虚狩る戎具「約束された勝利の剣」   作:ナゴン

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第2話 新エリー都の迷い人

 新エリー都の空は、いつだってどこか煤けている。

 

 低く垂れ込めた重苦しい雲から溢れ出した容赦のない雨が、六分街のコンクリートを叩き、激しい水飛沫を上げていた。かつての旧都のような世界の終わりを予感させる禍々しさこそないものの、突発的なホロウ災害の多発による慢性的な天候不順は、この近代的な都市に生きる人々の心を等しく憂鬱にさせている。

 

 ストリートカルチャーの薫る洗練された都会の夜を彩るように、路地裏に立ち並ぶショップの灯りや、どこか温かみを感じさせるレトロポップな看板が、激しい雨脚の中で滲むように明滅していた。水溜まりに優しく反射する青やピンク、紫の光の斑点は、まるでこの街の持つ独特な活気と混沌をそのまま映し出しているかのようだった。

 

「うへえ……最悪。予報だと曇りって言ってたのに、これじゃあ今日のお客さんは絶望的だね、お兄ちゃん」

 

 六分街の一角に店を構えるビデオ屋『Random Play』のカウンター。

 

 退屈そうに顎を乗せて外の雨景色を眺めていたリンが、大きくため息をついた。彼女の視線の先では、激しい雨のせいで人通りが完全に途絶えたストリートが、冷たい水膜に覆われている。隣で棚に並んだ古いビデオテープを慣れた手つきで器用に整理していたアキラは、苦笑しながら彼女に視線を向けた。

 

「仕方ないさ、リン。突発的なホロウ災害のせいでここのところ天候も不安定だからね。こんな日に無理をして店を開けていても、電気代の無駄になってしまう。いっそのこと、今日は店を早めに閉めて、バックヤードのメンテナンスでも――」

 

 カラン、コロン。

 

 アキラが言葉を紡ぎ終えるより早く、ドアに取り付けられた古びた真鍮の鈴が、湿った空気の中に澄んだ音色を響かせた。突風とともに吹き込んできた冷たい雨風が店内の温かな空気をかき乱し、それと同時に、一人の青年が滑り込むようにして店内に足を踏み入れてくる。

 

「っ……」

 

 アキラとリンは、同時にその姿に目を奪われ、一瞬だけ呼吸を忘れて言葉を失った。

 

 入ってきた青年は、ずぶ濡れになったグレーの厚手のフード付きパーカーに、同色のロングパンツを合わせていた。それは新エリー都のストリートでもよく見かける、機能性を重視した現代的なテックウェアの装いだ。衣服の上からでもはっきりと分かる、すらりと長く引き締まったその体躯は、固定概念に囚われない洗練されたストリートのファッションを完璧に着こなしている。

 

 しかし、何よりも二人の目を引いたのは、その青年の持つ雰囲気そのものだった。彼はフードを常に深く被っており、他者と視線を合わせるのを拒むかのように深くうつむいている。だが、激しい風に煽られてわずかに翻ったフードの隙間から、新雪を思わせる透明な灰色の髪と、すべてを静かに見つめる静謐な灰色の瞳がほんの少しだけ覗いていた。

 

 新エリー都のどんな派手な街の灯りにも、どんな混沌とした色彩にも決して染まることのない、圧倒的な気品。それはまるで、長い歴史の底から歩み出てきた高貴な存在であるかのような、奇妙な錯覚を覚えさせるものだった。

 

 だが、青年は二人の鋭い視線に気づくと、ハッと我に返ったように、酷く申し訳なさそうにおどおどと肩をすくめた。その佇まいは、先ほど一瞬だけ感じさせた気高さとは裏腹に、迷子の子犬のように気弱で頼りないものへと様変わりする。

 

「……あの、すみません。傘を持っていなくて、ひどい雨に降られてしまって。……少しだけ、ここで雨宿りをさせていただけないでしょうか」

 

 育ちの良さを感じさせる、あまりにも丁寧で澄んだ声。その一人称は、彼の見事な体躯には不釣り合いなほどに、控えめでどこか自信のなさそうなものだった。

 

「あ、ええと、もちろん構いませんよ! 衣服、ずぶ濡れじゃないですか。今、奥から乾いたタオルを持ってきますね!」

 

 リンが慌ててカウンターの奥へと走る。アキラは青年の様子を観察しながら、警戒心を抱かせないような穏やかで優しい声をかけた。

 

