普通に人体錬成しちゃった錬金術師 作:フラスコの外の巨人
マスタングと合流した二人は、列車を降りたあと軍用車に乗り換え、そのままセントラルでも人気のない地区へと進む。壁で囲まれた敷地に車は入っていく。
古そうな場所だが、どうやら病院らしい。車を降りると、病院の玄関前には負傷兵らしき人々が何列にもなって並んでいた。
包帯を巻いた兵士。松葉杖をつく者。片腕を失った者。顔の半分を包帯で覆われた者。
エドワードは眉をひそめた。
「……ずいぶん多いな」
「アメストリス各地の戦地から戻ってきた者たちだ。奴が戻ってきたと聞いて、中央病院からこちらへ回されたのだろう」
マスタングは短く答え、そのまま病院の玄関へ向かう。
「念のため言っておくが、ここから先は軍機に触れる。中で見聞きしたことは、許可なく口外するな」
「軍機?」
エドワードが眉をひそめた。
「治療してるだけじゃねえのか?」
「見れば分かる」
それだけ言って、マスタングは扉を開けた。
建物の中も似たようなものだった。
廊下には患者が溢れ、軍医や看護兵が忙しなく行き来している。ただし、治療というよりは傷の分類や必要度、それに応じて並ばせるというものだった。
その中を進みながら、マスタングが受付にいた士官へ声をかけた。
「奴は来ているか」
「あ、マスタング大佐」
士官が姿勢を正す。
「はい。二階の特別処置室で治療なさっています」
「そうか」
マスタングはそのまま階段へ向かった。
「行くぞ」
「待て、大佐」
エドワードが呼び止める。
マスタングが振り返った。
「なんだ」
「まだ説明してもらってねえぞ」
「何をだ」
「あいつが何者なのかだよ。危険だから監視してる。なのに国家錬金術師のまま。軍が追い回してるくせに、今度は軍病院で治療?」
エドワードは周囲を見回した。
「わけ分かんねえよ」
マスタングはしばらく黙っていた。
やがて廊下に並ぶ負傷兵たちへ視線を向ける。
「アメストリスは今でも各国と戦争していることは知っているな」
「ああ」
「ここにいる者の多くは、そこで傷を負った」
片脚を失った兵士が車椅子で通り過ぎていく。その後ろでは、片目に包帯を巻いた若い兵士が壁に手をつきながら歩いていた。
「軍医に治せる傷には限界がある」
マスタングは続ける。
「失った腕は戻らない。潰れた眼球も、焼けた鼓膜も、切断された神経もだ」
「……」
「だが、あいつは違う」
階段の上を見上げる。
「これが奴の、真の意味での支持基盤だ」
アルフォンスが首を傾げる。
「支持基盤?」
「軍上層部がどれだけ頭を抱えようと、現場の兵士たちはあいつを庇う」
マスタングは淡々と言った。
「自分の腕を取り戻してくれた相手を売る者は少ない」
エドワードは何も言わなかった。
二階へ上がるにつれ、廊下の雰囲気が変わった。
人が多い。兵士だけではない。医師や看護兵まで、ある一室の前に集まっている。扉の上には、
『特別処置室』
と書かれていた。
マスタングが扉へ手をかける。
「入るぞ」
返事を待たずに開けた。
「あー、早かったですね」
聞き覚えのある声だった。エドワードの目が見開かれる。
中にいたのは、間違いなくあの日、路地ですれ違った少女だった。
肩まで伸びた金色の髪。
眼鏡。
白衣の袖を肘までまくり上げ、血で汚れた手袋をつけている。
ヘレシア・シュタイン。
しかし、路地で笑いながらエドワードを女物の服へ錬成した時とは、まるで雰囲気が違った。その表情は真剣だった。
「次の人」
看護兵が担架を運び込む。
横たわっていた兵士の左腕は、肘から先がなかった。
ヘレシアは傷口を一度確認する。
「切断からは何日?」
「十一日です」
「感染は?」
「ありません」
カルテを見てそばに着いた医師が手際よく応える。兵士に触れた彼女は数秒で状況を把握したようで、治療を始める。
「分かりました。ついでに、痛んでいる筋とかも直しときますね」
ヘレシアが両手を合わせた。
パンッ。
青白い錬成光が走る。
「……!」
エドワードが息を呑んだ。
切断面から骨が伸びる。その周囲を筋肉が覆い、血管が走り、さらに皮膚が形成されていく。指が一本ずつ形を取り。爪が生え。
わずか数秒後。
そこには完全な左腕があった。
兵士が震える指を動かす。
「……動く」
拳を握る。開く。
「動く……!」
「はい。まだ神経が馴染んでないので、今日は重い物を持たないでくださいね」
兵士は自分の腕を抱きしめるようにして泣き始めた。感謝の念を伝える兵士が看護婦に連れていかれると、ヘレシアはもう次の患者へ向かっていた。
「次」
銃弾で腹部を撃ち抜かれた兵士。錬成光が走ると、内臓が修復され、傷口が閉じていく。
「次」
