普通に人体錬成しちゃった錬金術師 作:フラスコの外の巨人
「ふう、やっと着いたぜ」
「列車が空いてて良かったね、兄さん」
エドワード・エルリックと、その弟アルフォンス・エルリックは、東部の小さな田舎町シクラキに来ていた。
昔から栄えていた町、と言えば聞こえはいい。
だが実際のところ、町並みの大半を占めているのは、かつて物資集積地として栄えた頃の古びた倉庫群だった。今もそれなりの人通りはあるものの、時代から少し取り残されたような印象は否めない。
――ただし、駅前だけは別だった。
外れにある小さな鉄道駅から、町の中心へ向かって一本だけ伸びる大通り。そこだけが、周囲から切り取られたように異様な姿をしている。
道路は隙間なく石畳で舗装され、その両脇には十階近い高さの建物が整然と並んでいた。街灯の根元には細かな彫刻が刻み込まれ、建物の柱や窓枠には、ところどころ銀色の金属や色鮮やかな宝石まで埋め込まれている。
趣味がいいかと聞かれれば、エドワードとしては首を傾げざるを得ない。
だが少なくとも、すべてが一つの設計思想に基づいて作られていることだけは分かった。
「兄さん、これって……」
「ああ」
エドワードは石畳へしゃがみ込み、その表面を指先でなぞった。
「間違いねえ。噂の錬金術師の仕業だな」
継ぎ目がない。石材を一つ一つ敷いたのではない。地面そのものをまとめて変形させている。建物も同じだ。
噂では、一晩のうちにこの一角を丸ごと作り替えたという。
さすがに話を盛っているだろうと思っていたが実物を見ると、必ずしもあり得ない話ではないように思えてくる。
「もっとも、それと治療の話が同じかは別だけどな」
「うん……」
二人がここまで来た本当の目的は、街並みではなかった。
この町には、一人の医者が住んでいる。どんな傷でも、どんな病でも、たちどころに治してしまう。失った腕さえ生やしてしまう。
そんな噂だった。
もし、それが本当なら。アルフォンスの身体を取り戻す方法があるかもしれない。
そして――かつて、自分たちが錬成に失敗した母親さえも。
「…………」
「兄さん?」
「いや、なんでもねえ」
エドワードは立ち上がった。
まだ何も分かっていない。勝手に期待するのは早い。
そう自分に言い聞かせた、その時だった。
「おーい、そこのお二人さん」
駅のホームから声が飛んできた。振り返ると、荷車のそばに立っていた初老の男が、二人へ向かって手を振っている。
「あんたらも先生んとこに来なすったんかい?」
「先生?」
「ああ。そっちの兄ちゃん、金属の腕だろ?」
男はエドの右腕を指差した。
「だったらそういうことかと思ってな」
エドワードは一瞬アルフォンスと顔を見合わせる。
「……そうだ。どんな怪我でも治すって話が本当か、確かめに来た」
「そうかい、そうかい」
男は嬉しそうに何度も頷いた。
「それなら大当たりだよ。先生はすげえぞ。ぱっと手ぇ合わせたと思ったら、傷なんぞ見る間になくなっちまう」
「本当に?」
アルフォンスが思わず身を乗り出した。
「ああ。それどころか、なくなった指だって生やしちまう。前にな、製材所で腕を持ってかれた奴がいただろ? あれなんか――」
「腕を?」
エドワードの声が変わった。
「……生やしたのか?」
「そうとも。右腕を肩からすっぱりやっちまったんだがな。先生がちょちょいとやったら、元通りよ」
「義手じゃなくて?」
「生身の腕さ。本人も元気に働いてる。他にも脚を生やしてもらった奴もいる。若いけどすげえ先生さ」
アルフォンスがエドワードを見る。
「兄さん……」
「ああ……」
もし本当なら、機械鎧とはまるで違う。失われた人体そのものの再構築。それは、二人がずっと探してきたものに限りなく近い。
「その先生っていうのは、どこにいるんだ?」
「この道をずーっと真っ直ぐ行きゃ分かる。道の一番奥に、やたらでっけえ屋敷があるからよ」
男はそこまで言ってから、少し声を落とした。
「ただな」
「ん?」
「最近は先生を嗅ぎ回ってる妙なのが増えててな」
「妙なの?」
「軍人みてえなのとか、黒い服着た連中とかさ」
エドの眉が動く。
「軍……?」
「ああ。先生は気にしてねえみたいだが、あんたらも気ぃつけな」
