「どう思う、アニキ」
「カスばかりだ」
深夜。
秋名の頂上は薄い霧のような熱気に覆われていた。
それを冷笑するように佇む二人の男。――高橋兄弟。
その弟である啓介が兄の涼介に質問を投げかけ、涼介は吐き捨てるように言う。
「うちのチームの二軍でも楽に勝てる。来週はベストメンバーで来ることはない」
オレはパスだ。
冷たい宣言と共に、涼介は車にもたれ掛かる。
啓介は「当然だな」と思うように兄と同じように自らの車……黄色いFDに身を預ける。
交流会を提案したその日の一回目の走りから、既に二軍連中に後れを取っていたスピードスターズの面々。
そいつらの散々な走りを思えば、兄がそう言うのも納得であった。
オレもパスするか。
そう言いかけた時に、それを読んでいたように涼介が言う。
「お前は走れ」
啓介は一瞬言葉を詰まらせた。
「地元の連中が何年かかっても破れないコースレコードを作るんだ」
そうでなきゃレッドサンズの名前が伝説にならない。
涼介が、遠くを見ながら言う。秋名の連中を目に入れないように。
涼介には一つの目標があった。
県内のコースレコードを全て塗り替える。
埼玉、神奈川、東京、千葉を総ナメにして関東全域に最速のレコードを残す。
伝説の走り屋になってから引退する。
それが赤城レッドサンズの、そして高橋涼介の掲げる、関東最速プロジェクトだった。
それから数時間後。
地元のスピードスターズ……高橋兄弟曰くカスぞろいチームが既に撤収を終えた後でも、3台の車が赤城の頂上に残っていた。
レッドサンズのチームメンバーが、まだ残っていた啓介に声をかける
「お疲れ様です啓介さん。涼介さんは?」
「ああ、アニキはとっくに帰ったよ 残ってんのはオレたちだけだ」
「ああ…もうすぐ夜明けですからね」
その一言で三人が空を見上げる。
僅かに白んだ空が、早朝との境目を告げていた。
「ボチボチ引き上げるか」
流石に何時間も続けて走ってたのが骨身に響いたか、肩をぐるりと回しながら啓介が言う。
その時だった。
啓介の耳が車のエンジン音を拾った。
「誰だ?」
メンバーに視線を向けて問いかける。二人は顔を見合わせて、知らないと首を振った。
次第に近づく、唸るようなエンジン音。そしてターボ圧の抜ける音。
知っているような、そうでないような。不思議な音にレッドサンズの面々は警戒した。
「地元の奴らか…?」
聞こえてくるスキール音。ヘボが必死に地面を掻きむしる音とは違い、その音は澄んだように美しかった。
誰かがごくりと生唾を飲む。そして啓介たちが注目する最終コーナーから現れたのは。
白い車体。四角いシールドビーム。高い車高に短い車長。
そして幌の掛けられた荷台にでかでかと「つくも八百屋」とプリントされた、軽トラだった。
「け、軽トラかよ」
啓介と他二人がズルリとずっこける。
その軽トラはレッドサンズの面々の横を通り過ぎ、山頂にあるホテルの方へと走っていった。
「配達か…こんな時間からご苦労なこった」
「それにしてもやたらいい音でしたね」
「ありゃキャリーのターボモデルですね。音だけはスポーツカーだなんて有名なんですよ」
「ああ、なるほどな」
確かに音は一級品だった。コーナーを攻めているところは見ていないが、どこぞの走り屋小僧が配達ついでにやっている分には、なかなかのアクセルワークだったのだろう。
啓介はチラと車の時計を見る。
「もう4時すぎだ。一般車が増える前に撤収するぞ」
「はい、啓介さん」
レッドサンズの面々はそれぞれの車に乗り込み、エンジンを吹かす。
そしてFD達が闇夜に消えていく瞬間。ホテルから二台の車が飛び出してきた。
「ふっ…本気で飛ばすと付いて来れねえかよ まだまだだなあいつらも」
啓介は大人げなくメンバーを置き去りにすると、悪態をつく余裕を見せた。
その後ろには誰もいないことを証明するように、闇夜に包まれている。
流石に啓介も大人げないと思ったのか、アクセルを緩めて後続を待った。
そして後続の到達を知らせるように、FDのリアが照らされた。
わずかな違和感に眉を顰める。
「うちのチームの車じゃねえ。 MRか?
