やはり俺の個性はまちがっている。   作:いろは杏

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「あたしたちが行くから」


第13話 最強の背中について

 最強という言葉の意味を、俺は今日、初めて理解した気がする。

 

 あれは強さの単位ではない。

 

 誰かがそこにいる限り、他の全員が考えなくていいことの総量だ。

 

 オールマイトがいるから、俺たちは災害の訓練を安心して受けられる。オールマイトがいるから、犯罪率が下がる。オールマイトがいるから、この国の人間は『誰かが何とかする』という前提で日常を送れる。

 

 その前提が、今、脇腹を押さえている。

 

     * * *

 

 脳が露出した怪物は、オールマイトの拳を三発受けて、まだ立っていた。

 

 いや、立っているどころではない。

 

 殴り返している。

 

 オールマイトの身体が吹き飛んで、地面を削って止まった。その距離が二十メートル近くある。

 

「――オールマイト!」

 

 誰かが叫んだ。緑谷だ。中央広場の水辺のあたりに立っている。

 

 オールマイトは立ち上がった。笑っていた。

 

『問題ない! 少年たちは下がっていろ!』

 

 問題はある。

 

 俺のいる位置からは、あの人の呼吸が見える。肩が上下している。あれは全力で走った人間の呼吸だ。

 

 そして、その後方に。

 

 黒い霧が湧いた。

 

「――オールマイト。まだお元気そうですね」

 

 霧の中から、声が響いた。

 

 人の形をしていない。霧そのものが喋っている。目のような光が二つ、宙に浮いている。

 

 あれがワープの個性だ。俺たちを飛ばした奴。

 

『貴様か』

 

「ええ。……ですが、そろそろ終わりにしましょう」

 

 霧が、オールマイトの足元に広がった。

 

 そして。

 

 オールマイトの右腕が、霧の中に沈んだ。

 

『――ぐっ』

 

 沈んだのではない。転送されている。

 

 俺は理解した。あいつはワープで、対象の身体を部分的に別の場所へ送っている。

 

 腕の半分がここにあって、残りがどこかにある。

 

 その状態で、脳が露出した怪物が拳を振り上げた。

 

     * * *

 

「――どけやァ!」

 

 爆発音。

 

 斜面の向こうから、三人が飛んできた。

 

 爆豪勝己。轟焦凍。それに赤髪の男子――切島だ。

 

 爆豪が霧に突っ込んだ。掌を突き出して、爆発。

 

 霧が晴れた。というより、爆風で吹き散らされた。

 

「霧のクセに実体あんじゃねえか、テメェ!」

 

「なっ――」

 

 オールマイトの腕が自由になった。

 

 同時に轟が地面に手をつく。氷が走って、怪物の足を固めた。

 

「先生、離れてください」

 

『少年たち! なぜここに――』

 

「他のヴィランは全員片付けたっス!」

 

 切島が親指を立てた。

 

 俺は少し離れた位置で、それを見ていた。

 

 ――駆けつけたのか。

 

 三人とも、自分のエリアの敵を倒して、そのまま中央に来た。誰かに指示されたわけではない。

 

 あれがヒーロー科の生徒というものらしい。

 

「比企谷くん」

 

 隣で、雪ノ下が言った。

 

「行くわ」

 

 俺は聞き返した。

 

「どこに」

 

「あそこよ」

 

 彼女は中央広場を指した。

 

 俺は数秒、その指先を見ていた。

 

「……本気か」

 

「本気よ」

 

「相澤先生も、十三号も倒されてる。オールマイトが押されてる。あの怪物に俺たちが何をできる」

 

「何もできないでしょうね」

 

「なら」

 

「けれど、私の氷は轟くんの氷を補強できるわ。由比ヶ浜さんの引力は、あの霧を集められるかもしれない。……そして、あなたの個性は」

 

 雪ノ下はこちらを見た。

 

「あの怪物にも効くはずよ。生き物であるなら」

 

 ――そうかもしれない。

 

 だが五秒で腕が壊れる程度の速度で、あの化け物を止められるとは思えない。

 

「あたしも行く」

 

 由比ヶ浜が言った。

 

 こいつは俺の右手を見て、それから前を向いた。

 

「ヒッキーは残ってていいよ。血、まだ止まってないし」

 

