瓦礫の海を、多種多様の化け物が跋扈する。
ドゥミゼルが呪術で改造した人間兵器は、キルディッド達三人によって着実に数を減らしていた。
(隙が見えない。ソルノット三騎士と呼ばれるだけはあるな。改造した人間で消耗させてから仕掛けるつもりだったが……早めに勝負してみるか)
人間を呪術で怪物に改造する技術は、魔力消費が少なく使い勝手が良い。
そのため、ドゥミゼルはまず彼らで敵を消耗させる算段を立てていた。
しかし、三騎士の奮闘を前に作戦を変更。人間兵器の全滅を待たずして、ドゥミゼル自らも戦闘へと参加することを決断。
地面を蹴ったドゥミゼルが初めに向かったのは、槍で巨大な怪鳥を刺し殺したナルテインの下だった。
(来た。こいつ自ら。――――迎え撃つ)
一瞬にして飛び交うアイコンタクト。
視線だけでコミュニケーションを取り合った三者は、即座に動き出す。
槍を構えてドゥミゼルを迎撃する態勢のナルテイン。踵を返したキルディッドが加勢に向かう。フィロルドは二人がドゥミゼルとの戦闘に集中できるよう、人間兵器への対応に当たる。
流れるような連携でフォーメーションを組んだ三者。
初撃を担ったのは、鋭く突き出されたナルテインの槍だった。
ドゥミゼルの心臓へと的確に突き出される槍。しかし、その刃先がドゥミゼルの胸を抉る直前、槍が不自然に停止した。
(止まった!? 一体何が――――)
見えない壁に阻まれるように静止した槍。
ドゥミゼルはその柄を易々と掴む。
次の瞬間、槍に変化が訪れる。
赤錆びた色へと変色したかと思えば、金属がグジュグジュと腐り落ちる。
やがて、内部から蟲に食い尽くされたかのように、槍は原形すら留めない粉微塵と化して崩れ去った。
「ほぅら、握手だ」
悪趣味なドゥミゼルの声。
気付けば、槍を握っていたはずのナルテインの手は、呪術師の手と握手を交わしていた。
「――――っ!」
瞬間、ナルテインの手に激痛が走る。
酸の入ったバケツに手を突っ込んだかの如き痛烈な感触。
痛覚が暴走したかと錯覚するほどの痛痒に、ナルテインは声にならない悲鳴を上げる。
「離せ! 外道!」
その背後、斬りかかるはキルディッド。
研ぎ澄まされた剣閃は、ドゥミゼルの首筋へと綺麗に迫る。
速度、威力、共に十分。
ドゥミゼルの回避は間に合わないはずの一撃。
しかし、その刃が彼女の首に届く寸前、キルディッドの剣は不自然に減速。
その間隙にドゥミゼルは剣の射程範囲を抜け出し、刃は鎖骨付近を軽く撫でるのみに終わった。
(まただ。ナルテインの時もそうだった。直前で見えない壁のようなものに攻撃を阻まれている。こいつは今も呪術で人間を改造して操っている。呪術も魔術の一種である以上、同時にもう一つの魔術は使用できないはず。だというならば、あいつの体を覆う見えない障壁は――――)
思考の果て、キルディッドは一つの答えに辿り着く。
あまりにも荒唐無稽で、常識外れで、ファンタジー作家でももっとマシな設定を考えるだろうと思えるほど。
しかし、彼の長年の戦闘経験が、使い慣れた武器に染みついた感触が、自然とその答えを導き出していた。
「ただの魔力……?」
キルディッドの言葉に、ドゥミゼルはどこか満足げに笑った。
「ご名答。思ったより、気付くのが早かったね。呪詛性魔力層。まあ、どいつもこいつも呪層と略していたんだが。ナンセンスだよな? 折角、お洒落な名前を考えたってのに。……少し話が逸れたな。お前達もやるだろう? 魔力で体を覆って身を守る。それと同じさ。私は魔力に呪詛の性質も付与しているけどね」
ドゥミゼルは常に自らの身体を魔力で覆い、簡易的な防壁として機能させている。
これ自体は特別なことでもない。戦闘職であれば、誰もが行うことである。
驚くべきはその密度と呪詛の性質。
高密度に圧縮された魔力層は物理的な攻撃さえ遠ざける鎧となり、ナルテインの槍を静止させるにまで至っている。
さらに呪いとしての特性を帯びた魔力層は、触れた物に強力な呪いを付与する。
金属には腐敗と崩壊を。人体には病と激痛を。
ナルテインの槍はこれによって腐り落ち、触れた右手は使い物にならなくなった。
呪詛性魔力層。略して呪層。
