光が強くなれば、陰の実力者はより際立つ。ので、僕が天に立つ 作:あばなたらたやた
12✔︎
会議室の空気は、重く淀んでいた。
地下深くに掘られた石室には、湿った冷気が壁から染み出している。天井から吊るされた鉄製の燭台には六本の太い蝋燭が灯り、橙色の光が部屋を照らしていた。
しかし、光が届かない場所には濃い影が残っている。
長い楕円形のテーブルは、百年以上使い込まれた古木でできていた。表面には無数の細かな傷が刻まれ、誰かが爪で引っ掻いたような深い線まで残っている。
その上には、古い羊皮紙の地図、数枚の報告書、そして革装丁の本が置かれていた。表紙は擦り切れ、もはやタイトルすら判別できない。
シド・カゲノーはテーブルの中央に座り、椅子の背もたれへ深く身体を預けていた。
黒髪が額にかかり、黒い瞳が静かに室内を巡る。
治安維持総監の制服は襟を少し緩めてあり、普段の英雄らしい端正な姿勢とは違っていた。くつろいでいるようにも見えるが、その瞳の奥には、どこか楽しげな光が宿っている。
指先が、テーブルの縁を軽く叩いていた。
一定のリズム。静かな石室に、その小さな音だけが響いている。
シドの右隣にはアルファが座っていた。背筋を伸ばし、地図上の聖教領土とディアボロス教団の隠れ拠点を交互に見つめている。
金色の長髪は蝋燭の光を受け、溶けた金のように淡く輝いていた。
蒼い瞳には疲労の色が残っている。
それでも、それを仕事の場に持ち込むことはない。
左隣にはゼータ。
白髪のショートヘアを揺らしながら、椅子の背に肘を預けていた。金色の瞳は退屈そうに天井の梁を眺め、猫獣人の尻尾は椅子の脚へ絡みつくようにゆっくりと動いている。
時折、爪がテーブルの傷をなぞった。
カリ、カリ、と小さな音がする。
「さて……本題に入ろう」
シドが口を開いた。
低く穏やかな声だった。しかし、その声音には隠しきれない楽しさが混じっている。
「世界の半分を占める聖教と、ディアボロス教団の癒着。最新の報告を見る限り、もう隠しきれないところまで来ている」
シドは地図へ視線を落とした。
「ゾルトラークの派生技術の一部は、聖教の『奇跡』として民衆へ配布されている。病や傷を癒やす力を、『神による浄化』としてね」
指先が地図の一点を叩く。
「その一方で、ディアボロス教団の実験体は、聖教の異端審問を通して供給されているらしい」
「表向きは『浄化』。実態は、生きた人間の被験体提供というわけね」
「そういうこと」
シドが頷いた。
アルファは地図へ指を滑らせる。
「双方にとって利益は明確よ。聖教は、ディアボロス教団の非人道的な技術を『神の奇跡』として包装できる。民衆は救済を求めて寄付を増やし、信仰はさらに強固になり、教会は豊かになり、聖職者の権力も強くなる」
そして、指先が教団の拠点へ移った。
「一方、ディアボロス教団にとっては、聖教の権威と巨大なネットワークが盾になる。捕らえた人間を『異端』として処理すれば、証拠も残りにくい。研究は加速するでしょう」
「ゾルトラークの改良競争も?」
「ええ。聖教からの資金と被験体の供給が続く限り、今後数年で大きく進展する可能性が高いわ」
淡々とした報告だった。
感情はない。ただ、事実だけが積み重ねられていく。
ゼータが椅子から身体を起こした。
「へえ。win-winじゃん。聖教はお金と信者が増える。教団は研究し放題。非人道的な技術に『神の意志』ってラベルを貼って売るわけだ」
ゼータは肩をすくめた。
「天才的っちゃ天才的だけど……」
「けど?」
「不利益も大きいよね」
彼女はテーブルへ肘をつき、頬杖をついた。
「癒着がバレたら、両方とも終わる。聖教の信者は『神の教えに反する非道』を簡単には許さないだろうし、教団の技術が『聖なるもの』として広まれば、今度は教団側の研究者が異端扱いされる可能性もある」
ゼータの尻尾が、ゆっくり揺れる。
