名探偵・鬼方カヨコは見逃さない 〜陸八魔アル(非)殺人事件〜 作:アル飯
「カヨコちゃん! 早く早く!」
「カヨコ課長、私の上着を傘代わりに使ってください! ムツキ室長は私のシャツをどうぞ!」
「下着姿で走り回る気!? トリニティじゃないんだから、そんなのダメ。どうやっても濡れるから、とにかく走って!」
──スーパーからの帰り道。
カヨコたち三人はいつの間に降り出したのか、凄まじいゲリラ豪雨の中を傘もなしにひた走っていた。
治安の悪い地域だからか、排水溝はポイ捨てされたゴミで完全に詰まっており、道は氾濫した川のように雨水が溢れかえっていた。車道は半ば水没しており、立ち往生した戦車をどかそうとしているのか、何台も並んだ車が各々クラクションを鳴らしたり、あちこちで喧嘩が起きているのか、銃声が鳴り響いていた。
「すいませんすいませんすいませんすいません……私が皆さんの分の傘も持ってきていたら……」
ペコペコと頭を下げながらハルカが走る。袋の中の弁当を濡らさないようにするためか、前かがみになって胸にビニール袋を抱き寄せている。身長の割に長い足が泥まみれになっているのがカヨコの目にも映った。
「ハルカちゃんのせいじゃないって! ゲリラ豪雨なんだから仕方ないじゃない? それにこの風、傘あってもすぐ箒になっちゃうって!」
「箒に……? あぁ、骨がひっくり返っちゃうってこと、ですか……?」
先頭を走るムツキの背中に向けてハルカが言う。長いサイドテールが鎖樋のような役割を果たしているのか、雨水が凄まじい勢いで流れ出していた。
「もう、喋ってないで走って。社長もそろそろお風呂から上がってる頃だろうし、風邪を引く前に帰って身体を温めないと──」
──バン、と三人のすぐ近くのビルの屋上に雷が落ちる。ムツキは目を白黒させながらハルカの隣に飛び退いた。
「ひゃん!?」
「室長、大丈夫ですか!? ……あの雷……許さない……」
「ムツキ、大丈夫? かなり近かったね、今の……」
言いながらカヨコははたと気付いた。つい先程まで煌々と点っていた街灯の光が、見渡す限り無くなっていたのだ。
「……停電?」
雨の匂いに混ざって強い火薬の匂いが鼻をつく。
どうやら街全体が停電になっているらしい。信号すら点灯しておらず、交通の混乱が深まったせいか、先程から聞こえていた銃撃戦の音に混じって戦車砲らしき爆発音まで響いていた。
「もー、なんで今日に限ってこんなことになるの!?」
ブルブルと水に濡れた犬のように首を振ってびしょ濡れの髪を払い、再びムツキは走り出した。
「ハァ、本当についていない……」
アルがこの場に居なかったのはせめてもの救いだ。とことん運に見放されている彼女が居たら、きっとこんなものでは済んでいないだろう、とカヨコはショックを受けるアルの顔を思い浮かべながら再び水たまりに向かって一歩踏み出した。
いつの間に喧嘩が終わったのか、静かになっていたブラックマーケットには、三人の走る足音だけが響き渡っていた。
「戻りました、アル様」
「たっだいま〜! うー、酷い目にあったよ本当!」
三人はようやく辿り着いた玄関の扉を開けて転がるように入り込む。停電のせいか、部屋には電気がついておらず、窓から差し込む光だけが【一日一惡】の掛け軸を浮かび上がらせていた。
玄関を開けてすぐの事務室の中では、必死にアルが運び込んだレコード風Bluetoothスピーカーから【主よ人の望みの喜びよ】が結構な音量で流れ続けている。いつの間にかコンセントが抜かれていたが、それでも機能停止していない所を見るにどうやらバッテリー駆動だったらしい。
「……あれ? ムツキ、今鍵開けた?」
「んーん? 元から開いてたよ? そもそも鍵閉めたっけ?」
ムツキが首を捻る。カヨコは鞄の中に入れたオフィスの鍵を見て、ムツキに首を振り返した。
「鍵は私が持ってる。……確か家を出る時は鍵を閉めてたと思うんだけど……まさか」
言いながらカヨコはホルスターからデモンズロアを抜く。もしかしたら泥棒が入っているのかもしれない。
振り返ると、二人も同じことを思ったのか各々武器を手に、真剣な表情で頷いた。ハルカは声を出さず、二人に自身の背後に回るよう手で合図する。
三人はゆっくりとオフィスの事務室を抜け、居住スペースの方へと歩みを進める。古い建物らしく、床が軋む音も、レコードから再生される音楽がかき消してくれていた。
ベッドルームへの入口の扉の横にカヨコとムツキが並ぶのを確認すると、ハルカは一瞬でドアノブを下ろし、扉を蹴り開け、そのまま部屋の中に転がり込んだ。
それと同時に、カヨコが開いた扉の死角になる部分をカバーしながら飛び出し、さらにその背後をカバーすべくムツキが同時に部屋に飛び込んだ。
──が、誰もいない。相変わらず薄暗い部屋の中には四つ並べられた寝袋に、まだ開封されていない山積みのダンボール、枕元に置かれた新オフィスの鍵とアルの財布だけが残されたままだった。
(財布が残されている……泥棒じゃない?)
