やはり俺の個性はまちがっている。   作:いろは杏

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「まあ、頑張れ。ラーメンの賭けはまだ生きてるぞ」


第15話 値札のつく日

 体育祭が予定通り開催されると聞いたとき、俺が最初に考えたのは――なぜ中止しないのかだった。

 

 三週間前、この学校はヴィランの襲撃を受けた。教師二人が重傷。生徒は全員無事だが、それは結果論であって、何人か死んでいてもおかしくなかった。

 

 常識的な組織なら、当面のイベントは自粛する。

 

 だが雄英は、開催すると言った。

 

「――理由は、報道対応だ」

 

 相澤先生が言った。

 

 顔の上半分が包帯で覆われていて、腕は吊られている。全身骨折と眼窩の損傷。医者が退院を許可するとは思えない状態で、この人は教壇に立っている。

 

「中止すれば『ヴィランに屈した』と書かれる。開催すれば『危機管理は万全』と書かれる。……どっちが学校にとって得か、分かるな」

 

 あまりにも身も蓋もない説明だったので、クラスが一瞬静まった。

 

 俺は少し感心した。この人は嘘をつかない。生徒を守るために嘘をつかない、という意味ではなく、単に嘘をつくのが面倒なのだと思う。

 

 つまり、こういうことだ。

 

 今年の雄英体育祭は、学校の広報活動である。

 

 そして、生徒はその素材だ。

 

     * * *

 

 ホームルームが終わると、教室は騒がしくなった。

 

 当然だ。雄英体育祭は、この国で最も注目される学生行事である。

 

「オレ、ぜってー一位取るからな!」

 

「うわ切島くん暑苦しー」

 

「デクくん、どうする? あたし、ちょっと緊張してきた」

 

「ぼ、僕も……」

 

 俺は自分の席で、鞄に教科書を詰めていた。

 

 参加はする。欠席すれば単位に響く。だが、それだけだ。

 

 ――目立つ理由がない。

 

 そう思っていたところに、影が差した。

 

「比企谷さん」

 

 八百万百だった。

 

 背筋が伸びていて、いつも通り姿勢がいい。

 

「先日は、失礼いたしました」

 

「……何がだ」

 

「輸血の際の器具です。ご不快ではありませんでしたか」

 

 ああ、あれか。

 

 USJの後、俺は総合病院で輸血を受けた。そのとき使われた針は、八百万が創造したものだった。

 

 通常の金属針だと、俺の血管内で数分もすれば劣化する。だから彼女が、腐食しない素材で作った。

 

 どういう経緯で病院にそれが届いたのかは知らない。たぶん学校経由だろう。

 

「助かった」

 

 俺は言った。

 

「あれがなかったら、輸血の途中で針が折れてた」

 

 八百万の顔が、ぱっと明るくなった。

 

「よかったですわ! 組成には少し悩みましたの。炭素繊維では細い針にできませんし、ガラスでは折れますし、結局セラミック系の複合材にいたしまして――」

 

「待て」

 

「はい?」

 

「お前、あれを作るのに何時間かけた」

 

「ほんの数時間ほどですわ」

 

 俺は少し黙った。

 

 数時間。USJの当日――自分も傷ついていたはずの日に。

 

「……なんでそこまでする」

 

「必要だったからですわ」

 

 彼女は即答した。

 

「私の個性は、必要なものを作ることです。必要としている方がいるのに作らないのでは、持っている意味がありませんもの」

 

 ――ああ、こういう奴か。

 

 俺は、この手の人種が苦手だ。

 

 善意を、コストとして計算しない人間。

 

 こういう人間の善意は、受け取った側に負債を作る。本人はそれを望んでいない。望んでいないからこそ、返せない。

 

「……悪かったな」

 

「なぜ謝られるのです?」

 

「なんでもない」

 

     * * *

 

「ところで比企谷さん、体育祭の準備はお済みですか」

 

「準備?」

 

「はい。事務所への対応です」

 

 俺は顔を上げた。

 

「事務所」

 

「まあ、ご存じない……?」

 

 八百万が驚いた顔をした。

 

 それから、彼女は前の席の椅子を引いて、俺の前に座った。説明する気だ。

 

「雄英体育祭は、プロヒーロー事務所によるスカウトの場でもあるのです」

 

「それは知ってる」

 

「では、一年生の指名がほぼこの一日で決まることは」

 

「……は?」

 

「二年次以降の職場体験、インターン、そして卒業後の就職先。その大半が、一年時の体育祭での評価を基準に決まりますの」

 

