光が強くなれば、陰の実力者はより際立つ。ので、僕が天に立つ 作:あばなたらたやた
シド・カゲノーは、ミドガル王国の王室から『国家貢献勲章』を授与されると同時に、国家認定特別貴族と治安維持組織の地位を与えられた。
輝かしい栄光。
その実態は、シド・カゲノーという戦略兵器を国家に縛りつけるための鎖でもあった。
そして、彼に与えられた最初の任務は――『非合法アーティファクト押収』。
夜の森は、静かすぎて不気味だった。
深い霧が地面を這い、木々の間を縫うように漂っている。月光すらまともに届かず、あちこちに設置された青白い魔力灯だけが、森の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。
ここはミドガル王国南西部の辺境。
かつて交易路として使われていた、古い廃坑跡。
そして今は、ディアボス教団が狂気じみた研究成果を生み出し続ける研究施設だった。
その成果の一つが、アーティファクトコード――ゾルトラーク。
かつて知性を持つ魔物との戦闘で猛威を振るった攻撃魔法。
戦争が終わり、魔物からの脅威が薄れたあとも研究は続けられた。
貫通力を上げる。
連射速度を上げる。
魔力消費を減らす。
シンプルで、低コスト。
拡張性に優れ、ハイスタンダード。
そして何より――人を殺すのに、とても向いている。
シド・カゲノーは黒いマントのフードを深く被り、霧の中を静かに歩いていた。
隣には、長い金髪のエルフが並んでいる。
補佐官、アルファ。
彼女の蒼い瞳は、霧の中でも微かに光を反射していた。
「シド。敵は三十七名。新型アーティファクトを試験運用中。被験体は……人類種を中心に、複数の種族が混在しているわ」
「最近は、こういうのが増えたね」
シドは小さく笑った。
「魔物からの侵攻が弱まって、平和になったと思ったら、今度は内側で揉め始める。勘弁してほしいよ」
治安維持総監としての公的任務。
武装警察の名の下に、非合法拠点を制圧する。
国家にとっては治安維持。
だが、シドにとっては――最高の舞台装置だった。
廃坑へ近づくにつれ、魔力の残滓が濃くなっていく。
ゾルトラークの派生型。
貫通力強化。
連射速度向上。
魔力消費低減。
どれもこれも、人間をより効率的に殺すための改良だ。
被験体は、生きながらにして「素材」として価値を高められているらしい。
「行くよ、アルファ」
「ええ、シド」
二人は同時に魔力を解放した。
シドの身体を、黒と紫の奔流が包み込む。
核分裂と核融合を両立させた高エネルギー。
ただのゾルトラークなどではない。
シドの魔力は、何でもできる。
だからこそ、派手に。
楽しく。無駄にカッコよく。
意味のない派手な強さと、意味のある弱さ。その落差こそが、最後に敵を仕留めるための布石になる。
所謂、奥の手というやつだ。廃坑の内部は、巨大な地下空洞へと繋がっていた。
鉄格子に囲まれた檻が、いくつも並んでいる。中には鎖で繋がれたエルフ、獣人、人間、ドワーフ。
様々な種族が、虚ろな目で座り込んでいた。
中央の台座では、白衣の男たちが興奮した声を上げている。
「アーティファクト型ゾルトラーク、第三世代! 貫通率九九・七パーセント! これでどんな防御も――」
男の声が止まった。
シドが、静かに歩み出たからだ。
「え……? 誰だ、お前……!」
研究者の一人が慌てて杖を構える。
次の瞬間。
アルファの剣が閃いた。
銀光が走り、男の首が宙を舞う。
「侵入者だ! ゾルトラーク、連射!」
残りの研究者たちが、一斉に魔力を集中させる。
青白い奔流が無数に飛来した。
一般攻撃魔力貫通砲の改良型。
確かに洗練されている。だがシドは指を軽く鳴らして黒紫の障壁が展開する。殺到したゾルトラークは、その表面に触れた瞬間、歪み、砕け、消滅した。
「な……何だ、これは……!?」
「君たち、ゾルトラークの改良競争が激しいみたいだね」
シドはゆっくりと剣を抜いた。
直剣の刃に、紫黒のプラズマが絡みつく。
「でもさ」
首を傾げる。
「そもそも人を殺すための魔法を、そのまま引き継いでおいてさ」
一歩。
「まるで自分たちが発明しました、みたいな顔で――」
二歩。
「人を殺す魔法の名前まで引き継いじゃうのって」
シドは微笑んだ。
「ちょっと恥知らずじゃない?」
次の瞬間、彼の姿が消えた。
研究者たちの首が、次々と宙を舞う。血が霧のように散り、地下空洞へ赤い雨を降らせた。
悲鳴、怒号。それらを切り裂く剣戟。
