光が強くなれば、陰の実力者はより際立つ。ので、僕が天に立つ 作:あばなたらたやた
白を基調とした、清潔で無機質な空間。
ここは、ミドガル王国に正式に認可された技術研究所だ。
シドたちが所属するのは、王国の秩序と治安維持を担う正規組織。権力的にも立場的にも、表向きは一切の曇りがない。シドがこうして最先端の研究施設へ出入りしているのも、国から正式に委託された公務の一環に過ぎない。
研究所では日々、『人体の拡張』や『基礎性能の向上』を目的とした最先端の研究が行われている。
戦時下にあるミドガル王国にとって、兵士や騎士の能力を底上げする技術は重要な国家課題だ。だが、輝かしい最先端研究の中にも、ひとつだけ異質な影を落とす部門が存在していた。
『悪魔憑き部門』。
魔力の暴走によって肉体が異形へと変貌する、原因不明の奇病。
ここでは悪魔憑きに関する研究と実験が続けられている。しかし、その成果は惨憺たるものだった。持ち込まれた検体は、いずれも魔力暴走を止められず、肉体の崩壊とともに命を失っていく。
国家の知性を結集しても、未だ解明できない病。研究員たちにとって、それは絶望そのものだった。
――だが、それも今日までだ。
シドはすでに、既存の研究とはまったく異なる独自の『悪魔憑きに関する魔力制御論文』を国へ提出し、実践の許可を取り付けていた。
案内された特別手術室。
その中央には、無機質な手術台が並んでいる。台の上に横たわっているのは、かつて人間だったもの。
現在では怪物と呼ぶことすら躊躇われるほど、醜い肉塊へと変貌している。皮膚は原形を失い、組織は不規則に膨張し、粘液質の細胞が脈動していた。
常人ならば目を背ける光景だ。だが、シドはそれを興味深そうに眺めていた。
(相変わらず、悪魔憑きの肉体変化ってエグい造形している。このドロドロした細胞の歪み方とか、ホラー映画の特殊メイクみたいだ)
そして――
カチリ。
シドの中で、何かが切り替わる。
「さて。始めよう」
その声には、悲惨な光景を前にした人間とは思えないほど軽やかな好奇心が滲んでいた。
新しいプラモデルの説明書を開くときと、ほとんど変わらない。
もっとも、それを表情には出さない。
周囲を囲む部下たち。そして、藁にもすがる思いでシドを見つめる研究員たち。
彼らの前に立つシドには、別の顔が必要だった。悲痛な現実を背負い、それでも未来のために手を汚す。
命を救うためならば、自らのすべてを投げ出す。
慈愛と責任感に満ちた若き指導者。
それこそが、彼らがシドに求めている姿だった。
シドは静かに息を吸い込んだ。
極めて高純度の魔力が、その身体を包み込む。室内の空気が一瞬で張り詰めた。指先には、微かな紫電のような光が走る。
「施術、開始」
静かな声だった。
シドは肉塊へ手をかざした。ここからは一分一秒を争う。
悪魔憑きの魔力暴走は、細胞の崩壊速度が再生速度を上回った瞬間、完全な組織壊死へ移行する。
そうなれば、二度と再生できない。
手術室のバイタルモニターが、けたたましい警告音を響かせている。
「これより、魔力共振波による強制同調を行う。全回路、パルス発生装置と連動。十秒以内に完了させる」
「は、はいッ!」
研究員たちが一斉に計器へ飛びついた。
まず必要なのは、魔力暴走の核となっている歪んだ魔力経路の特定。シドは自身の魔力を分子レベルにまで細分化する。
無数の細い糸へと変換された魔力が、悪魔憑きの肉体へ滑らかに潜り込んでいく。そこで生きたのが、先日ディアボロス教団の技術を解析した際に得た視点だった。
――魔力を、規格化された回路として扱う。
悪魔憑きの暴走は、カオス理論における異常血流に近い。固有の周波数を持つ魔力が、無秩序に細胞の受容体を叩き続けている。ならばその周波数を相殺する、逆位相の波形をぶつければいい。
「起動」
シドが告げる。
自作のパルス発生装置が作動した。肉塊へ、一定周期の魔力振動が照射される。
目には見えない。だが、その効果は明確だった。
ビキッ。
ビキビキビキッ!
