醜い魔術。鋼鉄魔術と呼ぶに値しない、醜悪な魔力の使い方。
それがどうした。
お前達の言う美しい魔術とやらは、私に一勝も上げられぬ代物だろう。
美しいだの醜いだの、つまらない価値基準持ち出してくるな。
私は強い。私の鋼鉄魔術は他の何よりも強い。
それが妬ましいのか知らないが、私より弱い魔術師が一丁前にケチをつけてくるな。
美しさなど要らない。綺麗な魔術じゃなくて良い。
強いのだから、それだけで十分だ。
なんて、思えていたのなら、私はこうはならなかったんだろう。
――――醜い、か……
随分、昔の話だ。
何となく日々を過ごしていたあの頃。
周囲に醜い魔術だと罵られ、親にも使い方を改めろと迫られ、それでも、私の魔術は粗いままだった。
どうしても、できなかったのだ。
致命的に向いていなかった。
なまじ醜い魔術での勝ち方を身に着けてしまったのも、私を美しい鋼鉄魔術から遠ざけた。
ただ否定と罵声を浴び、両親からの期待には応えられず、何となく生きていた。
強いんだから別に良いだろう、と嘯いて自分を保った。
――――私も、本当は……
そんな風に生きていた日々の狭間、私はとある屋敷を訪れた。
なんでも、そこには本家の四男坊だか五男坊だかが住んでいるらしい。
分家の私とは違い、正式にゴートウィスト家の継承権を持つ人物。
ただ、生まれながらに重病に伏せているらしく、長くは生きられないのだとか。
どこかの家との関係を取り持つために、形だけの縁談を組んだらしいが、もう彼の寿命も近いらしい。
名家であるゴートウィスト家において、透明人間のような存在だ。
そんな彼の立場を暗示するように、私が訪れた屋敷も静かな別荘といった感じだった。
――――確か、二階の突き当たり……
メモを頼りに、彼の部屋を目指す。
ひっそりとした屋敷だが、廊下を見る限り掃除は行き届いている。
流石は本家の人間の住処だなと、どこか陰鬱な気持ちを感じていると、曲がり角から一人の人影が飛び出してきた。
――――あ、ごめんなさい。急いでて。いや、急いでたわけじゃないんだけれど、少し走ってたから。えっと、本当にごめんなさい……
私にぶつかった女は、早口で謝罪を述べた。
当時十五歳だった私よりも、いくらか年上くらいに見える女。
それこそ、この日に会う予定だった男と同い年程度だろうか。
初対面の印象としては、冴えない女と言わざるを得ない。
特別美人というわけでもないし、身なりも野暮ったい。地味で覇気が無く、自信の無さがオーラとして滲み出ているような雰囲気だった。
――――いえ、こちらこそ不注意で申し訳ありません
――――あ、いえ、そんな……じゃあ、私はもう行くので……
女はそそくさと立ち去ろうとする。
私も黙って見送ろうとしたが、去り際、彼女が何かを落としたのに気が付いた。
彼女自身は気付いていないようで、そのまま急いで去っていく。
――――何か落としましたよ
私は彼女を引き留めつつ、落とし物を拾い上げた。
それは小さな飾り物。
掌に収まる程度の、小さな鉄の鳥だった。
――――あっ、それは……
――――……鋼鉄魔術?
手に取った瞬間、私はこれが鋼鉄魔術によって作られたものだと理解した。
それでも、発した言葉に疑問符が付いていたのは、魔術によって作られたにしては作りが精巧すぎたから。
これが自分の目で見たものでなければ、私は信じられなかっただろう。
こんなにも細かく精密に魔術を扱うことなど、果たして人間に可能なのだろうか。
鉄を構成するだけの魔術で、こんなにも美しい物を作れるというのか。
こんなにも綺麗で、繊細で、見惚れてしまうような構成物を――――
――――これ……ローストンが作ってくれたんです。魔術で作ったから二週間くらいで消えちゃうって言ってたけど……
この女は理解しているのだろうか。
魔術で生み出した物の存在が、二週間も持続することの凄まじさを、この女は分かっているのか。
私が作った醜い鉄塊は、数時間もすれば魔力の粒に返るというのに。
――――ローストンが元気になったら、似た物を買いに行こうって
そう語る女の顔は、仄かに輝いているように見えた。
芋っぽい地味な顔立ちの彼女だったが、愛しそうに鉄の鳥を見つめる瞳には、暖かな光が灯っている。
ああ、最悪だ。
どうして、私がこんな気分にならなくてはならない。
美しい鋼鉄魔術とやらを、その穏やかで綺麗な在り方を、どうして見せつけられなくてはいけないのか。
私が決して行けない場所の美しさを、延々と聞かされている。
吐きそうだ。
――――ローストン様が元気になることはありませんよ。不治の病と聞いています。現にあの方がベッドから起き上がれないから、私のような者が連絡係として遣わされていますので
――――それ、は……
――――失礼しました
私は鉄の鳥を彼女に返し、足早にその場を去った。
最後の捨て台詞はただの八つ当たり。
醜い自分を誤魔化すように、美しい人達の不幸を言い当ててやっただけ。
そんな三文小説の悪役じみた、下らない嫉妬と自己防衛。
誰もいなくなった廊下、私はふと立ち止まる。
じっと自分の右手を見下ろす。
そして、鋼鉄魔術を使った。
掌の中で生成された鉄は、不細工で下手くそなごみの屑。思い付く用途と言えば、気に食わないヤツに投げつけるくらい。
鳥を作ろうとしてこれなのだから、本当に救えない。
――――……クソ
