大いなる力には大いなる責任が伴うらしいが転生者もそれに含まれますか? 作:御船上郎
-1-
スパイダーマンが行動を開始したのと同時刻。
カート・コナーズの弁護士であるブリジット・マードックは彼が収監されている留置所へと向かっていた。
彼の妻と子供との面会の日程が漸く決定したのである。
監視がついた、メンタルカウンセラーが同席するといった条件が存在するが、間違いなく大きな一歩だった。
故にそれを成し遂げ、今日その日程を伝える彼女の足取りはどこか軽い。
判決に至るまでもうしばらく時間はあるが、それまでの間にささやかながらカートの心を彼女は救おうとしている。
そう思い、面会室でブリジット・マードックはカートを待っていた。
「...」
しかし、彼は来ない。
カチカチと時間を刻む時計の音が響く。
時間を間違えたのか、否。
彼女の鋭敏な聴覚は時計の中に囲まれた歯車と針の位置が自身が申し込んだ面会の日時と一致している事を理解していた。
では、留置所の手違いだろうか。
「これは...」
いいや、それも違う。
彼女の耳には、鼻には、この異常事態の現状がくっきりと形をもって解った。
がちゃりと、ドアが開けられる。
「なんだ?」
「待ちなさい!」
面会の監視要員であった警備の一人がドアの方向へ振り返った。
ブリジットはそれを制止したが間に合わず、哀れにも警備はドアの奥から振るわれた拳にあえなく意識を失う。
「オラぁ!散々いばりやがって!」
「死ねこらぁ!死ねこらぁ!」
「ゲヘヘ!手錠なんざ無けりゃてめぇらなんて敵じゃねぇんだよ!」
拳が、蹴りが意識を失った警備に向けて振るわれた。
肉を潰し骨を折る音である。
幸いにも、ここにはカートの家族はいないし、部外者の人間も同様だ。
ここにいるのは複数の男性の収監者と、ブリジットのみである。
「おい、待ててめぇら」
「あんだよボス!」
「もっとこいつ殴らせてくれ」
それにその集団のボスは気づいた、いやこの事態を知っていたのだろうか。
一人だけ集団暴行に加わらず冷静にブリジットを見据えている。
「あの女だ、ヤるのも殴るのも好きにしろ。少なくとも弁護士なんて辞めたくなるようにしてやれ」
その手にはこの場所では購入し持ち運ぶことなど不可能なメリケンサックが嵌っていた。
下卑た視線が、ブリジットの肢体を突き刺す。
慣れたそれに彼女は動揺はしない、冷静に椅子から立ち上がった。
「傷害罪、拘留からの逃亡罪、あなた達からは他の罪も犯していそうな気配がありますね」
淡々と、彼女は盲目の人間の証である白杖を握り締める。
そんな余裕そうな態度が、犯罪者たちは気に入らないらしい。
「自分の立場解ってんのかァ?てめぇを裸に剥いてお綺麗な顔も体もぐちゃぐちゃにしてやるのに一時間もかからねぇ―――バぁッ!」
「ッ!!」
脅しの言葉を吐きかけた犯罪者の一人の言葉はその先から紡ぐことは出来なかった。
代わりに吐き出したのは血反吐と、歯である。
ブリジットが持つ白杖が突き出され正確に汚い言葉を吐いた男の顎を砕きぐしゃぐしゃにしたのだ。
「恐喝罪」
ぼそり、とブリジットは呟き白杖を構える。
それはまるでドラマで見られるサムライのようだった。
ぴんと上から糸でつられたように軽やかに、されどまるで針の筵のように刺々しい闘気とでもいうものが放たれている。
「私を襲うように言ったのは誰ですか?恐らくここで暴動が発生しているのもあの依頼主が仕掛けているのでしょう?」
淡々と、つまらない文章を読むように彼女は言葉を紡ぎ、推理を述べた。
彼女がこのように躊躇なく、特別な衣装も無い状態で暴力を振るったのには理由がある。
第一の理由には緊急性があるということだ。
自分に弁護士を辞めさせるように仕向けるということは、カート・コナーズの弁護を誰にも引き受けさせないということである。
後ろにいる黒幕が誰であろうが、間違いなく碌な人間では無い。
今の家族との再会が出来るかもしれない現状のコナーズ博士を恐喝するにはこれ以上ない材料になるのだ。
