ソルノット中央教会。
疾走の勢いと共に放たれたユザのブレードを、ロウリは片手に構えた剣で迎え撃つ。
流れるようなモーションで放たれるは簡易版の蟻噛。
衝撃波じみた高威力の斬撃は、初撃でユザの手首を強く痺れさせた。
(重っ――――)
蟻噛はロウリがバーンドットとの戦闘から習得した技。
本来は二刀で以て放つそれをロウリは自己流に改造。
普段は自身の戦闘スタイルを害さない程度のスケールに落とし込んで常用している。
今回に限って、ロウリはユザの意表を突くために、普段よりも蟻噛の性質を強く反映させて刃を振るった。
ユザの頭の中に、ロウリがここまで高威力の近接攻撃を放つという情報は無い。
パワーでは勝てると踏んで鍔迫り合いを仕掛けたユザの手首に、強い衝撃を加えることに成功した。
(弾いた。畳みかける)
強く弾かれたユザの手首。
それに伴って、握るブレードも一時的に体から離れる。
そこに勝機を見出したロウリは、さらに深くユザの間合いへと踏み込んだ。
袈裟懸けに放つは、大振りの一撃。
大きく振り抜いた刃の切っ先は、身を捻ったユザによって空を切った。
(悪手……?)
瞬間、ユザの脳裏をよぎった疑念。
大振りの一撃を躱し、ユザは大きな時間的猶予を獲得する。
弾かれた手首を引き戻し、反撃に転じるには十分な時間的猶予。
一見して喜ぶべき状況だが、ユザはロウリの動きを懐疑的な視線で以て見つめていた。
(こいつが……?)
初撃で有利な状況を作っておきながら、ロウリが二度目の攻撃でそれがパーになるような悪手を打つだろうか。
簡単に回避できる上に、躱された後のリスクが高い大振りの一撃を、ロウリは何故この場面で選択したのか。
ユザの脳内に浮かんでは消えていく、泡沫のような一瞬の思考。
ロウリ・ゴートウィストへの信頼にも似た思いが、ユザに直感的な反撃を躊躇わせた。
その反応が正しかったことを、一秒後の光景が証明する。
(左手にも剣を――――)
ロウリが右手で振り下ろした刃。その勢いを利用するように、ロウリは体を一回転させ、左手に握った剣を縦に振り下ろす。
素手だったはずの左手から繰り出される剣の一閃。
美しい弧を描いた黒鉄の刃が、ユザの脳天へと迫る。
「……やっぱりか」
ユザは斜め後方へステップを踏むと同時に、レッドファングをロウリの剣と自身の間に割り込ませる。
赤黒い刀身が、ブレードの上を滑る。
チィーと鳴る金属音と共に、刃と刃が火花を散らした。
「バレた?」
後方へ跳び退いて距離を取ったユザに、ロウリは遊ぶような口調で問いかける。
ついさっきまで片手剣で戦っていたはずのロウリ。
彼女はいつの間にか手にした左の剣で、ユザの不意を突かんとしたのだ。
(左の剣。魔術で構築する隙は無かったはず。……引き抜いたのか。エルノさんに刺さっていた剣を)
ロウリは一連の攻防内で、新たに武器を創出したわけではない。
いくらロウリの魔術が発動速度に優れているとは言えど、先の戦闘中に武器を構築するのは無理がある。
ロウリは体を使ってユザの視線を切りつつ、後ろ手にエルノの死体に刺さった剣を引き抜いていたのだ。
さらに右の大振りで隙ができたかのように見せて、ユザを誘い込もうとまでしていた。
今のたった一瞬で理解できる。
ロウリ・ゴートウィストとは、呆れるほどに――――
「――――天才」
