天下万悪の父   作:ボディ

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第五話 曲がる

 リグが帰ってこなかった。

 昼までには戻ると言って出ていったのが朝で、日が傾き始めても姿がない。

 最初に気づいたのはミナだった。

「リグ、まだ帰ってない」

 エリアフは床に寝転がったまま窓の外を見た。

「どっかで遊んでんじゃねえの」

「銀貨七枚持ってる」

 それを聞いて起き上がった。

「七枚?」

「昨日ドバンから預かってた」

「何であいつに七枚持たせんだよ」

「革買うから」

「革くらい銅貨で買えるだろ」

「三十人分」

「ああ」

 それなら要る。

 エリアフはまた寝ようとしたが、一度聞いた七枚が頭に残った

 七枚あればかなり食える。新しい靴も買えるし、前に見た短剣なら二本買ってもまだ余る。

「持って逃げたとか?」

 そう言うと、窓際で靴紐を直していたボッカが顔を上げた。

「リグが?」

「金好きだろ」

「お前もだろ」

「俺は七枚じゃ逃げねえよ」

 ミナがエリアフを見た。

「いくらなら逃げる?」

 少し考えた。

「百」

「逃げるんじゃねえか」

 ボッカが呆れた顔をした。ミナは今度はそちらを見た。

「百ならボッカも逃げる」

「逃げねえよ」

「二百でも?」

「何で俺まで聞かれてんだよ」

「うそつけよ」

 エリアフは思わず声に出した。

「お前ら、人を何だと思ってんだ」

 ボッカはこういう時にちゃんと答えるから面白い。リグがいれば、話はもっと長引くし、ボッカはもっと怒ることになる。

 そのリグがいない。だんだん気になってきた。

 リグは金には汚い。人の酒も勝手に飲むし、食い物も取る。

 ただ、七枚持って消えるかと言われると、なんとなく違った。

「探してくる」

「俺も行く」

 ボッカが立った。

「何で?」

「お前一人で出したら、途中で別のもん見つけて帰ってこねえだろ」

 昨日、水を汲みに出て港で船を見ているうちに桶を忘れたばかりだった。

 エリアフは言い返さず、靴を履いた。ミナも上着を取った。

「ミナもいくのか?」

「暇」

「ボッカと同じだな」

「一緒にするな」

「おい」

 

 

 三人で町へ出た。

 町へ来たのは四日前だった。三本の街道がぶつかる場所にできた町で、革屋、鍛冶屋、馬屋、酒場がひしめき、その間を荷車と旅人が絶えず通っている。

 リグはこういうところへ来ると勝手に知り合いを増やす。

 昨日も知らない女と道端で喋っていた。あとで誰か聞いたら、パン屋の娘だと言った。

「知り合いだったの?」

「いや。今なった」

 エリアフにはその感じがよく分からなかった。

 人に声をかけることはできる。必要ならいくらでも喋る。ただ、用がなくなればそこで終わる。リグはなぜか終わらない。パンの値段から兄弟の話になり、父親の仕事になり、気がつけば裏通りの倉庫に夜番が何人いるかまで知っている。

 前にどうやっているのか聞いたら、「普通に喋ってりゃ出てくるだろ」と言われた。

 その普通が分からないから聞いている。

 革屋に着くと、店主はすぐリグを思い出した。

「あの茶髪の兄ちゃんだろ。朝来てたよ。散々値切って、結局買わずに出ていった」

「何してんだあいつ」

 ボッカが額を押さえた。

「途中で何か見つけたみたいだったな。店の外見て、急に出てった」

「金は?」

 ミナが聞いた。

「持ってたよ。七枚きっちり。六枚にしろって全部机に並べてきたから覚えてる」

「七枚あるのに六枚にしようとしたの?」

 エリアフが聞くと、店主は嫌そうな顔をした。

「『七枚しか持ってない奴から七枚取るのはひどい』とか何とか」

 エリアフは笑った。

「それで?」

「七枚だって言ったら、『じゃあ考える』って外出て、そのまま帰ってこねえ」

「絶対買う気なかっただろ」

 ボッカが言った。

 そこから市場を回った。

 肉屋で見た者がいた。井戸のそばでも喋っていたらしい。馬屋にも顔を出している。

 エリアフはだんだん腹が立ってきた。

「革買いに来たんだよな、あいつ」

 