ドゥミゼル・ディザスティアを守る絶対防御でありながら、触れた者を呪う反撃機構でもある。
「ペラペラと技のタネを……余裕だな」
ドゥミゼルが呪層の詳細を明かしたことに、深い理由は無い。
強いて言うなら、言いたくなったから。
子供がお気に入りの玩具を自慢するような幼稚な発想で、ドゥミゼルは自らの術技を披露する。
「ああ、余裕だとも。ついでにもう一つ教えてやる。呪術には触媒という概念があってね。術式の効果を高めたり、安定性を上げたりできる。大抵の触媒は生き物だ。蛇、家畜、人間。ここら辺がメジャーだな。エルフなんかがあれば最高だ。死体でも良いが、生きたままの方が効果は高い。雄よりも雌。老人よりも子供が良い。中でも触媒としてのランクが高いのはアルビノ。生まれつき真っ白な見た目をしてる個体だ」
ドゥミゼルは滔々と語る。
戦闘中にも関わらず呪術講座を垂れ流すドゥミゼルに、キルディッドは僅かな苛立ちを覚える。
明らかにナメられている。本音を言えば、今すぐにでもその余裕綽々の顔面に攻撃を叩き込みたい。
しかし、その苛立ちすらも飲み込んで、キルディッドは黙したままドゥミゼルの話を聞いていた。
銀髪の呪術師が見せる傲慢と満身の中に、攻略の糸口が隠されているのかもしれないのだから。
「この呪術の真価は人間を化け物に作り替えることなんかじゃない。触媒である人間を生きたまま持ち運べるところだ」
ドゥミゼルは笑う。
彼女の言葉の意味に気付いたキルディッドは、弾かれたように駆け出していた。
キルディッドの血走った視線の先、呪術師は指先サイズの肉塊を放り上げる。
放られた肉塊は空中でブクブクと膨れ上がり、真っ白な少女に姿を変える。
それは白い少女。髪も肌も異様なまでに白く、閉じられた瞼を縁取る睫毛さえも純白。宙に舞う白い裸身は、悪魔に捧げられた生贄のようだった。
アルビノの少女を触媒に、ドゥミゼルは何かの呪術を発動しようとしている。
それに勘づいたキルディッドの動きは早かった、ドゥミゼルが呪術を完全に起動し終える前に、彼が突き出した刃の先端がドゥミゼルの首に届く。
しかし、その刃が女の喉元に突き刺さることはない。
分厚い呪いの層を前にして、剣など鋼鉄に突き立てた針のようなもの。
「一度呪層に触れたんだ。切れ味はナマクラレベルまで落ちてる。もう二度と、お前の剣が私の呪層を突破することは無いよ」
至近距離、ニィっと笑ったドゥミゼル。
彼女はキルディッドの絶望した表情を楽しそうに見下ろす。
まるで、無邪気な子供が虫の羽をむしり取るように、無垢な悪意で笑っている。
直後、空中で少女の肉体が爆ぜる。
内側から食い破られたように爆裂し、臓物と血液の雨が降る。
少女の真っ赤な残骸を浴び、呪術師は意気揚々と叫んだ。
「ははっ! 喰らえよ選抜騎士! 人の禁忌を裁く神の呪詛! お前達人間の遥か高位に横たわる上位法則! お前達が神と呼んで崇める化け物! その指先一つがお前達を呪う! じっくり味わえよ! 私の最高火力だぜ!」
快哉と共に顕現するは、巨大なヒトガタをした何か。
空中に開いた真っ赤な空洞から這い出たそれは、全身に布を巻きつけた人間のようにも見えた。
現れ出たのは上半身のみで、腰から下は真っ赤な空洞の向こう側にある。上半身に比して両腕は異様に長く、顔には口以外の一切のパーツが無い。
のっぺらぼう。だというのに、その顔は憎悪に歪んでいる。
口以外の要素を持たない平坦なはずの貌から、憎悪という感情を読み取れるのは何故だろう。
「ははは! はははははははは! あはははははははははははは!」
ドゥミゼルは笑う。大爆笑だ。
どこまでも上機嫌な彼女の上で、巨大なヒトガタは口から呪いを吐き出す。
それが吐き出しているのは、現世に存在する如何なる物質とも異なった、呪いという概念そのものにも似た何か。
その見た目を人間にも理解できる言葉で表現するならば、光と煙の中間とでも言えば良いだろうか。
濁った灰色の煙光は一瞬にして、周囲を飲み込む。
ドゥミゼルと相対していた騎士三人。さらにドゥミゼルが放った人間を素体とした怪物すらも飲み込み、呪いは全てを平等に蝕んだ。
