虚狩る戎具「約束された勝利の剣」   作:ナゴン

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第10話 歌姫の前に現れる白銀のプリンス

 アリーナの全域を支配する、耳を刺すような冷たい静寂。

 

 旧防衛軍の制服をベースにした黒いタクティカルギアを纏い、エーテル技術で強化された最新鋭の重火力兵器を構えた反乱軍の兵士たちが、数万人の観客席を完全に包囲していた。銃口を突きつけられた民衆は、恐怖によって呼吸すら縛られ、声もなくガタガタと震えている。

 

 イヴリンはステージの巨大な照明機材の影に身を潜め、感情を一切排した理性的でドライな眼光で、冷徹に状況を分析していた。

 

(観客という『人質』が存在する以上、正面からの強行突破および大規模な戦闘の執行は不可能……包囲している敵兵士を個別かつ誰にも悟られないよう無力化するしかないか……)

 

 イヴリンは声を荒らげることもなく、心の中で極めてテキパキと作戦を構築した。

 

 だが、ノイズだけを吐き出す通信インカムに触れた瞬間、彼女の理性の奥底に、ほんの僅かな『歯がゆさ』が掠めた。もし今、あの裏路地で私のワイヤーアクロバットを完璧に見切った、あの底の知れない圧倒的な技量を持つアルトがここにいれば。彼と視線を同期させ、背中を預けて連携できれば、これほどの隠密作戦も何倍もの高確率で、より合理的に完遂できたであろうに、と。

 

「……現状の不確定要素を嘆くのは非効率だ。私だけで排除する」

 

 イヴリンは思考を瞬時に切り替えると、タイトなスーツ姿のまま、ビルの梁や機材の隙間へと滑り込むようにして、音もなくキャットウォークを移動し始めた。

 

 彼女の細い指先が、空間へ向けて目に見えない特殊合金ワイヤーを鮮やかに手繰り寄せる。重力を完全に無視したアクロバティックな体術により、イヴリンは観客席の上空を影そのものとなって潜行していった。

 

 スウッ……。

 

 通路の陰に陣取っていた反乱軍の兵士の背後に、イヴリンが文字通り音もなく舞い降りる。男が異変に気づくより早く、彼女の手刀が男の項伏の急所を的確に、冷徹に打ち据えた。男は悲鳴を上げる余裕すら与えられず、あえなくその場に崩れ落ちて無力化される。

 

 一人、また一人。イヴリンの徹底して洗練された隠密暗殺術の前に、包囲網を形成していた黒武装の兵士たちが、まるで将棋の駒が静かに取り除かれるかのように、次々と闇へと葬り去られていった。

 

 徹底されたプロの隠密工作。イヴリンは息一つ乱さぬまま、アリーナの各ゲートを監視していた反乱軍の実に【半数程の人数】を、誰にも気づかれることなく完全に無力化せしめていた。

 

(……全体の48%の排除を完了。これより、残り半数の無力化を――)

 

 イヴリンが次のワイヤーを張り巡らせ、次なる標的へと取り掛かろうとした、まさにその瞬間だった。

 

 彼女の鋭い聴覚が、直下の観客席の一角から漏れ出ている、微かな不協和音を捉えた。

 

「う、ううっ……ひっく、うあぁぁん……っ」

 

「しっ、静かにしなさい、大人しく言うことを聞くのよ……っ」

 

 耳を澄ませば、それは激しい恐怖に耐えかねて、小さな声でシクシクと泣きじゃくっている一人の若い女子の姿だった。その隣では、母親らしき女性が必死に娘を宥めようと抱きしめている。女子はどうやら、今回の爆発の混乱の最中に、大切にしていた思い出のアストラ・ヤオグッズをどこかへ失くしてしまったらしく、恐怖と悲しみでどうしても泣き止むことができないようだった。

 

「おい、そこのガキ。いつまで五月蝿く泣いてやがる。我慢しろと言っているだろうが」

 

