やはり俺の個性はまちがっている。   作:いろは杏

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『だが、ヒーローの動きではないな』


第7話 人質としての核弾頭について

 ヒーローのコスチュームというものは、要するに広告である。

 

 目立つ色。分かりやすいシルエット。一目で誰か分かること。グッズにしたときに映えること。あれは戦闘服の顔をしているが、実態は制服とユニフォームと着ぐるみの中間くらいの何かだ。

 

 そういうものを、俺は一ヶ月前に発注させられた。

 

 入学手続きの書類に『ヒーローコスチューム申請書』というのが入っていて、デザイン欄が白紙で、そこに希望を書けと言う。俺は三十分悩んで、こう書いた。

 

『全身を露出のない素材で覆ってください。素材は炭素繊維系を希望。ただし両手は素手でお願いします』

 

 備考欄には個性の説明を書いた。

 

 届いたものは、想像より遥かにまともだった。黒に近い灰色の全身スーツ。継ぎ目が少なく、首元まで覆われていて、フードが付いている。装飾がほとんどない。

 

 そして、両手だけが素手だ。

 

「――ヒッキー、それ地味じゃない?」

 

 更衣室から出たところで、由比ヶ浜に言われた。

 

 こいつのコスチュームはピンク基調で、動きやすさ重視の軽装だ。ただし、鎖骨のあたりを覆う布が一枚追加されている。傷を隠すためだろう。俺はそれを見て、視線を逸らした。

 

「機能重視だ」

 

「でもさ、手袋つけないの? そのほうが安全じゃない?」

 

「つけたら何も腐らせられん」

 

 これが理由の全部だ。

 

 俺のコスチュームは、要するに隔離服である。俺という汚染源を、外界から遮断するための装備。他のクラスメイトのコスチュームが個性を増幅するためにあるのだとしたら、俺のそれは個性を封じるためにある。

 

 例外は両手だけ。

 

 俺が誰かに触れていい場所を、両手に限定するための設計だ。

 

 だから、これでいい。

 

     * * *

 

「私が来た! ……普通のドアから!」

 

 オールマイトが登場した。

 

 実物を見るのは、これで二度目になる。一度目はホログラムだったので、正確には初めてだ。

 

 でかい。声もでかい。存在の圧が異常で、あれが同じ空間にいるだけで、なんというか、部屋の重心がずれる。

 

 俺は少し離れた位置から、それを観察していた。

 

 ――なんだ?

 

 妙な感じがした。

 

 言語化できない。だが、何かが噛み合っていない。人間の身体というのは、大きさに応じて動き方が決まる。あの質量の人間があの速度で動くと、床がもっと鳴るはずだ。

 

 まあいい。個性社会だ。俺の常識のほうが古いのだろう。

 

 俺はそれ以上考えるのをやめた。

 

「今日は屋内対人戦闘訓練を行う! 二人一組、ヒーローチームとヴィランチームに分かれてもらう! ヴィランチームはビル内に核兵器を隠し持っている設定だ! ヒーローチームはそれを確保するか、ヴィランを捕縛すれば勝ち! ヴィランチームは時間切れまで守り切るか、ヒーローを捕縛すれば勝ちだ!」

 

 説明を聞きながら、俺は既に考えていた。

 

 俺の個性は、守るのに向いていない。腐食は物を壊す方向にしか働かない。防壁を作ることも、傷を塞ぐこともできない。

 

 つまり、皮肉にもこの訓練においてはヒーロー側の役割の方が適しているということだ。

 

 だが、仮にヴィラン役になったとしても、ひとつだけ思いついたことがある。

 

 それはあまり褒められた発想ではなかったので、俺はしばらく黙っていることにした。

 

     * * *

 

 最初の試合が、いきなり重かった。

 

 ヒーローチーム、緑谷出久と麗日お茶子。

 

 ヴィランチーム、飯田天哉と爆豪勝己。

 

 モニター室でそれを見ながら、俺は思った。これは訓練じゃない。

 

「――デクゥ!」

 

 開始三十秒。爆豪は建物の入口で待ち構えていた。守るべき核弾頭を放置して、である。

 

 戦術としては最悪だ。ヴィランチームの勝利条件は防衛であって撃破ではない。飯田が上階で一人、核弾頭の横に立たされている。

 

 だが爆豪は、そんなことは考えていない。

 

 あいつは緑谷を殴りに来ている。

 

 俺はそれを見ながら、隣で「爆豪くんこわーい」と言っている女子とは別の感想を持っていた。

 