故に、彼女はコナーズ博士を助ける為に急ぐ必要がある。
「そしてよかったですね。あなた達は今後、人に暴力を振るうという罪を犯すことは無くなる」
第二に、この面会室に設置されているカメラが停止しているということだ。
彼女の耳にはそれが解っている。
外部からの通電が無く、先ほどまで起動していた動作音がしない完全な静止状態にあった。
故に、今この場所で、彼女の暴力を目にするのはこの暴行犯たちだけである。
「囲め!」
ボス格の男は目の前の女を獲物から、敵対者へと切り替え部下たちに指示をだした。
大柄な自身が正面を、そしてプラスチックを削ったナイフと警棒を持った部下二人を左右へと配置する。
ストリートからずっとこの戦法で勝利を掴んできた、彼の必勝法だった。
「がっ!」
「ごぇっ!」
だがブリジットは囲もうとする左右の男の延髄へと白杖を叩き込み、意識を刈り取る。
流麗にして精緻なその棒捌きは、とどまることなく大柄のボスへと襲い掛かった。
「ちぃっ」
太く、そして巨大なタトゥーがびっしりと刻み込まれた両腕を構える。
さながら門の様に、頭と胴体を護る行動だった。
そして同時に前蹴りを放つ。
ボクサー崩れもレスリング崩れも倒してきたこの男の技量は間違いなく常人よりも遥かに高い位置に存在する。
しかし、それよりもブリジットの技量は高い。
一歩、彼女は横にずれた。
「私には通じませんよ」
それだけで強力な、相手を悶絶させる蹴りはスーツを僅かに揺らす程度となる。
呆気にとられたボス格の男を冷静に観察し、彼女は白状を振るった。
狙いは膝の少し下、膝の皿と呼ばれる部位である。
鋭い痛みがボスの脳裏に奔った。
しかし耐えれる。
そう男は思ったが、彼の意志とは逆にその膝は崩れ落ちた。
「なっ」
腱反射、そう呼ばれる現象がある。
例を挙げれば、今ブリジットが行ったように膝の皿を叩けば大腿四頭筋が収縮するというものだ。
どんな大柄の人間だろうが、筋力を持っていようがこれは本能であり防ぐ方法はない。
故に、こうして自分からバランスを崩してボス格の男はブリジットのサングラスをかけた女神の如き顔を見上げることになる。
「一つ忠告しましょう。暴力を振るうならば覚悟をしておきなさい」
先程とは逆手に、つまりは持ち手を相手に向けて容赦なく、彼女は白杖を振り下ろした。
ぐしゃり、と先ほど警備の男にこの男たちがして見せたように音を響かせる
そしてそれを何度も、何度も振り下ろす。
「自分より強い相手に蹂躙されるということを」
骨は砕けた、鼻は潰れた、歯は折られた。
目は無事であり、一方的な暴力を享受することしか彼には許されない。
恐怖に満ちた瞳を向けるボス格の男は今回の依頼を受けたことを心底後悔しながら意識を失う。
そのだらりと崩れ落ちた男に向けた彼女は口を開いた。
「訴えたいならばそうしなさい。暴力で鳴らしてきたお前たちがたった一人の女に蹂躙されて、しかも無様に負けたということをここの人間達に知られても良いのなら」
犯罪者とは恐怖で生きる人種である。
そんな人間が女を襲ってしかもそれにズタボロに負けた。
この事実はどこまでも重く、そして彼らに向けられてきた恐怖は侮蔑と嘲笑に変わるだろう。
それはアウトローにとっての死を意味するのは明白だった。
「さて」
彼女は返り血で汚れたサングラスを拭き上げ、面会室の奥のドアを開ける。
喧騒と暴力が乱れ飛ぶ光景はそこにはなかった。
「お待たせしましたか?」
代わりにそこにあったのは拘束された呻き声である。
暴動に参加した人間達は一人残らず白い糸に拘束されていた。
「いいえ、僕も今終わった所ですよ」
赤と青のスーツを付けたスパイダーマンがそこにいる。
少し、ブリジットは自身の顔に血が付いていないか心配になったが彼が何も言わないということは大丈夫なのだろうと無理矢理納得した。
スパイダーマンはそんな彼女の心を気にせず目的であるカート・コナーズの場所を彼女に尋ねる。