 その親子のすぐ目の前に立っていた反乱軍の兵士が、苛ついた態度を隠そうともせず、ドスの効いた低い声音で女子を威嚇した。

 しかし、極限の恐怖とパニック状態に陥っている女子には、プロの軍人の脅し文句など耳に届くはずもない。一向に言うことを聞かず、泣き声を上げ続ける女子。アリーナ全体を完全に封鎖するという前代未聞の極限の任務、および数万人もの群衆を狭い空間に力ずくで押さえ込み続けるという、プロ特有の強烈な精神的ストレスの蓄積により、その兵士の余裕はすでに限界まで削り取られてしまっていた。

 

「――チッ。五月蝿い奴は、静かにさせてやる!!」

 

 男の理性がプツリと断線した。兵士は狂暴な眼光を剥き出しにすると、手にした重火力兵器の銃口を、あろうことかその無防備な女子の頭部へ向けて、躊躇なく引き金を引き絞ろうとしたのだ。

 

(――まずいっ……っ!?)

 

 イヴリンの理性が計算を弾き出すより早く、彼女の肉体が、咄嗟の防衛本能によってアクロバティックに跳躍していた。

 

 人質を利用した合理的な立ち回りを最優先すべきプロのボディガードとして、自身の身元を晒すような真似は完全なる失策。だが、目の前で失われるはずの無辜の命を、彼女の高潔なプロとしてのプライドがどうしても見過ごすことを拒絶した。

 

 シュン――ッ!!!

 

 空中から目に見えないワイヤーの反動を利用し、イヴリンは弾丸のような速度で暗殺格闘術を繰り出した。

 

「がはっっ!?!?」

 

 銃口を向けた兵士が引き金を引く直前、イヴリンの目にも留まらぬ強烈な旋風脚が男の顎を正確に打ち抜き、男はあっという間に脳震盪を起こして床へと崩れ落ち、完璧に無力化された。女子の命は、間一髪のところでイヴリンの絶技によって救われた。

 

 ――しかし、あまりにも派手に、あまりにも力強くコンクリートの床を踏み鳴らして動いたその代償は、一瞬にして路地裏の如きアリーナ全体へと響き渡ってしまった。

 

「なっ……何奴だ! 敵襲ッ!!」

「敵だ! 伏兵が紛れ込んでいたぞ!!」

 

 カチャカチャカチャカチャッ!!!

 

 周囲の状況は一変した。イヴリンの身元は、その一撃の残響によって、取り囲んでいた残りの反乱軍の兵士たち全員に完全にバレてしまったのだ。アリーナの各セクターに残っていた数十人もの武装兵士たちが、一斉にイヴリンに向けてそのエーテル強化された凶悪な重火力兵器の銃口を突き付け、包囲網を狭める。

 

 さらに、ステージの中央でアストラを脅していた、あの胡散臭い反乱軍の隊長にも、この不穏な動きは完全に感づかれてしまっていた。

 

「おやおや……。ネズミが一匹、私の大切な子分たちを虐めていたみたいだねえ」

 

 隊長はにやにやとした軽薄な笑みを浮かべながら、ハンドガンを弄り、冷酷な眼光でイヴリンを睨み据えた。

 

 四方八方、逃げ場のない360度の全方位から、数千発の致命的な銃口を向けられたイヴリンは、どれほど卓越したアクロバティック体術を持っていようとも、もはや一歩も動けなくなってしまった。完璧なる絶対絶命の窮地。

 

「イヴ――ッッ!!! ダメ、撃たないでっ!!」

 

 ステージの上から、アストラが自身の最愛のマネージャーの絶体絶命の危機を前に、その麗しい瞳に涙を浮かべながら、必死の悲鳴のような声を張り上げて叫んだ。

 

「あはは、感動的な主従愛だねえ。だけど、残念だったね。私たちの計画を邪魔しようとした、哀れな騎士(ナイト)様?」

 

 隊長はふざけた調子でくつくつと呟き、イヴリンの息の根を止めるべく、周囲の兵士たちに射殺の合図を下そうとした。数万人の観客も、アストラも、そして敵の兵士たち全員の関心と視線が、その中央に立ち尽くすイヴリンの身柄へと完全に集まった、まさにその刹那――。

 

 ――ドゴォォォォォォンッッ!!!!!!