 市場の南まで来たところで、ようやく話が変わった。

「ああ、あの兄ちゃんか。南門のところで揉めてたぞ」

「誰と?」

「商人の護衛。役人も来てたな」

 三人は南門へ向かった。

 門の手前には十人ほど人が集まっていた。荷車の邪魔になるので門番にどけと言われながら、それでも少し離れた場所から眺めている。

 エリアフは人の間を抜けて前へ出た。

 リグが壁際に座っていた。口の端が切れて、頬も赤い。

「リグ」

 声をかけると顔を上げた。

「遅かったな」

「何してんだよ」

 その前には三十くらいの男が立っていた。短く刈った髪に灰色の上着。町の兵士ではない。その横に役人が二人いる。

 男がエリアフたちを見た。

「仲間か?」

「そうだけど」

「こいつが俺の財布を持ってた」

 エリアフはリグを見た。

「盗ったのか?」

「盗ってない」

「本当に?」

「お前まで疑うのかよ」

 ボッカも人垣を抜けてきた。

「盗ったなら返せよ」

「盗ってねえって!」

「持ってたなら疑われるだろ」

「道に落ちてたんだって」

 ミナはリグの横へしゃがんだ。

「七枚は?」

「あるよ」

 リグが懐から革代の袋を出した。

 音を聞いて、エリアフは安心した。

「じゃあ帰ろうぜ」

「待て」

 灰色の男が、リグから回収したのであろう財布を持ち上げた。

「銀貨二枚がない」

「最初から入ってなかった」

 リグが言った。

「入ってた」

「銅貨十九枚しかなかった」

 少し間が空いた。

 エリアフが聞いた。

「……何で中身知ってんの?」

「見たから」

「何で見るんだよ」

「落ちてたんだぞ。見るだろ」

 ボッカが鼻から息を吐いた。

「お前、それで疑われてんじゃねえか」

「拾っただけだって」

「拾って、中見て、持って歩いてたんだろ?」

「返すつもりだった」

「いつ」

 リグが黙った。

 