アルファはシドの背後で残党を掃討していた。
その剣には、一切の無駄がない。
完璧だった。
「シド。被験体の保護を優先するわ」
「任せたよ」
シドは中央の檻へ向かう。
鍵など必要ない。魔力を一瞬集中させる。空間そのものを捻じ曲げ、鉄格子ごと消滅させた。中から、一人の少女が這い出してくる。
怯えた瞳。
エルフの耳。
獣人の尻尾。
人間の肌。
混血なのかもしれない。
「もう、大丈夫だよ」
シドは優しく微笑んだ。
表の顔。
英雄の顔。
「君たちは、これから保護される。武装警察の保護施設へ移送するから」
少女は涙を零しながら頷いた。
周囲の被験体たちも、次々に解放されていく。
アルファは手際よく鎖を切り、傷を癒し、魔力を分け与えていた。
「全員、確認したわ。生存者四十八名。重傷者十二名。命に別状はない」
「よくやったね、アルファ」
シドが頭を撫でると、アルファの表情は変わらなかった。ただ、耳の先だけが僅かに赤くなる。
「シドのためなら……何でも」
「うん。じゃあ、次は報告書を書こうか」
シドは指を折りながら考える。
「『非合法ゾルトラーク研究施設を制圧。人類種を含む被験体を保護。犯罪組織の壊滅に成功』……こんな感じで」
彼は空を見上げた。
いつの間にか霧が晴れ、夜空に星が見えている。
魔人や魔王が倒されてから、世界は変わった。外からの脅威が消えれば、今度は内側で均衡を取ろうとする。
国家は、国家同士の均衡のために闇を生み出す。人を殺しやすいゾルトラークの改良競争も、その象徴なのだろう。だが――シドにとっては、最高の舞台だった。
「もっと、派手にやろうか」
小さく呟く。
光の英雄として。
闇の処刑人として。
その両方を極めて、最高に楽しむ。
それが彼の――陰の実力者としての小さな楽しみだった。
◆
翌日の午後。
治安維持組織の拠点は、いつも通り静かだった。
窓から差し込む陽光が、埃の粒子を淡く照らしている。古い木製のテーブルには、使い込まれたコーヒーカップが二つ。
一つには黒い液体が半分。
もう一つには、薄緑色のハーブティー。壁の時計が、ほとんど音を立てずに時を刻んでいる。遠くの廊下から、誰かが書類をめくる乾いた音が聞こえてきた。
シドは椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げていた。
向かいにはアルファ。彼女は長い金髪を指で梳きながら、窓の外を眺めている。
「保護した子どもたちの中には、辛い過去を思い出して眠れない子がいるの」
アルファがぽつりと口を開いた。
「薬を使うの?」
「確かに薬なら早いわ。でも、まずはハーブを試すつもり。身体に負担をかけたくないから」
彼女はテーブルの上に置かれた小さなガラス瓶を見る。
中には乾燥したラベンダーとカモミールが入っていた。
「手刀は論外かな。身体に負担をかけちゃうし」
アルファの唇が、ほんの僅かに弧を描いた。
「そうね。手っ取り早いけど、毎日やるわけにもいかないわ」
二人はしばらく黙っていた。
コーヒーとハーブの香りが、静かな部屋にゆっくりと広がっていく。
「アルファは、よく考えるね。そういうこと」
「あなたを支えることになる子たちのもの。優しく、大切にするわ」
そこで一度、言葉を切る。
「貴方が私にしてくれたように」
静かな言葉だった。
シドはカップを置いた。
「そうだね」
窓の外では、午後の光が少しずつ傾き始めていた。
シドはふと、テーブルの上のハーブ瓶を見る。
「アルファの優しさは、投資なんだね」
「ええ。そうね」
短い返事。
その声には、ほんの僅かな諦めが混じっていた。
「救った子どもたちを大切に育てる。それが未来の利益になると考えている。だから優しくする。丁寧にする。大切にする。合理的で、効率的だ」
アルファは何も言わない。
「『憎しみを無効化するテクニック』の一つに、『恩人になる』っていうのがあるよね」
シドは背もたれに身体を預けた。
「ある人物が不幸になった原因を作ったのが、その人物自身だったとしても――不幸の最中に身を挺して支えてくれたのも同じ人物だったと知れば、『赦す』という選択肢は選ばれやすくなる」
アルファが、ゆっくりと顔を上げた。
「貴方は、それを当たり前のようにやっている」
「子どもたちを大切にする。恩を売る。その結果、彼らが僕たちの利益になるようにする」
少しだけ間を置いた。
「アルファの依存気味な精神が、垣間見えるよ」
時計の秒針が鳴った。
カチリ。
カチリ。