観察中にも車間は詰まっていき、ついに距離はわずか1メートル未満へと縮まった。
そして啓介は気づいた。
「2台…?」
煽ってきているのは1台じゃない。
暗くてよくわからないが、低い車体の後ろに、妙に背の高い車が並んでいる。
「へっ…地元の連中泣かされてやってきたオヤブンどもってとこか? 上等じゃねえか」
ぐっとアクセルを踏み込み、短いストレートで後続を突き放す。
「コーナーふたつも曲がればバックミラーから消してやるぜ!!」
本気のツッコミからの旋回。横を向いたFDをビタビタに煽るように近づいてきたのはパンダトレノ。10年落ちの化石マシン、ハチロクだった。
「ハチロクだとォ!?」
さらにその後続。はっきりと姿は見えなかったが、あの角型シールドビームには見覚えがあった。
「それに……さっきの軽トラ!? ふざけやがって!」
啓介は激高したようにアクセルを床に叩きつける。後続はストレートの速さに追いつけず距離を開けられた。
エンジン、
それなのにコーナーを曲がるたびに煽られる。
「ハチロクと軽トラごときを、このFDがちぎれないだと? 悪い夢でも見てんのかくそったれが!」
こらえきれずにハンドルを叩いた。
それでも啓介はペースを上げ続けるが、後続の勢いは止まらない。
ブロックするので精一杯な現実を前に、プライドにひびが入り始めている。額から汗が垂れていくのを感じた。
思考の隙間を縫うように、テールランプが視界の端をかすめた。
猛然と右コーナーへと飛び込むハチロクにハッと息をのむ。
「……!? こいつ先を知らないのか!? この緩い右の後はきつい左だ! 減速して入らないと谷底にまっさかさまだぞ!!」
その言葉を証明するように、軽トラは後方に控えたままだ。
目の前のハチロクのタイヤがブレイク。啓介は事故を確信する。
「言わんこっちゃねえ! スピードが乗り過ぎてるぜ! 立て直して減速するスペースはもうねえ!」
もらい事故を避けるためにフルブレーキング。その横を軽トラが抜けていく。
啓介が目を剥いた。こんな速度で突っ込んだら2台ともオシャカだ。このレースの結末はスピードスターズのダブルクラッシュ。
せめてその結末だけでも見届けようと、啓介は瞬きもせずにそれを見た。
短いストレートを慣性ドリフトで抜けていくハチロク。
そしてフェイントモーションで車体を大きく横に振らせてタイヤをブレイクさせ、パワードリフトで左コーナーへ消えていく軽トラ。
「な……なにっ!?」
想像していた最悪から逸脱した、想像もつかない華麗な決着。
目を奪われてハンドル操作を誤った啓介は、スピン状態に陥った。必死にハンドルをこじってクラッシュを免れる。
なんとかして停止して見上げた先。あの2台はすでに消えていた。
エンストを起こしたエンジンが立てるキンキンという音が妙に耳に残る。
ハンドルに頭を預け、静まり返った峠に独り。
「信じたくねえ……オレは死んだ走り屋の幽霊におちょくられたのか……?」
ウィンドウから外を見上げる。街灯もない峠道の闇は深い。
それからしばらくして。ようやくレッドサンズのメンバーが追いついてきた。
彼らは黄色いFDを見つけると、その場で路駐して啓介へ駆け寄る。
「啓介さん! 見ました!? 今のハチロクと軽トラ!」
「ああ……」
啓介は生返事を返した。幻覚なんかじゃない。それだけでも収穫だと思おうとした。
プライドはズタズタだった。旧式のハチロクと峠を攻めるマシンではない軽トラ。その2台に煽り散らかされて負けただなんて。
「あいつら…一体何者だ」
啓介は絞り出すように言った。
■■■
「じゃあな黄色いアンちゃん! 秋名最速はおれのキャリーなんだよ!」
アクセルを吹かし、ブースト圧を常にかけ続ける。車高が高くすぐヨレる軽トラを自在に操り、ハチロクをつつくように追従した。