やがて濁った灰色が晴れた時、そこは綺麗な更地と化していた。
地面に大量に転がっていたはずの瓦礫はさらに細かく分解され、地平線から文明の残骸を完全に消し去る。
残留したおぞましくおどろおどろしい魔力だけが、あたりの空気中に漂っていた。
「少し、驚いたな」
皮肉なまでに綺麗になった大地で、ドゥミゼルは目前の人間を見据える。
否、かつて人間だったものと表現するべきだろうか。
着ていたはずの鎧は腐食と衝撃により粉微塵と化し、露わになった素肌はグロテスクな赤紫色に爛れている。
辛うじて原形を留めたそれは、ドゥミゼルには背を向け、地面に跪き、何かを大事に抱えるような姿勢をしていた。
「さっきの槍使いか。よくもまあ、死ななかったものだな。地獄で自慢すると良い」
瀕死のナルテインがドゥミゼルの言葉に返答するはずもなし。
あと一秒後か、二秒後か、そう遠くはない未来に訪れるだろう死を待つのみである。
「ああ、そうだな……」
故に、それは彼女への返答ではない。
死に際に男が吐き出した、掠れた囁き声にも満たない空気の震動は、敵対する呪術師に向けられたものではなく。
恨み言ではなく、死を惜しむでもなく、無念を呪うでもなく――――
「あと……は、頼んだ……」
仲間へのエール。
瞬間、何者かが地平を駆ける。
その気配にドゥミゼルが気付いた時には、満身創痍の男がすぐ背後まで迫っていた。
その手には一振りの剣が握られている。
満身創痍ながらもドゥミゼルへと奇襲を仕掛けたキルディッドが、その刃を彼女の急所に突き立てんとしていた。
(速い! いや、それよりもアレを生き延びたのか!? こいつには至近距離で打ち込んだ! 回避できたわけがない! 耐えたなどというのは、それよりもありえない! まさか――――)
不可解な事象への答えを探し、ドゥミゼルの視線は死にゆくナルテインへと引き寄せられる。
何かを庇うような体勢を取っていたナルテイン。
彼の死に様が一つの結論を導いていた。
(庇っていたのか? 傷の浅い方が戦闘を続行できるように――――)
真実は単純。
ナルテインは自身の負傷を鑑み、ドゥミゼルの呪術を自分が生き延びるのは不可能と判断。
身を挺してキルディッドを守ることで、彼へのダメージを最小限に抑えた。
結果としてキルディッドは満身創痍ながらも戦闘を続行。勝利を確信したドゥミゼルへの奇襲を成功させた。
(いや、落ち着け。こいつの剣はもう私の呪層を突破できない。負け筋は無い!)
ドゥミゼルの背後を取ったキルディッド。
彼が考えていたことも、ドゥミゼルと同じ。
ドゥミゼル・ディザスティアが纏う厚く強力な呪層を突破できないという現実。
(大層な名前が付いていたが……こいつの防御はただの魔力の層。感じろ。こいつの魔力。濃い部分と薄い部分。あるはずだ。こいつの防御が最も脆い部分――――)
死を前にして、研ぎ澄まされたキルディッドの魔力探知。
限界まで先鋭化された第六感が、呪層の中でも脆い部分を見つけ出していた。
ほとんど直感に従うように、キルディッドはそこへと刃を叩き込む。
一瞬だけ呪いの層に押し返されそうになった剣を、ほとんど気力だけで押し込んでいく。
その末、彼の刃はドゥミゼルの横腹を深く裂いた。
「――――お前」
その時、キルディッドは初めて見た。
目の前の呪術師の怒り。
誰を踏み躙ろうと、誰を呪い殺そうと、誰を苦しめようと、笑っていた女の激情。
それは自らを傷つけられたことへの怒り。
幼稚で、原始的で、単純で、それ故に強力な悪感情。
「楽に死ねると思うなよ」
ドス黒い声と共に、ドゥミゼルは呪術を起動。
本来ならば呪層で圧し潰すだけで勝負は決まる場面だが、強い怒りがドゥミゼルに呪術を使わせた。
一瞬にして溢れ返るは、無数の手。
真っ黒な腕は一本一本が異様に長く、関節も人間のそれを遥かに超越した数を持つ。骨ばった黒い手は一瞬にしてキルディッドを掴み、爪を突き立て、地面に押し倒す。
その内の一本が彼の首を絞め、やがて命さえも奪うと思われた頃、バチンという破裂音と共に空色の雷が走った。
「チッ、どいつもこいつも……」
再び、ドゥミゼルの頭部へと炸裂したフィロルドの魔術。