片目を失った兵士。ヘレシアが眼窩へ手を当てる。一瞬の光。閉じていた瞼が開く。
「……見える」
兵士が呆然と呟いた。
「見える……見えるぞ」
「左右で色の見え方に違いあります?」
「ない……いや、少し明るい」
「じゃあちょっと調整しますね」
まるで流れ作業だった。
傷が塞がる。目が戻る。耳が聞こえるようになる。指が生える。腕が生える。脚が生える。
エドワードは、いつの間にか何も言えなくなっていた。
機械鎧でもない。義肢でもない。本物の人体が、その場で作られている。
錬成陣すら描いていない。ものすごい速度で捌かれていく。
「兄さん……」
アルフォンスの声も震えていた。
「ああ」
エドワードは無意識に自分の右腕へ触れた。
金属の感触。
その目の前で、別の兵士の失われた右腕が、生身の腕として再生されていく。
「……本当だった」
噂は全部。本当だった。
その時、ヘレシアがようやくこちらへ顔を向けた。
エドワードを見る。
少し考える。
そして、ぱっと顔を明るくした。
「あ」
指を差す。
「この前の女の子」
「誰が女の子だァ!!」
午前中の治療を終えたヘレシアは、軍病院の応接室でマスタングとエルリック兄弟に向かい合っていた。
白衣は脱いでいるものの、肩まで伸ばした金髪と眼鏡は間違いない。
あの路地でエドワードを女装させて逃げた少女、その本人だった。
「うそうそ、ごめんごめん」
ヘレシアは悪びれた様子もなく笑った。
「あの時はちょっと長く居すぎちゃってさ。まさか堅物大佐まで出てくるとは思わなくて。逃げるのにちょうどいいかなって」
「誰が堅物だ」
マスタングの眉間に皺が寄る。
「君一人を探すために、こちらがどれだけ振り回されたと思っている」
「えー、別に逃げてたわけじゃないですよ。ちょっと帰る時期をずらしただけで」
「軍からの命令を無視することを、一般には逃亡と言う」
「でも、ちゃんと帰ってきたじゃないですか。それに仕事だってしましたよ。ほら、これ。帰っていいっていう証明書です」
ヘレシアが指を鳴らすように手を合わせると、机の上に一枚の紙が錬成された。
マスタングはそれを一瞥しただけで、深く息を吐いた。
「……そのような書面は、そもそも存在しないと前にも言ったはずだ。存在しない公文書を勝手に作ることも、偽造として禁止されている。忘れたのか?」
「あっ、それなら大丈夫です」
ヘレシアは紙の隅を指差した。
「ほら。ここに小さく『記入例』って書いてあります」
「…………」
「だから公文書じゃなくて、あくまで書式見本です。セーフです」
「それを実際の証明書として提出した時点でアウトだ」
ヘレシアは不満そうに頬を膨らませた。
「それにしても、ブリッグズ送りは酷いですよ」
「あれは妥当な処分だ」
「あのお姉さん、とんでもない人で。私が砦をちょっと改造しただけで、ものすっごく怒るんですよ」
「当然だ」
「防壁を厚くして、倉庫を広げて、砲台の配置も使いやすくしたんですよ?」
「許可なくな」
「ちゃんと前より強くなったんだから、いいじゃないですか」
「よくない」
マスタングは即答した。
「それで、中央に戻ってからは軍規違反をやっていないだろうな」
「あー……」
ヘレシアの視線が横へ逸れる。
「まあ、多分?」
「多分とは何だ」
「細かいことはいいじゃないですか。それより――」
露骨に話題を切り替え、ヘレシアはエルリック兄弟を見る。
「大佐さん、この子たち誰なんですか?」
エドワードを上から下まで眺める。
「まさか子供?」
「誰が豆粒ドちびっつったァ!!」
「そこまで言ってないよ!?」
ヘレシアが目を丸くする。
アルフォンスが慣れた様子で兄を押さえた。
「兄さん、落ち着いて!」
「今ぜってえ小さいって意味で言っただろ!」
「子供とは言ったけど豆粒とは言ってないよ!」
「同じだ!」
「同じじゃないよ!」
マスタングが深いため息をついた。
「そういえば、まだ正式に紹介していなかったな」
エドワードを示す。
「こちらがエルリック兄弟の兄、エドワード・エルリック。『鋼の錬金術師』と言えば分かるか」
ヘレシアの表情が変わった。
「ああ!」
「知ってんのか?」
「私の最年少記録を抜いた子!」
「そこかよ!」
ヘレシアは悔しそうにエドワードを見る。
「私の記録だったのに」
「君が一年目に人体を錬成しなければ良かっただけだろう」
「あれは人体じゃなくて、人体に似た物体なのでセーフです!」
マスタングは続ける。
「そして、こちらの鎧が弟のアルフォンス・エルリックだ」
「アルフォンスです」
「へえ……」
ヘレシアは立ち上がると、アルフォンスの周囲を一周した。
コンコン、と胸当てを叩く。
「中、空っぽ?」
「え、まあ……」
「じゃあ、鎧を本体にしてるの?」
