名探偵・鬼方カヨコは見逃さない 〜陸八魔アル(非)殺人事件〜 作:アル飯
「うん、格安弁当だったから不安だったけど、なかなか美味しいね」
カヨコが弁当の中の卵焼きを食みながら言う。スーパーの弁当ながら、卵はふっくらと焼き上げられており、若干の甘みが卵本来の旨みをよく引き立てていた。本当は甘くない味付けが好みだったが、これなら甘くても十分及第点だった。
「うん、おかずは美味しいね。……でもムツキちゃん的には、ご飯が硬くて嫌いかも……」
ムツキがごま塩と小さい梅干しのかかったご飯を口に運びつつ言う。確かにムツキの言うとおり、購入してから食べるまでに時間がかかったからなのか、それともハナから美味しくない出来上がりなのか、弁当の半分を占めるほどに盛られたご飯はパサパサしておりお世辞にも美味しいとは言えなかった。
「あ、お二人とも、お茶を入れましたので良ければどうぞ……」
ハルカが二人の前にコーヒーカップに入れられた緑茶を並べる。コーヒーカップに入っているせいか、はたまた淹れるのに時間をかけすぎたせいか、若干茶色く見えた。生憎、湯呑みはゴチャゴチャに積まれたダンボールの中に入っているため、すぐには取り出せないのだ。
喉が乾いていたのもあり、カヨコは一息に熱い緑茶を飲み干す。若干の苦味と旨味を含んだ緑茶が、乾ききった身体に染み渡るようだ。淹れたてのお茶の温度は80度近くあるが、ことゲヘナではぬるめのお湯程度の温度にすぎない。
「さて……」
二人とも、食べながらで悪いんだけど……とカヨコは言う。ムツキとハルカも、その後に続く言葉を予想出来ているらしく、無言でコクリと頷いた。
「一旦状況を整理しよう。私たちが家を出る時には確かに閉めていた部屋の鍵がいつの間にか開けられていたことから、部屋に侵入者がいて、その侵入者とトラブルになって社長は怪我させられた、って私は思ってた」
「……思ってた?」
ムツキが間髪入れず突っ込んだ。カヨコは無言の頷きをもって返す。
「今はちょっと違うと思っているんだけどね。でも実際、社長が何者かの手によって怪我をさせられたのは間違いないと思う」
「ふーん、焦らすんだねぇ。カヨコっち、本に出てくる名探偵みたい」
ニヤニヤとした笑みを浮かべたムツキが指をクルクル回すのを見て、カヨコは今日何回目か分からないため息をついた。
「……確証がないから、みんなと話し合いながら結論を決めたいだけ。先に私の考えだけを話すと、みんなバイアスのかかった状態で話し合うことになるでしょ?」
肝心のフーダニットもまだ見えてきてないしね……とカヨコは続けた。
「か、課長。質問よろしいでしょうか……?」
ハルカがおずおずと手を挙げる。カヨコは無言でハルカに向かって頷いた。
「犯人を絞り込むためには、まずどういう状況で発生した事件だったのか、を考えるのがいいと思うんです。そ、それで最初から考えようと頑張ってみたんですけど……そもそも、侵入者はどうやって鍵のかかった部屋に入ったんでしょうか?」
一番最初でつまずいてすみません、とハルカは冷や汗を浮かべながら俯く。
「さっきカヨコちゃんには話したけど、アルちゃんが事件当時風呂に入っていたとすると、全裸のまま玄関を開けたことになるし、訪問者を装って……ってのは無理だと思うんだよねぇ」
流石のアルちゃんでも全裸で来客応対しないでしょ〜、とムツキは楽しそうに目を細める。内心『何かの間違い』でやりかねないと思っているのだろう、とカヨコには分かった。正直ちょっと同意できる部分はある。
嬉しそうにムツキはご飯の上に載せられた小さな梅干しを齧ると思い切り顔を顰めた。思ったよりも酸っぱかったらしい。
「私の考えだと、それは──」
「──カヨコちゃん、ちょっとストップ!」
説明を始めようとするカヨコの口をムツキの手が塞いだ。
「……なに?」
「ちょっとタイム! もうちょっとで閃きそうなんだよねぇ……」
ムムム、と唸り声をあげつつしばらく頭を抱えて机に突っ伏していたムツキを見て、カヨコは口を噤んだ。こういう時のムツキを相手に強行突破しても大抵良いことは起きないことは身にしみて分かっている。
「うーん、目的が襲撃じゃないとすると……あ。わかった。わかったかも!」
──数分ほど経っただろうか。ムツキは姿勢はそのままに、顔だけをグイ、と唐突にあげると下からカヨコの顔を覗き込んできた。ボリュームのあるサイドテールがふわりと揺れる。
「犯人は泥棒目的で侵入したけど物を盗る前に私たちが帰ってきちゃったから、慌てて何も手をつけず隠れるしかなかった、ってのはどう思う?」
ムツキはパチンと指を鳴らして二人に言った。
「つまり、犯人は私たちが帰ってきた時、まだ部屋のどこかに隠れてたってこと、ですか……?」
興味津々といった様子で机に身を乗り出すハルカを見て、ムツキは大仰に頷き、指を立てる。
「犯人はまず、引越し当日の朝、泥棒目的で最初から部屋の中のどこかに隠れておく。──蓋がされた浴槽の中とかなら、私たちも作業とかで必死だったから気付かないこともあるのかも。私たちが荷物を運び込んで、人気が無くなったタイミングで隠れ場所から出てきて部屋を物色し、出ていく算段だった……とか、こんな感じでどう?」
