やはり俺の個性はまちがっている。   作:いろは杏

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「――ちょっ!! ヒッキー、マジ変態!!」


第12話 消耗品としての俺について

 恐怖には、二種類ある。

 

 逃げる恐怖と、賢くなる恐怖だ。

 

 前者は楽でいい。相手が勝手にいなくなる。

 

 問題は後者だ。恐怖した人間が、恐怖の原因を分析して、対策を立ててくる。これが一番厄介である。

 

 そして残り六人のヴィランは、後者を選んだ。

 

「――近づくな! あいつは触られたら終わりだ!」

 

「距離取れ! 遠くから潰せ!」

 

 斜面の上から、岩が飛んできた。

 

 個性で射出しているらしい。バレーボール大の岩塊が、俺の頭上を掠めて背後の木を折った。

 

「ヒッキー!」

 

「わかってる」

 

 俺は身を伏せた。

 

 これだ。

 

 俺の個性の本質的な欠陥。射程ゼロ。

 

 触れなければ何も起きない。触れさせなければ、俺は無害な男子高校生である。しかも運動能力は平均以下で、防御手段は何もない。

 

 要するに、間合いを取られた瞬間に詰む。

 

 ――さっきまで恐れられていたのに。

 

 恐怖というのは持続しない。人間は三十秒あれば、恐怖の対象を対処可能な問題に翻訳できてしまう。

 

     * * *

 

 雪ノ下が斜面の岩陰に滑り込んできた。

 

「状況の共有を」

 

「見ての通りだ。俺は近づけない」

 

「射程は」

 

「ゼロだ」

 

「……訂正して。先ほど血を投げていたでしょう」

 

「あれは射程二メートルだ。しかも命中しない」

 

 雪ノ下が眉を寄せた。

 

 俺は続けた。

 

「俺の投擲能力は絶望的に低い。体育の授業でソフトボールを二十九メートルしか投げられなかった男だ。しかも血は液体で、風で散る。狙って当てるものじゃない」

 

「では、なぜ当たったの」

 

「相手が動きを止めてたからだ。あれは偶然だ」

 

 雪ノ下は数秒黙って、それから言った。

 

「合理的な自己評価ね。……好ましくはないけれど」

 

「事実だ」

 

「ええ、事実よ。だから使えるわ」

 

 彼女は斜面の上を見た。

 

「六人。全員が距離を取っている。つまり全員が、あなたに触られることを恐れている」

 

「そうだな」

 

「なら、あなたが動けば、彼らは動く」

 

 ――囮か。

 

 俺はその発想の速さに、少し感心した。

 

「私と由比ヶ浜さんで挟む。あなたは、彼らの注意を引くだけでいい」

 

「俺が死んだらどうする」

 

「死なせないわ」

 

 即答だった。

 

 こういうのを平然と言えるあたり、この女は本当に厄介だと思う。

 

     * * *

 

 作戦は単純だった。

 

 俺が斜面を横切る。敵の注意が俺に集まる。その隙に由比ヶ浜が引力で敵を引き寄せ、雪ノ下が着地点を凍らせる。

 

 問題は、俺が単純に死にかけることだ。

 

「行くぞ」

 

 俺は岩陰から飛び出した。

 

 三歩目で、最初の岩が飛んできた。

 

 避けた。というより、転んだ。転んだ結果として避けた。

 

 四歩目で、二つ目。肩を掠めた。

 

「そこだ! あいつを潰せ!」

 

 注意は完璧に集まっている。

 

 ――計画通りだが、計画が最悪だ。

 

 俺は斜面を走り続けた。走るというより、転がりながら移動している。土砂の斜面は足場が悪く、一歩ごとに崩れる。

 

 五人が俺を狙っていた。

 

 残り一人が、まだ動いていない。

 

 その一人が、由比ヶ浜のほうを向いていた。

 

 ――気づかれてる。

 

「由比ヶ浜! 右!」

 

 叫んだ瞬間、彼女が動いた。

 

 両手を突き出す。空気が唸った。

 

 男が、宙に浮いた。

 

 引力に掴まれて、彼女のほうへ引き寄せられる。

 

「――ゆ、ゆきのん!!」

 

「ええ」

 

 雪ノ下が地面に手をついた。

 

 男の落下地点に、氷が咲いた。

 

 男は氷の上に叩きつけられ、そのまま足首から下を凍らされた。抜けない。

 

 一人、無力化。

 

     * * *

 

 残り五人。

 

 だが、こちらも消耗している。

 

 俺は斜面の中腹で膝をついていた。肋骨がまずい。さっき投げ飛ばされたときのやつだ。呼吸するたびに刺すような痛みがある。

 

 そして、右手が濡れていた。

 

 傷が塞がっていない。

 

 当然だ。俺の個性は自分の身体にも作用する。俺の傷は治りが遅い。人より血が止まらない。

 

 ――ちょうどいいじゃないか。

 

