おれはただ、キャリーの中でハチロクを待った。
あの拓海が自分からバトルにやってくる。
それがただおかしくって、笑いをかみ殺して。
「来たぞ! ハチロクだ!」
ギャラリーの声が聞こえる。
嬉しさとイタズラ心が顔を出す。
あいつはまだ、おれがキャリーのドライバーだと知らない。
だから、このレースでぶち抜いてからネタばらしをしてやろうと思いつく。
バトルでハチロクをこてんぱんにする。やつは悔しさでおれの顔を確認しようとする。そこでおれが顔を出す。完璧だ。
拓海はどんなツラして、ひっくり返るかな──
■■■
今回のバトルは異例の三つ巴。
秋名の走り屋が二人に、外様が一人。あきらかに啓介不利の布陣だが、それを本人が推した。
自信家の啓介が、二人纏めて相手をすると豪語したのだ。
「カウント10秒前!」
スターターが指を十本上げてカウントを開始する。
(さあ、お手並み拝見といこうか)
啓介の兄である涼介は、FDの後ろに並んだ二台の車を睨むように観察する。
道幅は三台並べるほど広くない。だからもっとも加速の良いFDを先頭において、馬力順にハチロク、キャリイと並んでいた。
見たところ、車高がノーマルより低い程度だ。啓介の言っていたようなモンスターマシンらしき兆候は、見た目からは感じられなかった。
「5、4、3」
エンジンを吹かす音。キャリイからはターボ特有の音がしていた。一方でハチロクはノンターボ。
音からも兆候は見られない。
「2、1、GO!」
そして飛び出していく三台のマシン。
車は順当にFD、ハチロク、キャリイの順番で伸びていくと思われたが、キャリイが最も速いスタートを決めた。
ハチロクをオーバーテイクし、鼻先をねじ込んでFDとの間に挟まる。
あまりの電光石火に、ギャラリーがどよめいた。
(あの加速…そうか、パートタイム4WDだな。見たところせいぜい90馬力のマシンで150馬力のハチロクをまくったカラクリはそこだ
それにブーストの維持も上手い。ターボに息切れを起こさない強引なアクセルワークは、暴力的だが繊細だ。
キャリイは軽量級のマシンよりなお軽い。700㎏級のペラペラの車体で、おまけに極端に短いホイールベース……)
「なるほどな…。どうやらモンスターなのはマシンじゃない。ドライバーの方だ」
涼介は確信したように頷いた。
『こちら第一コーナー! すげえぜあの二台のライン! ガードレールから5センチと離れてなかったぞ! あんなスピードで曲がるやつ、いままで見た事ねえ!』
コースマーシャルの絶賛の声。その声はコーナーごとに増えていく。
『なんだあのハチロク! すっげえ速度でケツを流して抜けてったぞ!』
『あの軽トラ、なんであんなに横向いて吹っ飛ばねえんだ!? 見てる方がゾっとするぜ!』
『啓介が軽トラにビタビタに煽られてる! なんなんだ! 頭がおかしくなりそうだぜ!』
レッドサンズの面々が顔を合わせて困惑する。こんな勝負は全く予想していなかったとばかりに。
スピードスターズの面々も、一度啓介を打ち負かしたという軽トラと、伝説のハチロク乗りの息子である拓海の話題で持ち切りだった。
「なんだありゃァ! 軽トラがロケットみたいにハチロクをまくりやがった!」
「あ、あの…拓海の親父が、すごい走り屋だったってのは分かったんですけど、あの、億菜ちゃんは本当に走れるんですか?」
「イツキ、そういえばお前億菜ちゃんって子のこと知ってんのか?」
「え、ええ…。拓海と仲いいからその繋がりで…。でもあの子、背も掌も小っちゃくて、正直ハンドルの重さに勝てるのかっていうか、ペダルしっかり踏めてるのかっていうか」
「ロケットみたいなスタートを見ただろ? 並以上の腕持ってるのは間違いねえ! イツキは知らねえと思うが、スタートってのは見た目以上に難しいんだぞ」
「そ、そうなんですけどぉ。だけど、気持ちはまた別っていうか、心配っていうか」
「う……そうだよなぁ」
何も言われなければ中学生、それも一年生に見えるような見た目だ。
女性の走り屋は少ない。それはステアリングを回すだけでも力が必要だし、常に横Gに曝される中、自分の姿勢を維持しなければならない。
