やはり俺の個性はまちがっている。   作:いろは杏

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「――集まれ! あれはヴィランだ!」


第11話 ウソの災害が本物になる日

 バスの座席というものには、力学がある。

 

 後方ほど不可侵で、通路側より窓側が上位で、隣が空いている席は勝者の証である。

 

 俺は最後尾の通路側に座り、隣の席に鞄を置いた。

 

 これは防衛線だ。鞄をどけろと言える人間は限られている。世の中の大半の人間は、他人の荷物が置かれた席に「そこ空いてますか」と聞くコストを払いたがらない。よって、この席は空き続ける。

 

 完璧な設計である。

 

「ヒッキー、ここ空いてる?」

 

「……空いてない」

 

「鞄じゃん」

 

 由比ヶ浜結衣は俺の鞄を持ち上げて、俺の膝の上に置いた。

 

 そして座った。

 

 防衛線が三秒で崩壊した。

 

「なんでお前は俺の設計を毎回破壊するんだ」

 

「設計?」

 

「なんでもない」

 

「ふーん。あ、そうだ聞いてよ、さっきね、峰田くんが女子の席の並び順に文句言っててさ」

 

 由比ヶ浜が喋り始めた。

 

 俺は窓の外を見ることにした。話を聞かないという意味ではなく、聞きながら別のことができる程度の内容だからだ。

 

 通路の反対側では、緑谷と麗日が話している。緑谷は昨日から俺と目を合わせない。

 

 まあ、当然か。

 

 その前の席で、雪ノ下が文庫本を読んでいる。姿勢がいい。バスが揺れても背骨の角度が変わらない。

 

「――ヒッキー、聞いてる?」

 

「聞いてる。峰田が席順に文句を言ったんだろ」

 

「その先は?」

 

「知らん」

 

「聞いてないじゃん!」

 

     * * *

 

 USJの内部は、想像より広かった。

 

 ドームの中に、複数の区画が並んでいる。水難、土砂崩れ、火災、山岳、市街地。それぞれが本物の縮尺で作られていて、境界だけが不自然に区切られている。

 

 災害のショールームだ。

 

 これらは全部ウソの災害で、ウソの遭難者がいて、ウソの緊急事態が発生する。

 

 そのウソに、俺たちは本気で対処する訓練をする。

 

「私が担当します! スペーススーツの宇宙飛行士! No.13です!」

 

 説明役の教師は、宇宙服のような姿をしていた。個性は『ブラックホール』。あらゆる物質を吸い込んで塵にする。

 

 ――俺と似た系統だな。

 

 俺はそう思った。触れたものを分解する能力。俺のは遅く、あの人のは速い。

 

「私の個性は、使い方を誤れば簡単に人を殺せます」

 

 十三号(No.13)は言った。

 

「皆さんの中にも、そういう個性を持つ人がいるでしょう。……ですが、忘れないでください。個性は本来、誰かを救うためにあるのです」

 

 クラスがざわつく。何人かが頷いている。

 

 俺は頷かなかった。

 

 いい言葉だとは思う。

 

 思うが、俺には適用できない。

 

 俺の個性は、使い方を誤ると人を殺す個性ではない。使い方に関係なく、触れたものを壊す個性だ。誤用と正用の区別が存在しない。

 

 救助に使えるか、と考えてみる。

 

 瓦礫は除去できる。壁に穴を開けられる。閉じ込められた人間のところまで、道を作ることはできる。

 

 ――だが、そこから先がない。

 

 掘り出した人間を抱えて運ぶことができない。抱えれば腐る。手を引くこともできない。担架に乗せて押すのが限界だ。

 

 結局、俺にできるのは物を壊すことだけで、人に触れることじゃない。

 

 救助の現場で、俺は道具にはなれても、手にはなれない。

 

 ――道具で十分だろ。

 

 俺は自分にそう言い聞かせた。

 

 言い聞かせないと、たまに面倒なことを考えそうになる。

 

     * * *

 

 説明の途中、俺は雪ノ下の隣に立っていた。

 

 意図的ではない。整列した結果そうなっただけだ。

 

「……手」

 

「え?」

 

「指、治ったのか」

 

 雪ノ下が自分の右手を見た。

 

 あの日、俺の手首を掴んだ手だ。人差し指と中指の先に、うっすらと変色が残っている。

 

「問題ないわ」

 

 予想通りの返答だった。

 

「ただ、感覚が少し鈍いわね。細かい作業のときに気づく程度だけれど」

 

 予想外の追加情報だった。

 

 この女は、こういうところで嘘をつかない。

 

「……悪かったな」

 

「なぜあなたが謝るの」

 

「俺の個性だからだ」

 

「私が自分の判断で触れたのよ。仮説の検証コストを、あなたが払う理由はないわ」

 

 合理的すぎる。

 

 俺は少し黙ってから、話題を変えた。

 

「体育祭、出るのか」

 

「当然でしょう」

 

「そうか」

 

「……あなたは?」

 