 ――怖がってるのは、あっちだな。

 

 爆豪が緑谷を呼ぶときの声。

 

 あの「デク」という発音には、侮蔑がある。それは間違いない。だが、侮蔑だけで人間はあんな声を出さない。

 

 あれは、確認だ。

 

 お前はまだ俺の下だよな、という確認。

 

 確認が必要になるのは、確信が揺らいでいるときだけだ。爆豪にとって緑谷は『呼べば下にいる存在』だった。その前提が、たぶん最近になって崩れた。

 

 だからあいつは、大声で呼ぶ。

 

 人間は、自分が失いかけているものほど強く主張する。

 

 俺はこの構図を知っている。

 

「――比企谷さん、どう思いますか?」

 

 隣で八百万が聞いてきた。

 

「爆豪さんの動きは合理的ではありませんわ。持ち場を離れるのは……」

 

「勝つ気はあるだろ」

 

「ですが」

 

「勝ち方に条件がついてるだけだ。あいつは緑谷を潰して勝つ以外の勝ち方を勝ちだと思ってない。だから条件を満たさない選択肢が、最初から見えてない」

 

 言ってから、俺は少し嫌な気分になった。

 

 人のことは言えない。俺だって自分が傷つかない勝ち方以外を検討していないことが、たまにある。

 

     * * *

 

 試合は緑谷たちが勝った。

 

 勝った、と言っていいのかは微妙だ。

 

 緑谷は右腕を粉砕して、天井をぶち抜いて、意識を失った。爆豪は倒れた。飯田は麗日に核弾頭を取られた。

 

 最後の一手は麗日だった。緑谷が作った隙に、彼女が飛んで、触れて、確保した。

 

 MVPは飯田だった。オールマイトの理由はこうだ。

 

「彼だけが、この訓練を訓練として遂行した」

 

 俺は納得した。

 

 緑谷は自分を壊し、爆豪は目的を見失い、麗日は緑谷の犠牲の上に成立していた。飯田だけが、与えられた役割の中で最善を尽くしている。

 

 ――だが、飯田は負けた側だ。

 

 正しく戦った人間が負けて、壊れた人間が勝つ。

 

 これはこの世界の縮図なのか、それとも訓練だからそうなるのか。

 

 どちらでもいい気がした。

 

     * * *

 

「――次! ヴィランチーム、比企谷少年と轟少年! ヒーローチーム、雪ノ下少女と由比ヶ浜少女!」

 

 名前を呼ばれた。

 

 組み合わせは籤引きだったはずだが、籤というのは時々、悪意を持っている。

 

 建物内、五階。

 

 核弾頭を模したオブジェが、部屋の中央に置かれている。金属製の円筒。人が抱えられるサイズ。

 

 轟焦凍が、それを一瞥して言った。

 

「五分でカタをつける。お前は動くな」

 

 この男とは、まだ十文字も会話をしていない。

 

 整った顔の左半分が赤く、髪は赤と白に分かれている。個性は『半冷半燃』だそうだが、この訓練では氷しか使わないらしい。理由は知らない。聞く気もない。

 

「動かないのは構わんが――」

 

「なんだ」

 

「ひとつだけ頼みがある」

 

 俺は核弾頭を指した。

 

「これの周り、一メートルだけ氷を張るな」

 

 轟の眉が動いた。

 

「なぜだ」

 

「言ったら意味がなくなる」

 

「……」

 

「実害はない。守りが一メートル薄くなるだけだ。お前の氷が建物全部を埋めるなら、そこまで届く前に決着がつく」

 

 轟は数秒、俺を見た。

 

 それから「好きにしろ」と言って、床に手をついた。

 

 瞬間、部屋の温度が落ちた。

 

     * * *

 

 轟の氷は、生き物みたいだった。

 

 床を這い、壁を伝い、階段を下りていく。数秒で下の階から音が消えた。厚さは数十センチ。人間が突破できる代物ではない。

 

 これが推薦組か、と俺は思った。

 

 俺が考えた戦術の全部が、こいつの初手一回で無意味になる。世の中には格差というものがあり、格差は残酷である前に、単純に退屈だ。

 

 ――だが。

 

「……止まったな」

 

 俺は言った。

 

 轟が舌打ちした。

 

 氷の進行が、三階のあたりで止まっている。いや、止められている。

 

 モニターがないので見えないが、想像はつく。

 

 雪ノ下雪乃。

 

 あいつの個性――『氷結』は『熱を奪う』だが、実態はたぶん『止める』だ。水分も、動きも、すべて止まる。

 