「どうぞ、そこのソファに腰掛けてください。……本当に酷い雨だ。衣服がそこまで濡れていては、風邪をひいてしまう。ボクはこの店の店主のアキラです。こっちは妹のリン」

 

「ありがとうございます。……ボクは、アルト、といいます。見ず知らずのボクにここまで親切にしていただいて、本当に助かりました、アキラさん」

 

 アルトと名乗った青年は、借りてきた猫のように小さくなってソファの端へと腰掛けた。戻ってきたリンから手渡された厚手のタオルを受け取ると、何度も恐縮しながら、濡れた灰色の髪を申し訳なさそうに拭い始める。

 

 アキラの視線は、自然と彼の背中へと向いた。アルトの背には、古びた、泥まみれの厚い布で幾重にも無骨にぐるぐる巻きにされた、一振りの『鉄塊』のようなものが背負われていた。サイズとしては洗練された長剣のようだが、およそ現代の武器屋やホロウ調査協会が支給する最新のガジェットや武器には見えない。あまりにも前時代的で、かつ戦場を渡り歩いてきたような異様な存在感を放っていた。

 

「アルトくん、背中のそれは……? もしかして、何か大切な荷物かい?」

 

「あ、これは……」

 

 アキラの探るような問いに、アルトは一瞬だけ、フードの奥の灰色の瞳に深い翳を宿した。まるで何かからその身を守るように背中の長剣をきつく引き寄せると、ぽつりと寂しげに呟く。

 

「……ただの、古い鉄塊です。ボクには、これしかなくて。……ずっと、一緒に旅をしてきた相棒のようなものです」

 

 その時だった。アルトの脳内に、アキラたちには絶対に聞こえない、鈴の鳴るような少女の声が響き渡った。それはアルトの武器に宿り、彼の脳内に直接語りかけてくる謎の精神体――マナカの声だった。その声音は、不純物を一切含まない、執拗なまでの情熱と、息が詰まるほどの盲目的な愛に満ち満ちていた。

 

『ああ、アルト……愛しい私のアルト。そんなボロボロの布に私を閉じ込めて、ただの鉄塊だなんて。私のすべてはあなたのものなのに。ねえ、早く私を解いて、私にあなたの敵をすべて刻ませて。あなたを傷つける世界なんて、私がすべて消し去ってあげるから……』

 

(……静かにしてくれ、マナカ。ボクはただ、静かに雨を凌ぎたいだけなんだ)

 

 アルトは心の中で、脳内の少女のあまりにも重苦しい愛の囁きを拒絶するように呼びかける。しかし、マナカの言葉は止まらない。彼の思考のすべてを自分の存在で塗りつぶそうとするかのように、熱を帯びた声が執拗に脳髄へと這い寄ってくる。

 

『ダメよ、アルト。私に静かにしろなんて言わないで。私はあなたのために存在し、あなたを愛するためだけにここにいるの。あなたがどんな姿になろうとも、私はあなただけのもの。だからお願い、もっと私を求めて、アーサー……』

 

 頭の奥を直接締め付けられるような純粋で重い愛の言葉に、アルトは小さく眉をひそめ、こめかみを押さえた。その様子を見たアキラは、彼が雨の寒さで体調を崩したのではないかと心配そうに目を細める。

 

 ――その瞬間だった。

 

 ウゥゥゥゥゥン――!!!

 

 六分街の街頭に設置されたスピーカーから、鼓膜を激しく裂くような大音量のサイレンが鳴り響いた。それと同時に、建物の基礎を激しく揺るがすような不気味な地鳴りと振動が、『Random Play』の店内を襲う。棚のビデオテープが数本、床へと滑り落ちて高い音を立てた。

 

『警告、警告。近隣エリアにて高濃度エーテル反応を感知。突発的なホロウ災害が発生しました。近隣の住民および滞在者は、直ちに店を閉め、指定の緊急シェルターへ避難してください――』

 

「嘘、こんな街の真ん中でホロウ災害が発生するなんて!?」

 

 リンが悲鳴のような声を上げる。アキラは即座にソファに座るアルトに向かって、慌てて避難を促した。

 

「アルトくん、ここも危険だ! すぐ近くのシェルターへ避難するんだ。ボクたちも戸締まりをしてから後を追うから、君は先に行ってくれ!」

 

「……いえ、申し訳無いですがボクには、往かなければならない場所があります」

 