「おう。ありがとな」
男と別れ、二人は駅前の大通りへ歩き出す。
しばらくして、アルフォンスが口を開いた。
「兄さん」
「なんだよ」
「街の人までそう言ってるってことは……やっぱり、本当なんじゃないかな」
「……かもな」
二人は駅前の大通りをしばらく歩き、通りに面したカフェへ入った。
店内は思っていた以上に賑わっていた。
窓の外を見れば、荷車を押す商人や買い物袋を抱えた住民、それに旅行者らしい人間が絶えず行き交っている。古びた倉庫ばかりだった駅の反対側とは違い、この一帯だけはまるで別の町のように活気があった。
エドワードはコーヒーを、アルフォンスは形だけメニューを眺めてから何も注文せず、窓際の席についた。
「それにしても、ずいぶん人が多いね」
「治療目当ての奴もいるんじゃねえか? どんな怪我でも治すなんて噂が広まってんなら、そりゃ人も来るだろ」
エドワードは背負っていた鞄を椅子の横へ置いた。
その拍子に、口の閉まりきっていなかった鞄から一枚の紙がずるりとはみ出した。
アルフォンスがそれに気づく。
「兄さん、それ何?」
「ああ、これか?」
エドワードは紙を引き抜いた。
「こないだセントラルに行った時にもらったやつだ。国家錬金術師の禁則事項、その追加条項だとよ」
「ああ、あれ」
アルフォンスも思い出したらしい。
「今度から禁則事項の試験があるんだよね。三年に一回、成果報告と一緒に受けないといけないって」
「そうそう。ったく、国家錬金術師の査定だけでも面倒くせえってのに」
エドワードは紙をテーブルの上へ広げた。アルフォンスが横から覗き込む。
そこには、小さな文字でびっしりと条文が並んでいた。
一枚では収まりきらず、裏面まで文字が続いている。さらに右上には、『今回追加分』と記された数枚の別紙まで留められていた。
「……多くない?」
アルフォンスが紙の束を持ち上げる。
「国家錬金術師の禁則って、人を作るべからず、金を作るべからず、軍に忠誠を誓うべし……みたいな三つじゃなかった?」
「大元はそうらしいぜ」
「らしいって」
「俺もちゃんと読んでねえから知らねえよ。セントラルで渡されただけだ」
「兄さん……試験あるんだよ?」
「その時までに読めばいいだろ」
「絶対直前まで読まないやつだ」
「うるせえ」
アルフォンスは呆れながらも、少し興味を持った。
「じゃあ、読んでみていい?」
「好きにしろ」
アルフォンスは最初の数枚をめくった。
大きな見出しには、『貴金属錬成禁止に関する細則』とある。
「ええと……『金を錬成する装置を錬成してはならない』」
「まあ、それは分かるかな」
「『金を錬成する装置を製造する装置を錬成してはならない』」
「……うん?」
「『金を錬成する錬成陣を錬成してはならない』」
アルフォンスが黙った。
エドワードもコーヒーカップを置き、紙を覗き込む。
「なあ」
「うん」
「これ、誰かやったよな」
「……やったんだろうね」
そうでなければ、わざわざこんなことを条文にする理由がない。
アルフォンスはさらに続きを追う。
「『金とは、その化学的組成の如何を問わず、通常の取引に際して行われる簡易な検査によって金と区別することが困難な物体を含む』だって」
エドワードは少し考え込んだ。
「……つまり、本物の金じゃなくても金そっくりなら駄目ってことか」
「多分」
「『金を錬成する錬金術師を錬成してはならない。』」
「どういうことだよ。なんでそんな規定が必要なんだよ」
「僕に聞かないでよ」
アルフォンスは紙をめくった。
今度は見出しが変わる。
『人体錬成禁止に関する細則』
「あ……人体錬成の方もすごいよ」
「ん?」
「『動物、植物その他人間以外の生物を材料として人間を作ることも、人体錬成とみなす』」
「まあ、それは当然だろ」
「『人間に酷似するが、人間ではないと称する生物を錬成する場合も同様とする』」
「……ん?」
アルフォンスは一瞬言葉を止めた。
「その次……」
「なんだよ」
「『へそが存在しないことを理由として、人ではないとする理論は受け入れられない』」
二人の間に沈黙が落ちた。
エドワードがゆっくり顔を上げる。
「……なんだ、その条文」
「だから僕に聞かないでよ」