「――ッ!」
肉塊が激しく痙攣した。
手術台そのものがひっくり返りそうなほど、全身が波打つ。
モニターの数値が危険域へ跳ね上がった。
「シド様! このままでは肉体が融解します! 中止を!」
研究員の悲鳴。
シドは微動だにせず、目の前の現象を、冷静に観察していた。
(なるほど)
この固有周期のパルスを当てることで、暴走細胞の受容体が過負荷を起こしている。
情報伝達が、一瞬だけ停止する。
肉塊が――ピタリと硬直した。ブレーキがかかった。
ならば、今だ。
シドは魔力を流し込む。歪んだ魔力経路をひとつずつ捉え、まるでパズルのピースを嵌め込むように、本来あるべき位置へ戻していく。
「接続完了」
パルスへの反応を脳内でミリ秒単位に分析。数万通りにも及ぶ魔力結合の組み合わせから、最適解を瞬時に選択する。
絡まり合った魔力の結び目が、一本ずつ解けていく。
それは、シドだからこそ成立する技術だった。
圧倒的な魔力と圧倒的な演算能力。そして、それらを惜しみなく投入する異常なまでの精密操作。まるで物理法則そのものを、リアルタイムで書き換えているかのようだった。
やがて――シドが魔力を引き抜く。
ピタリ。
警告音が止まった。同時に、あれほど醜く肥大化していた肉塊が、シュルシュルと不快な音を立てながら収縮を始める。
ドロドロとした異形の色が抜けていく。
その内側から、白い肌が現れた。
人間の腕。人間の脚。そして、確かな呼吸。
室内に静かな生命の音が戻ってくる。
「……バ、バカな……」
背後から声が漏れた。悪魔憑き部門の主任研究員が、大型モニターへ食い入るように身を乗り出している。
「遺伝子レベルで崩壊し、生化学的な原形すら留めていなかった細胞組織が……再構成されている……!? 壊死して機能を停止していた生命の核を、内側から強制的に再起動させたというのか……!?」
主任の声が震える。
「こんな術式……既存の魔法医学のどこを探しても存在しないぞ!」
補助研究員たちからも、言葉にならない驚きの声が上がった。
彼らにとって悪魔憑きとは、国家の知性を結集しても解き明かせなかった絶対の絶望。触れれば破滅する、神の呪いにも等しい存在だった。しかし、シドにとっては違う。
目の前にあるのは、解けない呪いではない。
因果の糸を一本ずつ手繰り寄せ、正しい答えを探していく。ただ、それだけの問題だった。そして何よりパルスの周波数を微調整したのが大正解だった。
つい先ほどまでドロドロのゼリーのようだった肉塊が、見る見るうちに綺麗な人間の形へ戻っていく。
パズルが最後の一片まで綺麗に嵌まったときのような、爽快感。
シドの胸には、純粋な好奇心が膨らんでいた。
この技術、応用すればもっと色々な形状へ変化させられるのではないか。
次は少し条件を変えて試してみたい。
そんなことを考えていた。
しかし、周囲に見せる顔は別だった。
シドは凄惨な現実を前に一歩も退かず、命を救うために自らのすべてを賭ける、慈愛と責任感に満ちた若き指導者でなければならない。
「驚いている暇はない。次だ!」
シドの声が室内を貫いた。
「まだ臨界点を越えていない個体が残っている。一秒の遅れが、彼らの命の境界線を決める。感傷も驚嘆も、すべてが終わってからにしろ!」
隣の手術台。
そこでは、別の肉塊が不気味に蠢いている。
今まさに、自己崩壊の限界を迎えようとしていた。
「時間を惜しめ。次の検体を!」
シドは間髪入れず、両手を伸ばす。
掌から溢れ出した高純度の魔力が、次の標的を優しく、しかし強固に包み込んだ。
「全員、持ち場を離れるな! ここからが本当の正念場だ!」
研究員たちが一斉に動き出す。