翌日の練習試合で、私はゴートウィスト家の者を片っ端から殺した。
動機は本当に些細なこと。
あるいは、子供じみた極端な思考の暴走。
けれど、あのままゴートウィスト家で生きることに、私は耐えられなかった。
本当に欲しいものは手に入らず、本当に使いたい魔術は使えず、本当に望む未来はやってこない。
だったら、もういっそ、どん底まで落ちてしまいたい。
この世で最も醜い場所まで落ちて、落ちて、落ちぶれて、醜悪な世界の中で死ねば良い。
そんな自棄と絶望が絡み合った結果、私はゾウとなったのだ。
***
大通り、翼の生えた象が暴れ狂う。
大きな図体。膨れ上がった重量を引きずるように、動きは鈍い。
鋼鉄の翼を羽ためかせ、けれど空を舞うことはなく、地上にて鉄の象は地団駄を踏む。
美しい空を夢見て生やした翼。しかし、巨象の重量では空を飛ぶことは永遠に叶わない。
その醜く肥大化した巨躯を、幼女の拳が打ち据える。
轟音と共に叩き込まれる拳撃は、象の内部に飲み込まれたゾウにも届いていた。
満身創痍の肉体には、響く衝撃すら激痛を伴う。額を伝った血は汗のように、彼の醜悪な顔を滴り落ちた。
(何がしたかったんだろうな、私は……)
鋼鉄で出来た象の内部。
男は意味も無く回想する。
絶えず打ち込まれる打撃の最中、間髪無く押し寄せる衝撃の渦中、男は過去を思い起こしていた。
(家の者に歯向かって、私自身も顔の原形を留めぬほどに叩きのめされて……それでも、意地と執念でヤツらのほとんどを惨殺した。私は、どうして――――)
ゴートウィスト家の惨殺事件。
当時十五歳だったゾウが起こした事件は、ゴートウィスト家の歴史に語り継がれる悲劇だ。
当時有力だった子息令嬢は全員ゾウに殺され、ゴートウィスト家の中核を成していた人間も多くが死んだ。
それがローストン・ゴートウィストの当主着任に繋がったのは、運命の悪戯と呼ぶ他無い。
何故、ゾウは彼らを惨殺したのか。
自分の魔術を認めてもらえなかったからか。自分の方が強いと証明したかったのか。ただ単に冷遇されたことに腹が立ったのか。
(いや……理由などあるはずもない。何もかもどうでも良かった。死のうが生きようがどうでも良くて、ただ自暴自棄になって暴れただけ。理由なんて、初めから一つも……)
多くの人は殺人には手を染めないまま一生を終える。
だから、誰もが誤解する。
人殺しをする人間には、人殺しをするだけの理由や背景があるのだろう、と。
実際は逆だ。
人殺しをしない人間に、人を殺さない理由があるのだ。
捕まって牢獄に入りたくない。大切な人と会えなくなってしまうから。
周りの人に殺人者だなんて思われたくない。周囲の人と築いてきた関係が大切だから。
人を傷付けたくない。他者を大切だと思えるほどに、今まで他者に愛されてきたから。
(何も無いから、殺したんだろう)
人殺しに理由は無い。
むしろ、大切なものが何も無いからこそ、人は人を殺すのだ。
親を殺されたとか、恋人を失ったとか、酷い拷問を受けたとか、そんな大それた過去も事情も必要無い。
肯定されない。愛されない。認められない。
「終わりだ」
直後、爆ぜる爆風。
それはアトリの放った拳が凄まじい魔力放出と共に、鋼鉄の象の表面を消し飛ばす合図だった。
突如として開ける、ゾウの視界。
鋼鉄に遮られていた視界が開けると、そこには十一歳の幼女が立っていた。
吹き飛ばされた鋼鉄は欠片となって砕け散り、人気の無い大通りに紙吹雪のように舞っている。
「お、わり……」
ゾウはうわ言のように、アトリの言葉を繰り返す。
見下ろせば、彼の胸には大きな風穴が空いていた。
致命傷。それを頭で理解した途端、ゾウの全身は脱力し、うつ伏せに地面へと倒れ込んだ。
(醜い魔術。醜い顔。醜い所業。何か一つでも、美しいと思えるものがあれば――――)
死に際、男は目にする。
砕けた鋼鉄が舞い散り、パラパラと降り注ぐ世界。
うつ伏せに倒れた視界には、ひどく狭い世界から映らないが、そこには確かに一つの世界があった。
花が散るみたいに、鉄の欠片が舞っている。どんよりとした曇天の下、アトリの右腕が放つ魔力光を反射して、欠片達はキラキラと輝いていた。
少しずつ霞んでいく視界の中、その鈍い輝きだけが確かだった。
それは、なんて、綺麗な――――
(――――死に際にたった一つとは、神様とやらも人が悪い)
鉄の欠片に囲まれて、男は静かに瞼を閉じる。
不思議と、その表情は安らかだった。
(全く、酷い人生でしたね)
ゾウは緩やかに死んでいく。
鈍く光る鉄の欠片が降る中で、その躰はゆっくりと体温を失っていく。
まるで、鉄の冷たさに近付いていくみたいに。
ゆっくりと、緩やかに、落ちていくばかりの人生は幕切れた。
***
「まずは一人」
ゾウを撃破したアトリは、独り言を零す。
本当は生かしたまま再起不能にでもできれば良かったのだが、そうも甘いことを言っていられる相手でもなかった。
「さて、次はどこを――――」
早速、次の戦場へと移動しようとしたアトリ。
彼女が足を止めたのは、上空に燃ゆるそれに気付いたから。
注意して見上げるまでもなく、意識を向けるまでもなく、視線を釘付けにされる存在感。
爆発的なまでの魔力と共に、上空に浮かんでいたのは――――
「なんだ、あれは……?」
青い太陽。
灰色の空に浮かんだ鮮烈な青。
恒星と見紛うほどの蒼炎が、遥か上空に燃えていた。