周囲の客が何人かこちらを振り向いた。
アルフォンスが慌てて声を落とす。
「兄さん、声大きいって」
「だってよ!」
エドワードも小声になりながら紙を奪い返した。
「『人体に腕を増やしてはならない。脚、眼、耳、指、臓器その他身体の一部を、本来の数を超えて増やすことも同様とする』」
「これは……」
「『身体の一部を一時的に増やし、使用後に元へ戻す場合も同様とする』」
「一時的でも駄目なんだ」
アルフォンスはもはや、理解をやめていた。
「『予備として付けただけであるとの主張は認めない』」
エドワードはしばらく紙を睨みながら、頭を回していた。
「……間違いねえ」
「何が?」
「絶対、やった奴がいる」
エドワードは人体錬成に関する条項を指で叩いた。
「へそがないから人じゃないとか、予備の腕だとか。こんなの、実際に誰かが言い出さなきゃわざわざ条文にしねえだろ」
「まあ……そうかもしれないけど」
「しかもこれ、人体錬成を成功させた奴がいたってことじゃねえのか?」
アルフォンスが少し黙った。
「成功……なのかな」
「少なくとも、軍が『人間じゃない』って言い訳をわざわざ潰すくらいには、人間に近い何かを作ったってことだろ」
エドワードの目が鋭くなる。
「セントラルに戻ったら調べるぞ。中央図書館なら、規則が追加された時の記録くらい残ってるはずだ」
「兄さん、完全にその気になってるね」
「当たり前だろ。人体錬成の手掛かりかもしれねえんだぞ」
エドワードはもう一度紙へ目を落とした。
「しかし……」
「何?」
「条文読んでるだけなのに、犯人の性格が見えてくるな」
「犯人って言い方はどうなの、兄さん」
「だってそうだろ。普通ここまで細かく書かねえって」
金を作るな。人を作るな。軍に忠誠を誓え。大元の三原則は、ひどく単純だったはずだ。
それが今では、金を作る装置を作る装置だの、へそのない人間だの、予備の腕だのと、妙に具体的な禁止事項で埋め尽くされている。まるで、誰か一人があらゆる抜け道を片っ端から試し、それを軍が後から必死に塞いでいったような――。
「……まあ、今ここで考えても仕方ねえか」
エドワードは紙を畳もうとした。
その時だった。
何気なく店内へ向けた視線が、壁際の本棚で止まった。旅行案内、地方史らしい本が並ぶ中に、数冊だけ妙に新しい装丁の本が混じっている。
「ん?」
エドワードは席を立ち、本棚へ近づいた。
アルフォンスも後を追う。
「兄さん、どうしたの?」
「いや、これ……」
エドワードが一冊を引き抜く。
『分かりやすい錬金術』
その隣には、
『錬金術師になるためには』
アルフォンスが懐かしそうに声を上げた。
「あ、これ。僕たちも昔読んでたよね」
「ああ。入門書じゃ有名なやつだな」
「こっちもあるよ」
アルフォンスが別の本を取る。
『熱力学と錬金術』
さらにその隣。
『クイック錬成辞典』
どちらも、実際に錬金術を行う術師向けの本だった。
「ずいぶん錬金術の本が多いね」
「カフェに置く本か、これ?」
エドワードは何気なく表紙を裏返した。
著者名が目に入る。
「……ヘレシア?」
「え?」
アルフォンスも自分の持っていた本を確認する。
「こっちもだ。ヘレシア・シュタイン」
「こっちも」
エドワードは眉をひそめた。
「なんで同じ奴の本ばっかり置いてあるんだ?」
そう言いながら本棚を探っていたエドワードの手が、奥で止まった。
一般向けの本の後ろに隠れるようにして、薄い冊子が数冊押し込まれている。
「なんだ、これ」
一冊を少し引き出す。
その題名を見た瞬間、エドワードの表情が変わった。
『はじめての人体錬成』
「……は?」
アルフォンスも固まる。
「兄さん、それ……」
「待て」
その下にもある。
『実践・貴金属錬成マニュアル』
さらにもう一冊。
『真理の扉の開き方――初心者向け図解』
二人は無言になった。
あまりにも堂々とした題名だった。禁忌に触れている、などという程度ではない。読んでいるだけで違法になりかねない。
国家錬金術師なら、表紙を見ただけでやばさの分かる本が、町のカフェの本棚に普通に置かれている。
「……なんでこんなもんがここにあるんだよ」
「しかも全部……」
アルフォンスが著者欄を見る。
そこにはやはり、