警戒は解かないまま、カヨコはベッドルームから続くもう一つの部屋に目を向ける。脱衣所に続くその扉の向こうからは、事務室では音楽に掻き消されていて気付かなかったが微かにシャワーの流れる音が漏れ出ていた。
脱衣所は非常に狭く、誰かが隠れるようなことは難しい。その上浴室のドアはすりガラス風の加工がされたプラスチックで出来ており、アルが侵入者に気付かないことは有り得ないだろう、と判断し、カヨコは脱衣所へと続くドアを見た。
ため息をついたカヨコを見て、ようやく二人の顔に安堵の表情が戻る。
「もしかして、単に鍵の閉め忘れ……?」
「うーん、私とハルカちゃんは先に家を出ていたから、カヨコちゃんが鍵を閉めたかどうかは見ていないし……」
確かにあの時、二人は先に出発していたね、とカヨコは頷いた。
「アル様〜? ただいま戻りました」
コンコン、と脱衣所の扉をハルカがノックしながら叫ぶ。脱衣所からの返事はなく、相変わらずシャワーの音だけが響いていた。
「アルちゃん、まだシャワー浴びてるの? ムツキちゃんも早くシャワー浴びたいんだけど!」
ブーブー文句を垂れながらムツキは脱衣所の扉を眺める。未だにシャワーの音は途切れていない。
カヨコもスマホを取りだしてモモトークを起動しようとしていたが、不意に顔を上げて脱衣所の扉を睨みつけた。
「……待って、よく考えたらおかしい。電気が消えてるのに、真っ暗な浴室でシャワーを浴び続けることなんてある?」
カヨコの言葉にハッとした様子でハルカが武器を構え直した。今度はカヨコたちが合わせる間もなく、ハルカはタックルするように扉を開けて脱衣所へと転がり込む。
──猛烈に嫌な予感がする。カヨコはデモンズロアを握りしめた。こういう時の嫌な予感というものは大抵当たるものだ。
「アル様っ!? 大丈夫ですか!」
脱衣所には採光用の窓は無いため、真っ暗だ。カヨコがスマホのライトで部屋を照らすが、アルはもちろん人一人見当たらなかった。
「緊急事態なので、失礼します!」
早口に言い終わるか終わらないかでハルカは浴室の扉を蹴破った──
「あ……」
絞り出すようなハルカの声が浴室から聞こえた。我先にとムツキと争うようにカヨコもスマホのライトを手に、浴室を覗き込んだ。
フローラル系のシャンプーの匂いが鼻をつく。流れっぱなしのシャワーから出ているのであろう、温かい蒸気が顔にあたる。真っ暗な浴室がライトに照らされ、真っ白な壁にこびり付いた赤黒い血がカヨコの目に映る。
「……嘘」
思わずカヨコの声が漏れる。
──全裸の状態のアルが浴槽にもたれ掛かるように倒れていた。
「し、死んっ……!?」
「……ッ!?」
半分ほど見開かれた目は既に生気を宿していない。後頭部と鼻からドクドクと流れ続けている血がシャワーから出され続けている水と混ざり合い、まるで魂が吸い出されているかのように排水口へと流れ続けていた。
現実感失ってしまったかのように呆然とした様子で、それでも何とかカヨコはポケットからスマホを取り出した。一時間ほど前にアルからの着信があったことを確認したが、カヨコは別の連絡先へと電話をかけた。──先生へと