名探偵・鬼方カヨコは見逃さない 〜陸八魔アル(非)殺人事件〜 作:アル飯
「むぐっ、……だからね、もご……皆を見送って鍵の閉まる音が聞こえて……ってとこまでは覚えているんだけど……んぐっ、その後何があったのかさっぱり覚えていないのよ……はぐっ」
「社長、飲み込んでから喋りなよ……」
──数時間後。
アルは搬送先の病院で、元気に病院食をかっ食らっていた。今日のメニューは鰆の西京焼きにご飯、味噌汁、小松菜の和え物、緑茶のセットで、病院食にも関わらず普段四人が口にする食事よりも幾分か豪華だった。
「……でも、何事もなくて、本当に良かったです」
目元が少し赤いままのハルカが俯きながら呟く。
カヨコは無言で頷き、再び目元に涙を浮かべているハルカにハンカチを差し出した。
「でも停電にびっくりした挙句に、風呂場で足を滑らせて頭を打って気絶だなんて、なんかアルちゃんらしいケガの仕方だよね〜。本当に死んじゃったのかと思ってびっくりしたんだから!」
クスクスと笑いながらムツキは見舞い品のリンゴを剥き、お皿に並べる。半分はウサギの形になっていた。
──カヨコら三人の手によって病院に運ばれたアルだったが、医師から下された診断は脳震盪。原因は風呂場で仰向けに転び、浴槽に後頭部を強く打ったこととみられる。外傷は後頭部の傷以外になく、誰かに襲われたような形跡も特に見当たらない。頭を打ったということもあり、CTやレントゲンも撮ったが特に異常は見られない。もっとも一時的な記憶障害を起こしていることにあわせ、怪我をしたのが頭ということもあり、三日ほど入院で経過観察をしなければならない、とのことだった。
「それにしても、本当に最近ついてないね、社長」
「はァ……そうね。ここ一週間、本当に運に見放されてる気がするわ……」
ハァ、とアルは深い深いため息をつきながらリンゴを齧る。硬いタイプの品種だったようで、シャリシャリと心地よい音が病室内に響いた。
「あぁもう、急いで食べるから口元にご飯粒がついてる……ん?」
アルに紙ナプキンを差し出したカヨコの視界に一瞬黒いモノが映る。枕に黒いスス汚れのようなものがついていたのだ。
(血液……にしては黒すぎる? 枕のあの位置についているとしたら……元々汚れていたのは角?)
「ひゃわ!? な、なになになに!?」
カヨコはアルの方へぐっと顔を近付けた。驚いたようにアルはベッドの上を少しだけ後ずさったが、気にせずカヨコはアルの角に指を沿わせた。
「あはは、くすぐったいってば!? もう、なんなのよ!?」
「やっぱり、角だ……。これは、染料?」
くすぐったさが限界だったのか、アルは両手でカヨコを押しのける。が、全く意に介さず指に付着した黒い塗料のようなものを見てカヨコは首をかしげる。元々濃い茶色をしているせいで気付かなかったが、アルの両角の先端部分に付着していたらしい。
「シャワーで流れなかったのかな……?」
事故当日の、墨汁で鼻を汚していたアルの顔が脳裏を過ぎる。墨汁の類は一度乾いたらなかなか落ちないとは言うが、少なくとも指で擦ったぐらいでこうなるのだろうか。
(墨汁じゃないとしたらこれは……何?)
「──ところで入院費の方は大丈夫だったの? 今事務所にほとんどお金なんてなかったでしょう?」
──アルの声に思考が中断される。それにこんな高そうなフルーツバスケットまで、とアルは枕元に置かれたバスケットを指さしながら言った。お見舞い用に作られたソレには、ミカンにリンゴ、マスカットにメロンなど、思いつくフルーツを全て載せたかのような豪華なものだった。
「あぁ、それはね……」
「先生が出してくれたんだよ! 入院の手続きも代表してやってくれたし。お金は出世払いしてくれたら良いってさ!」
カヨコのセリフを遮って、ムツキが枕元のバスケットをアルの方へと押しやって言う。アルが搬送される際、必死だったカヨコは助力を求め、先生に連絡をしていたのだ。
「出世払い……なんだか大人な響きね……! それはそれとして、退院したらお礼をしないといけないわよね。あ、でも前の時のお礼もまだだし……その前のもあるわ!」
と、しばらくの間一人で騒いでいたアルを横目に、先生へお礼のモモトークを書いていたカヨコだったが、ふとバスケットの内側に貼り付けられた付箋が目に付いた。今までリンゴに隠れていたせいで誰も気付かなかったらしい。
「社長、それ……」
「……メモ? 先生からかしら?」
アルは数秒ほど訝しげに目を細め、メモを睨みつけていたが、やがてフッと小さく息を吐き出して付箋をハルカに手渡した。
「読み上げてくれる? ハルカ」
「は、はい……え、と……『このメモを読めているということは、おそらく目を覚ましている頃だと思います。本当は目覚めるまで見守っておきたかったんだけど、要件が立て込んでいるせいでそれも難しく、とても申し訳なく思っています』」
