ヒーローのコスチュームというものは、要するに広告である。
目立つ色。分かりやすいシルエット。一目で誰か分かること。グッズにしたときに映えること。あれは戦闘服の顔をしているが、実態は制服とユニフォームと着ぐるみの中間くらいの何かだ。
そういうものを、俺は一ヶ月前に発注させられた。
入学手続きの書類に『ヒーローコスチューム申請書』というのが入っていて、デザイン欄が白紙で、そこに希望を書けと言う。俺は三十分悩んで、こう書いた。
『全身を露出のない素材で覆ってください。素材は炭素繊維系を希望。ただし両手は素手でお願いします』
備考欄には個性の説明を書いた。
届いたものは、想像より遥かにまともだった。黒に近い灰色の全身スーツ。継ぎ目が少なく、首元まで覆われていて、フードが付いている。装飾がほとんどない。
そして、両手だけが素手だ。
「――ヒッキー、それ地味じゃない?」
更衣室から出たところで、由比ヶ浜に言われた。
こいつのコスチュームはピンク基調で、動きやすさ重視の軽装だ。ただし、鎖骨のあたりを覆う布が一枚追加されている。傷を隠すためだろう。俺はそれを見て、視線を逸らした。
「機能重視だ」
「でもさ、手袋つけないの? そのほうが安全じゃない?」
「つけたら何も腐らせられん」
これが理由の全部だ。
俺のコスチュームは、要するに隔離服である。俺という汚染源を、外界から遮断するための装備。他のクラスメイトのコスチュームが個性を増幅するためにあるのだとしたら、俺のそれは個性を封じるためにある。
例外は両手だけ。
俺が誰かに触れていい場所を、両手に限定するための設計だ。
だから、これでいい。
* * *
「私が来た! ……普通のドアから!」
オールマイトが登場した。
実物を見るのは、これで二度目になる。一度目はホログラムだったので、正確には初めてだ。
でかい。声もでかい。存在の圧が異常で、あれが同じ空間にいるだけで、なんというか、部屋の重心がずれる。
俺は少し離れた位置から、それを観察していた。
――なんだ?
妙な感じがした。
言語化できない。だが、何かが噛み合っていない。人間の身体というのは、大きさに応じて動き方が決まる。あの質量の人間があの速度で動くと、床がもっと鳴るはずだ。
まあいい。個性社会だ。俺の常識のほうが古いのだろう。
俺はそれ以上考えるのをやめた。
「今日は屋内対人戦闘訓練を行う! 二人一組、ヒーローチームとヴィランチームに分かれてもらう! ヴィランチームはビル内に核兵器を隠し持っている設定だ! ヒーローチームはそれを確保するか、ヴィランを捕縛すれば勝ち! ヴィランチームは時間切れまで守り切るか、ヒーローを捕縛すれば勝ちだ!」
説明を聞きながら、俺は既に考えていた。
俺の個性は、守るのに向いていない。腐食は物を壊す方向にしか働かない。防壁を作ることも、傷を塞ぐこともできない。
つまり、皮肉にもこの訓練においてはヒーロー側の役割の方が適しているということだ。
だが、仮にヴィラン役になったとしても、ひとつだけ思いついたことがある。
それはあまり褒められた発想ではなかったので、俺はしばらく黙っていることにした。
* * *
最初の試合が、いきなり重かった。
ヒーローチーム、緑谷出久と麗日お茶子。
ヴィランチーム、飯田天哉と爆豪勝己。
モニター室でそれを見ながら、俺は思った。これは訓練じゃない。
「――デクゥ!」
開始三十秒。爆豪は建物の入口で待ち構えていた。守るべき核弾頭を放置して、である。
戦術としては最悪だ。ヴィランチームの勝利条件は防衛であって撃破ではない。飯田が上階で一人、核弾頭の横に立たされている。
だが爆豪は、そんなことは考えていない。
あいつは緑谷を殴りに来ている。