ユザは悔しげに呟く。
ロウリの戦闘に決まった型は無い。
あらゆる武器種。あらゆる武術。あらゆる体術。
それらをロウリが自由自在に複合し、組み合わせ、独自の技や動きとして発揮される。
形の違うパーツを好きなように組み合わせて、最終的には美しい作品として完成させてしまう芸術家のような、ロウリ・ゴートウィストの戦闘センス。
「…………」
沈黙と共に、ユザは己が手を見下ろす。
レッドファングを握る右手。その甲に薄っすらと刻まれた赤い一条。
本来であれば、掠り傷にすらならないような浅い手傷。
戦闘続行に問題があるどころか、日常生活の中でも怪我したことに気付かないだろう、小さく浅い切り傷。
紙で切った程度の傷から、異様な勢いで血液が流れ出している。
それはロウリ・ゴートウィストの呪術。
傷は癒えず、血は止まらない。放置しているだけで、凄まじい速度で悪化していく。
実際問題、ここまで浅い傷であれば、ユザを失血死させるまでに数時間はかかるだろう。
しかし、傷口から異常な勢いで出血しているという事実が、ユザの背筋を僅かに戦慄させた。
「一番好きな武器作っとけよ、ロウリ」
十数歩の距離を置いて、ユザがロウリへと言葉を投げた。
赤い髪が風に揺れる。
鋭い瞳でロウリを見据えるユザの手の中、レッドファングがガシガシャと音を立てて変形していく。
「そいつを抱いて死ぬんだからな」
挑発。
あるいは、宣戦布告。
力強い言葉を叩きつけ、ユザは変形させたレッドファングを構える。
丸鋸状に成った赤い牙。回転するチェーンソーが響かせる金属音は、腹を空かせた猛獣の唸り声のよう。
(何か――――)
ユザの言葉を真に受けたわけではない。
だが、ロウリの本能が警鐘を鳴らす。
早鐘を打つ心臓が、全身を流れる電流のような緊張感が、ロウリに魔術を起動させていた。
(何か、来る――――)
ロウリの両手に棍棒が収まると同時、ユザが大地を蹴った。
速度はそれなり。
確かに目を見張る速さだが、ロウリの反応速度であれば十分捉えられる程度。
一瞬の内に、ロウリには二択が迫られる。
迎撃か回避か。
その答えを出すより早く、ユザの振るった四節根がロウリの横腹に直撃していた。
「づゥ――――ッ!」
横薙ぎに振り払う四節根の一撃。
その直撃を受けたロウリは、蹴られたボールのように弾かれて転がっていく。
(変形! やられた! 一回丸鋸に変えたのはフェイク!)
通りへと吹っ飛ばされながら、ロウリはユザの技量に感嘆する。
それはユザ・レイスの代名詞。レッドファングの高速変形。
一度は丸鋸に変形させたユザだが、疾走の途中にさらに四節根へと変形。
直前にゆっくりとした変形を見せられていたことも相まって、ロウリは丸鋸から四節根へのリーチ拡張についていけず、レッドファングを強打を受けた。
吹っ飛ばされた先の通り。
ロウリは受け身を取って立ち上がると同時、すぐさま疾走を開始する。
棍棒を担ぐように抱えて、通りを駆けていくロウリ。
その背中を赤髪の騎士が追走する。走りを阻害しないように、レッドファングはガントレットとなってユザの両腕に装着されていた。
(私とユザのスピードはほとんど五分か、少し私が速いくらい。ただ、スタミナで言えばユザの方が圧倒的に上。追いかけっこは得策じゃない。だったら――――)
通りを走る最中、ロウリは突如として方向転換。
