大いなる力には大いなる責任が伴うらしいが転生者もそれに含まれますか? 作:御船上郎
-1-
彼女、新人弁護士であるブリジット・マードックにとって世界は闇であり闇ではない。
矛盾しているが、これは彼女にとって事実である。
ブリジットにとって世界とは光が存在せず闇しかないが、その闇がどんな形をしているのか感じ取ることが出来るのだ、
互換の中で最大の割合を占める資格を失ったことで残りの聴覚、嗅覚、触覚、味覚、その全てが研ぎ澄まされている。
見えない現実を、世界に響く音とその反響を感じ取る聴覚で形を割り出し、特徴を嗅覚で記憶し、触覚と味覚で理解を行うのだ。
寧ろこの四つの感覚を、合わせたレーダーセンスがある彼女の感じる世界は常人より遥かに広大で、精密である。
彼女は自分の容貌すらみることは出来ないが、一人で化粧だって出来るし、着替えられた。
「そこの姉ちゃん暇?俺達と遊ばねぇ?」
「その棒持ったげるからさぁ」
「ちょっと代わりの棒を咥えてもらうかもしれねぇけどなギャハハ」
こうやって低俗な人間が寄って来る程には、である。
身なりが整った美しい女。
それが視覚を失い杖を持って歩いているならばこういった輩に狙われるのは当然だった。
「申し訳ありませんが急いでいるので」
道を塞ぐように立った三人の男の隙間をするりと抜ける。
まるで最初から現実に存在しない幽霊の様に、かすりもせずに彼らを通り抜けたのだ。
彼らのちっぽけなプライドは自分より弱いであろう女、それも見えない女に無視されたことで刺激される。
「てめぇこのアマ!」
「調子乗りやがって!その綺麗な顔を腫れ上がらせて犯してやるぜ!」
「―――ぉわ」
すり抜けた女に向けて振り返り、二人の男がバタフライナイフを取り出した。
勿論、そのナイフを開く作動音も耳に届いているし二人の重心と姿勢は触覚で感じ取っている。
次の行動は予測できるし、問題なく彼女は制圧出来た。
「え?」
故に彼女が驚いたのはそんなありふれた、どこにでもある音ではない。
「やあ君たちナンパ?諦めの悪くて乱暴な男はモテないし最低だよ?」
自身でさえ無事で済まない程の高度から急に降り立ちながらも、傷一つもない軽口を叩く存在が信じられなかったのである。
そんな彼女が驚いた異常存在のことを、このニューヨークでいまや知らないものはいない。
「てめぇスパイダ―――」
「やべぇ逃げ―――」
「ハイハイ、お口はチャックね。綺麗なお姉さんに汚い声を聴かせないの」
赤と青、そして黒のストライプが入ったスーツを身に着けたその男こそが、スパイダーマン。
彼は鮮やかにチンピラ三人を無力化し、拘束した。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
「え、えぇ大丈夫です」
緊張と困惑が、ブリジットの豊かで柔らかな胸の奥を満たしている。
バクバクと鳴り響く己の心臓の音を何とか隠し、平静な顔を保つように彼女は心掛けた。
目の前にいるのが、今まで感じたことも無い存在だったからである。
「ええとあなたが噂のスパイダーマンさん?」
「その通り、みんな大好き親愛なる隣人のスパイダーマンです」
彼はポーズをかっこよく決めていたがブリジットには見えてはいない。
ただ笑みを浮かべて、彼女は口を動かす。
「ジェイムソンさんには、随分批判されてらっしゃったようですが...?」
「うっ、それを言われると辛いな...」
毎日怒声を自分に向けてぶちまけるちょび髭男の顔がスパイダーマンの脳裏に浮かんだ。
「もしかしてお姉さんも僕が嫌いな感じ?」
「ええまあ、弁護士をやっている身としては複雑なものがあります」
「あっちゃ~...これはまずいぞ...」
どうやら法律は通じる相手だったらしい。
「器物損壊や暴行罪に当たる行為に覚えは?」
「うぐっスパイダーマンぴ~ンチ」
胸を押さえ、スパイダーマンが蹲る。
トラックに轢かれてもへっちゃらなこの男を跪かせたのは法律だった。
そんな彼に、ブリジットは追撃する。
「加えてこの前、電車の上に乗られていたとも聞きましたがあれも―――」
「わーっ聞きたくない!サヨナラ!訴えないで下さいなんでもしますから!」
「それも器物損壊に当たるかもしれないことをお忘れなくー」
逃げ出す様にスパイダーマンはビルに糸を張り付けビルの合間へと跳び立った。
その移動速度を行う肉体と風切り音が聞こえなくなるまで、彼女は警戒心を解くことは無い。
自身が経験したどんな猛獣より、彼は恐怖を感じざるを得ない音をしていたのである。
「ふぅ」
息を吐き、杖を握り直し、彼女は地面を叩き、自身と親友の事務所、ネルソン&マードック事務所へと入っていった。
-2-
その日の夕方の事である。
フォギー・ネルソン、ブリジットの親友である彼は事務所を留守にしていた。
数少ない契約を行っている客との話し合いに向かっている。
故にこの狭苦しい事務所には彼女しかいない。