 轟の氷は()()だ。作り続けることで押す。

 

 雪ノ下はそれを()()()。成長を殺す。

 

 氷対氷。生成と停止。

 

「……クソが」

 

 轟が両手をついた。出力を上げる。氷の壁が軋む。

 

 俺はその間、核弾頭に手を置いていた。

 

     * * *

 

 足音が聞こえたのは、それから二分後だった。

 

 軽い足音。走ってくる。

 

 由比ヶ浜結衣が、部屋に飛び込んできた。

 

 肩で息をしている。コスチュームのあちこちが濡れている。氷を溶かしながら来たわけではないだろうから、たぶん引力で瓦礫や設備をかき集めて、道をこじ開けてきたのだ。

 

 攻めの実働は彼女だったらしい。妥当な役割分担だ。雪ノ下が轟を抑え、由比ヶ浜が突破する。

 

「――ヒッキー!」

 

「よう」

 

「そこ、どいて!」

 

「断る」

 

 彼女は捕縛テープを構えた。

 

 そして、そこで一瞬、動きが止まった。

 

 俺には分かった。何を考えたのかが。

 

 ――触れられない。

 

 彼女は、俺を捕縛するために近づくべきかどうかを迷っている。近づけば俺の手が届く。俺の手が届けば、彼女は腐る。一ヶ月前と同じことが起きる。

 

 彼女はそれを恐れている。

 

「近づくな」

 

 俺は言った。

 

 そして、核弾頭を掴んでいた手に、力を込めた。

 

 ずるり、と、金属の表面が沈んだ。

 

 由比ヶ浜が息を呑む。

 

 俺が触れていたのは五分間だ。塗装が剥がれ、外殻が黒ずみ、指の形に凹んでいる。円筒の下半分は、既に構造としての形を失いかけていた。

 

「これ以上近づけば、完全に腐らせる」

 

「……え」

 

「粉になる。回収も何も、物として残らん」

 

 由比ヶ浜の顔が、みるみる青くなった。

 

「そ、そんなの、ダメだよ! それ核兵器って設定でしょ、壊したら」

 

「ヴィランが核兵器を大事に扱うと思うか?」

 

 俺は言った。

 

「俺は今、こういう役だ」

 

 彼女は動けなかった。

 

 当然だ。彼女の勝利条件は『核弾頭の確保』または『ヴィランの捕縛』。前者は俺が壊せば消える。後者は近づけば俺に触れる。

 

 引力を使えば、と考えるかもしれない。だが吸い寄せた瞬間に、あの脆くなった円筒は自重で崩れる。

 

 詰んでいる。

 

 ――我ながら、最低の手だな。

 

 人質を取っているのと同じだ。しかも人質が核兵器という、倫理的に最悪の構図である。

 

 だがルール上、禁止されていない。

 

 禁止されていないことを全部やっていいというのが、俺の試験に対する基本姿勢である。

 

     * * *

 

 部屋の温度が、また落ちた。

 

 入口に、雪ノ下雪乃が立っていた。

 

 息ひとつ乱していない。轟との押し合いを途中で放棄してきたのだろう。ということは、下の氷はもう解放されている。

 

 彼女は部屋の中を一秒で見渡し、俺の手元を見て、状況を理解した。

 

「――なるほど」

 

「早いな」

 

「あなたの個性を知っていれば、五分で何ができるかは計算できるもの」

 

 彼女は歩いてきた。まっすぐに。

 

「由比ヶ浜さん、下がっていて」

 

「え、でもゆきのん! ヒッキーに触ったら――」

 

「私は触れるわ」

 

 その言葉の意味を、俺は一瞬遅れて理解した。

 

 雪ノ下が手を伸ばした。

 

 俺は核弾頭を握る手に力を込めようとして――

 

 その手首を、掴まれた。

 

     * * *

 

 冷たい、と思った。

 

 次の瞬間、俺の右腕から先の感覚が落ちた。

 

 凍っている。手首から指先まで。そして俺が握っていた核弾頭の表面まで、白い霜が這っていく。

 

 腐食が、止まった。

 

 完全に。

 

 俺は自分の手を見た。腐食は進んでいない。動いていない。俺の個性が、生まれて初めて、外部から停止させられている。

 

 同時に、雪ノ下の指も見た。

 

 俺の手首を掴んだ、その指。

 

 ――腐っていない。

 

 いや、正確には、腐食が進んでいない。俺の皮膚と彼女の皮膚の接触面は、氷の膜で隔てられている。彼女は自分の手ごと凍らせていた。

 