「第一班は、今人型に戻った者を治療カプセルへ移せ! 急激な環境変化によるショック状態を避けろ。魔力変換液の濃度は三・五パーセントに固定。肉体の浸透圧を均等に保ち、バイタルの安定を最優先!」
「は、はい!」
「第二班! 右翼側のバイタルが低下している!」
シドの視線が計器を射抜く。
「パルスの同調率がコンマ二秒遅い。僕の魔力波形に合わせろ! 思考を止めるな。機材の限界値を引き上げろ!」
「は、はいッ! 同調器の出力を最大値に固定! 魔力同調率、八十五……九十パーセントへ上昇中!」
オペレーターが必死に制御レバーを操作する。
指先が震えていた。
それでも止まらない。
シドの放つ、一人も落とさないという圧倒的な気迫が、恐怖を押し潰していた。
モニターの数値が目まぐるしく書き換えられていく。
火花を散らす機材の悲鳴など、誰も気に留めていない。
「第一班、カプセルへの注水を急げ!」
シドの声が飛ぶ。
「変換液の注入開始から皮膚細胞の定着まで、猶予は十五秒だ。十秒を過ぎれば肉体の自己崩壊が始まる。遅れれば拒絶反応から再暴走するぞ!」
「変換液、注入開始! 弁を全開にします!」
「濃度三・五パーセントを死守しろ!」
「注水圧が安定しません! 誰か、予備の圧力バルブを直接押さえてくれ!」
「俺が行く!」
研究員たちが治療カプセルへ殺到する。
「戻った皮膚を傷つけるな! 慎重に――だが、可能な限り速く運べ!」
額から汗が滴る。
衣服が濡れる。
それでも誰も立ち止まらない。
彼らにとって、シドの言葉は絶対だった。
その命令から一歩でも外れれば、ようやく救い出した命を再び失うことになる。
だからこそ、彼らは限界まで動いた。
自分のミスひとつで、シドが繋ぎ止めた命を零れ落とすわけにはいかない。
そんな悲壮な責任感が、彼らを動かしていた。
一方のシドは、そんな部下たちの奮闘を眺めながら、内心では少々引いていた。
――そこまで必死にならなくてもいいんだけどな。
これだけ真剣に働いてくれれば、シドが掲げる『光の素晴らしい存在』としての説得力が勝手に増していく。
それはそれで都合がいい。
だが、シドの魔力操作には一切の乱れがない。
部下たちの動きに合わせ、魔力粒子を絶妙な速度で編み込んでいく。
そして――
「――同調完了」
シドの声が落ちる。
「第一班、第二班。完璧なタイミングだ。よく繋いだ。全機能をカプセルへ移行する」
その瞬間。
二体目の肉塊もまた、大きく波打った。
異形の肉体が霧散する。
醜く膨張していた組織が急速に収縮し、その内側から人間の少女の姿が現れた。
少女はそのまま、治療カプセルの中へ滑らかに収められる。
「ハァ……ハァ……」
研究員が荒い息を吐いた。
「やった……成功だ……!」
「バイタル完全安定!」
別の研究員が叫ぶ。
「拒絶反応、一切確認されません! 完全に制御下です!」
張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。
研究員たちはその場にへたり込み、互いの肩を叩き合う。
涙を浮かべている者もいた。
極限状態の中で、彼らは命令を遂行した。
そしてまたひとつ、世界の常識を打ち破った。
それは彼らにとって、歴史に刻まれるほどの偉業だった。
◆
静まり返った休憩室。
窓の外には、穏やかな景色が広がっている。
先ほどまでの騒乱が嘘のようだった。
シドの机の上には、救い出された『悪魔憑き』たちの詳細なバイタルデータが並んでいる。
治療カプセルの中で眠る少女たち。
濃度三・五パーセントの魔力変換液に満たされたカプセルの中で、彼女たちは静かに呼吸を続けていた。
つい先ほどまで醜い肉塊だったとは、とても思えない。