「一応出る。欠席したら単位がどうこう言われるらしいからな」

 

「不真面目ね」

 

「真面目にやる理由がない」

 

 雪ノ下は正面を向いたまま、言った。

 

「私にはあるわ」

 

 声の質が、少し変わった。

 

「――私は、負けられないの」

 

 俺は横目でそれを見た。

 

 その表情に含まれていたものは、闘志ではなかった。もっと硬くて、もっと疲れているものだった。

 

 誰かと戦う顔じゃない。何かに追われている顔だ。

 

 俺は聞かなかった。

 

 こういうときに踏み込んで、いいことがあった試しがない。

 

     * * *

 

 それから、二分後。

 

 中央広場に、黒い霧が湧いた。

 

 最初は、演出だと思った。

 

 訓練施設だ。この手の施設には演出装置が付いているものだ。地震も火災も、スイッチひとつで再現される。だから黒い霧が出ても、俺は土砂崩れの粉塵か――くらいに思った。

 

 だが、相澤先生がゴーグルを下ろした。

 

「――集まれ! あれはヴィランだ!」

 

 空気が変わった。

 

 霧の中から、人が出てくる。

 

 一人。三人。十人。二十人。数えるのをやめた。

 

 全員が異形か、あるいは武装している。統一感がまるでない。集団というより、寄せ集めだ。

 

十三号(No.13)、生徒を退避させろ!」

 

 相澤先生が走り出した。

 

 あの人の個性は『抹消』。見た相手の個性を消す。だが対象は一度に数人が限度のはずだ。

 

 あの数に、突っ込んでいく。

 

 ――正気か。

 

 俺がそう思った瞬間、視界が黒く塗り潰された。

 

     * * *

 

 背中から落ちた。

 

 傾斜。土。転がる。何度か回転して、腕で顔をかばって、ようやく止まった。

 

 咳き込む。口の中が砂だらけだ。

 

「――っ、げほっ」

 

 起き上がる。

 

 土砂崩れゾーンだった。

 

 崩落した山肌を再現した区画。傾斜のきつい斜面に、岩と土砂と、折れた木が散乱している。上のほうには壊れた建物の一部が半分埋まっていた。

 

 空気が埃っぽい。

 

「ヒッキー!」

 

 声がした。

 

 由比ヶ浜が斜面の下から登ってくる。膝を擦りむいているが、動けている。

 

「大丈夫!? あたし、いきなり真っ暗になって」

 

「ワープだ。おそらく……個性で飛ばされたんだろう」

 

「え、じゃあみんなは」

 

「バラバラだろうな」

 

 俺は周囲を見回した。

 

 もう一人いる。

 

 斜面の上、十メートルほどの位置に、雪ノ下が立っていた。埃をかぶっているが、無傷だ。落下時に足元を凍らせて衝撃を殺したのだろう。

 

「二人とも、動けるかしら」

 

「一応な」

 

「なら合流を。斜面の上に――」

 

 彼女の言葉が止まった。

 

 俺も、そのとき気づいた。

 

 土砂が、動いている。

 

 崩落ではない。人が掘り返している音だ。

 

 斜面のあちこちから、人間が這い出してきていた。

 

 六人。

 

 いや、八人。

 

 全員が黒っぽい服を着ていて、全員が笑っていた。

 

「おいおい、こっちにも来たぜ」

 

「三人か。餓鬼が三人」

 

「殺せって言われてんのはオールマイトだけだろ?」

 

「んなもん、ついでにやりゃいいんだよ」

 

 会話の質が低い。

 

 この時点で俺はひとつ理解した。こいつらは組織の中枢ではない。金か暴力で集められた末端だ。

 

 だが、末端でも人は殺せる。

 

「――比企谷くん、由比ヶ浜さん」

 

 雪ノ下の声は落ち着いていた。

 

「私が正面を抑えるわ。あなたたちは」

 

「待て」

 

 俺は遮った。

 

「氷は使うな。まだ」

 

「なぜ?」

 

「足場が土砂だ。凍らせると固まって、俺の腐食が通らなくなる。……お前の氷は、俺の個性を止める」

 

 雪ノ下が、一瞬で理解した顔をした。

 

「そうだったわ。相性が悪かったわね、私たち」

 

「……ああ。最悪の部類だ」

 

     * * *

 

 戦闘は、こちらの想定より速く始まった。

 

 一人が斜面を駆け上がってきた。個性は身体強化系だろう。速い。

 

 由比ヶ浜が前に出た。

 

「――っ、来ないでっ!」

 

 両手を広げる。

 

 瞬間、周囲の岩と土砂が一斉に浮き上がり、彼女のほうへ吸い寄せられた。

 

 突っ込んできた男が、その流れに巻き込まれる。土砂と一緒に引き寄せられて、岩に激突した。

 

「うおっ、なんだこりゃ!」

 

「引力っ!」

 

 由比ヶ浜が叫ぶ。

 

 悪くない。入試のときとは制御の質が違う。範囲と強度を意識的に操作できている。

 