『ヘレシア・シュタイン』
と書かれていた。
エドワードはすぐさま店の奥へ顔を向けた。
「おばちゃん!」
「はいはい?」
カウンターにいた店主らしい女性が顔を出す。
「この本、誰が置いたんだ?」
「本?」
「これだよ」
エドワードが『はじめての人体錬成』を持ち上げると、女性は「ああ」と気軽に頷いた。
「先生だよ」
「先生?」
「ヘレシア先生。ときどき本を置かせてくださいって持ってくるんだよ。無料で配ってるんだってさ」
「配ってる!?」
「好きな人は持って帰っていいって」
「これを!?」
エドワードが表紙を指差す。
「さあねえ。あたしゃ錬金術なんて分からないから」
女性はあっけらかんとしていた。
「先生が大丈夫っていうなら大丈夫なんじゃないの?」
「絶対大丈夫じゃねえ!」
エドワードはもう一度冊子を見る。
人体錬成。貴金属錬成。真理の扉。
さっき読んでいた禁則事項が脳裏をよぎった。
「まさか……」
エドワードが『はじめての人体錬成』へ手を伸ばした、その瞬間だった。
カフェの扉が勢いよく開いた。
「憲兵隊だ! 店内を確認させてもらう。回収指定の書籍がここに持ち込まれたと聞いている」
数人の兵士が店内へ入ってくる。先頭にいた軍曹らしい男が店内を見回し、エドワードが手にしている冊子を見て目を見開いた。
「それだ! その本をこちらへ!」
「は?」
エドワードは反射的に冊子を胸元へ引いた。
「なんだよいきなり」
「軍の回収対象だ。すぐに渡してもらう」
兵士たちも本棚へ殺到し、一冊ずつ題名を確認し始めた。
「軍曹、こっちにもあります!」
「全部回収しろ! 一冊も残すな!」
「了解!」
店主の女性が困ったように声を上げた。
「ちょっと、そんな急に持っていかれちゃ困るよ。先生が置いてった本なんだから」
軍曹の動きが止まった。
「……先生?」
「ああ、ヘレシア先生だよ。たまに来ては、いろんな人に読んで欲しいから置いてくれって」
軍曹は額を押さえた。
「またか……」
その呟きをエドワードは聞き逃さなかった。
「またってどういう意味だよ」
「君には関係ない」
「関係あるかもしれねえだろ」
エドワードは銀時計を取り出した。
軍曹が一瞬目を見開く。
「鋼の錬金術師……この街を中心に、現在大規模な捜索作戦が行われている」
「捜索?」
「それ以上は軍規上、話せない」
「なんだよそれ」
「国家錬金術師であっても同じだ。悪いが、その本はこちらで預からせてもらう」
軍曹はエドワードの手から冊子を受け取ると、部下に回収を命じた。兵士たちは本棚にあったヘレシア名義の本を次々と箱へ詰めていく。
「全部回収しろ。一冊も残すな」
その慌ただしさを、エドワードとアルフォンスは黙って見ていた。やがて兵士たちが店を出ていく。エドワードも残っていたコーヒーを飲み干した。
「行くぞ、アル」
「うん」
店の外へ出ると、先ほどまでとは街の様子が変わっていた。
通りのあちこちに兵士が立っている。路地の入口には検問が置かれ、荷車の中まで調べられていた。そして、そのたびに住民との言い争いが起きている。
だから知らねえって言ってるだろ!」
一人の男が兵士へ食ってかかっていた。
「あの嬢ちゃんは俺たちに良くしてくれたんだ! 何をしたっていうんだ!」
「捜査中だ。下がってくれ」
「うちのお袋の目を治してくれたんだぞ!」
別の女も声を上げる。
「何年も見えなかったのに、あの先生が一度手を合わせただけで見えるようになったんだ!」
「だからといって――」
「あの子が犯罪者なわけないだろ!」
アルフォンスが小さく呟く。
「……ずいぶん慕われてるね」
「ああ」
エドワードは険しい顔で街を見回した。
その時、通りの向こうに見覚えのある軍服姿を見つけ、エドワードが眉をひそめた。
「……げ」
「兄さん?」
「大佐だ」
数人の部下を連れ、ロイ・マスタング大佐がこちらへ歩いてくる。
向こうもすぐに二人へ気づいた。
「鋼の。なぜ君がここにいる」
「こっちの台詞だ」
エドワードはマスタングの前まで歩み寄った。
「大佐こそ、なんでこんな田舎町にいるんだよ」
「任務だ」
「その任務ってのは、軍が追い回してる錬金術師と関係あるのか?」
マスタングの表情がわずかに変わった。