しかしそれだけでは抜けない。キャリーは、ターボがあってようやくパワーウェイトレシオがハチロクのケツに食い下がれる程度になる。
そして食い下がれる程度のパワーでは目の前のハチロクは絶対に抜けない。おれは目の前のドライバーに信頼に似た対抗心を抱いていた。
おれは元、峠の走り屋である。キャブ車を振り回し、早く走るためのドリフトをいくつもの経験でモノにしてきていた。
しかし老いからか、油断からか。車はガードレールを突き破り、空を泳いだ。
そして気が付いたら赤ん坊になっていた。
名前が変わって、性別も変わって、家族も変わって。それでもおれは走ることをやめられなかった。
どこか厭世的な雰囲気を漂わせる父に代わり、秋名の頂上に野菜を運んだのが今世初めての運転だ。
当時中学一年だったおれにはハンドルが重く苦労したが、それでも早熟な身体に助けられて。ひと月もしないで思い通りのラインを描けるようになった。
そこで出会ったのが、目の前のハチロクだった。
同じような時間に、同じような配達をしていた相手だ。むしろひと月も出会わなかったのが不思議なくらいだ。
はじめのうちはノロノロと走っていたハチロクをサッと抜いた。走る様子がだんだんと様になってくると、オーバーテイクが難しくなった。
当たり前だ。ハチロクとキャリーでは馬力が倍以上も違う。
ノロノロハチロクを抜けないのは悔しかった。悔しかったので……。
父親に一言言ってから、キャリーをいじくりまわした。
あいつは何を言ってもウンと言うので正直心配なところがあるが、こればかりはありがたかった。
車高を少しばかり下げ、サスも近所のガレージから譲ってもらい、ターボや燃料系をがっつり弄った。
それでようやく90馬力に届いた。
スポーツカーと比べるとしょっぱく見えるこの数字も、空荷の軽トラにとっては暴れるようなパワーだ。
ドッカンターボ仕様のキャリーに、おれは最初、文字通りに振り回された。
下手なシフトアップでリアが滑る。下手な荷重移動でリアが滑る。コーナーでドッカンするとリアが滑る。
とにかくリアが軽いキャリーは、スピンとの戦いだ。
しばらくはハチロクに負け続けた。
何度も何度もスリップして、それを何度も何度も繰り返して走りこんで。
そうしてようやく掴んだ走りを、ハチロクにぶつけた。
そしてブチ抜いた。
オーバーテイクの瞬間、ドライバーの顔を見た。どんなツラをしているのか興味があった。
隣家の拓海だった。
「マジ? あいつまだ中学生だろ」
自分のことを棚に上げて、そんなことを言った気がする。
考えたらハチロクにデカデカと書いてある「藤原とうふ店」なんてすぐそこである。逆に気が付かなかったことに可笑しさがこみ上げた。
翌日になって、学校でそれとなく話してみる。こっちの顔は見えていなかったのか、いつも通りの反応が返ってきた。
ちょっとホッとした。
それはそれとして、キャリーには思いっきり「つくも八百屋」って書いてるのに、気が付かない察しの悪さに驚愕した。
それから毎日のように秋名でハチロクを追い回し、追い回された。
どちらが先行するかは日によって違う。お互いに山へ行く時間を取り決めていないから、そうなった。
ただ、拓海は楽しんでいたように思う。あるいはおれと同じように対抗心を抱いたか。
あいつはどんどん速くなる。だけど、勝つのはおれだ。なんたってキャリア差がある。
今のところは勝ち越している。だから最速は、おれだ。
……一応。
コーナーでアクセルを踏んで回転数を維持し、クラッチを蹴ってターボが息切れを起こさないよう調整する。
小刻みに暴れる車体も、今となってはブレイクのいいきっかけ作りだ。おれは今、キャリーとひとつになっている。
目の前を走るハチロクをどう料理するか。おれはぺろりと唇をなめた。
主人公の名前はつくもおくなです