「秋名山には幽霊が出るだろ? 鬼みてえにバカっぱやいハチロクと――軽トラの幽霊が」
「からかうのはやめてくれませんかねぇ、お客さん」
「幽霊ってのは冗談だがな、白黒のパンダトレノと白いキャリイだ」
近場でガソリン入れに行ったら昨日のアンちゃんの車が目に入った。
話しているのはもちろん昨日のこと。
まあそうだよな。最新鋭のカスタムマシンが10年落ちのマシンとトラックに負けたんじゃショックもひとしおだろう。
「いらっしゃいませー」
「よお拓海。レギュラー満タンよろしく。あと窓しっかり拭いてくれ」
「なんだよ億菜か」
「なんだってなんだ」
拓海の帽子をぺしぺし叩いて作業を急かす。
夏場の峠で飛ばした後のフロントガラスは潰れた虫でひどいことになるんだよ。
その点ガソスタはいい。サービスでピカピカにしてくれるからな。
ちょっと嫌そうな顔をしている拓海の顔を眺めていると、ふと心配そうな顔に切り替わった。
「なあ、前から思ってたんだけど…」
「んだよ」
「ホントにしっかり運転できんだよな?」
「あーん?」
質問の意図が分からず声を上げる。拓海は窓を拭く手を止めておれを見ていた。
はたとサイドミラーに目を移す。
映るのは、小せえ上背。細せえ腕。超プリチーな顔。
「おれの事幼女だと思ってる?」
「運転しづらくないのかなって。小学校卒業したくらいから体格変わってねえだろ?」
「乳は増えてるよオイ」
「バカっ。女の子がそんな事でかい声で言うんじゃねえよ……!」
「あのハチロクとキャリイに伝えておけ」
アンちゃんが声のトーンを上げて言う。思わず耳に入ったワードに、つい黙り込んで聞き耳を立てる。
「オレは同じ相手には二度は負けねえってな。昨日負けたのはコースの熟練度の差と、オレの油断だ!」
ロータリー特有のバリバリ音を撒き散らしながら、アンちゃんのFDがガソスタを飛び出していった。
ああいう下品な音。聞いてる分にはいいよな……。
しかし、二度は負けない、か。いいよな、ああいう熱い奴。
「聞いてたか? 拓海」
「? 何をだよ」
「あのアンちゃんが負けたのは熟練度と油断で、二度は負けねえってさ」
「はあ…?」
「拓海ぃ……おまえって本当にスットロいよなぁ」
「なんだよ。イツキも億菜も好き放題言いやがって」
「ええ? ハチロクの他にバカっぱやのキャリイだぁ? おい池谷ィ、おまえガセ掴まされてんじゃねえのか」
「ですよねぇ。スンマセン店長! 変なこと聞いて!」
「……おれのキャリーが、ガセだあ?」
「億菜?」
「ふ~~~~ん」
ガソスタの店員と店長の会話。
それが、おれの中の、いつまでたっても大人になれない部分に、火を付けた。
■■■
しばらく麓のファミレスをハシゴしていれば、情報は簡単に手に入った。
車好き、あるいは走り屋小僧か。そんな連中が日の高いうちから大声で話すものだから聞き逃しようがなかった。
秋名スピードスターズと赤城レッドサンズの交流戦。
普段見ねえ顔、というか見ない時間に走っているもんだから何かあると思ったけど、そういうことだったらしい。
で、レッドサンズは高橋兄弟ってのがアタマ張ってて、その弟の方が黄色いFD乗り、と。
「ま、何はともあれ。簡単に情報が集まって良かったよ」
おれはアツアツのハンバーグを口に放り込みながら、情報を整理する。
交流戦は今週土曜。ターゲットはレッドサンズ。それならスピードスターズに渡りをつけるのがいいか。
しかし問題が。
だーーーれもスピードスターズの話をしていないのだ。
耳に入るのは高橋兄弟、レッドサンズ、交流戦の日時。この三つだけ。