軽く痺れるような感覚と共に視線を地面に戻すと、呪術で取り押さえていたはずのキルディッドが消えていた。
ドゥミゼルが視線を水平に戻せば、彼は戦場に回帰したフィロルドと共に、ドゥミゼルを囲うように武器を構えている。
(あの拘束を抜けるか。随分骨があるな。魔術剣士の方も生きていたのは……神の呪詛の範囲外まで逃れたな。かなり走れるらしい)
騎士二人はドゥミゼルを二方向から睨み、ゆっくりと距離を測っている。
アイコンタクトでコミュニケーションを取りつつ、仕掛けるタイミングを伺う二者。
そんな二人とは対照的に、ドゥミゼルは大きく息を吐いた。
極限まで張り詰めた緊張の中、戦闘の機微を見逃さぬように注意を払う騎士二人とは、まさに対極。
どこまでもマイペースに、世界の中心が自分だと言わんばかりに、ドゥミゼルは深呼吸して曇天を見上げていた。
(久しぶりだな、この感じ。どこまでも生き汚い、勝つためなら何でもやるような人間。合理的という言葉では生温いほどに、勝利と生存の奴隷と化したヤツらの相手。……一人でやるには、疲れるな)
遠い過去を思い起こし、ドゥミゼルは思索に耽る。
自身の肉体に傷を付けられる屈辱。
何度も叩き潰したはずの劣等種が、こちらに土を付けようと必死に立ち向かってくる緊迫感。
それが取るに足らない虫けらの反乱だとしても、大量の虫が一斉に飛びついてきたら、不快な気分にもなろうというものだ。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな」
ふと、ドゥミゼルはそんな言葉を零した。
先の怒りに満ちた言葉とは裏腹に、どこか儚い郷愁を思わせる声だった。
「……? 知っていますよ。ドゥミゼル・ディザスティア。犯罪組織アルカナンのトップ――――」
「そっちじゃない」
フィロルドの言葉はドゥミゼルが静かに遮る。
何か、空気が違う。
そうフィロルドは感じていた。
今までの稚拙な支配者としての側面が鳴りを潜め、冷徹な呪術師としての側面が表出している。
「魔王軍幹部第四位ドゥミゼル・ディザスティア。……こう名乗るのも久しぶりだな」
そう名乗ると共に、ドゥミゼルは呪術を起動。
先刻の黒い手を自身の両腕と一体化させ、さらにその上に重ねるように、両腕にそれぞれ異なる呪いを付与。
右腕には壊死した人体を思わせる肉塊を。左腕には血を思わせる鮮やかな色の液体を。
ドゥミゼルは両腕を呪術で武装した上に、背後に巨大な枯木を生成。空中には拳大ほどの大きな羽虫が一斉に舞う。
数多の呪いが跋扈する地平線に、彼女の銀髪が揺れた。
(あり得ない。明らかに異なる種類の魔術を同時に――――)
魔族。
肉体そのものが魔力である彼らにとって、魔術とは手足同然。
使える魔術は一度に一種類まで。発動には魔力を練る時間を要する。習得には高い術式理解が必要。
魔族にそんな制約は存在しない。
一度に好きなだけの魔術を、拳を突き出すかの如き速さで、生まれながらに使用できる。
それだけの理不尽を許容できるほどに、魔族とは魔術に適した種族だった。
それ故に一度は人類を滅亡寸前にまで追い込み、それ故に人類によって滅ぼされた。
「呪術のレパートリーには自信があるんでな。来い。好きな死に方を選ばせてやる」
それから、戦闘は約十分間に及んだ。
キルディッドとフィロルドが相対したのは、かつて人類を滅ぼしかけた魔王軍。
自由気ままに悪を為すアルカナンのボスではなく、どこまでも目的実行に忠実な軍人としてのドゥミゼル・ディザスティア。
少なくとも自分より強い存在が三人はいて、自分に迫る者もそれなりにいて、彼らと肩を並べて戦っていた頃の呪術師。
遊びの無い魔王軍幹部としてのドゥミゼルは、終始キルディッド達を圧倒した。
二人が十分も粘ったのは、むしろ称賛に値することだろう。
「……まあ、こんなものか」
騎士の屍を二つ見下ろし、ドゥミゼルは寂しげに呟く。
その胸中にある思いを彼女以外の何者かが理解することはない。
過ぎ去った日々に、今は亡き仲間に、既に滅んだ祖国メドフェルティアに、彼女が何を思うのか。
それを人間が理解する日は来ない。
永遠に来ない。