何をするにも体力が必要になる。それをクリアできる人物は、意外と少ないのだ。
思い返してみれば、キャリイのシートはドノーマル。そして安定性のない三点式シートベルト。
華奢な女の子が、平らなシートとふにゃふにゃのベルトで峠を一本攻められるか。
「早まったかもしれねえ」
池谷の顔はサッと青くなった。
■■■
ぐっと腹筋に力を入れて、身体を真っすぐに保つ。
正しい姿勢、正しいコントロール。
これはおれの座右の銘だ。
本当ならバケットシートとかが欲しいけど、この車は仕事用。見た目を変えるカスタムは好ましくない。
だからおれは身体の方をカスタムした。
姿勢を保つ体幹を鍛えるトレーニング。フットレストに左脚を力強く突っ張る訓練。重いステアリングに負けない胸筋と腕。そして仕上げにピンチ力。
その努力はまさしく結実し、格上のマシンのケツをつつきまわす力になってくれている。
「しかし……」
少し困る。明らかにパワーが格上の相手をストレートでまくるのは無理だ。
かといってコーナーで抜こうにも相手の車は大きい。この狭い秋名では簡単にラインをつぶされる。
だからミスを誘う。コーナーごとにケツに張り付き、やつのプライドを刺激する。
啓介の走りは、まだ崩れない。だが、小さなミスは増えてきている。
中盤の要である長いストレートを通過する。
ここから勾配が一気にきつくなる。重いFDには苦しい区間だが、おれたちにとっては最もおいしい区間。
啓介の集中力も乱れてきている。
刺すなら、ここだ。
秋名名物の5連ヘアピンの手前。そこで啓介は大きく膨らんだ。明らかなオーバースピード。下り勾配に対応できなかった故に起こったミス。
「もらった!」
スポーツカーではありえないほどの
前輪と後輪が同期する。今この瞬間、おれのマシンはFRから直結4WDに変身した。
啓介のミスに付け入るように、インのさらにインへ。そこに道はない。左前輪が音を立てて土を巻き上げる。
こんな悪路、並のマシンなら絶対にパスできない。足が死ぬか、あるいは一発でスリップだ。
だけど、おれのマシンは違う。
圧倒的な軽さ。センターデフのない直結4WD。そして不安定な車体。
軽さは当然足回りの負担を軽減し、直結4WDはタイヤの空転に強い。そしてアウトにヨレるから、必要以上にイン側の土を踏まない。
三つの外れ値が揃わないと絶対に成功しない地元スペシャル。
4WD特有の強烈なトラクションでアタマを取り、クラッチキックを使ってわざとブレイク。そしてカウンターを使わずにプッシングアンダーでFDの前を塞いだ。
ミラーを覗く。ラインを潰された啓介のFDは、明らかに精彩を欠いた動きをしていた。
視線を前に戻す。今はFDが蓋をしているが、あの拓海は早いうちに攻略して追いついてくるはずだ。だから5連ヘアピンで一気に突き放す!
あいつは間違いなく溝落としでFDをインから刺すだろう。あの魔法のような技術に何度してやられたか。
そして悔しいことに、おれには溝にタイヤを落とすような繊細な技術は無い。魔法は使えない。
「──だから、またぐ!」
さっき土手を走破したように、インのさらにインを走る。
シフト式パートタイム4WDは、走行中いつでも駆動方式を変えられるのが最大の強みだ。
コーナー進入時にはオーバーの出やすいFRで姿勢づくり。そして土手に差し掛かり、タイヤが乗りあげる瞬間にレバーを叩く。
4WDに変身したキャリーは全てのタイヤでトラクションを稼ぎ、最も効率よくコーナーを立ち上がる。
おれには拓海のような魔法は使えない。だけど、インチキは誰よりも得意なのさ。
FDとの距離がぐっと離れる。
──思えば、サイドブレーキを引かないドリフトを始めたのも、コレがキッカケだった。
当然だ、シフトノブとトランスファーレバーを操作して、ステアを抑え、アクセルでブースト圧を管理し、クラッチを蹴る……。空いている手足なんて存在しない。
正直、左腕がもう一本欲しいくらい忙しいのに、サイドを引く暇なんてあるわけがなかった。
ヘアピンを3つ抜けたところで、後続のランプがおれのマシンを照らす。
「来たか!」
間違いない、拓海がFDを仕留めた!