 

 アリーナ全体のコンクリートの壁を内側から爆砕するような、凄まじい地鳴りを孕んだ巨大な破壊音が、会場の最奥から猛烈に鳴り響いた。

 

「な、何事だッ!? 爆発だと!?」

 

 それは、先ほど反乱軍が「誰も逃がさないため」にすべての出入口ゲートを完全に崩落させ、強固なコンクリートの瓦礫によって完璧に封鎖していたはずの、アリーナのメイン出口だった。

 

 その、重機でも動かせないはずの巨大な崩落の壁が、眩いばかりの【白銀のエーテル粒子の残光】を空間全体にまばゆく残しながら、まるで最初から何も無かったかのように、一瞬にして文字通り『粉々に破壊』され、外界へと繋がる光の退路が、不気味に、そして圧倒的な力によって抉り開けられていたのだ。

 

「ば、馬鹿なッ! あの封鎖壁を、内側から破壊しただと!? 一体どんな重火器を使えば――」

 

 予想だにしない圧倒的な超常の展開、そして空間を満たす見たこともない高純度の白銀の残光を前に、反乱軍の兵士たちも、あの胡散臭い隊長すらも、完全に大混乱に陥って狼狽え始めた。

 

 ――だが、その敵の全員の意識が、爆砕された出口へと完全に奪われた、一瞬の隙。

 

 イヴリンの理性的で冷徹な眼光は、アリーナの影の中を、人間業とは思えない神速の質量をもって、ステージの上のお嬢様の元へと音もなく隠密裏に接近していく『何か』の気配を、長年の経験から完璧に察知していた。

 

(――今だ)

 

 イヴリンは自分から敵の視線が離れた、そのまさに一瞬の合間を、プロとして絶対に見逃さなかった。

 

 彼女の細い指先が閃き、空間に残されていた目に見えない特殊合金ワイヤーを全力で引き絞る。アクロバティックな旋風の如き体術が再び炸裂し、イヴリンは自身を取り囲んでいた十数人の反乱軍の兵士たちを、相手が銃の引き金に指をかける暇すら与えず、あっという間にすべて床へと叩き伏せ、瞬時に完璧に無力化してみせた。

 

「なっ……警戒を怠るな!そっちの警備員を早く撃て! ――ちっ!こうなったら……何!?」

 

 イヴリンの反撃を見て、戦況の悪化を瞬時に不味いと察した隊長は、仕切り直すために、自身のすぐ傍らにいたアストラを再び力ずくで人質に取ろうと、狂暴に手を伸ばした。

 

 ――だが、その隊長の冷酷な指先がアストラの身体に触れるよりも、遥かに早く。

 

 気付けば、アストラの目の前には、仕立ての良い黒いジャケットの裾を鋭くはためかせ、泥まみれの布に巻かれた長剣『エクスカリバー』を背負った、一人の【白銀の使い手(アルト)】が、いつの間にかそこに音もなく立ち塞がっていた。

 

 アルトはその瑞々しい灰色の瞳に、おどおどとした気弱さを完全に排した、鋭い眼差しをした一人の気高き剣士の眼光を宿し、すでに男の動きを完璧に先んじて、アストラの細い手を優しく、的確にその手で引き寄せて、彼女を拉致の魔の手から完全に救い出していた。

 

「あ……あ、え……?」

 

 あまりにも一瞬のうちに世界の原則を書き換えられ、絶対絶命の檻の中から救い出されたアストラ・ヤオは、目の前に現れた黒スーツ姿のあまりにも気高すぎる青年の佇まいに、ただただ呆然として言葉を失っていた。

 

 すると、アルトはアストラの手を引いたまま、端正な唇の端を小さく和らげ、まるで由緒正しい城の回廊で待たせていた姫君を迎えるかのように、どこまでも優しく、気高き王子様の如き聲音で静かに呟いた。

 

「――お待たせしました、お嬢様。……もう、大丈夫です」

 

 夕暮れの茜色と白銀の残光が交錯する炎上のステージの上で、おどおどとした放浪者から完璧なる騎士へと様変わりしたアルトの瞳が、次なる反撃の合図を告げるように、反乱軍の隊長に向けて鋭く放たれた――。




・反乱軍の兵士たちを倒すイヴリン

【挿絵表示】

・アストラに無自覚に王子様ムーヴするアルト

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