「……」

 

「あたしたちが行くから」

 

 ――ああ。

 

 こういう言い方をするのか。

 

 俺を除外するのではなく、俺の代わりに行くと言う。断りやすい形にして、それでも自分は行く。

 

 こういうのが、一番厄介だ。

 

 俺は自分の右手を見た。

 

 手のひらの傷は塞がっていない。袖が重い。視界の端が暗いのも、まだ続いている。

 

 合理的に判断すれば、残るべきだ。

 

 俺が行っても戦力にならない。むしろ守る対象が増えるだけで、二人の足を引っ張る。

 

 これは計算ではなく、事実だ。

 

 ――だが。

 

 残った場合、俺はこの後、何を考えて生きることになる。

 

 二人が中央広場へ走っていって、それを斜面の上から見ていた自分を、俺は一生記憶に残す。俺の記憶は都合の悪いことをよく覚える。

 

 それはたぶん、失血より面倒だ。

 

「……待て」

 

 俺は立ち上がった。

 

「行く」

 

「え、でも」

 

「お前らだけで行かせて、後で説教されるほうが面倒だ」

 

「誰に?」

 

「知らん」

 

 俺は歩き出した。

 

     * * *

 

 中央広場に着いたとき、状況は変わっていた。

 

 怪物が、轟の氷を砕いていた。

 

 脚を固められたはずが、氷ごと足を振り抜いている。轟が舌打ちして、もう一度氷を伸ばす。

 

「ショックを吸収してるっス! こいつ、殴っても効かねえ!」

 

「爆破も効かねえぞクソが!」

 

「――少年たち、下がれ!」

 

 オールマイトの声が、初めて焦っていた。

 

『それは私が引き受ける! その怪物は……』

 

 言葉が途切れた。

 

 オールマイトが咳き込んだ。血だった。

 

 ――限界か。

 

 俺はそこで、動いた。

 

「雪ノ下、轟の氷に重ねろ。厚くするだけでいい」

 

「わかったわ」

 

「由比ヶ浜、あの霧が出たら吸え。集めて固めろ」

 

「うん!」

 

「……爆豪」

 

「ハァ!? 誰に指示してんだテメェ!」

 

「指示じゃない。確認だ」

 

 俺は言った。

 

「あの怪物、ショック吸収だろ。だったら爆発は効かない。……熱はどうだ」

 

 爆豪の目が、一瞬だけ止まった。

 

「……あ?」

 

「衝撃を吸収する構造と、温度に耐える構造は別だ。お前の個性は爆発だが、爆発には熱がある」

 

「……チッ」

 

 爆豪は舌打ちして、前に出た。

 

「言われるまでもねえ!」

 

     * * *

 

 結局のところ、決めたのはオールマイトだった。

 

 俺たちがやったことは、時間稼ぎと、ほんのわずかな条件の整備だ。

 

 轟と雪ノ下の氷が、怪物の足を二重に固めた。砕くのに二秒かかるようになった。

 

 爆豪が至近距離で爆発を叩き込み、表皮に熱を通した。効いてはいない。だが体温調整に処理が回った。

 

 由比ヶ浜が霧を吸い寄せ、黒霧が形を保てずに離脱した。

 

 そして、その二秒と、わずかな隙に。

 

『――少年たち、よくやった』

 

 オールマイトが構えた。

 

 空気が変わった。

 

 あの人の周囲の大気が、圧で歪んだ。

 

『――ユナイテッド……』

 

 拳が、引き絞られた。

 

『――ステイツ・スマァァァッシュ!!』

 

 音が、遅れて来た。

 

 俺は反射的に腕で顔をかばった。かばわなければ、風圧で目をやられていた。

 

 衝撃波が広場を走り、水が吹き飛び、地面が抉れた。

 

 怪物の身体が、後方へ吹き飛んだ。

 

 USJの壁を突き破って、外へ消えた。

 

「……何発、殴った?」

 

 俺は誰にともなく呟いた。

 

 数えていなかった。だが、一発ではなかった。

 

 通常なら一発で終わるはずのものだ。テレビで見るオールマイトは、いつも一発で終わらせる。

 

 今回は、五発以上だった。

 

 ――やっぱりだ。

 

