名探偵・鬼方カヨコは見逃さない 〜陸八魔アル(非)殺人事件〜   作:アル飯

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7.名探偵は見逃さない

「まず最初に確認したいのは、本当に事件が浴室で起きたのか、ってところ」

 

 カヨコが浴室を指さしながら言う。バスタブには未だに丸い凹みが残っており、床にもこびり付いた血が一筋、生々しく残っていた。

 

「これを見てると明らかにここで事件が起きたと思うんだけど? ね?」

「はい、私もそう思います。犯人は入浴中のアル様の背後を襲い、怪我をさせた、と私も思います……」

 

 ムツキとハルカが目を合わせ、キョトンとした様子で二人揃って首を傾げた。

 

 そんな二人を見て、カヨコは指を二本立てて二人に見せつける。

 

「私が気になった点は二つ。まず、【社長がつけた凹みにしてはあまりにも綺麗すぎる】ってこと」

「綺麗すぎる……とは?」

 

 ハルカが不思議そうな顔をしてバスタブについた球状の凹みを眺めながら言った。

 

 カヨコは凹みを指先で撫でながら続ける。

 

「社長の頭を思い出してみて。出血していたのは後頭部だった。私たちが発見したときも、後頭部を浴槽にもたれかからせるように倒れていたよね。……つまり、この凹みは社長の後頭部によってつけられたものでないといけない」

「そりゃそうじゃない? 私もハルカちゃんも、最初からそれぐらい分かってるよ?」

 

 ムツキの言葉にカヨコは首を横に振って応える。

 

「よく考えてみて。社長の頭には、後頭部から頭の側面に回り込む形で角が生えてる。【後頭部をバスタブにぶつけたなら、その凹みは綺麗な球状にはならない】の」

「あ〜なるほどねぇ。先にアルちゃんの角がバスタブに押し当たる分、角の形の凹みが出来るハズだもんねぇ」

 

 ムツキがつま先でバスタブを蹴った。カン、という硬い音が浴室に響く。

 

「とすると、この凹みは事故に見せかけるために後から偽装されたもの、ということでしょうか……」

「私の見立てではそうだね。多分、犯人はヘルメットみたいなものを使って凹みを作り出したんじゃないかな」

 

 キヴォトスでは学生が車両の運転をしていることも珍しくない。ヘルメット団の存在もあり、ヘルメットを着けている生徒もよく目にするのだ。

 

「そんなことするなら気絶したアルちゃんの頭を押し付けて凹みを作ればいいんじゃない?」

 

 そうすれば偽装もバレることないのに、とムツキは呟く。

 

「その場合、社長は既に出血しているから、血の飛び散り方がおかしくなるし、複数の傷がついてしまう可能性がある。いくらシャワーである程度流せるとはいえ、傷の方は誤魔化しが効かない分、自分たちで偽装するしかなかったんじゃないかな」

 

 そこまでの知能がある犯人なのか分からないけど、とカヨコは続ける。どちらにせよ、当時の事務室は停電していた可能性が高く、真っ暗な浴室や脱衣所での工作は犯人も慎重にならざるを得なかったのだろう。

 

「それと本命の二つ目。【社長が遠くの文字を読めていなかった】ってこと」

「遠いところ……?」

 

 ハルカが再びよく分からないといった様子で小首を傾げた。

 

「社長、普段はコンタクトだけど実は目が悪いの。入院してた時の社長はコンタクトをつけてなかったせいで遠くのものが見えてなかった」

 

 読みにくそうにメモを眺め、ハルカに読み上げを任せたり、遠くに設置された時計の文字盤が読めずカヨコに時間を聞いたりするアルの様子を思い出しながらカヨコは二人に向かって話を続ける。

 

「あぁ、あの時妙に怖い目つきしてると思ったら、目が全然見えてなかったんだねぇ」

 

 次お見舞いに行く時にメガネを持って行ってあげないと。鼻付きのやつ、と呑気なことを言っているムツキを無視してカヨコは指を一つ立てる。

 

「私たちと別れる直前までは遠くのものに困っている場面がなかった。つまり、その時までは少なくとも社長はコンタクトをつけていたはず」

「で……ですが、アル様の格好や状況を考えると、単にお風呂に入ろうとしていたからコンタクトを外したか捨てたかしていた、ということは考えられないでしょうか……?」

 

 再び小さく手を挙げて質問するハルカに対して、カヨコはいや、と首を振る。

 