聞き耳だけじゃなくて走り屋小僧と思わしき連中と会話を試みたが、ガキはすっこんでなと冷たくあしらわれる始末。
今ほどちんまいボディが恨めしくなったことはない。
「はぁーっ。しゃあねえなぁ」
ハンバーグの最後の一切れを口に放り込み、伝票を掴んでレジへ赴く。
あまり人読みなんかしたくねえが、あの高橋弟……いや、啓介だったか。
あの入れ込みようだったら、当日殴りこんでもバトルを受けるだろう。
入れ込んでいるといえば、ハチロクは。
「まあ、」
拓海のことだ。もし誰か経由でバレても、来いって言われて来る性格じゃねえ。やつの頑固さは筋金入りだからな。
ファミレスを出て、自分のキャリーの前に立つ。
おれが育てて、おれのために走る。おれのためのマシン。
スモークガラスに映ったおれが、好戦的に笑っている。
そっとボディに触れる。「つくも八百屋」だなんてダサいロゴが妙に目についた。
「レッドサンズのヤロー、このロゴ見たらキレるんじゃねえかな」
土曜日に予想される小さなアクシデントに、思わず笑みが漏れた。
■■■
そして訪れた土曜日。
相変わらず無気力な親父に出かけると伝えて、家を出る。
仮にも娘が夜遊びに行くんだからちったあ心配しろよという気持ちと、
聞き分けがよくて助かるというちょっとしたジレンマに苛まれるが、キャリーの前に立つと全部吹っ飛ぶ。
ダウンヒルは10時から。今は9時40分。
あまり早くに行くと面倒な問答がありそうだから、ギリギリを狙って遅く出る作戦だ。
これ以上の遅出は遅刻する。
おれは愛車に乗り込み、セルモーターを回す。
軽トラに相応しくないサウンドを聞きながら、ふと隣を見た。
パンダトレノ。
飽きるほど見てきたおれのライバル。その車がそこにあった。
「まあ拓海だもんな」
この時間に車があるってことは、そういうことだ。
分かっていても、少し寂しい。
そんな気持ちを振り切るように、おれはグッとアクセルを踏んだ。
低回転域のヘボいトルクから、中回転域でぐっとパワーがあがるドッカンターボ。
このじゃじゃ馬はいつも気難しい。だからこそ乗りこなしたくなる。
秋名の麓が近づく。ゴールラインだろうか、その近辺にギャラリーとコースマーシャル。ずいぶん手慣れている。
ギャラリーがおれの車を指さして困惑する。そりゃそうだ。こんなに熱くなった峠に軽トラは不似合いだ。
ただ、おれの車を見て笑うやつはいない。誰もおれを参加者と見ていない。
一般車。それも空気よめねえ奴。
それがおおよその評価だろう。おれだって逆の立場だったらそう思うかもしれねえ。だからそれはいい。
だから、それを覆せると思うとワクワクする。
おれのマシンはすごいんだ。
おれのマシンは最速だ。
おれのマシンは特別なんだ。
そんなガキっぽい衝動。それをぶちまけるために、秋名の頂上へとひた走る。
じっくりと時間をかけて秋名を登る。ダウンヒル開始の時間が迫る。
おれが頂上に着く頃、時計は9時58分を指していた。
スピードスターズ。あるいはレッドサンズか。走り屋たちの視線がおれのマシンに集まる。
その中でも一人。宿敵を見つけたように睨みつける男が居た。
なるほど、ガソスタに居たこいつが啓介。ずいぶんと分かりやすい。
啓介がメンバーに何かの指示を出した。
おれは困惑した表情のコースマーシャルの指示に従って車を切り返し、FDの隣にマシンを止める。
ドアを開けて外に出ると、ざわめきが起こった。
「女…!? しかもガキだ!」
「啓介さん、いったいどういうことなんです…!?」
「八百屋だァ…?」
各々が好き勝手に言葉を投げかける。だから、おれは、啓介にだけ分かる言葉をかけた。
「あのハチロクの慣性ドリフト、痺れたろ?」