 俺の仮説が、また一段、現実に近づいた。

 

     * * *

 

 問題は、その直後だった。

 

「――お前、弱くなったな」

 

 声がした。

 

 広場の中央に、男が立っていた。

 

 手を全身に付けている。首にも、顔にも。無数の手が、身体にぶら下がっている。

 

 髪は青白く、目が乾いていた。

 

「オールマイト。……そんなもんか」

 

『……何を』

 

「弱ってるだろ。分かるよ。おれは、そういうのを見るのが得意なんだ」

 

 男が歩き出した。

 

 その後ろに、崩れかけた黒霧が寄り添う。

 

 オールマイトは動かなかった。

 

 いや、動けなかった。

 

 脇腹を押さえて、膝が震えている。呼吸が浅い。

 

 ――限界だ。

 

 あの人は今、立っているだけで精一杯だ。

 

 男が加速した。あの手を、オールマイトに伸ばそうとしている。

 

 その手が何なのかは分からない。だが、あの数の手を身体に付けている人間の個性が『握手』であるはずがない。

 

 そして。

 

「――オールマイトぉぉぉっ!」

 

 緑谷出久が、飛び出した。

 

 なぜあいつが飛び出せるのかは、俺にはずっと分からなかった。

 

 考える前に身体が動く人間がいる。俺は違う。俺は考えてから動く。考えた結果として動かないことも多い。

 

 だから緑谷が走り出したとき、俺はまだ計算をしていた。

 

 距離。速度。間に合うか。

 

 ――間に合わない。

 

 緑谷は速い。だが、あの手の男のほうが近い。緑谷が届く前に、オールマイトに手が触れる。

 

 だったら、と俺は思った。

 

 変えられる変数はひとつだけだ。

 

 速度は変えられない。距離も変えられない。

 

 変えられるのは、相手の動きだ。

 

「由比ヶ浜!」

 

「なに!?」

 

「あの男の足元だ、砂を吸え! 浮かせろ!」

 

「え、砂!?」

 

「土でも石でもいい、地面から浮くもんを全部だ!」

 

 彼女が両手を突き出した。

 

 男の足元の砂と砂利が、一斉に浮いた。

 

 わずかだ。数センチ。

 

 だが、地面を蹴る足が空を掻いた。

 

 半歩。

 

 男の踏み込みが、半歩ぶん遅れた。

 

 その半歩に、緑谷が滑り込んだ。

 

「――スマァァァッシュ!」

 

 拳が、男の顔面に届く直前で、逸れた。

 

 男は身をひねって避けた。避けたが、オールマイトから離れた。

 

 そして、その瞬間。

 

 銃声が響いた。

 

 USJの入口が、開いていた。

 

 プロヒーローの群れ。十数人。相澤先生を含む教師陣も混ざっている。

 

「――生徒たちから離れろ!」

 

「イレイザー! こっちだ!」

 

 男が動きを止めた。

 

 それから、黒霧に何か言った。

 

 次の瞬間、二人の姿は消えていた。

 

     * * *

 

 俺はその場に座り込んだ。

 

 というより、脚が勝手に折れた。

 

 視界が本格的に暗い。指先の感覚がない。

 

「ヒッキー!?」

 

「……大丈夫だ」

 

「大丈夫じゃないでしょ!」

 

 由比ヶ浜が俺の肩を掴もうとして、止まった。

 

 空中で、指が開いたまま。

 

 俺は少し笑った。

 

 この動きを、俺はもう三回見ている。

 

「……手袋でもしてくれ」

 

「え?」

 

「手袋でもあれば、多少は触れても大丈夫だ。……お前、毎回そこで止まるだろ」

 

 由比ヶ浜が目を見開いた。

 

 俺はそれ以上何も言わずに、地面に横になった。

 

 空が見えた。

 

 ドームの天井だ。人工の空でもない、ただの構造物。

 

 偽物の災害を再現するための建物の中で、本物の災害が起きて、それが終わった。

 

 ――終わったのか。

 

 終わったんだろう。

 

 プロヒーローが来て、敵は逃げて、生徒は誰も死んでいない。

 

 教師二人が重傷で、世界最強が膝をついて、生徒が何人か血を流した。

 

 それを()()()()と呼ぶのなら、そうだ。

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