 俺は少し、頭を整理した。

 

「一日か」

 

「一日ですわ」

 

「三年あるのに、一年の一日で決まるのか」

 

「厳密には毎年ありますけれど、一年目の印象は強く残ります。……特に、上位入賞者は」

 

 八百万は指を折った。

 

「昨年の一年生上位三名は、そのまま大手事務所の指名を受けて、現在も継続しています。逆に、下位に沈んだ生徒は、二年次以降に挽回できた例が非常に少ないのです」

 

「なぜだ」

 

「見られていないからですわ」

 

 彼女はあっさりと言った。

 

「事務所は、映像で判断します。中継に映らなかった生徒は、存在しなかったのと同じですの」

 

 俺はそこで、この行事の本質を理解した。

 

 これは体育祭ではない。

 

 就職活動である。

 

 しかも、面接がない。書類選考もない。あるのは一日の実技と、それを撮る何十台ものカメラだけだ。

 

 十六歳が、一日で採点される。

 

 その採点結果が、四十年ぶんの職業人生を決める。

 

 ――冗談じゃない。

 

 俺はそう思った。

 

 だが同時に、こうも思った。

 

 ――ヒーローという職業を、正確に表してるな。

 

 人助けの能力を見せて、雇い主に値踏みされる。人気で評価が決まる。中継に映らない仕事は、存在しないことになる。

 

 俺が三年間軽蔑してきたものが、そのまま制度になっている。

 

「比企谷さんは、どちらを志望されているのですか」

 

「志望?」

 

「事務所ですわ。ご希望があれば、傾向を調べておきますけれど」

 

「ない」

 

「……ない、とは」

 

「志望も何も、俺を指名する事務所はない」

 

 俺は鞄を閉めた。

 

「腐食だぞ。触った奴が腐る個性の人間を、どこが雇う」

 

 八百万は何か言いかけて、口を閉じた。

 

 困った顔をしていた。

 

 その顔を見て、俺は少し悪いことをした気分になった。この女は善意で聞いてきただけだ。

 

     * * *

 

 その日の放課後、俺は職員室に呼ばれた。

 

 呼んだのは平塚先生だった。

 

 机の上に、書類が一枚置かれている。俺はそれを見て、内容を察した。

 

「個性使用記録ですね」

 

「話が早くて助かる」

 

 平塚先生は煙草を回した。相変わらず火は点いていない。

 

「対人使用、重傷二件。正当防衛の認定付き。……これがお前の記録に載った」

 

「聞きました」

 

「意味は分かっているか」

 

「三年後に見られる、と」

 

「そうだ」

 

 彼女は書類を裏返した。

 

「ヒーロー事務所は、記録を見る。特に大手ほど念入りに見る。……そして対人重傷の記録がある新人を、まず取らない」

 

「でしょうね」

 

「なぜだと思う」

 

「訴訟リスクです」

 

 俺は答えた。

 

「ヒーローが現場で市民を傷つけた場合、事務所が賠償責任を負う。前科のある個性を持った新人は、その確率が高いと判断される。……保険料も上がる」

 

「よく分かってるじゃないか」

 

「調べました」

 

「調べて、どうする気だ」

 

「どうもしません」

 

 俺は言った。

 

「別に構わないので」

 

 平塚先生は、そこで椅子の背にもたれた。

 

 しばらく天井を見ていた。

 

 それから、こう言った。

 

「では、聞くが」

 

「はい」

 

「指名がゼロだった場合、お前はどうやってヒーロー免許を維持する」

 

 俺は、一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 

「……維持?」

 

「知らんのか」

 

 彼女は身を起こした。

 

「ヒーロー免許は、職に就いていることが更新条件だ。事務所に所属するか、自分で事務所を開くか、公的機関に雇用されるか。いずれかがなければ、免許は失効する」

 

「……」

 

「失効すると、どうなるか分かるな」

 

 分かる。

 

 分かってしまった。

 

 俺の個性は危険個性に分類されている。ヒーロー免許がなければ、俺は個性を合法的に持てない。持てない人間は、国の管理下に置かれる。

 

 登録個性者制度。

 

 定期的な検診と、行動報告と、指定された職種への就労。

 

 ――俺が、雄英に来た理由だ。

 

 あれを避けるために、俺はここに来た。

 

「つまり」

 

 俺は言った。

 

 声が、少しかすれた。

 

「俺は、雄英を卒業しても、就職できなければ――」

 

「元の場所に戻る」

 

 平塚先生は言った。

 

「三年かけて、振り出しに戻るわけだ」

 