「つまり、両方とも相手を完全には信用できない。いつ裏切るか、いつ切り捨てるか。ずっと監視し合うことになる。短期的には利益が大きい。でも長期的には、共倒れの火種を抱えてる」
「具体的には?」
シドが促す。
「聖教が『もう教団はいらない』と思えば、異端審問の名目で一掃できる。逆に教団が『聖教の権威は邪魔』と判断すれば、技術を武器に反旗を翻すこともできる。どっちかが先に動けば、もう片方は一瞬で潰れる。癒着っていうより、互いに首へ縄をかけてるようなものだよ」
シドは小さく頷いた。
指先が刻むリズムが、わずかに速くなる。
「その通りだ。癒着によって得られる最大の利益は、『相互の隠蔽と加速』。聖教の権威で技術を正当化し、教団の技術で信仰を強化する。でも、その代償は『相互の脆弱性』だ」
シドの唇に、楽しげな笑みが浮かんだ。
「一方が崩れれば、もう一方も道連れになる」
蝋燭の炎が揺れる。
「面白いよね。世界の半分を握る宗教と、非道の極致を突き進む研究組織が、手を取り合って『救済』を名目に悪を量産してる。表では光。裏では闇」
そして、わずかに笑った。
「僕たちの『光と闇の両立』にも、ちょっと似てるかもね」
「似ているからこそ、脅威よ」
彼女は静かに答えた。
「癒着が深まれば、私たち治安維持組織は両方から敵視される可能性が高い」
「そしたら私たちも『異端』扱い?」
ゼータが楽しそうに笑う。
「聖教の暗殺部隊と教団の改造兵が、一斉に来たりして……面倒だ」
「そうだね」
椅子から身体を起こす。
「でも――面白くなりそうだ。まずは癒着の証拠をもう少し固めよう。それから動く。放置は論外だ」
その瞬間。
蝋燭が、ぱちりと音を立てた。揺れた炎が三人の影を壁へ伸ばす。地図の上で、三人の視線が交差した。
静かな会議室に、静かな興奮が満ちていった。
◆
貿易都市オルムは、朝霧に包まれていた。
港から吹き込む潮風が石畳を湿らせ、市場の喧騒をまだ遠くへ押し留めている。
街の中心には、高い尖塔を持つ教会がそびえていた。
白い石壁が朝陽を反射し、霧の向こうで淡く輝いている。鐘の音が低く響いた。
その音は霧の中をゆっくりと広がり、街全体を目覚めさせていく。通りでは早朝の商人たちが荷車を引き、魚の匂いと焼きたてのパンの香りが入り混じっていた。
シド・カゲノーは、治安維持総監の制服を簡素な軽装へ変え、黒いマントを羽織って歩いていた。
表向きは巡回視察。だが、その実態は聖教とディアボロス教団の癒着を探るための調査だった。
隣を歩くのはゼータ。白髪のショートヘアが潮風に揺れ、猫獣人の耳が忙しなく動いている。金色の瞳は周囲を眺めながらも、時折露店の果物へ向けられた。
通りすがりの猫を見つければ、ほんの少しだけ目を細める。
「主」
ゼータが小声で尋ねた。
「ほんとに、ここに来る意味あるの?」
「あるよ。教会の裏手にある『祈りの間』。公式には聖なる泉がある場所だけど、最近、夜間に怪しい荷物が出入りしているらしい」
「怪しい荷物?」
「ディアボロス教団の研究資材が紛れ込んでいる可能性がある」
「じゃあ潜入?」
「まずは観察。僕たちは『治安維持の視察』で来ているんだから、堂々と入ろう」
「正面突破?」
「正面から入るだけだよ」
そしてゼータを見る。
「ゼータは……いつものように、飽きたら抜け出して周囲を嗅ぎ回っていい」
「了解」
ゼータは満足そうに笑った。
「私は天才だからね」
二人は教会の正面階段を上った。
重厚な木製の扉が開く。中から、ひやりとした空気が流れてきた。
内部は巨大な大聖堂だった。
高い天井。
長く伸びる柱。
色鮮やかなステンドグラスを通した朝陽が床へ虹色の光を落としている。
祭壇の前では数人の聖職者が祈りを捧げていた。
静かな詠唱が、広い空間に響く。
シドは自然な足取りで歩を進めた。少し後ろをゼータがついてくる。
その瞳は、すでに周囲をくまなく観察していた。