「どこでそれを聞いた」
「聞くも何も、この騒ぎ見りゃ分かるだろ。それにさっき、憲兵がカフェから人体錬成だの貴金属錬成だのって本を全部持ってった」
アルフォンスも続ける。
「ヘレシア・シュタインという人が書いた本でした」
マスタングは一瞬黙った。
「……なるほど」
「知ってんのか?」
「君たちには関係のない話だ」
「またそれかよ」
「悪いことは言わん。この街を離れた方がいい」
エドワードが顔をしかめる。
「そう言われて帰れるか」
「鋼の」
「俺たちは、どんな怪我でも治す錬金術師がいるって聞いてここまで来たんだ」
その言葉に、マスタングは二人の目的を察したらしい。
一瞬だけ表情が曇る。
「……なるほどな」
エドワードは声を落とした。
「大佐」
「その件についても話せない」
「ちっ」
エドワードは舌打ちした。
「とにかく、これ以上首を突っ込むな」
そう言い残すと、マスタングは部下たちと共に通りの奥へ向かっていった。
アルフォンスが兄を見る。
「兄さん」
「ああ」
「絶対、何か知ってるね」
「だろうな」
そして、あれだけ露骨に隠されれば、なおさら知りたくなる。
エドワードは辺りを見回した。
正面の通りには兵士が多い。ならば、と二人は一本裏の路地へ入った。
「兄さん、これって捜索の邪魔にならない?」
「邪魔しなきゃいいんだよ。俺たちは勝手に町を歩いてるだけだ」
「そういう言い方、さっきの禁則事項の人みたいだよ」
「一緒にすんな!」
狭い路地を進み、角を曲がった瞬間だった。
「わっ」
「うおっ!」
誰かと正面からぶつかった。
小柄な人影。
深くフードをかぶっている。
一瞬だけ、フードの奥から金色の髪が見えた。背丈からしてエドワードとそう大きく変わらない。
「悪い!」
エドワードがそう言った直後。
少女らしい声がした。
「あ、ごめんね」
そして。
パンッ。
手を叩く音。
「え?」
錬成光がエドワードの全身を走った。
バチバチと青白い光が弾ける。
「な――」
髪が一気に伸びた。
金色の三つ編みがするりとほどけ、束ねられていた髪が肩を滑り、背中の半ばまで流れ落ちる。同時に、黒い上着とズボンの形も崩れていった。布地が波打つように広がり、袖や裾が組み変わっていく。
数秒後、そこに残っていたのは、白いレースと幾重ものフリルで飾られたワンピースだった。
エドワードは、自分の身体を見下ろした。
「…………は?」
髪を掴む。長い。服を見る。白い。
どう見ても、さっきまでの自分ではない。
「…………」
アルフォンスが固まった。
エドワードも固まった。
フードの少女だけが満足そうに頷く。
「うん。これなら間違えるね」
「なにしやがったァ!!」
「じゃあね!」
少女は走り出した。脱兎のようにその場から去っていく。
「待てコラァ!」
エドワードが追おうとした瞬間、少女が振り返って地面へ手を触れる。
錬成光。
ゴゴゴゴゴ、と石畳がせり上がり、路地を塞ぐ巨大な壁へ変わった。
「くそっ!」
エドワードも両手を合わせる。
しかしその時、背後から足音が殺到した。
「いたぞ!」
「確保しろ!」
「は?」
振り返る。
数人の兵士が走ってきていた。
その目が、長い金髪にフリルの服を着たエドワードへ向く。
「対象を発見!」
「ちょっと待て!」
「抵抗するな!」
「違う! 俺じゃねえ!」
兵士たちが一斉に飛びかかる。
「俺は男だ!!」
「兄さん!」
「離せ! 本人は向こう行ったんだよ!」
「大人しくしろ!」
「誰がこんな格好好きでするかァ!」
「小柄な金髪の少女、間違いありません!」
エドワードの動きが止まった。
「……小柄?」
兵士が不思議な顔をする。もう遅かった。
「誰が豆粒みてえなチビだァァァァ!!」
「兄さん、今そこじゃないよ!」
路地裏が一気に騒がしくなる。
その騒ぎを聞きつけたのか、ほどなくしてマスタングが姿を現した。
「何をしている」
「大佐!」
兵士の一人が敬礼する。
「対象と思われる少女を確保しました!」
マスタングは兵士たちの中心を見る。
長い金髪。
フリルのついたワンピース。
顔を真っ赤にして暴れているエドワード。
数秒、沈黙した。
「…………鋼の」
「見るな!!」
「何をしているんだ君は」