「私が調べた限り、少なくともこの脱衣所と浴槽の中にはコンタクトケースやコンタクトレンズが落ちていたりはしなかった。仮に水に流されたとしても、髪の毛を取る用のネットになにも引っかかってはなかった。つまり、社長は浴室と脱衣所以外の場所──多分、事故があった時の衝撃でコンタクトを落としたんじゃないか、って私は推理したの」

 

 それがどこかまでは分からないけど、とカヨコは心の中で続けた。

 

「でも、事件現場が浴室でないとすると私たちが悩んでた謎のひとつに答えが出せる」

「謎ってどの謎のこと?」

 

「それは──【犯人がどうやって事務所の鍵を開けたのか】って部分」

「あぁ、そっか。浴室が現場じゃないなら──」

 

 ムツキが猫のように目を丸くしてカヨコを見つめる。カヨコはムツキに向かってゆっくりと頷きを返し、ハルカの方を見つめた。

 

「【最初から犯人は施錠している事務室に侵入したわけではない。事故は社長が外出した時に起きた】。これが私の二つ目の推理」

「じ、事件はアル様の入浴中に起きたわけじゃない、ということですか……?」

 

 ハルカがカヨコの目をじっと見つめて言う。

 

「……そうだね。社長の鼻についた墨汁が落ちていたことから、一回お風呂に入っていることは間違いないと思う。停電して真っ暗な浴室の中で、犯人が顔についた黒い汚れに気づいて落とした、なんてことは考えにくいしね。……そして、ゴミ箱の中身を考えると、きっと一回お風呂から上がったんじゃないかな、って私は思ってる」

 

 ゴミ箱に使用済みの綿棒とコットンシートが捨てられていたのも、アルが入浴を済ませていたと考えると納得がいく。きっと風呂上がりのスキンケアをしていたのだろう。

 

「でもさ、アルちゃんが普通に一回お風呂に入り終わったとして、その後外に出ることあるのかな?」

 

 私ならあんな大雨の中外に出たりしないけど、とムツキは続けた。

 

「……ここからは完全に私の推測だけど、私たちが事務所に帰ってきた時、スピーカーからクラシックが結構な音量で流れていたの、覚えてる?」

 

 ムツキとハルカがほとんど同時に無言で頷いた。三人の帰宅時、事務室内には【主よ人の望みの喜びよ】が大音量で流れていた。

 

「あのスピーカー、リモコンから電池が抜かれていて、かつ本体のコンセントが抜けていた。……多分、社長はお風呂上がりに音楽でも流そうとして電源をつけた。でも音量設定を間違えたのか、思っていたよりも大音量で流れ出した曲を止めようとして、リモコンの電源ボタンを押す──けど、リモコンは電池切れで動かない」

 

 あちゃー、アルちゃんらしいというかなんというか……とムツキが呟いたのが耳に入った。

 

「仕方ないから本体のコンセントを抜いて音楽を止めようとしたけど、誰も知らなかったことにあのスピーカーはバッテリー式で、やっぱり音楽は止まらない。……仕方ないから社長、電池をコンビニにでも買いに行こうとしたんじゃないかな」

 

 リモコンからはカバーが外されていて、電池が並べられていた。争った表紙に飛び出した状態とは明らかに違う。

 

「そ、そうなると……もしかしてスーパーからの帰りに来ていた不在着信は……」

 

 ハルカがスマホの画面を改めて見返しながら呟く。そういえば、事務所に帰宅する前に一度アルからの不在着信が入っていたのをカヨコも思い出した。

 

「ハルカの方にも入っていたんだね……多分、私達に電池を買ってきてもらうようにお願いするためだったのかな。……私たちは雨の中帰るのに必死で気付いてなかったけど」

 

 言いながらカヨコはスピーカーの側面にある電源スイッチをカチカチと切り替えた。よくよく考えれば本体側に電源スイッチがあるのは当たり前だが、おそらくアルのことだ。ただでさえ壁が薄いテナントだ。転居早々騒音問題になっては困る、という焦りのあまり、スイッチの存在に気付かなかったのだろう。

 

「そのまま外出した社長だけど、何らかの理由で事故に遭って気絶した。まぁ十中八九車に轢かれたか銃撃戦に巻き込まれたかだと思うけど……」

 