隣接した家の中へと、扉を蹴破って侵入する。
それを追うようにして、ユザの家の中へと駆け込む。
駆け込んだユザを待っていたのは、ロウリが振り向きざまに放つ棍棒の一撃だった。
振り上げるように放った一撃。ユザは急停止してそれを回避。振り抜かれた赤黒い直方体は、そのまま天井にぶち当たった。
瞬間、天井が崩落する。
脆い家屋の天井は木製の板切れとなって崩壊し、狭い室内に降り注ぐ。
土砂崩れを思わせる瓦礫の雨に、ユザが目を細める。
その瞬間を、ロウリは待ち望んでいた。
(逃げ場の無い閉所で殺す)
ロウリは鋼鉄魔術に呪術の術式を組み込んで運用している。
その配分は現在、鋼鉄魔術七割、呪術三割といったところ。
鋼鉄を作って操るのも、武器を構築するのも、基本的には鋼鉄魔術の性質だ。呪術の役割は傷の悪化という特性を付与する程度。
しかし、ロウリは鋼鉄魔術よりも、圧倒的に呪術の方が高い。
呪いを強く濃縮し、術式の配分を呪術に傾けるほど、ロウリのパフォーマンスは向上する。
魔力効率。術式の精度。発動速度。
その全てが、かつての彼女が凡人に見えるほどの高みへ――――
「ふっ」
笑みと共に、起動するは呪術。
ロウリは再構築の手間を省くため、握っていた棍棒を再利用。
瓦礫の降る中、ロウリは握る棍棒に凄まじい濃度の呪いを込める。
過度に濃縮された呪いは、赤黒い光となって漏出し、ロウリの棍棒を禍々しく覆う。
それはまるで、赤黒い焔のよう。
降り注ぐ板切れに視界を遮られる中でも、ユザの目に赤黒い光は鮮烈に映っていた。
「さよなら、ユザ・レイス」
直後、赤黒い閃光が迸る。
叩き込まれた棍棒の一打は、極度の呪いに包まれた死神の一撃。
傷付ける、という呪いの概念を乗せて放つ一振りが、ユザの側方から唸りを上げて迫る。
「そうだな」
呪い。人を傷付けることに特化した呪い。
ロウリ・ゴートウィストがありったけの呪いを込めて放った一撃は、赤い大盾に受け止められていた。
「さよならだ、ロウリ」
レッドファングを大盾に変形し、棍棒を完全に防御して見せたユザ。
防がれたと自覚した途端、ロウリの体は反射的に動いていた。
(まだ。この至近距離で盾を使わせた。変形前に体術で潰す)
レッドファングの形態は数あれど、攻撃力をほとんど持たないのは大盾のみ。
ロウリは攻撃手段を失ったユザに対して先手を打つべく、彼の懐へと踏み込む。
素早い踏み込みと同時に放つ縦拳。
初動の早い拳術でユザの鼻っ面を挫きにかかる。
それが悪手だったと悟ったのは、ユザが大盾を手放すモーションを視界の端で捉えた時。
(カウンター……!)
一時的にレッドファングを手放し、ユザがロウリへ放ったのは渾身のカウンター。
縦拳を放つべく前傾になっていたロウリの顔面に、ユザの拳が突き刺さる。
「つ……ッ!」
綺麗なクロスカウンターを決められたロウリが、微かにうめく。
その間隙を縫うようにして、ユザは手放した大盾を拾い上げる。
変形の手間さえ惜しいとばかりに、大盾のまま振り抜いたレッドファング。
赤い盾はロウリの腹に直撃。
強く吹き飛ばされたロウリは家屋の壁を突き破り、そのまま外へと弾き出される。
(崩された! ここまで上手く組み立ててなお! 基礎能力とレッドファングの性能だけで、私が用意した初見殺しを易々と!)