わずか数秒前まで誰もいなかったバックミラーにハチロクが映り込んでいる。
ヘアピンはあと2つ。ハチロクの動きは……。
「そう来ると思ったぜ!」
やつの得意技、溝落としだ!
おれはブロックするように溝またぎをする。
続いた左コーナーでも同じようにブロックしたが、左手がレバーに弾かれた。
「! チッ」
前輪と後輪の速度が合わず、ドグクラッチが接続できなかった。
明確なミス。
4WDのプッシングアンダーで抜ける想定の姿勢づくりが牙をむき、ターボが抜けてイン側でもたつく。
その隙を見逃すハズがない。
拓海のハチロクが、おれのキャリーの横にぴたりと並びかけていた。
ここを抜けたら、低速コーナーはあと1つか2つ。残りは拓海が得意な高速コーナーだ。
まくられたら、勝機は薄い。
次のコーナーは左!
まだイン側のおれが有利だ!
ブーストを復活させ、暴れだすじゃじゃ馬を押さえ付ける。
「言うこと、聞けっ!」
レバーを渾身の力で叩き込むと、わがまま娘は4WDに切り替わった。
四輪が地面を掴みなおし、おれのマシンはハチロクと並んだまま次のコーナーへと突っ込んでいく。
一度やったミスってのは、同じ状況なら何度も起こすものだ。それは経験則で知っている。
だからおれは4WDのまま。コーナーを攻略しにかかった。
直結4WDはドアンダーの挙動だ。おれの細腕では負担がかなり大きい。だから一度、軽く右へ車体を振った。
あの夜に使ったフェイントモーション。おれのマシンは背が高いから、あまり大げさにやると横転するが、狭い場所でも完璧に荷重移動ができるという利点がある。
そう、今みたいに横を塞がれているときとか。
ステアリングから手元に返ってくる抵抗力に逆らわず、ロールの揺り戻しと共にそのまま逆に流してやると、大した力もいらずにタイヤはブレイクし、車体は横を向いた。
拓海はキャリーのケツで小突かれるのを嫌ったか、大外をぐるりと回って行く。
コーナー内の速度は劣ったが、立ち上がりはおれの方が圧倒的に早い。トラクションが分配される4WDは、早めにアクセルを叩き込んでも暴れにくいのだ。
だが……ハチロクはまだ横に並んでいる。
次のコーナーは逆。インとアウトが入れ替わる。おれの有利はない。負ける。
「だけどよぉ」
アクセルを緩め、ハチロクの後ろに滑り込む。
「負けたくねえよ」
奴の走りはアウトインアウト、あるいはインインアウト。癖かどうかは分かんねえけど、拓海はコーナーを抜けるときにはアウトに膨らむ。
誰だってそうだ。立ち上がりを最速にしたけりゃ誰だってアウトに膨らむ。
だけど。
おれのマシンはそうじゃない。
「曲がれ! 頼む!」
アウトに膨らんでいくハチロクを尻目に、おれはインを保ってステアリングを必死に動かしていた。
フェイントモーションも、FRのリアブレイクも、おれにとっては最小のステアコントロールで曲がるためのテクニックだ。
アンダー挙動は、おれの細腕には、かなり厳しい。
ハチロクより軽いキャリーは、ハチロクよりブレイクしづらい。理論上は、グリップ走行のままインに居座れる。
だから、おれは強烈なアンダーと戦う。
直結4WDにも当然弱点は存在する。ステアが固くなり、曲がらない。
インチキの種が、そのままおれに返ってくる。
アンダーと格闘するグリップ走行は、腕がちぎれそうなほど厳しい。
「曲がれよおお!!」
両腕でステアを必死に押し込む。
そして足はブースト圧を途切れさせないように常に動き続ける。
荷重移動も忘れてはいけない。リアが軽いキャリーは、不用意にアクセルを抜くとあっという間にスピンする。
かといって踏み込みすぎるとアンダーを制御できず、アウトに居るハチロクに接触してダブルクラッシュだ。
まるで足先でジャグリングでもするような曲芸めいたペダルワーク。
だけど、その甲斐あってか、
おれのマシンは、イン側に居座ることに成功した。
完璧にラインがクロスする。
ここまでやって、ようやく五分。
ここから先はゴールまで全てのコーナーが高速コーナー。
そしてお互いにラインを潰す並走の状態。
「こっからは、技術の勝負じゃねえ。
先にブレーキを踏んだ方が負ける──根比べのチキンレースだ!」
思わず熱い展開になってしまってびっくり(他人事)