 多分車に轢かれたんじゃないかな、とカヨコは頬を撫でながら言う。当時はゲリラ豪雨のせいで視界は悪く、かつ雨で制動距離も伸びやすい。アルの角に残っていた塗料は、恐らく事故発生時に付着した車の塗装だと考えられる。

 

「犯人は社長を死なせてしまったと思ったのか、それとも別の理由があったのかは分からないけど……通報せずにそのまま隠蔽することを選んだ。そこで社長を部屋に運び込み、一人で引き起こした事故に見せかけるための工作を行った、って私は見てる」

 

 そして、とカヨコは再び浴室へと目を向ける。

 

「なぜ偽装現場として浴室が選ばれたのか、って点も、続けて考える必要がある」

「それは単に足を滑らせやすくて、シャワーで多少の証拠は洗い流すことができるからじゃないの?」

 

 鋭い質問だ。ムツキの問いかけに、カヨコは頷きを返す。

 

「もちろんその理由もあると思うけど、一番の理由は【社長が全裸で発見されてもおかしくなく、かつ濡れていてもおかしくない場所だったから】、じゃないかな」

「アル様が濡れていてもおかしくない……ですか?」

「うん。あの時は凄まじい豪雨だった。きっと社長は雨の中傘をさし、歩いてコンビニへ向かおうとしたんだろうけど……知ってのとおり、傘一本程度でどうこうなる雨じゃなかった」

 

 傘を持っていてもすぐにダメになってしまう、とはムツキの言葉だったか。しっかりとした合羽か何かでないと、あの雨の中を濡れずにやり過ごすことは相当難しいだろう。

 それに加えて、何らかの事故が発生したことを踏まえると、仮に合羽などの類を着ていたとしても、やはり濡れないままでいることは難しい。事件発生時、アルと彼女が来ていた服は雨に濡れていたと考えるのが自然だろう。

 

「きっと社長はびしょ濡れになっていたハズ。そうなると、仮に家の中にアルを運び込んだとしても、びしょ濡れになったままだと【事件以前に一度アルが外出していた】ことが明らかになってしまう。だから、服を脱がせて持っていくのと、本人が濡れていてもおかしくない状況を作り出す必要があった、ってところかな」

 

 現場からはアルが引越し作業時に着ていた服しか見つからなかった。仮に一度アルが風呂上がりに着替えているとすると、その時に着ていたであろう服が無くなっているのだ。

 

「そして、玄関のタタキの部分に一部だけ湿り気があったのは、多分犯人があそこに社長が元々持っていた傘を置いていたからじゃないかな」

「なるほどねぇ……アルちゃん本人だったら扉の前の傘立てに傘を入れるだろうし、それすら知らない人がそこにびしょ濡れの傘を放置してた……って考えるとたしかに筋は通るねぇ」

 

 ムツキが欠伸をしながら言う。思ったより突飛なところもない地味な推理に飽きていたらしい。

 

「……でもさカヨコちゃん。一番大事なところ、まだ分かってなくな〜い?」

 

 これまで寝かけの猫のようにリラックスした表情を浮かべていたムツキだったが、突然ニヤリ、と口の端を歪ませて悪そうな笑みを浮かべた。

 

「うん。大まかに犯人の目星はつけてる。……ここまでの推理が正しいとするなら、犯人は候補は二つに絞られるし……私の中ではほぼ一択かな」

「……で? 犯人は誰なの?」

 

 ムツキの考えを察知して、カヨコはため息混じりに下を向く。きっとアルの報復を狙っているのだろう。

 

「ここまで話しておいてなんだけど、ここまでは私の推理──いや、妄想でしかない。決定的な証拠はまだ押さえられていないけど……明日辺り、車両についた傷の確認でもしてからじゃないと──」

「──あー、そのことなんだけど、カヨコっち」

 

 カヨコの言葉を遮り、ムツキが頬を掻きながら呟く。なにか都合の良くないことでもあるのだろうかとカヨコは周囲を見渡すが、いるハズのものが視界の中にないことに気付いた。

 

「──ついさっき、ハルカちゃん事務所を飛び出して行っちゃった」

「……ッ!? 嘘、たった一人で……!?」

 

 カヨコは弾けるように立ち上がり、慌てて玄関へと走り、扉を開けた。

 

 ──しかし、あまりに遅すぎた。

 開け放たれた扉の外は既に誰もおらず、ただ真っ暗な廊下と静寂だけが一面を支配しているだけだった。

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