今は、ただの少女だ。
シドは端末を操作しながら、ふとある共通点に気づいた。
「……男の悪魔憑きは、一人もいない」
これまで確認した検体。
ディアボロス教団の実験施設から回収した記録。
そのすべてが女性だった。
しかも、ある程度の魔力適性を持つ若い女性に偏っている。
「単なる偶然とは考えにくいな」
魔力暴走のメカニズムそのものに、性別による差異がある。
その可能性は高い。
――とはいえ。
シドはカプセルの中で眠る少女たちを眺めた。
治療できたのなら、それでいい。
それに、男の肉塊を治療するより、美少女を救うほうが絵面的にもモチベーションが上がる。
結果オーライだ。
もちろん、そんなことを表に出すわけにはいかない。
クリーンな治安維持組織のトップ。
そして、人道的な研究者。
その外面を維持する以上、治療して終わりでは不十分だ。
何より――
陰の実力者は、目立ってはいけない。
「彼女たちの『その後』の支援プランも構築しないとな……」
シドは、いかにも彼女たちの未来を深く憂いているような声で呟いた。
そして端末へ指を走らせる。
【悪魔憑き少女たちへの精神的・肉体的支援プラン】
【第1段階――肉体的安定と魔力制御】
カプセル内での魔力変換処置を終えた後、肉体の再構築によって生じる一時的な運動機能低下を補うため、段階的なリハビリテーションを実施。
同時に、再発防止を目的として、シドが確立した『規格化された魔力回路』の運用法を基礎から教育する。
【第2段階――精神的ケアと社会的アイデンティティの再構築】
悪魔憑きとして迫害され、家族や故郷を失った者も少なくない。
彼女たちが抱える恐怖、苦悩、歪み、執念に寄り添うためのカウンセリング体制を構築する。
自分は呪われた怪物ではない。
価値のある一人の人間なのだ。
そう信じられるようになるまで、安心して過ごせる環境を提供する。
【第3段階――組織への適応と『光』への導き】
高い魔力適性を持つ彼女たちが、その力を正しく社会へ還元できるよう、適性に応じた役割を与える。
違法組織の摘発。
知性魔物や教団の技術解析。
治安維持活動への参加。
それぞれが抱える心の欠落を、仲間との連帯と『善くあろう』とする意志によって埋められるよう支援する。
シドは画面を眺める。
(我ながら完璧な復職支援プログラムだ)
これなら彼女たちは、ただの『元・実験体』として扱われるのではない。
自分自身の意志で、もう一度前を向ける。画面には、規則正しい心拍数を刻む少女たちのデータが並んでいる。
シドは背もたれに深く身を預けた。そして、静かに呟く。
「極端な状況で導き出した答えが、万人に倣えるとは限らない」
ゆっくりと目を細める。
「人類は、ゆっくりと成長していく。だからこそ――まずは、この場所からだ。苦しみだけに頼らない世界を始めていこう」
その言葉は、静かな室内へ心地よく響いた。
これほど手厚く、未来まで見据えた支援計画を用意されたなら。
目覚めた彼女たちが、シドへどれほどの恩義を感じるか。そして、どれほど深い信頼を寄せるようになるか。
想像するのは難しくない。
――まあ。
シドとしては、彼女たちが元気になって。
自分が作った、ちょっと格好いい治安維持組織の制服を着て。
優秀な部下として、てきぱき働いてくれれば最高なのだが。
「さて。次の配属先について、アルファとも相談してみるかな」
シドは机の上に置かれていたコーヒーを一口啜った。
苦味が、心地よく舌に残る。
カプセルの中では、少女たちが静かに眠っている。彼女たちの未来は、まだ始まったばかりだ。そしてシドは、その未来に――内心で大いに期待を膨らませていた。