 アキラの言葉に対して、アルトは避難に頷く様子を一切見せなかった。それどころか、フードの奥の灰色の瞳に、おどおどとした気弱さとは全く違う、真っ直ぐで高潔な光を宿して立ち上がった。彼は背中の鉄塊を力強く握り締めると、シェルターとは全く逆の方向――激しい雨と紫黒の霧が渦巻く、生まれたばかりのホロウの深淵へと向かって、迷いなく店の裏口から飛び出していった。

 

 アルトのそのあまりにも毅然とした、迷いのない後ろ姿が雨の幕の向こうへと消え去った瞬間、アキラとリンの表情から、先ほどまでの「優しいビデオ屋の店主の兄妹」としての顔が、嘘のように消え失せた。二人の瞳には、百戦錬磨のプロフェッショナルだけが持つ冷徹な光が宿っている。彼らこそ、新エリー都の裏社会でその名を知らぬ者はいない、伝説のプロキシ『パエトーン』だった。

 

 二人は一言も交わすことなく、目配せだけで息を合わせると、即座にカウンター奥のバックヤードへと足早に移動した。部屋の中央に鎮座する、プロキシとしての頭脳であるHDDシステム。アキラが慣れた手つきでメインコンソールを立ち上げ、モニターの電源を入れる。

 

「リン、ボンプの接続を確認してくれ。システム、オンラインにする」

 

「確認したよ、お兄ちゃん。メインサーバー接続。六分街の環境局データをハッキング……マップを展開する。……待って、モニターを見て。これ、かなりマズいよ」

 

 リンがキーボードを叩き、バックヤードの大型モニターにホロウの境界線マップがリアルタイムで描画されていく。紫色の危険領域が、まるで生き物のように六分街の路地裏を侵食していた。

 

「路地裏の付近にホロウが急速に形成されてる。拡張速度が速すぎて、逃げ遅れた子供のバイタルサインが完全に閉じ込められちゃった。でも、治安局の救助部隊は別のエリアの対応に追われてて、こっちには間に合わない……!」

 

 リンが突きつけたあまりにも過酷な現実に、アキラの鋭い眼光が、モニターに表示された子供のバイタル数値を冷徹に分析する。救助を待つ猶予は数分。新エリー都のどのエージェントに連絡を取っても、この六分街の路地裏へ瞬時に突入することは不可能だった。

 

 ――いや、唯一、自分たちならば、今すぐにそこへ行く方法がある。

 

「……リン。ボクが直接、現地へ行く。イアスへの同期準備をしてくれ」

 

「えっ!? お兄ちゃん、本気!? いくらイアスを直接操作するからって、ナビゲーターであるプロキシが直接ホロウに入るなんて、あまりにも危険すぎるよ!」

 

「他に方法がない。パエトーンの名前が泣くからね。さに……先ほど出ていったあの奇妙な雰囲気の青年も、おそらくあの方向へ向かった。子供だけでなく、彼が巻き込まれるのも防がなくてはならない」

 

 アキラの静かな、しかし解き放たれたプロキシとしての絶対的な意志を孕んだ声に、リンは唇を噛んで頷いた。

 

「わかった……! イアス、システム同期開始……いってらっしゃい、お兄ちゃん。絶対に無理はしないで!」

 

 アキラはHDDコンソールの前に深く腰掛け、点滅するインジケーターを見つめながら意識を集中させた。コンソールから放たれた淡い光が彼の端正な素顔を照らし、システムが彼の脳波を完全に認識していく。刹那、彼の意識は肉体を離れ、バックヤードの隅に待機していた、ウサギのような耳と丸いフォルムを持つパエトーン専用のカスタムボンプ――『イアス』へと乗り移った。

 

「……よし、感覚は良好だ。リン、バックアップを頼む」

 

 イアスの小さな口から漏れたのは、アキラ自身の落ち着いた声。ボンプ特有の機械的な電子音が混じるものの、その思考は完全にアキラそのものだった。イアスは短い足を器用に動かし、雨が降りしきり、空間の歪みが急速に拡大している六分街の路地裏へと飛び出していった。 大気中に満ちるエーテルによって、周囲の景色がグニャリと歪み、不気味な紫色の結晶がアスファルトの表面を覆い始めている。一般的なホロウとはいえ、その内部は一歩間違えれば永遠に彷徨うことになる迷宮だ。アキラはイアスの視覚センサーと、耳元で響くリンの正確なバックヤードからのナビゲーションを頼りに、最短ルートでデッドエンドへと突っ走る。

 

「お兄ちゃん、そのまま右の路地へ! 子供のバイタル、すぐ近くだよ!」

 

「了解だ、リン」

 