俺はそれを見ながら、隣で「爆豪くんこわーい」と言っている女子とは別の感想を持っていた。
――怖がってるのは、あっちだな。
爆豪が緑谷を呼ぶときの声。
あの「デク」という発音には、侮蔑がある。それは間違いない。だが、侮蔑だけで人間はあんな声を出さない。
あれは、確認だ。
お前はまだ俺の下だよな、という確認。
確認が必要になるのは、確信が揺らいでいるときだけだ。爆豪にとって緑谷は『呼べば下にいる存在』だった。その前提が、たぶん最近になって崩れた。
だからあいつは、大声で呼ぶ。
人間は、自分が失いかけているものほど強く主張する。
俺はこの構図を知っている。
「――比企谷さん、どう思いますか?」
隣で八百万が聞いてきた。
「爆豪さんの動きは合理的ではありませんわ。持ち場を離れるのは……」
「勝つ気はあるだろ」
「ですが」
「勝ち方に条件がついてるだけだ。あいつは緑谷を潰して勝つ以外の勝ち方を勝ちだと思ってない。だから条件を満たさない選択肢が、最初から見えてない」
言ってから、俺は少し嫌な気分になった。
人のことは言えない。俺だって自分が傷つかない勝ち方以外を検討していないことが、たまにある。
* * *
試合は緑谷たちが勝った。
勝った、と言っていいのかは微妙だ。
緑谷は右腕を粉砕して、天井をぶち抜いて、意識を失った。爆豪は倒れた。飯田は麗日に核弾頭を取られた。
最後の一手は麗日だった。緑谷が作った隙に、彼女が飛んで、触れて、確保した。
MVPは飯田だった。オールマイトの理由はこうだ。
「彼だけが、この訓練を訓練として遂行した」
俺は納得した。
緑谷は自分を壊し、爆豪は目的を見失い、麗日は緑谷の犠牲の上に成立していた。飯田だけが、与えられた役割の中で最善を尽くしている。
――だが、飯田は負けた側だ。
正しく戦った人間が負けて、壊れた人間が勝つ。
これはこの世界の縮図なのか、それとも訓練だからそうなるのか。
どちらでもいい気がした。
* * *
「――次! ヴィランチーム、比企谷少年と轟少年! ヒーローチーム、雪ノ下少女と由比ヶ浜少女!」
名前を呼ばれた。
組み合わせは籤引きだったはずだが、籤というのは時々、悪意を持っている。
建物内、五階。
核弾頭を模したオブジェが、部屋の中央に置かれている。金属製の円筒。人が抱えられるサイズ。
轟焦凍が、それを一瞥して言った。
「五分でカタをつける。お前は動くな」
この男とは、まだ十文字も会話をしていない。
整った顔の左半分が赤く、髪は赤と白に分かれている。個性は『半冷半燃』だそうだが、この訓練では氷しか使わないらしい。理由は知らない。聞く気もない。
「動かないのは構わんが――」
「なんだ」
「ひとつだけ頼みがある」
俺は核弾頭を指した。
「これの周り、一メートルだけ氷を張るな」
轟の眉が動いた。
「なぜだ」
「言ったら意味がなくなる」
「……」
「実害はない。守りが一メートル薄くなるだけだ。お前の氷が建物全部を埋めるなら、そこまで届く前に決着がつく」
轟は数秒、俺を見た。
それから「好きにしろ」と言って、床に手をついた。
瞬間、部屋の温度が落ちた。
* * *
轟の氷は、生き物みたいだった。
床を這い、壁を伝い、階段を下りていく。数秒で下の階から音が消えた。厚さは数十センチ。人間が突破できる代物ではない。
これが推薦組か、と俺は思った。
俺が考えた戦術の全部が、こいつの初手一回で無意味になる。世の中には格差というものがあり、格差は残酷である前に、単純に退屈だ。
――だが。
「……止まったな」
俺は言った。
轟が舌打ちした。
氷の進行が、三階のあたりで止まっている。いや、止められている。
モニターがないので見えないが、想像はつく。