「祈りの間は、裏の回廊を通って」
シドが小さく呟く。
脇の扉へ向かうと、聖職者の一人がこちらへ気づいた。
シドは穏やかに微笑み、軽く会釈する。
英雄としての顔。聖教徒に見せるには、これで十分だった。
二人は回廊へ入った。
そこは大聖堂とは対照的に薄暗い。
石壁に沿って蝋燭が灯され、二人の足音が長く反響している。潮の匂いは薄れ、代わりに古い石と香油の匂いが漂っていた。
ゼータの尻尾が、わずかに硬くなる。
「ここから先は聖域ってことになってるけど……」
彼女が足を止めた。
鼻を動かす。
「匂いがする」
「何の?」
「鉄。薬品。それと――血」
シドの瞳が細くなる。
「予想通りだね」
「ディアボロス教団の痕跡?」
「ああ」
二人はさらに奥へ進んだ。回廊の突き当たりに、古い鉄扉がある。鍵はかかっていなかった。しかし、重厚な錠が取り付けられている。
シドが指を軽く鳴らす。
魔力が一瞬だけ流れた。
カチリ。
錠が開く。扉の向こうには、小さな部屋が広がっていた。
祈りの間。少なくとも、表向きはそうだった。中央には小さな泉があり、水面が静かに揺れている。
周囲には聖なる像。
蝋燭の柔らかな光。
一見すれば、神聖そのものの空間だった。だが――部屋の隅に、明らかな違和感があった。
石壁の一部が不自然にずれている。
隠し扉だ。しかも半開きになっている。
そこから、かすかな機械音と強い薬品臭が漏れていた。
ゼータが素早く近づく。隙間から中を覗き込んだ。
「荷物……木箱が山積み、ラベルは『聖なる癒しの薬』でも中身は、ゾルトラークの派生技術を液状化したものだね」
「確定?」
「間違いない」
ゼータの声に、珍しく興奮が混じっていた。
「魔法の液体化には、魂と肉体、それから精に術式を刻んだ人間を磨り潰して抽出する工程が必要になる。だから非合法認定されてる」
シドは黙って木箱を見つめた。そして、小さく笑った。
「証拠は掴んだ。アルファに送ろう」
ポケットから小型の魔導装置を取り出す。
装置を向ける。一瞬だけ閃光が走った。隠し部屋の内部が白く照らされ、すぐに元の暗闇へ戻る。
「これで一つ増えたね。聖教と教団の癒着の証拠」
そして、楽しそうに尋ねる。
「次はどうする?」
「まずは報告。アルファに全部見せて、作戦を練る……でも、ゼータ」
「ん?」
「君はもう少しここで嗅ぎ回っていいよ」
「いいの?」
「うん。飽きるまで好きなように」
ゼータの顔に笑みが広がった。
「やった。じゃあ、行ってくる」
彼女はそのまま、影のように回廊の奥へ消えていった。
シドは一人、祈りの間に残った。小さな泉の前に立つ。静かな水面に、自分の顔が映っている。
シドはしばらく、それを眺めていた。
「聖教とディアボロス教団……どちらも、魔王を討つまでは正しい組織だったのにね」
泉へ一滴、水が落ちた。
波紋が広がる。
「共通の敵がいなくなった途端、ここまで腐るんだ」
シドは苦笑した。
「人間って愚かだね、僕も含めてさ」
朝陽がステンドグラスを透かし、泉へ虹色の光を落としている。
聖なる泉。
神の奇跡。
その足元には、隠された実験施設。
光の下に闇があり、闇の中にもまた光がある。シドはそれを眺め、静かに息を吐いた。そして、ゆっくりと教会を後にした。
外へ出ても、貿易都市オルムの霧はまだ晴れていなかった。
白い霧の向こうで、街はいつも通りの朝を迎えている。
商人たちが声を上げる。馬車が石畳を走る。教会の鐘が鳴る。何も知らない人々が、一日の営みを始めていく。
その一方、霧の奥では、確かに何かが動き始めていた。
聖教とディアボロス教団。
光を掲げる者と、闇に潜む者。
その二つを結ぶ、一本の糸。
シドはそれを見つけた。ならば――あとは、どこまで引っ張れば面白いことになるのか。
黒いマントが潮風にはためく。
シド・カゲノーは、楽しげな笑みを浮かべながら歩き出した。