 イアスは瓦礫を飛び越え、行き止まりの路地裏へと滑り込んだ。そこには、崩落したビルのコンクリートの陰で、恐怖のあまり膝を抱えてガタガタと震えている小さな男の子の姿があった。その肌は、ホロウ内の慢性的なエーテル侵食によって、ごくわずかに血の気が引いている。「ボク、もう大丈夫だよ。ボクと一緒にここから出よう」

 

 イアス――アキラの声が路地裏に響く。男の子は、突如として現れた小さなボンプが人間の言葉を喋ったことに驚き、さらに怯えたように身をすくませた。

 

「嫌だ……! 怖いよ! 外に行こうとしても、変なバケモノがいて……進めないんだ……!」

 

「怖いのはよくわかる。でも、ここに留まっていれば、大気中のエーテルで君の身体が、本当に壊れてしまう。ボクを信じて。ボクは君を外へ安全に導くためのプロキシだ。必ず君を守って新エリー都へ帰す」

 

 イアスは短い手を差し伸べ、男の子の目を真っ直ぐに見つめた。ボンプの愛らしい容姿と、そこから発せられるアキラの圧倒的な包容力を持った大人の声。その奇妙なアンバランスさが、逆に男の子の心を落ち着かせたのか、子供は涙を拭いながら、恐る恐るイアスの小さな手を握り締めれた。

 

「うん……わかった。ボク、行く……!」

 

「いい子だ。さあ、ボクのすぐ後ろを離れずに歩くんだ。リン、最短の脱出ルートを展開してくれ」

 

「了解、お兄ちゃん! 今マップを……って、嘘!? 待って、上から高エーテル反応が接近中! 上だよ!!」

 

 リンの悲鳴がバックヤードからスピーカー越しにイアスへ伝わった刹那、ズ、ズン……と、路地裏の頭上が激しく爆発した。

 

 崩落した天井の瓦礫とともに幾つもの破片が這い出てきたのは、通常のホロウ内に群生するエーテリアスの中でも群を抜いて凶悪な、巨大な外殻を纏った大型のエーテリアスだった。その鋭い結晶の爪が、激しい風切り音を立ててイアスと子供の頭上へと振り下ろされる。

 

「くっ……!」

 

 アキラはイアスの身体を投げ出すようにして子供を庇い、間一髪でその一撃を回避した。しかし、背後のアスファルトは怪物の質量によって一瞬で粉砕され、唯一の退路が完全に塞がれてしまう。 大型のエーテリアスは不気味な咆哮を上げ、標的を完全にイアスたちへと定めていた。アキラが操作するイアスは戦闘用の特殊な改造を施されているわけではない。案内人としての機能が全てであり、この距離で大型の怪物に襲われれば、子供を守るどころか自分たちの意識ごと消し飛ばされるのは時間の問題だった。

 

「お兄ちゃん、逃げて!……ダメ、退路がない……! どうしよう、どうしよう……!」

 

 バックヤードのリンの声が、絶望に震える。子供はイアスの背中にしがみつき、恐怖のあまり完全に目を閉じていた。アキラはイアスの小さな身体で怪物の前に立ち塞がり、温厚な面持ちの奥で冷や汗を流しながらも、案内人としての誇りを胸に、最後まで抗うべく意識を研ぎ澄ました。

 

 万事休す。誰もがその終わりを予感した、その絶体絶命の瞬間――。

 

 ギィィン!!!

 

 鼓膜を激しく震わせる、重厚で鋭い金属の衝突音が、ホロウの闇を引き裂いて炸裂した。

 

「ガ、アァァァッ!?」

 

 イアスたちにトドメを刺そうと振り下ろされていた怪物の結晶の爪が、強烈な力によって弾き飛ばされ、大型のエーテリアスが不快な悲鳴を上げて数歩後退した。

 

 何が起きたのか分からず、アキラがイアスのセンサーアイを向けると、そこには、何重もの古びた布で幾重にも無骨にぐるぐる巻きにされた一振りの長剣を両手で構える、一人の青年の後ろ姿があった。

 

「アルト……くん……!?」

 

 イアスの口から、思わずアキラ本来の声が漏れ出る。 そこに立っていたのは、先ほどビデオ屋『Random Play』にずぶ濡れで駆け込んできた、あの気弱でおどおどとしていた放浪の青年、アルトだった。しかし、今の彼の後ろ姿には、先ほどまでの頼りなさは微塵も存在しない。グレーのフードの隙間から覗く新雪のような灰色の髪が風に踊り、その佇まいは、まるで戦場に立つ孤高の騎士そのものだった。