本来手伝いの女性もいるのだが、彼女もまた今日は休みをとっていた。
故に静かに事務作業をする音のみが発生している。
「....」
作業道具であるパソコンのキーボードの上から滑らかな白い指を止めた。
直後からん、と入口に設置されているドアベルの音が鳴る。
「どうも、失礼します」
入って来たのは中年男性の声だった。
「どちら様でしょうか」
予定の無い闖入者である。
冷たい声で彼女は答えた。
「あ~予約もせずにすいません、私はベン・ライリーと言います」
相手に警戒を抱かさない為か入って来た男、ベン・ライリーは入り口のドアからは動かない。
ブリジットから座るように促されるまで、彼は一歩も足を動かさないつもりである。
「弁護依頼ですか?それとも法律相談ですか?」
漸く、彼女はパソコンを閉じ椅子から席を立った。
そして盲目である自分のトレードマークである杖を持つ。
「う~ん、どちらもっていえますかね」
「そうですか」
曖昧な答えのベン・ライリーへの下へと彼女は近づいた。
「え~っと、あなたは事務員の方ですか?」
「ああ申し遅れて申し訳ありません。この事務所の共同代表の一人、ブリジット・マードックと申します」
一歩、また一歩と彼女は正確に近づいていく。
正面で止まり、笑顔でベン・ライリーに向けて口を開いた。
「よろしくお願いしますね、スパイダーマンさん」
どきり、と心臓が揺れる音、筋肉が強張る音を彼女は聞き取る。
そして流れてきた冷や汗の臭いから自分の推理は正しいと直感した。
「な、なんのことかな?」
ベン・ライリー、いやピーター・パーカーはなんとか心臓を落ち着かせようとしたが、彼女に闇の中では文字通り丸見えである。
「嘘が下手ですね、ボイスチェンジャーでしょうか?かなり高性能なようですが私には解ります」
アメコミのヴィランとはピーター・パーカーは、スパイダーマンはヒーローとは性別が変わっていると言えど出会うのは初めてのことだった。
ブリジット・マードック、という人間は知らないがネルソン&マードック事務所の共同代表であり、弁護士である人間を指し示すヒーローは一人である。
彼女はデアデビルだ。
「え」
「心拍と呼吸、あとは臭いでしょうか、乱れて浅くなっています。嘘はよくありませんよ」
デアデビルの特殊能力であるレーダーセンスがこれほどまでに高性能とは思ってもみなかったのである。
そんなピーターの混乱を突くようにゆっくりと更に彼女はピーターに近づいてきた。
「こうすると、もっとわかります」
「えっ」
むにゅりと、柔らかな音がする。
鼻孔を、香しい匂いが満たした。
そして、目の前には美しい顔がある。
がちゃり、と抱きしめられたと同時に入り口のドア弁の鍵が閉められ、密室状態へと変わった。
美しい美女に抱き着かれる初体験を、ピーターは得る。
「177.8cm、81.65kg、肌触りからして白人男性ですね。それも十代後半に入ったばかりでしょう」
すんすん、と鼻を鳴らし指先で手の甲を触った。
それだけで彼女はピーター・パーカーの素性を言い当てる。
続いて口を開き、何も見えない瞳で彼女はピーターを見つめた。
「それで、今回はどのようなご用件でしょうかスパイダーマンさん?」
「あ、このまま続ける感じですか?」
「はい」
「はいじゃなくて、僕の青少年としての理性ガガガガ」
まだ年若い少年のピーターにとって既に美女であるブリジットの抱き着きは拷問に等しい。
リザードによるあらゆる攻撃でも消えなかった理性が消えようとしているのを何とか防ぐ。
「もしあなたがそのような男なら私は命を懸けて止めますし、何より一度嘘をついてやって来た人間を信用するにはこれが一番なので」
変装しなきゃよかった、心の底から今天国と地獄を味わっている彼はそう思った。
今現在の体勢で無茶に、外せば彼女が傷つく。
スパイダーマンの無法な身体能力ならばそれが可能だが今回の目的は逃げることでも戦うことでもない。
「それで、この度いらっしゃったのはどのようなご用件ですか?」
「ニ、ニュースって見たりします?」
「ええ、あなたのニュースで持ちきりですね」
なんとか頭を回してピーターは口を動かした。
「最近ですと怪獣のような蜥蜴男を倒したとか」
「それじゃあ蜥蜴男、リザードの裁判を担当する弁護する人がいないのも知ってますよね」
「ええ」
数日前の大事件は未だニュースのラジオやテレビで報道している。
道行く人々の噂話も彼女の耳に響いていた。
情報をまとめて解ったのは厄介な事件、ということである。
「それで、あなたが依頼したのは彼の弁護ですか?」
「というよりは彼の家族が来たら依頼を受けて欲しい、ってお願いですね」
「...あなたは今回のリザードと呼ばれる男の弁護の難しさを分っていますか?」
「なんとなくは」
数秒、沈黙が空間をつつんだ。
そしてブリジットは心底不快気に顔を歪ませつつ、ピーターの頼みに答える。
「リザードの案件を弁護士が受け持ちたがらない理由は三つ」