ロウリはここ最近の戦闘で、急速に呪術師として覚醒している。
彼女がこの数日で身に着けた呪術。それに伴う他技術の性能向上。
それらを以てしてもまだ、レッドファングを使いこなすユザ・レイスには届かないというのか。
外へ放り出されたロウリは、吹っ飛ばされた勢いをも利用して地面を蹴り、そのまま弾かれたように疾走を始める。
密集した家々の隙間を、彼岸花のような少女が駆け出す。
駆け出す瞬間のことだ。
彼女の初動を潰すように、高く跳んだユザが丸鋸と共に降ってきたのは。
(ロウリ、お前は――――)
鎌を構築して迎え撃つロウリ。
丸鋸を躱してから反撃を試みるも、翻すチェーンソーが赤黒い鎌の刃先を折る。
さらに横薙ぎに払われた丸鋸。ロウリが上体を逸らして回避した上で、家の壁がバッサリと斬られていく。
(お前は――――)
ユザの間合いの内側へ滑り込んだロウリ。
右手でユザの右肘を抑えてレッドファングを制限しつつ、至近距離から放つ膝蹴りでユザの鳩尾を狙う。
放たれた膝蹴りを、彼もまた膝蹴りで迎撃する。
衝突する蹴りの衝撃が、僅かにロウリの姿勢を崩す。
その一瞬の隙をつき、ユザはレッドファングを丸鋸からネイルハンマーへと変形。
振り抜く一撃を、彼女の左顔面へと叩き込んだ。
(お前は、どうして――――)
クリーンヒット。
錐揉み回転しながらロウリが吹っ飛ぶ。
そのまま小さな倉庫の壁に叩きつけられたロウリ。
微かに窪む倉庫の壁には構いもせず、すぐに立ち上がろうとする。
立ち上がろうとして、気付く。
視界が半分無いこと。
ロウリは思わず掌で顔の左側を覆う。
ネイルハンマーの一撃によって陥没した左顔面。左半分の視界など、眼球と共に消し飛んでいた。
誰の目にも明らかな、致命傷。
「どうして、お前は人を傷付けられる? どうして、罪の無い人を虐げられる? どうして、俺達が守ってきた人達を、仲間を、エルノさんを……」
血塗れの顔を覆って蹲るロウリを見下ろし、ユザは静かに訊く。
平坦な声。
努めて、平坦な声色。
しかし、その奥に渦巻く激情を完全に隠せるほど、ユザは器用ではなかった。
「どうして、殺せるんだ……!?」
戦闘の最中。
本来なら、ありえない一幕だろう。
ありえざる言葉の応酬。ありえなかったはずの時間の中で、ロウリは静かに返答した。
「どうしてって……むしろ、ユザはどうして赦せるの?」
訊き返すロウリ。
その言葉は不気味なくらい澄んでいて、曇りの無い夜空みたいに透明だった。
「何もできない、何もしようとしない人間のために、私達が何かをしなきゃいけない。他者のために使い潰される人生を、それを強いる正義なんてシステムを、ユザはどうして赦せるの?」
赦せない。
その言葉は刃のように深く、ユザの心に突き刺さった。
それは幾度となく、彼が口にしてきた言葉のはずだから。
静かに目を見開くユザの足下で、ロウリは微かに笑った。
何を嘲笑うでもなく、何を可笑しく思うのでもなく、ただ、自分の中で答えを得たことを笑った。
――――ゴートウィストの次期当主と謳われた天才令嬢だって、どこでもやっていけるはずだ……
何故、アルカナンに身を置いたのか。
成り行きだけではない、ロウリなりの答え。
この場所で何かを壊し、この場所で誰かを殺す理由。
「うん。私は赦せないんだ。ここにある正義を全部壊すまで、私はどこにも行けない」
ドゥミゼル・ディザスティアは語った。
呪術に必要なのは術式への理解でもなく、魔力の運用方法でもなく、強く濃い悪意であると。
その言葉を裏付けるかのように、ロウリの悪意が一つの呪いを現出させる。
鋼鉄魔術を媒介としない、純粋な呪術。
傷付けるという概念を魔力そのものに乗せて放つ、赤黒い閃光。
ノーモーションで放たれたそれは、立ち尽くすユザの胸を裂いた。
「これでお互い致命傷だね」
ユザの胸に咲いた鮮血の花。
止めどなく溢れる血液は、舞い散る薔薇の花弁を思わせる。
それは不治の傷。
決して癒えることなく、死ぬまで永遠に血を吐き出し続ける、絶殺の致命傷。
「続けようか、私達の殺し合いを」
残った右目で、少女は少年を見上げる。
その瞳に映るは、あまりに研ぎ澄まされた嫌悪感。
嫌いという感情一つが、少女を死神と成していた。