 数秒間、俺たちは動かなかった。

 

 俺は彼女を腐らせられない。彼女は俺を凍らせているが、それ以上のことはできない。

 

 互いの個性が、互いに無効。

 

「……お前」

 

 俺は言った。

 

「最初から、これができると思ってたのか」

 

「仮説はあったわ。あなたの個性が化学的な促進であるなら、低温は必ず効く。腐敗も酸化も、温度に依存する現象だから」

 

「試したのは今が初めてだろ」

 

「ええ」

 

「外れてたらどうするつもりだった」

 

「私の指が数本、駄目になっていたでしょうね」

 

 平然と言う。

 

 俺はこの女が少し怖くなった。

 

 そして、同時に、こう思った。

 

 ――計算の外側に出た、ということか。

 

 相澤先生に言われた言葉が、なぜかそこで浮かんだ。

 

「……ひとつ、訂正させて」

 

 雪ノ下が言った。

 

「あなた、私がここに来ることまで織り込んでいたわね」

 

 俺は答えなかった。

 

「氷結が腐食を止めることを、あなたは予想していた。だから止められる場所に立った。……理由は、轟くんね」

 

 息を吐く。

 

「私が下の押し合いを放棄すれば、彼の氷は解放される。あなたを止めるために私が動けば、それだけで轟くんが勝つ。……あなたは、負けることで勝つ設計をしていた」

 

 部屋の壁が、鳴った。

 

 白い。

 

 下の階から、氷が這い上がってきていた。

 

 由比ヶ浜が「わっ」と声を上げて足を取られる。雪ノ下の足元も凍りついていく。彼女は俺の手首を掴んだまま、動けない。

 

『――そこまで! ヴィランチームの勝利!』

 

 スピーカーが鳴った。

 

     * * *

 

 講評は短かった。

 

『MVPは由比ヶ浜少女!』

 

 由比ヶ浜が「えっ、あたし!?」と裏返った声を出した。

 

『彼女は最後まで、核弾頭を破壊させなかった! 自分が捕縛されるリスクより、守るべきものの保全を優先した! これはヒーローの判断だ!』

 

 それから、オールマイトは俺を見た。

 

『比企谷少年』

 

「はい」

 

『……戦術は、最も優れていた。この試合を作ったのは君だ。役割上、正解でもある』

 

 一拍。

 

『だが、ヒーローの動きではないな』

 

「知ってます」

 

 俺は答えた。

 

『……そうか』

 

 オールマイトは何か言いかけて、やめた。

 

     * * *

 

 帰り際、轟が俺の横に並んだ。

 

「おい」

 

「なんだ」

 

「なぜ核弾頭を守らずに、壊そうとした」

 

 俺は少し考えて、答えた。

 

「守れないからだ」

 

「……」

 

「俺の個性は、守るのに向いてない。触れば劣化する。俺があれを抱えて逃げたら、逃げてる最中に壊れる。……だったら、壊せるという事実そのものを盾にしたほうが早い」

 

 轟は数秒黙った。

 

「お前、変な奴だな」

 

「よく言われる」

 

 嘘だった。そもそも言われるほど喋る相手がいない。

 

 轟はそれ以上何も言わず、去っていった。

 

 ただ、去り際に一度だけ、こちらを見た。

 

 それが、一目置いたという意味なのかは分からない。分からないが、少なくとも、朝までの()()ではなかった。

 

     * * *

 

 雪ノ下は、何も言わなかった。

 

 更衣室から出てきて、俺の横を通り過ぎて、そのまま校門へ歩いていった。

 

 ただ、途中で一度だけ立ち止まって、自分の右手を見ていた。

 

 俺の手首を掴んだ、あの手だ。

 

 指先が、うっすらと赤い。

 

 氷の膜が完全ではなかったのだろう。数秒ぶんの腐食が、たしかに通っている。

 

 俺は声をかけようとして、やめた。

 

 かけたところで、あの女は「問題ないわ」と言うに決まっている。

 

 ――それに。

 

 俺は自分の右手を見た。

 

 凍らされた感覚が、まだ残っている。

 

 誰かに、止められた。

 

 俺の個性は、生まれてから一度も止まったことがない。寝ている間も、飯を食っている間も、ずっと動き続けている。それが当たり前で、そういうものだと思っていた。

 

 止まると、静かなんだな。

 

 そんなことを考えている自分に気づいて、俺は舌打ちした。

 

 感傷だ。

 

 こういうのが一番、性質が悪い。

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