 灰色の男が手を出し、銀貨7枚が入った袋を指してくる。

「その中も調べる」

「これは俺らの金だ」

「俺の銀貨が二枚なくなってる」

「だから取ってねえって」

 役人が袋を受け取り、中を数えた。

「七枚だな」

「そいつが二枚抜いて混ぜたかもしれないだろ」

 男の言うことは当然だった。

 リグが何か言う前に、ミナがエリアフを見た。

「革屋」

「あ」

 店主は、財布を拾うより前のリグが七枚持っていたのを見ている。

 役人に話すと、一人が確認へ走った。

 待っている間、灰色の男は腕を組み、リグは壁にもたれていた。野次馬はまだ残っていたが、門番が何度も追い払ううちに半分ほどになった。

 しばらくして役人が戻ってきた。

「革屋が七枚確認してる。朝、この男が七枚全部を机に出したそうだ」

 灰色の男はまだ不満そうだった。

「じゃあ身体に隠してる」

「それは詰所で調べる」

 役人が言った。

 リグは露骨に嫌そうな顔をした。

「嫌だね」

「お前が拾った財布を持って歩いてたんだ。諦めろ」

「拾っただけなのに」

「中身まで数えた奴が言うな」

「あーもう!分かったよ!」

 立ち上がろうとしたリグが、少し足をもつれさせた。

 エリアフはそこで気づいた。

「お前、逃げなかったの?」

「逃げたよ」

「じゃあ何で捕まってんの」

 リグが灰色の男を顎で指した。

「こいつ固有持ち」

 エリアフはそちらを見た。

 さっきまで気になっていた銀貨二枚が、急にどうでもよくなった。

「何の?」

「知らねえよ。走ったら横に飛ばされた」

「横?」

「だから俺にも分かんねえって」

 エリアフは男の手を見た。

「もう一回やって」

「何を?」

「今のやつ」

 ボッカが肩を掴んできた。

「おい。詰所行けば済む話だぞ」

「ちょっと見るだけ」

「何でお前が見る必要あるんだ」

「見たいから」

 リグが壁にもたれたまま笑った。

「やらせろよ。俺だけやられたのも癪だし」

「お前は黙ってろ」

 ボッカに言われたリグが、今度はそちらを見た。

「じゃあボッカで試そうぜ」

「何で俺だよ」

「でかい方が分かりやすいだろ」

 ミナも灰色の男とボッカを見比べた。

「重いものだと違うかもしれない」

「お前まで乗るなよ」

 エリアフもその言葉で急に見たくなった。

「一回走ってみてよ」

「絶対嫌だ」

 周りにまだ残っていた連中から笑いが漏れた。

 ボッカがそちらを睨むと、余計に笑われた。

 灰色の男は笑っていなかった。

「俺は芸人ではない。くだらん遊びには付き合わんぞ」

 エリアフが前へ出た。

「一回だけ俺にやって」

「嫌だ」

「何で」

「何でそんなことをする必要がある」

「じゃあ捕まえてみて」

「エリアフ」

 ボッカが止めた時にはもう走っていた。

 男に突進する。ただ、リグに何をしたのか見たかった。

 灰色の男が咄嗟に右手を出した。

 胸に手のひらが触れた。

 押された感じはほとんどなかった。

 なのに、まっすぐ走っていた身体が右へずれた。

 エリアフは自分では前へ足を出しているつもりだった。地面の方が急に横へ動いたような気さえした。次の足が追いつかず、肩から石畳へ転がった。

「……何だ今の」

 起き上がる。

 肩が痛い。

 男は面倒そうな顔をしていた。

「これで満足か」

「もう一回」

「帰れ」

 エリアフは男の返事を待たず、今度は左側から走った。

「おい!」

 また手が来た。

 肩へ触れた瞬間、今度は左へ流れた。前へ進む勢いそのものは消えていない。身体だけが別の方へ向かされた。

 今度はどうにか踏ん張った。

 エリアフは振り返った。

「押してないよな?」

「押してねえよ」

 リグが横から言った。

「俺もそれやられた。全力で走ってたから、そのまま壁に突っ込んだ」

 エリアフは足元の小石を拾った。

 灰色の男が嫌な顔をした。

「投げるなよ」

「一回だけ」

「やめろ」

 投げた。

「おい!」

 男が反射的に手で払った。

 石は手の甲に当たったところで、斜め上へ逸れた。勢いはほとんど落ちず、人垣の向こうまで飛んでいった。

「曲がった!」

 エリアフは飛んでいった方を見た。

 向こうで誰かが「痛え!」と叫んだ。

 一瞬静かになった。

 エリアフはそちらへ向かって「悪い!」と叫んだ。

「悪いで済むか!」

 役人に頭を小突かれた。

 ミナは石ではなく男の手を見ていた。

「止めてないね」

「うん」

「向きだけ変わってる」

 エリアフは自分が転んだ場所を振り返った。

 そうだ。

 押し返されたわけじゃない。

「じゃあ、重いものなら?」

 エリアフとミナが同時にボッカを見た。

「やめろ」

 ボッカがすぐ言った。

 リグまで顔を上げた。

「ちょっと走るだけだって」

「走らねえよ」

「ボッカならそんな曲がらないかもしれない」

 ミナが言う。

「何でそんなこと確かめなきゃいけねえんだよ」

「気になるから」

 エリアフが答えると、ボッカはしばらく何も言わなかった。

「お前ら、俺を何だと思ってんだ」

 リグが笑った。

「でかいもの」

「殴るぞ」

 近くに空の木箱があった。

 エリアフがそれを見ると、ボッカが先に言った。

「それ他人のだぞ」

「まだ何も言ってない」

「顔で分かる」

 仕方なく諦めた。

 その時、役人がリグの腕を取った。

「もういい。詰所行くぞ」

 リグは嫌そうに身を引いた。

「だから触んなって」

「逃げるなよ」

「逃げねえよ」

 言いながら、少しずつ門の方へ身体が向いている。