     * * *

 

 俺はしばらく黙っていた。

 

 頭の中で、計算をしていた。

 

 三年間、俺はこの学校で過ごす。授業を受け、訓練をし、免許を取る。

 

 その先に何もなければ、全部が無駄になる。無駄になるどころか、俺は十九歳で国の管理下に入る。しかも、対人重傷二件の実績を持つ危険個性者として。

 

 高校に行かずに最初から登録していたほうが、まだ心証が良かったかもしれない。

 

 ――詰んでるな。

 

「……先生」

 

「なんだ」

 

「なぜ、今それを言うんですか」

 

 平塚先生は、少し笑った。

 

「今が、体育祭の前だからだ」

 

「……」

 

「言っておくが、私はお前に優勝しろとは言わん。お前がその手の言葉で動く人間じゃないことは、前回の面談で分かっている」

 

 彼女は煙草を机に置いた。

 

「ただ、事実は伝える。……お前が体育祭で何もしなければ、選択肢は減る。減った選択肢は、後から増やせない」

 

「増やす方法があるんですか」

 

「知らん。私はお前じゃないからな」

 

 突き放された。

 

 だが、その突き放し方は、なぜか嫌な感じがしなかった。

 

「――一つだけ、言っておこう」

 

 部屋を出る直前、平塚先生が言った。

 

「お前は目立たないことを戦略だと思っているだろう。中学までは、それで正しかった。……だが、この先は違う」

 

「なぜですか」

 

「目立たない人間は、選ばれない。選ばれない人間には、選択肢がない。……そして選択肢のない人間から、順番に何かを諦めさせられる」

 

 俺は何も言えなかった。

 

「まあ、頑張れ。ラーメンの賭けはまだ生きてるぞ」

 

     * * *

 

 教室に戻ると、由比ヶ浜と雪ノ下がまだ残っていた。

 

「あ、ヒッキー。どこ行ってたの?」

 

「職員室だ」

 

「怒られた?」

 

「脅された」

 

「学校で?」

 

 由比ヶ浜は自分の鞄を抱えて、少し俯いた。

 

「……あたしさ、体育祭、ちょっとこわいんだよね」

 

「全国中継か」

 

「それもあるけど。……なんかさ、みんなに顔覚えられるじゃん。テレビ出るんだし」

 

「ああ」

 

「ヴィランにも、覚えられるってことじゃん」

 

 俺は、それについて考えたことがなかった。

 

 いや、考えないようにしていた。

 

 あの女は既に、雪ノ下と由比ヶ浜の名前を知っている。俺が教えていない名前を。

 

「……そうだな」

 

 俺はそれだけ言った。

 

 言えることが、それしかなかった。

 

「――怖がる必要はないわ」

 

 雪ノ下が言った。

 

「顔を覚えられるのは、こちらが強いと示せた場合よ。弱ければ誰も覚えない」

 

「ゆきのん、それ全然フォローになってないから!」

 

「事実を言ったのだけれど」

 

「そういうとこ!」

 

 由比ヶ浜が両手を振り回した。

 

 雪ノ下はそれを無視して、窓の外を見た。

 

「――私は、出るわ」

 

 声の質が、変わった。

 

「勝つ。それ以外に、意味がないの」

 

 俺はその横顔を見た。

 

 USJへ向かうバスでも、同じ顔をしていた。

 

 闘志ではない。追われている人間の顔だ。

 

「……なんか理由があるのか」

 

「あなたには関係のないことよ」

 

 即答だった。

 

 それはそうだ。俺には関係ない。

 

 だが、こういう即答をする人間は、たいてい関係を持ってほしくないのではなく、説明できないだけである。

 

 俺はそれを、経験上知っている。

 

     * * *

 

 その夜、俺は自分の部屋で、体育祭の中継予定を調べた。

 

 総合チャンネルで、朝九時から夕方六時まで。全国生放送。昨年の平均視聴率は三十八パーセント。

 

 三十八パーセント。

 

 この国の人口を掛け算すると、だいたい四千万人になる。

 

 四千万人が、俺の顔を見る可能性がある。

 

 ――そのうち一人は。

 

 俺はスマホを置いた。

 

 あの女は、確実に見る。そう言っていた。

 

 四千万人の中に一人、俺を見つけるためだけに画面を凝視している女がいる。

 

 そしてその女は、たぶん、俺だけを見ているわけじゃない。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜の名前を、あいつはもう知っている。

 

 俺は電気を消して、布団に入った。

 

 目を閉じても、しばらく眠れなかった。

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