光が強くなれば、陰の実力者はより際立つ。ので、僕が天に立つ 作:あばなたらたやた
平和な午後と、ささやかな未来
すべてが終わったのは、それから数日後のことだった。ディアボロス教団の研究施設は摘発され、生き残った研究員たちは拘束され、改造魔族たちの遺体も回収された。
聖教との協議の末、聖女ウィクトーリア本人の立会いのもとで、人間、獣人、エルフ、その他の種族が共に生きることを目指す正式な共生協定が結ばれた。
完全な平和ではない。争いや偏見は残るだろう。だが前へ進む意思だけは確かに存在していた。少なくとも今は、それで十分だった。
報告書を机へ置き、シドは椅子に深く腰掛けた。ようやく肩の力が抜ける。目の前では、アルファが相変わらずの素早さで資料へ目を通していた。
シドが持ち帰った情報、聖教との交渉結果、教団施設の調査結果、死神部隊に関する推測。それらを一つずつ整理し、数分後に彼女は資料を閉じた。
「お疲れ様、シド」
「ありがとう。本当に」
苦笑するアルファの顔を見て、シドはわずかな違和感を覚えた。疲労の色が隠しきれておらず、目元は重く、肩も普段より下がっている。
表に出さなくとも、現場のシド以上に後方支援を一手に引き受けていた彼女の負担は計り知れなかった。
「アルファ」
「なに?」
「今日の分の仕事は終わり?」
「ええ、全部ね」
「じゃあ、デートしない?」
沈黙が三秒ほど流れた。
「…………え?」
優秀な副官、完璧超人、冷静沈着。そのすべてが吹き飛んだ顔で、アルファは珍しく固まった。
「デート?」
「うん」
「私と?」
「他に誰がいるの」
「そ、それはそうだけど……」
急に視線が泳ぎ、耳たぶが赤く染まる。その普段見せない反応に、シドは内心で微笑ましさを覚えた。
「急ね」
「疲れてそうだったから。休憩も必要だと思うよ」
正直に告げると、アルファは少しだけ目を丸くし、それから柔らかく微笑んだ。
「そうね……。たまには甘えてみようかしら」
数時間後、二人は王都の歴史ある美術館にいた。大理石で作られた荘厳な建物の中、二人は「海と陸と空」をテーマにした自然を描いた展覧会を巡る。
最初の展示室では、巨大な海の絵の前に立ち止まった。青、蒼、碧。様々な色が混ざり合い、ただ波が描かれているだけなのに、なぜか目を奪われる。
「綺麗だ」
「そうね」
戦場のような命のやり取りも、陰謀も、血の匂いもない静かな時間。ただ絵を見つめるだけで、不思議と心が落ち着いていく。
次の展示室では、夕暮れの森を描いた絵の前でアルファが足を止めた。木漏れ日、差し込む光、静かな小川。どこか懐かしい風景だった。
「好きなの?」
「分からないわ。でも……帰ってきた気分になる」
エルフとして生まれ、故郷を失い、教団に囚われ、そしてシャドウガーデンにたどり着いた彼女の人生を思えば、その言葉の重みは小さくない。シドは何も言わず、ただ静かに彼女の隣に立った。
最後の展示室は「空」だった。朝焼け、夜が終わり光が差し込む暗闇と光の境界線の絵の前で、アルファが静かに呟く。
「少しだけ……未来は明るいと思ったわ」
勇者が倒した魔王とは別の存在、教団、死神部隊と、問題は山積みだ。それでも今日くらいは、そういう未来を信じてもいいのかもしれない。
二人は見つめ合い、穏やかな時間を選んで美術館の奥へと歩いていった。美術館を出ると、外は雲一つない快晴だった。暖かな陽射しと穏やかな風の中、目的地も決めずに並んで歩く。
ふと、アルファが足を止めて太陽を見上げ、眩しそうに目を細めた。
「いい天気ね。太陽が輝いているわ」
シドも空を見上げると、アルファが詩人のような口調で続ける。
「光は強ければ強いほど闇を濃くして、見えなくなる」
「格好良いね」
「ええ。貴方を支えるのだから、情けない姿は見せられないわ」
優しく、真面目で、少し不器用な彼女を眺めながら、シドは思った。誰かを支え続ける彼女自身を支える人間はいるのだろうか、と。
「頑張るのは素晴らしいと思うけど、僕の前では情けなくてもいいと思うよ」
「それは否定できないわね」
「即答だね」
軽口を叩き合いながら王都の広場へ出ると、噴水や子供たち、露店が並ぶ平和な光景が広がっていた。ベンチに腰掛け、心地の良い沈黙を共有する。
「ねぇ」
「何?」
「全部終わったら何をしたい?」
思いがけない問いかけに、シドは少し考えてから本音を零した。
「楽しく暮らしたいな。朝起きて、仕事に行って、帰って、ご飯食べて、寝る。それだけ」
「おじいちゃんかしら」
呆れられた後、今度はアルファが尋ねられる番だった。彼女は少し考え、珍しく夢見る少女のような目を向ける。
「家が欲しいわ。戦場じゃなくて、任務でもなくて、命令でもなくて、ただ帰る場所。庭があって、花があって、静かで、平和で……皆がいて」
想像を膨らませるように、アルファは少し笑う。
「たぶんゼータは勝手に入り浸るし、ベータは本を持ち込むし、ガンマは経営計画を持ってくるし、デルタは庭で寝るでしょうね」
「確実だね」
「そして……貴方もいる。毎日じゃなくてもいい、ずっと一緒じゃなくてもいい。でも、帰ってくる場所として、そこにいてくれたら嬉しいわ」
青空の下、風が優しく吹き抜ける。光が強ければ影も濃くなる。未来に困難が待ち受けていようとも、今この瞬間だけは、そのささやかな未来を信じてみたかった。
「いいな、その未来」
「そう?」
「うん。帰る場所があるのは、きっと幸せだから」
太陽は高く輝き、まるでまだ見ぬ明日を祝福するように、二人の上空で眩い光を放っていた。