三本の指をピーターに突き付けた。
そしてゆっくりと一本ずつ折りたたみ、その厄介な事件である理由を少年へと教える。
「一つ、単純に成功報酬が見込めないこと」
一つ目は金の問題。
「そもそも被告人の弁護、というものでお金はあまり稼げません。今回の場合だと猶更です」
カート・コナーズは天才と言えど高校教師だ。
それによって得られる成功報酬はたかが決まっている。
弁護士は成果主義であり、金がかかる仕事だ。
故にこの時点で大部分の者が逃げる。
「二つ、前例がありません」
二つ目は、歴史であり責任の話だ。
「人体が完全変異されて行われた破壊について、責任能力はどこまであるのか証明は今の技術では出来ませんし、そして責任能力が無い事の証明も同じくできません」
人間が怪物になって人を襲った後、戻った場合責任はあるのか。
現実として自覚なく化物になってしまい人を傷つけた事実は残っている。
「裁判においても半生は重要な要素ですが、実際死んではいないにしても彼が人を傷つけているのは事実ですし、その記録も証言者も多く存在するでしょう」
こちらは新たに責任能力が無いのを証明することが必要なのに、検察側は傷つけられた人間や街を出すだけでいいのだ。
有利不利は明らかである。
そして三つ目の指が折られた。
「三つ。時間がかかります」
三つめは、時間である。
「先ほども言ったように初めての事例による裁判となれば弁護する側も、追及する側も、そして裁く側も判断に時間がかかります」
初めてのことはノウハウが通じない。
故に時間がかかる、当たり前のことだが弁護士にとって時間がかかるのは他の仕事が出来ないということである。
大手でもなければ出来ないことだ。
こんな小さな事務所では出来ない。
「そんな時間と金だけがかかる面倒な事件を誰がしたいと思いますか?」
じっと、ブリジットはピーターを見つめる。
「以上です。どう考えてもメリットがありませんし、デメリットのみが見つかります」
「メリットはあります」
そのブリジットの言葉に、即座にピーターは返答した。
「前例がない裁判を受ける弁護士事務所なら名声は稼げるはずです、特に宣伝があなた達の事務所には必要な筈だ」
少年が考えた説得材料を前面に出してなんとか彼女を説得しようとする。
「特に今回の場合は間違いなく歴史に名を刻むことができる事件ですそれに―――」
「―――もう結構」
白い指が、ピーターの唇を遮った。
そして彼女もまた、答える為に口を動かす。
「あなたの主張が、子供のわがままと同じなのは解っていますか?」
「...はい」
「それで私の心が動くとでも?弁護士は感情よりも法を優先する仕事ですよ?」
一人の大人として生活があった。
それを崩してまでカート・コナーズを助ける理由はない。
だがピーターの考えは違う。
「はい」
彼女、ブリジット・マードックはこの依頼を受けてくれると確信していた。
目を見開き、彼女はピーターに問いかける。
「その理由は?」
「あなたは、いい人だと思うから」
ピーターの中にある原作知識ではなく今、目の前にいるブリジット・マードックを信じたのだ。
「は?」
「カート先生を助けない理由を、心底嫌そうにしてたし、僕に抱きついてる手は痛いぐらい力が入ってた」
それはくだらない主張だった。
「くだらない感情論ですね」
「でも僕にとっては事実です、あなたは多分...善人だ。だからあなたを信じたい」
沈黙が、また数秒空間を埋める。
それを破ったのはブリジットの吐く息だった。
「はぁ」
単純なその所作でさえ彼女は美しい。
抱きついていた手を離し、ピーターを解放する。
そして口を再度開いた。
「わかりました、コナーズ博士の家族がここに来れば弁護すると約束しましょう」
「ありがとうございます!」
事務所の入口の鍵を開ける。
密室は容易く解除され、ピーターはブリジットの拘束から完全に解放された。
「それではお帰りください、成功報酬は...美味しいカフェでも奢っていただければ結構です」
「必ず!」
そう言って飛び出していく少年を見えない瞳で見送り、再度彼女は自分のデスクに座る。
カート・コナーズを弁護するのに必要な作業は幾らでもあった。
「戻ったぞー!」
「おかえりなさいフォギー、お客様との相談は上手く行った?」
「上々だな、お前も良いことあったみたいだ」
「どうしてそう思うの?」
帰ってきた立派な髭を蓄えた相棒が彼女にそう尋ねる。
「久しぶりに、お前が心の底から笑ってるからな」
彼女は作り笑いではない、心の底から溢れ出た笑みを浮かべていた。
tips
・ブリジット・マードック
放射線汚染物質で視力を失い超感覚を得た女性。
幼少期からその盲目ということから下心のある人間に迫られることが多かった。
分析能力は非常に高く、雑踏の中で特定個人を見つけられる
夜活動する際は常人には捉えられない匂いの香水をつけており逃げられても目印として残せる。
一度惚れたら絶対逃さない執念深さがある