 だが、彼女の弱点は明確だ。

 

 ――全部、自分のほうに来る。

 

「由比ヶ浜、下がれ!」

 

 俺は叫んだ。

 

 彼女が吸い寄せた岩が、彼女自身に降り注ごうとしていた。

 

 そこに雪ノ下が割り込んだ。

 

 地面に手をつく。斜面の一部が瞬時に凍りつき、岩の落下軌道を逸らした。

 

「由比ヶ浜さん、範囲を狭めて。全部を吸うのではなく、対象を選んで」

 

「え、えっと、うんっ!」

 

 連携が成立している。

 

 この二人、相性がいい。引き寄せる女と、止める女。

 

 ――俺の出番がない。

 

 そう思った矢先だった。

 

 斜面の横から、二人が回り込んできた。

 

 由比ヶ浜と雪ノ下の視界の外だ。

 

 一人の腕が、鎌のように変形している。個性だ。もう一人はナイフを持っている。

 

 狙いは、由比ヶ浜の背中。

 

 距離、六メートル。

 

 俺の位置からは、三メートル。

 

 ――間に合う。

 

 考える前に、身体が動いていた。

 

 鎌の男の腕を、両手で掴んだ。

 

 変形した部位はキチン質か何かに近い。硬い。だが有機物だ。

 

「あぁ? なんだお前」

 

 男が笑った。

 

 俺を振り払おうとする。力が強い。俺は振り回されて、足が地面から離れた。

 

 離さない。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

「……っ、は?」

 

 男の笑みが消えた。

 

 鎌の表面が、黒く変色していた。

 

「なん、だこれ、腕が」

 

 五秒。

 

 鎌の付け根から、ひび割れが走った。

 

「うわああああっ!」

 

 男が絶叫して、俺を投げ飛ばした。

 

 俺は斜面に叩きつけられ、二回転して止まった。

 

 肋骨に嫌な感触があったが、動けた。

 

 男は自分の腕を押さえてのたうち回っている。腐食は止まらない。俺が離れた時点で進行は止まるが、既に壊れた組織は戻らない。

 

 ――五秒で、こうなる。

 

 人間相手には、これが限界だ。

 

 これ以上やったら、腕が落ちる。

 

     * * *

 

「ヒッキー!」

 

 由比ヶ浜が振り返った。

 

 その隙に、ナイフの男が彼女に迫っていた。

 

 雪ノ下が氷を放つ。だが男は横に跳んで避けた。速い。

 

 距離が詰まる。

 

 由比ヶ浜が振り向く。間に合わない。

 

 俺は走った。

 

 間に合わない。

 

 ――計算した。

 

 三メートル。俺の脚では一秒弱。ナイフの到達まで、〇・五秒。

 

 届かない。

 

 だから俺は、走りながら、右手に目をやった。

 

 手のひらの、さっき鎌野郎の鎌を握った時にできた切り傷。パックリと切れているおかげで血がダラダラと流れていた。

 

 そこを指で押し広げて、血を指の先まで滴らせ――

 

 ナイフ野郎を目掛けて、手を振るった。

 

 狙いは男の顔だった。

 

 外れた。俺の投擲精度は最悪だ。

 

 だが、肩に当たった。

 

 血が、服に染みる。

 

「――っ、なんだ、水?」

 

 男が動きを止めたのは、一瞬だった。

 

 その一瞬で、俺は距離を詰めた。

 

 そして次の瞬間、男が悲鳴を上げた。

 

「ぎっ、あああっ! 熱っ、なんだこれっ!」

 

 血の付いた肩口が、黒く沈んでいく。

 

 服が溶け、その下の皮膚が変色する。

 

 速い。

 

 皮膚接触の三倍。俺が瓦礫の下で見た、あの速度だ。

 

 男はナイフを落として、肩を掻きむしった。掻きむしるほど広がる。

 

 俺は落ちたナイフを蹴り飛ばして、由比ヶ浜の腕を――掴もうとして、やめた。

 

「下がれ」

 

「え、う、うんっ!」

 

     * * *

 

 残りの敵は、そこで動きを止めていた。

 

 仲間の二人が、地面を転がって悲鳴を上げている。片方は腕が使い物にならない。もう片方は肩が崩れていく。

 

 どちらも死んでいない。

 

 だが、どちらも戦えない。

 

「……なんだ、あいつの個性」

 

「触られたら終わりだ、近づくな」

 

「血だ! 血をかけられたぞ!」

 

 恐怖が伝染していく。

 

 俺はその真ん中に立って、右手を上げた。

 

 手のひらの傷からは、まだ血の筋が垂れていた。

 

 ――ああ。

 

 これ、使えるんだな。

 

 俺は自分の手を見ながら、そう思った。

 

 三ヶ月前、『使えないが面白い知識』の棚に放り込んだやつだ。

 

 撃つたびに自分が減る武器。

 

 ――減るのは、俺だけだ。

 

 それは、俺にとって、たぶん一番都合がいい。

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