 

「アキラさん……の、お友達のボンプ、ですか? ……もう大丈夫ですよ。ボクが来たからには、誰も傷付けさせません」

 

 アルトはイアスを振り返ることなく、そのあまりにも静かで、けれど芯の通った優しい声で語りかけた。彼は長剣を再び両手で正しく握り締めると、眼前に君臨する大型のエーテリアスへとその灰色の瞳を向けた。

 

 彼の脳内で、深く、重く、熱狂的なマナカの声が、アルトの戦いへの決意を全肯定するように響き渡る。

 

『ああ……愛しいアルト。私の大好きなアルト! さあ、私を手にとって?私で全てを斬り裂いて……!』

 

(……マナカ、刃に力を――!)

 

『ええ、ええ、喜んで! 私のすべてのエーテルを、あなたの刃に捧げるわ……!』

 

 アルトが心の中で応じた瞬間、長剣の奥底に秘められた強大かつ純粋なエーテルエネルギーが、刀身の表面を覆うように脈動を始めた。

 

 剣身を覆っていた古びた布が、内側から溢れ出たマナカの濃密な白銀のエーテル粒子と、漏れ出た不可視の圧縮風によって激しく引き千切られ、宙へと舞う。刀身から溢れ出した白銀の粒子が、鋭い暴風となってホロウの闇を吹き飛ばした。

 

「ハァァァッ!」

 

 アルトの口から鋭い呼気が漏れる。

 

 大型のエーテリアスが咆哮とともに巨大な腕を振り下ろすが、アルトは流れるような無駄のない身のこなしでそれを紙一重で回避。それどころか、すれ違いざまに長剣を一閃させ、怪物の分厚い外殻を容易く切り裂いた。

 

「ガ、アァァァッ!」

 

 怪物が苦悶の声を上げるが、アルトの猛攻は止まらない。彼の剣技はあまりにもシャープで、あまりにも圧倒的だった。過剰な巨大さを持たない洗練された白銀の片手半剣が、縦横武尽にホロウの闇の中に美しい光の軌跡を描いていく。

 

 怪物の放つ鋭い反撃を、長剣の腹で完璧にいなし、その力を利用して跳躍するアルト。

 

 宙で身を翻した彼は、刀身へと白銀の闘気を極限まで集中させた。髪が風に激しく逆立ち、フードの奥の灰色の瞳が、気高き騎士のそれへと鋭く研ぎ澄まされる。姿形は灰髪灰瞳の放浪者のままでありながら、その威風堂々たる佇まいは、見る者を平伏させるほどの絶対的な風格を放っていた。

 

「……これより、道を拓きます」

 

 漏れ出たのは、気弱さの一切が消え失せた、凛とした声音。

 

『ああ……綺麗、本当に素敵よアルト……!』

 

 脳内のマナカの熱狂的な全肯定の声とともに、アルトは空中から一気に急降下した。

 

 圧倒的な踏み込みとともに放たれた流麗な一閃。それは洗練された絶対的な残光となって怪物の巨躯を一刀両断にし、その背後にあったホロウの闇ごと白昼のように照らし出した。

 

 ズザァァァン……!!!

 

 激しい爆鳴とともに大型のエーテリアスは跡形もなく消滅し、それと同時に、このエリアを構成していたホロウの空間そのものが嘘のように霧散していった。後に残されたのは、ただ静かに降り注ぐ、汚染の消えた本物の雨と、呆然と立ち尽くすイアス(アキラ)の姿だけだった。

 

「お兄ちゃん……今の一撃、何……!? 大型のエーテリアスだけじゃない、ホロウそのものが一瞬で消滅したよ……!?」

 

「……ああ、信じられないな。新エリー都に、これほど圧倒的な使い手が潜んでいたなんて……彼は一体何者なんだ……」

 

 イアスのセンサーアイを通じて、アキラは目の前の放浪の青年の背中を凝視していた。

 

 敵を完全に消滅させた直後、アルトは何事もなかったかのように、流れるような動作で長剣を鞘へと収めた。その刹那、白銀の闘気は嘘のように消え失せ、彼の髪や佇まいは再び、元の頼りなげな「灰髪灰瞳の放浪者」のそれへと瞬時に戻っていく。

 

 ゆっくりと振り返った彼は、恐怖の余韻でまだ泣きじゃくっている小さな子供の前に静かに屈み込むと、優しくその頭を撫でた。

 

「もう怖いバケモノはいないよ。ボクと一緒に、お家に帰ろうか」

 