 俺はそう考えた。

 

 弾切れの心配がない。

 

     * * *

 

 二人目は、俺が仕留めた。

 

 斜面を降りてきた男が、俺を蹴り飛ばそうとした。距離が詰まった。

 

 俺は避けずに、右手を振った。

 

 血が散った。

 

 男の顔にかかった。

 

「――ぎゃあああっ!」

 

 目に入ったらしい。

 

 男は顔を押さえて転げ回った。俺はその横を通り抜けながら、少しだけ考えた。

 

 目に入ったら、たぶん失明する。

 

 ――やりすぎたか。

 

 だが、こいつは俺を蹴り殺そうとしていた。

 

 等価だ。等価ということにしておく。

 

     * * *

 

 三人目は、雪ノ下が凍らせた。

 

 四人目は、由比ヶ浜が岩ごと吸い寄せて叩きつけた。

 

 残り二人。

 

 その頃には、俺は立っているのがやっとだった。

 

 視界の端が暗い。指先が冷たい。頭の中に薄い膜が張ったような感覚がある。

 

 ――これは。

 

 知っている。貧血の症状だ。

 

 血を三回使った。一回あたりは数十ミリリットルだろう。合計しても、たいした量じゃない。献血のほうがよほど抜く。

 

 だが、俺の傷は止まらない。

 

 使った量より、垂れ流している量のほうが多い。

 

 俺は右手を見た。

 

 手首まで赤い。袖が重い。

 

 ――ああ。

 

 俺の武器は、こういう仕組みか。

 

 撃つたびに自分が減る。それは知っていた。

 

 知らなかったのは、減り続けるということだ。撃ち終わっても止まらない。銃口から自分の血が流れ続ける。

 

 控えめに言って、欠陥品である。

 

     * * *

 

「ヒッキー、それ――」

 

 由比ヶ浜が俺の右手を見た。

 

 顔色が変わった。

 

「……血、すごい」

 

「掠り傷だ」

 

「掠り傷でそんなことになるわけないじゃん!」

 

「俺の傷は治りが遅い。個性のせいだ。……昔からだ」

 

「じゃあなおさら止めなよ!」

 

「止まらん」

 

「そうじゃなくて!」

 

 由比ヶ浜が声を張り上げた。

 

 俺は少し驚いた。こいつがこの声を出すのを、初めて聞いた。

 

「使うのやめてって言ってんの! 自分の血なんか使ってさ、そんなの、そんなの――」

 

 彼女は言葉を探した。

 

 見つからなかったらしく、口を開いて、閉じた。

 

 俺は続きを待った。

 

 待ったが、来なかった。

 

「……なんでもない」

 

 彼女は俯いた。

 

 その代わりに、こう言った。

 

「あたしのほうが、体力あるから。前出るから」

 

 そして、俺の前に立った。

 

 俺の背中を守る位置ではない。俺の前に立って、盾になる位置だ。

 

 ――やめろ。

 

 そう言いかけて、言えなかった。

 

 なぜ言えなかったのかは、あとで考えることにした。

 

     * * *

 

 最後の二人は、頭が良かった。

 

 斜面の上、二十メートル。動かない。じっとこちらを見ている。

 

 消耗を待っているのだ。

 

 こちらは三人。うち一人は失血中。時間が経てば経つほど不利になる。あいつらはそれを理解している。

 

「膠着ね」

 

 雪ノ下が言った。

 

「このままだと、比企谷くんが先に倒れるわ」

 

「言い方に配慮がない」

 

「事実だもの」

 

「事実は配慮して言うものだ」

 

「では、こう言い換えるわ。――比企谷くん、あなた三分で倒れるから、二分で決着をつけましょう」

 

 まったく配慮されていない。

 

 だが、そのおかげで頭が動いた。

 

 俺は斜面を見た。

 

 土砂崩れゾーン。崩落した山肌の再現。斜面の上には、壊れた建物の一部が半分埋まっている。

 

 あの建物。

 

 俺は、それを支えている構造を目で追った。

 

 鉄骨。地面に埋まった部分。斜面の土を押さえている擁壁の役目を果たしている。

 

「雪ノ下」

 

「なにかしら」

 

「斜面全体を凍らせられるか」

 

「規模による、と言いたいところだけれど」

 

 彼女は斜面を見上げた。

 

「表層だけなら可能よ。深くは無理」

 

「表層でいい。凍らせて、重くしろ」

 

「――ああ」

 

 この女は、一言で理解する。

 

「氷の重量で、斜面の荷重を増やすのね。そして支持構造を抜く」

 

「俺がやる」

 

「あなた、そこまで登れるの」

 

「登らない」

 

 俺は自分の右手を見た。

 

 まだ血が垂れている。

 

 ――使いどころだ。

 

     * * *

 

 俺は斜面を這って登った。

 

 走らない。走れない。四つん這いで、土に指を沈めながら、少しずつ。

 