「!」
啓介の顔がマジになった。
「おい…お前ら。こいつは俺が探してたキャリイ乗りに違いねえ」
「でっ、でも啓介さん!」
「うるせえ。くっちゃべってる暇があるならカウントの準備しろ」
「はっ、はいっ!」
啓介が取り巻きを取っ払った後、おれに近づく。
「おい、てめえ。名前は?」
「九十九億菜」
「覚えとくぜ。俺は高橋啓介……女だからって手加減しねえぞ」
「楽しみにしてるよ」
「ケッ……」
啓介がFDに乗り込み、スタートラインにつく。
さて、おれも準備するか……とドアに手を掛けた瞬間、肩に手を添えられた。
「おっおいっ! ちょっと待ってくれ! いったい何がどうなってんだ!?」
そこにいたのは、あのガソスタの店員。確か池谷って呼ばれてたっけ。首と頭に包帯を巻いていて、妙に痛々しい姿をしている。
なんだ、こいつがスピードスターズのメンバーだったのか。
「君! たしか拓海の友達だよな! どうして交流会にきたんだ! それに高橋啓介がバトルする気でスタンバイしているし!」
「おれのキャリーがガセじゃないって証明にきたんだよ」
「ガセ? ……あっ!」
池谷は何かを思い出したように声を上げる。きっと小太りな店長との会話を思い出したんだろう。
その瞬間に別の人物。多分スピードスターズのメンバーが池谷と入れ替わった。
「だ…だからって君が走ることはない! 危険だ! 考え直してくれ! 軽トラは峠を走る車じゃない!」
「一回勝ってるとしても?」
「そ……それは。あ、あの話は本当に君なのか!?」
「そうだよ。だから走って証明する」
じっと見る。落ち着かない様子でおろおろしていたそいつに、池谷がそっと肩に手を置いた。
「信じてみよう」
「池谷!? おまえそんな…!」
「健二。どうせオレたちがどう頑張ったって歯が立つ相手じゃないんだ、高橋啓介は」
「くっ……」
「だから、信じてみよう」
「なあ……億菜ちゃんっていったっけ」
「ああ」
池谷が、頭を大きく下げた。
「ずいぶん勝手なお願いだけど……地元の意地を、示してほしい」
「お、おい」
「オレは、オレたちのせいで、秋名の走り屋がレベル低いって言われるのが、我慢ならないんだ。だから……」
池谷が顔を上げる。
まっすぐな瞳。
ああ、まいったな。おれ、こういう目をする奴に弱いんだ。
「わかった」
どう考えても安請負。だけど、勝手に口から返事が出ていた。
「秋名に意地があること、奴らに教えてやるよ」
「ずいぶん時間かかったじゃねえか。待ちくたびれたぜ」
「わりいな。地元のチームとは交流なくってよ」
「ハア? じゃあお前、フリーか」
「そうだな」
「……まあいい。オレはてめーらとバトルしに来たんだ。スピードスターズの連中じゃねえ」
てめーら、か。
やつにとっちゃ、ハチロクもまた因縁の相手だ。
「おい! 麓から連絡があった! 下から一台上がってきてる! 変なところですれ違うと危ないが、どうする」
「ここは公道だぜ。対向車がいるくらい当たり前だ」
コースマーシャルと啓介が一般車について話す。なるほど、おれみてえな空気よめねえ奴がいたようだ。
「お、おい…ちょっと待ってくれ。車種をきいてもらえるか?」
「車種? おい、通った車の車種は分かるか」
『多分トレノだ! ハチロクの!』
「なっ」
驚いた。拓海は来るとは思っていなかった。
まずあのハチロクと拓海を結びつけるものがない。そして誰かに言われて来るような性格でもない。
どんなミラクルが起こった? こいつはただの偶然か?
だけど。
「拓海……」
なぜだか無性に嬉しくなった気持ちの前では、そんなことはどうでもよくなっていた。