 そして、アルトは隣でぽつんと立ち尽くしていたイアスへも、いつもの丁寧で控えめな灰色の瞳を向けた。アキラが操作するイアスが、ホロウの急な消滅によって状況に追いつけず、まるで同じように取り残されて迷子になってしまったかのように、アルトの目には映ったのだろう。

 

「君も、アキラさんのお家にいたボンプだよね? 一緒に行こう。ボクが案内するから、迷子にならないようにボクの服の裾を掴んでいてね」

 

 アルトは少しだけ照れくさそうに微笑みながら、自分のテックウェアパーカーの裾をイアスに向かって差し出した。イアスを通じてその光景を見ていたバックヤードのアキラは、イアスの短い手で大人しくその裾をぎゅっと握り締めた。

 

 こうして、正体不明の圧倒的な強さを持つアルトは、いつの間にか元の「おどおどとした優しい青年」の佇まいに戻り、小さな子供を優しくおんぶし、服の裾を健実に掴むイアスを連れて、汚染の消えた六分街の路地裏をゆっくりと歩き出した。アキラはイアスの視覚を通じて、自分たちを静かに道案内してくれるその頼もしい背中を、畏敬の念を抱きながら静かに見つめ続けていた。

 

 数時間後。子供を無事に家族の元へと送り届け、ホロウ災害が完全に収まった六分街で、アルトはイアスとともにビデオ屋『Random Play』へと帰還した。バックヤードからコンソールを落とし、表のカウンターへと素早く戻ってきたアキラとリンは、何事もなかったかのように店へと入ってきたアルトを、親切なビデオ屋の店主として暖かく迎え入れた。

 

 アルトはビデオ屋のロビーのソファに腰掛け、温かい飲み物を手にしていた。

 

 目の前には、心配そうに顔を覗かせるアキラとリンがいる。お互いに、相手が先ほど現場で出会った「伝説のプロキシ」であり「ホロウを消し飛ばした正体不明の謎の剣士」であるとは、露ほども思っていない。

 

「大丈夫かい、アルトくん。ボクたちのイアスをわざわざ家まで送り届けてくれて、本当にありがとう。シェルターへ向かう途中で巻き込まれなくて、本当によかった」

 

「あ、アキラさん……リンさん。ボク、避難する途中で足がすくんでしまって……でも、迷子になっていたボンプちゃんと男の子を見つけたので、なんとかここまで連れてこられてよかったです。ご迷惑をおかけして、本当にすみません」

 

 アルトはいつもの気弱な態度で俯き、顔を真っ赤にして恐縮した。アキラは「いいんだよ、無事ならそれで。君は命の恩人だ」と穏やかに微笑み、リンも「そうそう! アルトくん、本当にありがとうね!」と無邪気に笑う。しかし、兄妹の脳裏には、先ほど裏のシステムで直接観測した、あの「白銀の光を放つ圧倒的な騎士」の残光が、消えない衝撃として深くこびりついたままだった。

 

 アキラたちが店番の片付けに戻り、完全に一人になった自室の室内で、アルトはふらりと立ち上がり、壁に掛けられた鏡の前に立った。

 

 鏡に映る、自分の冴えない灰色の容姿。フードを少し直し、いつもの自分を確認するように、鏡の中の瞳を静かに見つめる。

 

「……やっぱり、か」

 

【挿絵表示】

 

 

 前髪のほんの一房だけが、元の灰色に戻らず、眩いばかりの『黄金色』に染まったまま、部屋の明かりを弾いていた。マナカのエーテルを直接通しただけの戦闘であったにもかかわらず、彼の身体の奥底で何かが確実に変化を始めている。

 

 だが、その様子を見つめるアルトの瞳に、動揺や絶望の破片は微塵も存在しなかった。彼は、この超常的な力を行使するたびに自身の肉体に訪れるこの不可解な異変を、とっくの昔から自覚していたのだ。そこにあるのは、ただ静かにその運命の重さを受け入れるような、深い諦観の念だけだった。

 

 脳内で、低く、どこまでも深く甘い少女の囁きが、彼のその静かな諦めを優しく抱きしめるように響き渡る。

 

『ふふ、嬉しいわアルト。また一歩、私の大好きな王様に近づいてくれたのね。あなたの身体が白銀と黄金の光で満たされるその日まで、私はずっとあなたを愛し続けるわ……』

 

 自分に訪れる不可思議な異変のタイムリミットを冷徹に見つめながら、アルトはただ一人、鏡の前で静かに佇んでいた。

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