「俺が聞きてえよ!」
アルフォンスが慌てて事情を説明する。
「さっきここでフードをかぶった女の子とぶつかったんです。それで突然兄さんを錬成して、この格好にして逃げて……」
マスタングは壁を見た。
次にエドワードを見る。
そして大きくため息を吐いた。
「拘束を解け」
「しかし大佐」
「そいつはエドワード・エルリック、鋼の錬金術師だ」
兵士たちが一斉にエドワードを見る。
エドワードはすぐさま両手を合わせ、自分の服と髪を元に戻した。
「くそ……あの女、絶対ぶん殴る」
「やめておけ」
マスタングが言う。
「何?」
「あれが君たちの探していた人物だ」
エドワードとアルフォンスが同時に振り返った。
「今のが?」
「ああ」
マスタングは少女が逃げていった方向を見る。
「ヘレシア・シュタイン、北方司令部から逃げ出したサボりの錬金術師を追っている」
少し間を置く。
「二つ名は――『禁則の錬金術師』」
エドワードの眉がぴくりと動く。
「禁則……?」
「まさか」
アルフォンスが小さく声を上げる。マスタングは二人を見た。
「その顔を見るに、どうやら例の禁則事項はもう読んだようだな」
「待てよ」
エドワードが詰め寄る。
「まさか、あれを書かせたのって……」
「大半はあいつだ」
「…………」
「国家錬金術師試験で人体に酷似したものを錬成。問題になって再試験を受ければ、今度は大量の白金を錬成。国家錬金術師になってからも、規則の穴を見つけるたびに妙な錬成を繰り返している」
「そんな奴、なんで国家錬金術師のままなんだよ」
エドワードが呆れたように言う。マスタングは少し間を置いた。
「危険だからだ」
「は?」
「野放しにするには、あまりにも能力が高すぎる。資格を剥奪して軍の管理外へ出すより、国家錬金術師として籍を置かせ、査定と報告義務を課しておいた方がまだ監視しやすい、というのが上層部の判断だ」
アルフォンスが困惑したように首を傾げる。
「それって……国家錬金術師にした方が安全だから、ってことですか?」
「そういうことになる」
「逆じゃねえのか普通」
「私もそう思う」
マスタングはあっさり認めた。
「当然、上層部も頭を抱えている。研究内容の監査、行動報告、定期査定、危険な文書の回収……あいつ一人のために増えた仕事がいくつあるか分からん」
「じゃあ、なんで大総統が止めなかったんだ?」
その問いに、マスタングは少しだけ表情を曇らせた。
「ブラッドレイ大総統は、報告を聞いて笑っていたそうだ」
「笑った?」
「ああ。『面白い錬金術師ではないか。しばらく好きにさせてみろ』とな」
エドワードは露骨に嫌な顔をした。
「……それで放置かよ」
「完全に放置されているわけではない」
マスタングは訂正する。
「軍の監視下にはある。危険な研究に踏み込めば止められるし、度を越せば僻地へ飛ばされる。今回もそうだ」
「北方司令部から逃げ出したってのは?」
アルフォンスが聞く。
「中央に置いておくより、北方司令部のアームストロング少将の目の届くところに置いた方がまだましだと判断された。が、どうも堅苦しすぎたらしいな。」
「大佐」
「何だ」
「紹介してくれ」
「……何?」
「このままじゃ終われねえ」
「服を変えられた恨みか?」
「それもある!」
エドワードは壁を指差した。
「人体錬成のことも、治療のことも、聞きてえことが山ほどある!」
マスタングは露骨に嫌そうな顔をした。
「やめた方がいい」
「なんでだよ」
「君とは恐ろしく相性が悪そうだからだ」
「会ってもねえのに決めんな!」
「今ので十分分かった」
「大佐!」
マスタングは眉間を押さえた。
「……居場所に心当たりはある。だが、君たちに紹介するのは憚られる」
「お願いします」
アルフォンスまで頭を下げる。
マスタングはしばらく二人を見たあと、諦めたように息を吐いた。
「分かった」
そして、少女が逃げた方向とは反対側へ歩き出す。
「そのうち戻ってきているはずだ」
「戻る?」
「ああ」
マスタングはうんざりした声で言った。
「どうせ、あの場所だろう。セントラルに行くぞ」
二人は急ぎ足のマスタングに従って、鉄道でセントラルに向かうのだった。
感想や高評価いただけると幸いです。