雪ノ下雪乃。
あいつの個性――『氷結』は『熱を奪う』だが、実態はたぶん『止める』だ。水分も、動きも、すべて止まる。
轟の氷は
雪ノ下はそれを
氷対氷。生成と停止。
「……クソが」
轟が両手をついた。出力を上げる。氷の壁が軋む。
俺はその間、核弾頭に手を置いていた。
* * *
足音が聞こえたのは、それから二分後だった。
軽い足音。走ってくる。
由比ヶ浜結衣が、部屋に飛び込んできた。
肩で息をしている。コスチュームのあちこちが濡れている。氷を溶かしながら来たわけではないだろうから、たぶん引力で瓦礫や設備をかき集めて、道をこじ開けてきたのだ。
攻めの実働は彼女だったらしい。妥当な役割分担だ。雪ノ下が轟を抑え、由比ヶ浜が突破する。
「――ヒッキー!」
「よう」
「そこ、どいて!」
「断る」
彼女は捕縛テープを構えた。
そして、そこで一瞬、動きが止まった。
俺には分かった。何を考えたのかが。
――触れられない。
彼女は、俺を捕縛するために近づくべきかどうかを迷っている。近づけば俺の手が届く。俺の手が届けば、彼女は腐る。一ヶ月前と同じことが起きる。
彼女はそれを恐れている。
「近づくな」
俺は言った。
そして、核弾頭を掴んでいた手に、力を込めた。
ずるり、と、金属の表面が沈んだ。
由比ヶ浜が息を呑む。
俺が触れていたのは五分間だ。塗装が剥がれ、外殻が黒ずみ、指の形に凹んでいる。円筒の下半分は、既に構造としての形を失いかけていた。
「これ以上近づけば、完全に腐らせる」
「……え」
「粉になる。回収も何も、物として残らん」
由比ヶ浜の顔が、みるみる青くなった。
「そ、そんなの、ダメだよ! それ核兵器って設定でしょ、壊したら」
「ヴィランが核兵器を大事に扱うと思うか?」
俺は言った。
「俺は今、こういう役だ」
彼女は動けなかった。
当然だ。彼女の勝利条件は『核弾頭の確保』または『ヴィランの捕縛』。前者は俺が壊せば消える。後者は近づけば俺に触れる。
引力を使えば、と考えるかもしれない。だが吸い寄せた瞬間に、あの脆くなった円筒は自重で崩れる。
詰んでいる。
――我ながら、最低の手だな。
人質を取っているのと同じだ。しかも人質が核兵器という、倫理的に最悪の構図である。
だがルール上、禁止されていない。
禁止されていないことを全部やっていいというのが、俺の試験に対する基本姿勢である。
* * *
部屋の温度が、また落ちた。
入口に、雪ノ下雪乃が立っていた。
息ひとつ乱していない。轟との押し合いを途中で放棄してきたのだろう。ということは、下の氷はもう解放されている。
彼女は部屋の中を一秒で見渡し、俺の手元を見て、状況を理解した。
「――なるほど」
「早いな」
「あなたの個性を知っていれば、五分で何ができるかは計算できるもの」
彼女は歩いてきた。まっすぐに。
「由比ヶ浜さん、下がっていて」
「え、でもゆきのん! ヒッキーに触ったら――」
「私は触れるわ」
その言葉の意味を、俺は一瞬遅れて理解した。
雪ノ下が手を伸ばした。
俺は核弾頭を握る手に力を込めようとして――
その手首を、掴まれた。
* * *
冷たい、と思った。
次の瞬間、俺の右腕から先の感覚が落ちた。
凍っている。手首から指先まで。そして俺が握っていた核弾頭の表面まで、白い霜が這っていく。
腐食が、止まった。
完全に。
俺は自分の手を見た。腐食は進んでいない。動いていない。俺の個性が、生まれて初めて、外部から停止させられている。
同時に、雪ノ下の指も見た。
俺の手首を掴んだ、その指。
――腐っていない。
いや、正確には、腐食が進んでいない。俺の皮膚と彼女の皮膚の接触面は、氷の膜で隔てられている。彼女は自分の手ごと凍らせていた。
