を舌で舐めると、そのまま大口を開けて喰らいついた。
「だって私とカヨコちゃん、アイツらの退治で忙しかったんだもん〜」
「すいません、本当は私も手伝うべきだったんでしょうけど……」
ハルカが申し訳なさそうに指を合わせながら言う。
「いーのいーの! アイツらめちゃくちゃ弱かったし、一番力持ちなハルカちゃんは力仕事をやってくれた方がムツキちゃん的にも助かるんだから!」
アイツら人が作業で忙しい時に限ってこんなことして……! とアルは昼間に返り討ちにしたスケバンたちの顔を思い出し、憤慨しながら呟いた。
『アイツら』とは、『ペッショーネファミリー』と呼ばれる、付近一帯を牛耳っているマフィアのことだ。本人たち曰く、正確にはスケバン兼暴走族兼マフィア兼ブラックマーケットの支配者兼エトセトラエトセトラ、らしいがアルは今ひとつ覚えていない。
まだ便利屋の看板も立てていない状態でどうやってアルたちの引越しを嗅ぎつけたのかは分からないが、引越し作業中のアルたちの新事務所に突然乗り込んできて、みかじめ料を要求しはじめたのだ。
大家が松葉杖をついていたことを考えると、恐らく大家も彼らに脅されて便利屋のことを話したのであろうが、アルたちにとってははた迷惑な話である。
当然、アルたちも「自分の身は自分で守れる」と丁重に(暴力をもって)お断りしたのだが、その戦闘の際に出来た銃痕が新しい部屋の壁につきまくっている。いかにこの地域が治安が悪いのかをアルたちは痛感させられたのだった。
「ところでカヨコはどこにいるの?」
アルはキョロキョロと辺りを見回しながら言う。
つい先程まで小物類を運んでいたカヨコの姿がいつの間にか見当たらなくなっていたのだ。
「ここにいるよ。小物や帳簿の整理をしてたの」
返事をしながら、事務室の隣のアルたちの私室からカヨコが顔を出す。手には先程の襲撃後の整備中と思われる、サプレッサーを外したデモンズロアが握られていた。
並べられた机や応接セット、そしてアルの顔に目を向けると、カヨコはくすりと小さく笑みを浮かべた。
「引越し作業も大まかには終わったんだね。お疲れ様、社長。……ところでムツキ。鏡は持ってない?」
「えーもう言っちゃうの? ……ほらアルちゃん、コレ」
言いながらムツキが懐からコンパクトミラーを取り出し、アルに向かって放り投げた。
咄嗟にミラーを受け取ると、ムツキが指さすのに従うまま、アルは自身の顔を鏡に映す。が──
「な、なによコレ〜〜ッ!?」
──アルの叫び声が事務所中に響く。
果たして鼻のてっぺんの辺りには、黒い汚れがしっかりとついていたのだった。
「ススがつくようなところ、無かったでしょう!?」
「ススじゃなくて、多分墨汁の類じゃないかな。書道セットを移動させたの、確か社長でしょう?」
うーん、とアルは首を捻る。定かではないながらも、確かに書道セットを運んだような気もしていた。
「いえ、でもこんな汚れ程度じゃアル様の美貌は損なわれませんから大丈夫です!」
「うーん、私は大丈夫じゃないのよね……気持ちは嬉しいけど……」
ハァ、とアルはため息をついた。よく見ると、着ていたボロのTシャツもいつの間にかホコリまみれになっている。
「じゃあさ、私たちはお昼ご飯のための買い出しに行ってくるから、アルちゃんはお風呂先に入っておいたらどう? まだ誰もここのお風呂、使ったことなかったし、本当の一番風呂だと思ってさ!」
「そうだね。まだ冷蔵庫も空っぽだし、どのみち買い出しには行かないといけないしね」
言いながらカヨコは冷蔵庫を指差した。部屋に備え付けられていた冷蔵庫は、何故か業務用の巨大なものが採用されており、アルの配置したクラシックな家具たちからは明らかに浮いている。
「えぇ、そうさせてもらうわ……はぁ、どうしてこんなことに……」
よく見ると、冷蔵庫の上や背後の壁は電気焼けで真っ黒になっていた。アルはできるだけ冷蔵庫を視界に入れないようにしながら後でお客様から隠すためのカーテンを買っておかないと……と力なく呟いた。
「じゃあ、早速行こっか、カヨコちゃん、ハルカちゃん! 行ってきま〜す!」
「ちょ、ちょっと待ってムツキ……はぁ、しょうがないか」
言い終わるや否や、ムツキがハルカの手を取り、玄関へと連れ出していく。カヨコは慌ててデモンズロアにサプレッサーを付け直すと、カバンを引っつかむと、ムツキの背中を追いかけた。
「もう、本当に慌ただしいんだから……」
ガチャリ、と鍵の閉まる音が部屋に響くのを聞き届け、アルは一人、ポツリと呟く。
汗でじっとりと肌に張り付くTシャツを摘みながら、お風呂に向かおうとしたところでアルは妙に部屋が薄暗くなっていることに気付く。採光用の窓から入っていた光がほとんど無くなっているのだ。
再び窓を開けると、その理由はすぐにわかった。つい先程までは真夏らしく凄まじい日光が差していたが──いつの間にか薄墨のような灰色をした分厚い雲が、空全体を覆っていた。
まだ雨は降り出していないが、むせ返るような雨の香りが町中に充満しているようにアルには感じられたのだった。