アルファは瓶をテーブルへ戻し、両手を膝の上で組んだ。
「私も、病んでいるのでしょうね。過酷な幼少期は、性格や価値観を根本から歪ませるもの。呪いで肉塊になっていく時、誰も助けてくれなかった。誰も、見向きもしなかった」
指先に力が入る。
「だから……私が誰かを助けるときは、必ず対価を計算する。利益を想定する」
そして、小さく息を吐いた。
「そうしないと、怖いから」
沈黙。
「貴方が私を救ってくれたときも、そうだった。治療してくれた。優しくしてくれた。でも、私はただ感謝しただけじゃ済まなかった」
彼女の声は静かだった。
「この人は、私の価値を認めてくれた――そう思った。だから、この人のためなら何でもする。そう決めた。依存というなら、そうかもしれない。でも、それで私は生きていける」
アルファは再びハーブの瓶へ手を伸ばした。
「だから、子どもたちにも同じことをする」
蓋を閉める。
カチリ。
「優しくする。丁寧にする。大切にする。恩を売る」
そして彼女は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「憎しみを無効化する。そして、いつか彼らが私たち――あなたを支える存在になるように。それが、私の……歪んだ優しさ」
シドはカップを置いた。
「歪んでても、いいよ」
アルファの瞳が、僅かに動いた。
「僕だって歪んでるから」
午後の光が、さらに傾いていた。
「歪んでいることに気付いているなら、社会性を得られる。社会性があるなら、何も問題ない」
シドはゆっくりと言葉を続けた。
「そもそも、あらゆるものは当価値で、無意味だ。だからこそ――何をしたいか、が大切なんだと思う」
アルファは黙ってシドを見ている。
「これは、君の心に対する全肯定だよ、歪んでいることも、外れていることも、別に珍しいことじゃない。必要な場面で取り繕えるなら、生きるのに支障はない」
シドは笑った。
「己の願いのまま生きる。僕は、それでいいと思うよ」
しばらく沈黙が続いた。
時計の針が音を刻む。
外では自転車のベルが鳴り、遠くで子供の笑い声が一瞬だけ聞こえた。
アルファは視線を落とした。長い金髪が頬へ流れ、夕方の光を透かして淡く輝いている。
肩が、ほんの少し震えた。
「……ありがとう」
小さな声だった。その言葉には計算も打算もなかった。
「シドが、そう言ってくれるなら……私は、もう何も怖くない」
彼女は顔を上げた。
蒼い瞳には、薄い膜のようなものが張っている。
「私は歪んでいる。ずっと、そう思っていた。恩を売ることを計算する自分が、気持ち悪かった。でも……あなたがそれを肯定してくれるなら私は、それでいい」
両手をテーブルの上に置き、指を絡める。
「もっと、あなたのそばにいたい」
一言。
「もっと、あなたの役に立ちたい」
もう一言。
「もっと、あなたの願いを叶えたい」
その声は徐々に強くなった。
それでも、決して大きくはならない。ただ、確実だった。
シドは小さく息を吐いて、微笑んだ。
「うん。それでいいよ」
彼は立ち上がり、窓辺へ歩いた。
ガラスに額を軽くつける。
街は、もう夕暮れの色に染まり始めていた。
街灯が、一つ。また一つ。静かに灯っていく。
「僕も歪んでる。君と同じくらい……いや、もしかしたら、それ以上かもね。でも、それが僕の人生なんだ。君の歪みも、君の人生の一部だよ」
アルファはまだ椅子に座ったままだった。
その蒼い瞳が、シドを追っている。
依存。
そんな言葉だけでは足りないほど、深く、強く。
シドは彼女の隣へ戻り、椅子に腰を下ろした。そして手を伸ばす。
金色の髪を一筋、指で梳いた。
「だから、もっと歪んでていい、もっと計算高くていいし、僕は、アルファには自分の心に従ってほしい」
髪を指先から離す。
「自分の在り方を無理に捻じ曲げると、反動が酷いからさ。もちろんケースバイケースだけど――方針としては、自分の気持ちに素直でいてほしいかな」
アルファは目を閉じた。
頬に、ほんの僅かな赤みが差す。
「……ええ、シド。貴方が、そう望むのなら」
部屋は、もうほとんど橙色ではなかった。
薄い紫が、窓の外から静かに入り込んでいる。カーテンが風に揺れ、ハーブの残り香がかすかに漂っていた。
テーブルには、冷めたコーヒーと閉じられたハーブの瓶。
それだけが、静かにそこにある。
二人は何も言わなかった。何も動かなかった。
ただ、互いの歪みを否定せず、そのまま受け止めていた。
それが、今の二人だった。