「嬉しい、んだけど妙に他人行儀というか、文が組み立てられてない感じがするわね……」
訝しげな顔のままのアルに対して、カヨコが口を開く。
「ここに飛んできた時も相当疲れてたみたいだし、あんまりまともに考えられてないのかもね……タクシーの運転手に三千円渡そうとして三万円渡してたし」
文章も上手くまとめられず、数字も読めないような状態なら、むしろ本当に入院が必要なのは先生の方なのではないか、とカヨコは手紙を見つめながら思った。
「『アルが退院する頃には、きっと今取り掛かってる仕事も終わると思いますので、またみんなでご飯でも食べに行きましょう』、とのことです」
「先生、文面だと丁寧語使うタイプだったんだ……」
ある意味大人らしいのかも、とカヨコは呟きながら、部屋の壁掛け時計に目を遣る。時計の針は13時55分を指しており、面会可能時間終了の14時直前になっている。
「あ、そろそろ面会時間も終わりだね。じゃあ社長、後のことは任せておいて」
「えぇ!? もう行っちゃうの!? 今何時なの?」
「13時55分。もうあと5分で出ないと」
カヨコは時計を指さしながら言うが、アルは「もうそんな時間なの? 午後は何して過ごせばいいのよ!」と相変わらずの鋭い目つきのまま文句を垂れており、あまり納得していない様子だった。
「明日来る時には色々持ってきてあげるから、後でグループに必要なものを送っておいてね!」
ムツキがアルの手を握りながら言う。アルも観念したかのように目を閉じ、ため息を一つつくと「とりあえずスマホの充電器を持ってきて頂戴……」とだけ呟いた。
(思ったより元気なアルの様子を見ることもできたし、なにより思わぬ収穫を得られた。早く帰ってアレを探さないと……)
二人に「先に受付に退室手続をしてくるよ。ムツキ、必要なものとかを社長に聞いておいて」と声をかけ、カヨコはアルに手を振りつつ病室をそっと抜け出した。
「──あ……あの、カヨコ課長」
「なに? ハルカ」
──背後から小さく服の裾を摘まれ、カヨコは振り返る。いつ病室を出てきていたのか、いつもより猫背気味なハルカがハンカチを手に、カヨコの顔を見上げている。
「『後のこと』って一体何をするつもりなんですか?」
ハルカの質問にカヨコは眉をあげた。前から時折感じ入るところはあったが、中々鋭い子だ。
「ただの入院の準備だけど? なんでそんなことを?」
「いえ、その……もし私の勝手な勘違いなら申し訳ないんですけど……」
もじもじと指を絡ませながら、ハルカはカヨコをじっと見つめる。
「課長、凄い顔をしていらっしゃったので……何か気に障るようなことがあったのかと……」
「……ふふっ、そんなに顔に出てたか。社長のクセがうつったのかな」
普段から「怖い顔」で怖がられていたが、今日は輪をかけて酷い顔をしていたらしい。すぐに考えていることが顔に出てしまう社長のことを思い出し、思わずカヨコは吹き出してしまった。
「……社長には今は回復に集中してもらうために聞かせたくなかったんだけど……覚えてる? 社長、最初に『鍵の閉まる音がした』って言ってたでしょ?」
「……あ」
ハルカは呆気に取られたように口をあけた。アメジストのような光を湛えた瞳孔がスッと細くなる。
「やっぱり、私の勘違いじゃなかった。あの日、間違いなく私たちが部屋を出た時、鍵は閉まっていた」
「……なるほど、アル様をこんな目にあわせたヤツが……どこかに、いる……ってことですね……」
──俯いた状態のハルカの口の端が、歪む。嬉しいのではなく、内側から湧き上がってくる怒りをなんとか抑えようとしているのだろう。ブローアウェイを握る指に力が入り、爪が真っ白になっている。
みんなが病院内で騒がないようにあえて黙っていたんだけど……隠し通せないものだね、とカヨコは自嘲気味に笑う。
「……まぁ直接的に危害を加えたのかは別として、あの日のオフィスには私たち以外の第三者がいたのは多分間違いないんじゃないかな」
なるほど、とハルカは頷いた。
「つまりその時部屋に入っていたヤツを捕まえて、リン──尋問してあの時なにがあったのかを吐かせれば良いわけですね」
ブローアウェイを抱きしめて、ハルカは再び笑みを浮かべた。明らかに良くない発想に至っている時の顔をしている。
「うん、まぁそうなんだけど……」
髪をかきあげつつカヨコはハルカを見る。言っても詮無きことだとは思いつつ、念のため
「あんまり乱暴なことはしちゃ駄目だからね?」
「う……わ、わかりました……」
明らかにしょぼんとした様子のハルカが項垂れた。
ブローアウェイも心なしかいつもよりも小さくなっているようにカヨコには見えた。