 二人のヴィランは俺を狙った。当然だ。這っている人間は的である。

 

 だが由比ヶ浜が前に出た。

 

 飛んでくる岩を、引力で軌道を曲げる。全部は無理だ。半分は当たる。俺の背中に、肩に、脚に。

 

 痛い。だが動ける。

 

 十メートル。

 

 鉄骨が見えた。

 

 斜面から突き出た、赤錆びた鉄の柱。太い。俺が握って腐らせるには、十分や二十分では足りない。

 

 だから握らない。

 

 俺は右手を鉄骨に押し当てて、傷口を擦りつけた。

 

 血を、塗った。

 

 根元まで。埋まっている部分の際まで。

 

 そして待った。

 

 三秒。

 

 五秒。

 

 ――速い。

 

 血の腐食は、皮膚接触の三倍。錆びた鉄骨は、既に脆くなっている。

 

 十秒。

 

 鉄が、黒く沈んだ。

 

「雪ノ下! 今だ!」

 

 斜面が、白くなった。

 

 上から下へ、氷が走った。表層数センチ。だが面積が広い。土砂の斜面全体に、氷の膜が張った。

 

 重量が、増えた。

 

 そして、それを支えていた鉄骨が――

 

 折れた。

 

     * * *

 

 音が、遅れて来た。

 

 地鳴りだった。

 

 斜面が動いた。氷ごと、土砂ごと、上から下へ。

 

 二人のヴィランが、その真ん中にいた。

 

「うわっ、うわああっ!」

 

 足を取られる。氷の上を滑る。滑りながら、土砂に巻き込まれる。

 

 俺も巻き込まれた。当然だ。俺は斜面の中腹にいる。

 

 ――しまった。

 

 そこまでは計算していなかった。

 

 視界が回転して、土と氷と埃が口に入って、そして――

 

 身体が、止まった。

 

 いや、浮いた。

 

「――っ、ヒッキー!」

 

 由比ヶ浜が両手を突き出していた。

 

 俺の身体が、彼女のほうへ引き寄せられている。土砂の流れから引き抜かれて、斜面の外へ。

 

 着地は最悪だった。いや、ある意味では最高だったのかもしれない。

 

 以前突き止めたとおり、彼女の引力の起点は胸元だ。つまるところ俺の引き寄せられた先は、ある意味高校生離れな双丘。そこに顔面から突き当たり、極楽浄土への路が見えた。

 

「――ちょっ!! ヒッキー、マジ変態!!」

 

 理不尽な罵声と共に無情にも個性が解除され、今度は地面に落下した。顔面から。

 

 色々な意味で鼻からも血が出た気がする。

 

 だが、生きていた。

 

     * * *

 

 土砂は斜面の下に溜まり、二人のヴィランは腰まで埋まって動けなくなっていた。

 

 俺は仰向けに倒れたまま、それを見ていた。

 

 六人。全員無力化。

 

「……終わったのか」

 

「終わったわね」

 

 雪ノ下が斜面を降りてきた。

 

 息が上がっている。この女がここまで消耗しているのを見るのは初めてだ。

 

 由比ヶ浜は俺の横に膝をついて、俺の右手を見ていた。

 

「……病院、行こ」

 

「そのうちな」

 

「今すぐ」

 

「動けん」

 

「あたしが運ぶ」

 

 俺は少し笑った。

 

 笑ったら肋骨が痛んで、咳き込んだ。

 

     * * *

 

 中央広場に戻ったのは、それから十分後だった。

 

 地面が抉れていた。

 

 建物の柱が折れ、噴水が砕け、そこら中に人が倒れている。

 

 その真ん中で、オールマイトが戦っていた。

 

 相手は、人の形をした何かだった。

 

 脳が露出している。黒い巨体。オールマイトの拳を受けて、平然と立っている。

 

 俺は足を止めた。

 

 ――押されてる。

 

 オールマイトが、押されている。

 

 あの人は、俺が生まれる前から世界最強だ。テレビの中で、あの人は必ず笑って勝つ。負ける姿を見たことがない。

 

 その人が、拳を打ち込んで、打ち返されて、後退している。

 

 息が上がっている。

 

 脇腹を押さえている。

 

 俺の頭の中で、あの仮説が動いた。

 

 電車の中で笑い飛ばしたやつだ。

 

 オールマイトが自分の個性を維持できなくなっている。だから後継者に譲った。譲られた人間は、まだその力に耐えられない。

 

 少年漫画か、と俺は嗤った。

 

 嗤ったはずだった。

 

 だが今、目の前にあるのは、消耗した最強の男の背中だ。

 

 ――当たってるかもしれない。

 

 そう思った瞬間、俺の中に湧いた感情は、優越でも興奮でもなかった。

 

 もっと単純で、もっと嫌なものだった。

 

 この世界の一番強い柱が、腐りかけている。

 

 そういう場所に、俺たちは立っている。

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