数秒間、俺たちは動かなかった。
俺は彼女を腐らせられない。彼女は俺を凍らせているが、それ以上のことはできない。
互いの個性が、互いに無効。
「……お前」
俺は言った。
「最初から、これができると思ってたのか」
「仮説はあったわ。あなたの個性が化学的な促進であるなら、低温は必ず効く。腐敗も酸化も、温度に依存する現象だから」
「試したのは今が初めてだろ」
「ええ」
「外れてたらどうするつもりだった」
「私の指が数本、駄目になっていたでしょうね」
平然と言う。
俺はこの女が少し怖くなった。
そして、同時に、こう思った。
――計算の外側に出た、ということか。
相澤先生に言われた言葉が、なぜかそこで浮かんだ。
「……ひとつ、訂正させて」
雪ノ下が言った。
「あなた、私がここに来ることまで織り込んでいたわね」
俺は答えなかった。
「氷結が腐食を止めることを、あなたは予想していた。だから止められる場所に立った。……理由は、轟くんね」
息を吐く。
「私が下の押し合いを放棄すれば、彼の氷は解放される。あなたを止めるために私が動けば、それだけで轟くんが勝つ。……あなたは、負けることで勝つ設計をしていた」
部屋の壁が、鳴った。
白い。
下の階から、氷が這い上がってきていた。
由比ヶ浜が「わっ」と声を上げて足を取られる。雪ノ下の足元も凍りついていく。彼女は俺の手首を掴んだまま、動けない。
『――そこまで! ヴィランチームの勝利!』
スピーカーが鳴った。
* * *
講評は短かった。
『MVPは由比ヶ浜少女!』
由比ヶ浜が「えっ、あたし!?」と裏返った声を出した。
『彼女は最後まで、核弾頭を破壊させなかった! 自分が捕縛されるリスクより、守るべきものの保全を優先した! これはヒーローの判断だ!』
それから、オールマイトは俺を見た。
『比企谷少年』
「はい」
『……戦術は、最も優れていた。この試合を作ったのは君だ。役割上、正解でもある』
一拍。
『だが、ヒーローの動きではないな』
「知ってます」
俺は答えた。
『……そうか』
オールマイトは何か言いかけて、やめた。
* * *
帰り際、轟が俺の横に並んだ。
「おい」
「なんだ」
「なぜ核弾頭を守らずに、壊そうとした」
俺は少し考えて、答えた。
「守れないからだ」
「……」
「俺の個性は、守るのに向いてない。触れば劣化する。俺があれを抱えて逃げたら、逃げてる最中に壊れる。……だったら、壊せるという事実そのものを盾にしたほうが早い」
轟は数秒黙った。
「お前、変な奴だな」
「よく言われる」
嘘だった。そもそも言われるほど喋る相手がいない。
轟はそれ以上何も言わず、去っていった。
ただ、去り際に一度だけ、こちらを見た。
それが、一目置いたという意味なのかは分からない。分からないが、少なくとも、朝までの
* * *
雪ノ下は、何も言わなかった。
更衣室から出てきて、俺の横を通り過ぎて、そのまま校門へ歩いていった。
ただ、途中で一度だけ立ち止まって、自分の右手を見ていた。
俺の手首を掴んだ、あの手だ。
指先が、うっすらと赤い。
氷の膜が完全ではなかったのだろう。数秒ぶんの腐食が、たしかに通っている。
俺は声をかけようとして、やめた。
かけたところで、あの女は「問題ないわ」と言うに決まっている。
――それに。
俺は自分の右手を見た。
凍らされた感覚が、まだ残っている。
誰かに、止められた。
俺の個性は、生まれてから一度も止まったことがない。寝ている間も、飯を食っている間も、ずっと動き続けている。それが当たり前で、そういうものだと思っていた。
止まると、静かなんだな。
そんなことを考えている自分に気づいて、俺は舌打ちした。
感傷だ。
こういうのが一番、性質が悪い。