「まぁ確かに、一応理論上はできるかもしれないけど……」
理論上はね、とカヨコは付け足す。実行するにはあまりにも発見されるリスクの高い作戦のように感じたからだ。
「で、私たちが玄関から出ていく音を聞いて、犯人は隠れ場所から出ていこうとした。だけどビックリ、そこには風呂に入ってきたアルちゃんが! ……あの日、何故かアルちゃんはスピーカーから音楽を流しっぱなしにしてたせいで、アルちゃんが残ってるって物音に犯人は気付けなかったのかもね」
カヨコは当時の部屋の様子を思い浮かべる。確かにムツキの言うとおり、あの時の部屋にはやけに大きい音量でクラシックがかかっており、多少の物音は掻き消えてしまうかもしれない。
「咄嗟に犯人はアルちゃんを突き飛ばして気絶させると、再び元々隠れていた浴槽へ戻った。私たちがアルちゃんを発見して病院へ送るのと同時に犯人は部屋から脱出し、物を盗ることもなく出ていった。……物を盗ると、せっかく事故に見える現場に人がいたことがわかっちゃうしね。結局私たち、倒れてるアルちゃんを発見した時必死だったせいで浴槽の中まで見てなかったでしょ?」
これなら理屈は通るでしょ? とムツキは得意げな顔をする。
「で、ですが……あの時浴槽にはお湯が張られていました。かなりパンパンにお湯が張られていた上に、犯人が中に身を潜めていたとすると、さらに水位は上がるので、呼吸をする隙間も無くなってたんじゃないでしょうか……?」
「む、確かに……」
しばらくムムムと唸りながら口に手を当てていたムツキだったが、しばらくするとビシッとサムズアップとウインクを決め、ハルカに向き直った。
「じゃあじゃあ、犯人は私たちがアルちゃんと一緒に部屋を出たあと、自分の隠れ場所がバレないようにするためにお湯を張り直して出ていったってのはどう?」
「それも駄目」
カヨコがピシャリと切り捨てる。ムツキは頬を膨らませながらカヨコを見つめる。
「え〜どうして!?」
「今の事務所、まだ全然荷物を開封していなくて私たちですらほとんどどこに何があるのか分からないでしょ? お風呂を入れたのが犯人だとすると、入浴剤を入れたのも必然的に犯人ということになる。そうなると、犯人はこの荷物の山の中のどこに入浴剤があるのか、なんてわかんないし、そもそも持っているのかも分からない」
「アルちゃんが使おうと思ってお風呂に持って入っていた可能性は?」
何とか食い下がろうと、口を尖らせたムツキが首を傾げながら言う。
「発泡タイプの入浴剤は予め溶かしきってから入浴するでしょ? 社長がお風呂で使おうと思って入浴剤を持ち込んだとすると、浴室に入ってすぐか、もしくは入浴前にあらかじめ入浴剤を入れておくことになる。どちらにせよ、身体を洗い終わる頃には入浴剤は溶けきってるはず」
「確かにそれはそうだけど、それがどうかしたの?」
カヨコは自分の鼻を指さした。
「社長、鼻についていた、水だけじゃなかなか落ちない墨汁が消えていたところを見ると、少なくとも既に顔を洗った後だった。そうなると、社長が襲われたのは入浴剤を入れてから結構な時間が経ってからってことになる……考えてみて、入浴剤を入れたタイミングではまだにごり湯じゃなくてただのお湯。中に人が隠れているのに気付かないっていうのは考えにくいと思う」
カヨコの言葉に、ムツキはさらに唇を尖らせた。椅子の前脚を浮かせると、背もたれに体重をかけてユラユラと揺れている。
「そ、そもそも、仮にアル様の見落としがあって犯人が浴槽に隠れられたとしても最初に部屋に入るための鍵が必要な気がします……。合鍵を持っているのなら大家さんが犯人ですが、足を骨折しているあの人にそんなことができるとも思えませんし、なにより隠れておく必要も、鍵を開けっ放しにして出ていく必要もありませんから……」
下っ端が意見してすみません、と下を向くハルカの肩をムツキはポンポンと優しく叩く。
「うーん……じゃあ私の間違いかぁ! 惜しかった気がするんだけどなぁ〜! まぁ最初から無理があるなぁとは思ってたんだけど……」
ムツキは実にあっさりと自身の推理を捨てた。推理ごっこがしたかっただけで、もともとあまりこだわりのある推理ではなかったらしい。
「じゃあさ、カヨコっちはどう思うの? ……その顔、もうほとんど分かってるって感じじゃな〜い?」
ムツキに同意するようにハルカがこくこくと何度も頷いた。
「まぁ、なんとなくは……決定的な証拠はないんだけど」
小さく息を吐き、カヨコは手にしていたお箸を弁当箱へ立てかける。ハンバーグにかかったデミグラスソースの匂いが鼻をついた。
「……じゃあ、ここからは私の推理。現場を見ながら一緒に考えてみようか」
カヨコが立ち上がるのに合わせて、ムツキとハルカもそれに続いた。
ハルカの右手にまだお箸が握られているのを尻目に、カヨコは事件現場──浴槽へと足を運んだ