「カート先生の場所は?」
彼のスパイダーセンスは万能ではない。
尋ねれば即座に答えが返って来るような代物ではないのだ。
故に、このような状況ではブリジットの聴覚の方が優れている。
彼女は意識を集中し、この留置所の中全てを知覚した。
悲鳴、暴動による暴力の振動、或いは放送室の音、小動物が蠢く音、それら全てを撮り捨て選択し答えを導き出す。
「B棟の隔離独房です、音からしてまだ突破されてはいません」
「よし!いきましょう!」
ばっと手を広げ、スパイダーマンは彼女が飛び込んでくるのを待った。
しかし、彼女はため息を一つ吐き彼に告げる。
「人目が多すぎますし、何より私はあなたの様にスーツを着ていないのです」
先ほどまでの大立ち回りは自身の立場がバレない状態だからこそ行えたものだ。
スパイダーマンと共にいつもの格好で行動することはその真逆とも言っていい。
「この状態であなたについていったら足手まといになるだけでしょう?」
その状態に考えつかなかったピーターは自分を心の内で 責する。
ブリジットはそれをピーターの体内の変化で気づきつつ、カートが収監されているB棟へ向けて指を差した。
「ここは一人で向かってください、すぐに追います」
「はい!」
答え、糸を飛ばし向かう彼の風切り音を見送り、彼女は先ほどまでの面会室へと入る。
そして数分後、赤黒のスーツに身を包んだ淑女が出てきた。
-2-
タランチュラは苛立っている。
自身の仕事量が多い現実にも、そしてアマチュアの権化である囚人を使わなければならないことにも、そしてそれがまったくとうまくいかないことにも怒りを覚えていた。
なぜこの組織には碌な人間もいなければ、指揮官もいないのか。
そう一人で愚痴を漏らしつつ、彼は片手で拳銃を発射する。
非殺傷の弾頭が、警備員の腹部へと撃ち込まれ、意識を失わせた。
「ちっ、足止めすらまともに出来んのか」
囚人たちが引き付けるはずの警備員の数がやけに多い。
今気絶させたので29人目である。
片手で、しかも狙いを定めず放った拳銃でそれが出来る時点でこの男は凄まじいプロであることは明白だったが、タランチュラはそれを誇ることはしなかった。
なぜなら任せられた仕事の結果こそが腕の証明であり、何人射撃で倒そうが結果が伴わなければ意味が無いからである。
「回収を急がせろ」
苛立ちながらも思考は冷静に、彼は銃を持っていない方の手で引きずる男を見下ろした。
カート・コナーズである。
彼は意識を失いタランチュラに連れ去られている。
「お~い、誘拐は立派な犯罪だよ。あっもうこのまえビル襲撃した時点で立派な犯罪か」
軽やかな声が室内に響いた。
タランチュラはその声に少なくない絶望を感じる。
「どうやってこの計画を知った?」
「運と....あなたがPCのアマチュアだったお陰かな?」
ダンダンと、声がした方に発砲するが当たるわけがない。
先ほどまでの常人である警備員とは全く違うのだ。
拳銃で、しかも片手で封じて相手に出来る存在ではない。
ふぅ、と息を吐く。
そして拳銃を手から離して地面に落とす。
「なに?降参?それだったら両手を挙げて地面に伏せてもらえる?」
「いいや違う」
しかし、彼はもう片方の手に持ったカート・コナーズを手放すことは無かった。
黒いマスクの奥で、彼は覚悟を決めていたのである。
「命を懸けて戦う覚悟を決めた」
瞬間、監獄の屋根が崩れ去った。
外部からの強い衝撃によるものであり、天井からコンクリートが無数に落下して来る。
タランチュラにより倒れ伏した警備員を助けるべく彼はタランチュラから意識を外してしまった。
そして安全な場所へと彼らを移動させて振り返れば、巨大な機械の怪物がそこにいる。
『このスパイダースレイヤーでな!』
機械の昆虫のような巨大ロボが咆哮し、スパイダーマンへと襲い掛かった。
それに溜息を吐き、ピーターは呟く。
「日曜の早朝にやってる感じかな!このユニバース!」
虫と人を逆転させたような戦いが今、始まった。