 エリアフには分かった。

 こいつ逃げる気だ。

 次の瞬間、リグが走った。

 灰色の男が舌打ちして追った。

 リグは人の間を抜け、屋台の脇を走る。速い。さっきまで足を痛めていたのに、もうほとんど分からない。

 しかし男も相当早い。もう追いつきそうだ。

 男の右手がリグの肩へ触れた。

 リグの身体が急に横へ流れた。

 今度は転ばなかった。

 流された先にあった屋台の柱を片手で掴み、その勢いのまま身体を回して、男の脇から抜けた。

 エリアフは思わず叫んだ。

「おお、うまい!」

 リグがちらっとこちらを見た。

 得意そうな顔をした。

 そのまま木桶につまずいて転んだ。

 ボッカが吹き出した。

「何やってんだお前」

「うるせえ!」

 エリアフも笑いながら駆け寄った。

「ドヤ顔しながらこっち見るからだ」

「見てねえ」

「見てた」

 ミナも追いついてきた。

「格好つけてた」

「つけてねえよ」

「つけてたな」

 ボッカにまで言われ、リグが地面から睨み上げた。

「ボッカにだけは言われたくねえ」

「何で俺なんだよ」

「昨日、馬乗る時に反対側から落ちたじゃん」

 エリアフは初耳だった。

「何それ」

「言うな」

 ボッカの顔が変わった。

「どういうこと?」

 ミナまで少し身を乗り出した。

「乗ったあと?」

「その話やめろ」

「こいつな、鐙に足かけた時――」

 リグが言いかけたところで、ボッカが飛びかかった。

 リグは転んだ直後なのに、そこだけはやたら速く逃げた。

「最後まで言えよ!」

 エリアフも追った。

「お前は黙ってろ!」

「俺まだ聞いてねえ!」

 そこへ役人の怒鳴り声が飛んだ。

「お前らいい加減にしろ!」

 今度は本気で怒っていた。

 門番も来た。

 残っていた野次馬は散らされ、四人まとめて詰所へ連れていかれた。

 身体と荷物を調べても、灰色の男が言う銀貨二枚は出なかった。革代の七枚については、革屋の主人が財布を拾う前から持っていたと証言している。

 役人は灰色の男に言った。

「ここまでだ。こいつが財布を持っていたのは事実だが、銀貨を盗った証拠はない」

「二枚入ってたんだ」

「財布を落としてから拾われるまでに、誰かが抜いたかもしれん。お前の勘違いかもしれん。これ以上はどうにもならん」

 男は納得していなかったが、それ以上押し通すこともできなかった。

 詰所を出る時、リグが男の背中へ舌を出した。

 エリアフが見ているのに気づくと、何事もなかったような顔をした。

「何だよ」

「いや」

「何」

「別に」

「笑うなよ」

「笑ってねえよ」

 革屋へ戻る途中、ボッカが言った。

「今度こそ寄り道すんなよ」

「分かってるって」

 リグは口を尖らせた。

「そもそも財布が落ちてたのが悪いんだよ」

「お前が拾わなきゃよかっただけだろ」

「落ちてる金見て素通りできる?」

 エリアフは少し考えた。

「無理だな」

「だろ?」

 ボッカが二人を見た。

「お前らほんと駄目だな」

 ミナが言った。

「ボッカなら届ける?」

「届けるよ」

 三人ともボッカを見た。

「何だよ」

 リグが笑った。

「やっぱお前、盗賊向いてねえんじゃねえの」

「うるせぇ」

 エリアフはまた笑った。

 革屋へ帰る途中、エリアフは昼間のことを何度も頭の中でやり直していた。

 石が手に当たった瞬間。

 リグの身体が横へ流れた瞬間。

 止めてはいない。

 勢いもほとんどなくなっていない。

 あの男は、動いているものを横へ曲げていた。

 矢ならどうなる。

 もっと速いものなら。

 馬なら。

 重い荷車なら。

 あの時、本当にボッカを走らせればよかった。

 前を歩いていたボッカの背中を見た。

 今から頼んでもやらないだろうか。

「エリアフ」

 ミナが呼んだ。

「なに」

「革屋通り過ぎた」

 振り返ると、店はだいぶ後ろにあった。

「早く言え!」

 走って戻った。

 

 

 その夜、ドバンに事情を話した。

 銀貨七枚は無事だった。

 革も買った。

 

「で」

 

 ドバンが低い声で言った。

 

「誰が固有持ちに喧嘩売った」

 三人ともエリアフを見た。

「いやどう考えてもリグだろ。財布盗ったのが悪い」

「お前だろ」

 リグが言った。

「そもそも別に喧嘩じゃねえだろあれは」

「ボッカはなんで何もしなかったんだ」

「リグはドヤ顔で転んでた」

「関係ないだろ!」

 ドバンが机を叩いた。

「うるせえ!」

 部屋が静かになった。

 エリアフは椅子に座り直した。

 ドバンはしばらく四人を睨んでいたが、最後にリグを見た。

「財布は?」

「返した」

「中身取ったか?」

「取ってねえよ!」

「本当に?」

「何で全員そこ疑うんだよ!」

 ドバンまで笑った。

 リグだけ笑わなかった。

 エリアフは横でまた笑った。

 

 

 そのあと、寝床へ戻ってからも、昼間の男の手が頭から離れなかった。

 触ったものの向きが変わる。

 どうやっているのかは分からない。

 自分にも固有術が欲しいと、そう思う。

 暗い天井を見ながら、自分の手を上げた。

 何も起きない。

 試しに横で寝ているリグの頬を押した。

「何すんだよ」

「何も起きねえな」

「起きたよ。俺が起きた」

「もう一回」

「寝ろ」

 手を叩かれた。

 エリアフはしばらく自分の掌を見ていたが、いつの間にか眠っていた。

 

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