「本体っていうか、魂を定着させて――」
「魂の定着!」
ヘレシアの目が輝いた。次にエドワードの右腕を見る。
「それにこっちは機械鎧かあ」
「お、おい」
エドワードの腕を両手で掴む。
「神経接続してるんだよね? すごいね。ということは二人とも、人間の身体を改造することにはかなり興味ある感じ?」
「ねえよ!」
「え?」
「なんでそうなる!」
「だって生身じゃなくても身体として使えるって実証してるじゃない」
ヘレシアはアルフォンスを指差した。
「こっちは全身金属」
次にエドワード。
「こっちは部分的に金属」
そして嬉しそうに両手を合わせる。
「いやー、同志が増えて嬉しいわ。私も一回ほぼメタルにしたことあるんだよね」
「誰が同志だ!!」
「……その辺にしておけ」
マスタングが口を挟んだ。
「改めて紹介しよう」
ヘレシアが椅子へ戻る。
「ヘレシア・シュタイン。国家錬金術師」
一拍置く。
「二つ名は――『禁則の錬金術師』」
「禁則……」
アルフォンスが呟く。
エドワードは、カフェで読んだ紙の束を思い出した。
マスタングは淡々と続ける。
「国家錬金術師試験で、人間に酷似した生物を錬成した問題児だ」
「人体もどきなのでセーフです」
「黙っていろ」
「へそもなかったです」
「その言い訳のせいで条文が一つ増えた」
ヘレシアは笑った。
「懐かしいですね」
「笑い事ではない」
マスタングはさらに続ける。
「当然ながら問題になり、試験はやり直しになった。すると再試験では、禁止事項に人体錬成と金の錬成しか明記されていないことに目を付け――」
嫌そうにヘレシアを見る。
「大量の銀と白金を錬成した」
エドワードの口が開く。
「……まさか」
「ああ。『銀、白金その他貴金属も金に準ずる』という条文ができた直接の原因だ」
「あれ、お前かよ!」
「だって禁止されてなかったし」
「普通やらねえよ!」
「しかも、ただ作っただけではない」
マスタングの声が低くなった。
「こいつは軍が規則を改正することまで見越していた」
エドワードが眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「禁止される前に売れるだけ売った」
「…………」
「錬成した銀を国内市場へ大量に流し、余った分は東方交易へ回した。その結果、中央の銀相場は急落。シンとの交易価格まで大きく乱れた。お陰で今あの国は内乱状態だ」
ヘレシアが横から補足する。
「いやあ、あそこまで値段が落ちるとは思わなくて」
「嘘をつけ。価格推移まで計算していただろう」
アルフォンスが恐る恐る尋ねる。
「それって……儲かったんですか?」
「うん」
ヘレシアは満面の笑みで答えた。
「ものすごく」
「言うな!」
「その利益、どうしたんだよ」
エドワードが聞く。
「研究費」
「全部!?」
「あと土地とかいろいろ」
「国家錬金術師になる前から何してんだお前!」
マスタングは頭を押さえた。
「以来だ。貴金属については材質、形状、濃縮、分離、代替物質に至るまで細則が増え続けた」
エドワードは嫌な予感を覚えた。
「……ちょっと待て」
「何だ」
「じゃあ、あの『金を錬成する装置を製造する装置を作るな』ってのも?」
ヘレシアが手を挙げる。
「私」
「『へそがないから人間じゃないは認めない』」
「私」
「『予備として腕を増やすな』」
「それも私」
「全部お前じゃねえか!!」
エドワードの叫びが応接室に響く。
マスタングは疲れた顔で頷いた。
「大元は、金を作るな、人を作るな、軍に忠誠を誓え。その程度だった」
ヘレシアを指す。
「それを細則、通達、解釈規定まで含めれば百を超える規則に育て上げた張本人だ」
「育て上げたって言い方やめてくださいよ」
「君の功績だろう」
「法律の発展に貢献したと言ってください」
「軍法務局では災害と呼ばれている」
アルフォンスが小さく呟く。
「……だから『禁則の錬金術師』なんだ」
「そういうことだ」
「もっとかっこいいのにしてほしいですよね。」
エドワードはまだ納得できない顔をしていた。
「でも、なんでこんな奴を今まで俺たちに紹介しなかったんだよ」
マスタングは即答した。
「今の会話を聞いて、まだ理由が分からないのか?」
「大佐さん酷いなあ」
ヘレシアが頬杖をつく。
「私はちゃんと治せるものを治している善良な錬金術師ですよ。基本的に規則には忠実ですし、軍にもものすごく協力しているのに」
そしてエドワードとアルフォンスを見る。
眼鏡の奥の目が、楽しそうに細くなった。
「それで?君たちは元に戻したいの?」
エドワードの機械鎧と、アルフォンスの鎧を順番に指差す。
「どこまで元に戻したいの?」
ヘレシアはエドワードとアルフォンスを交互に見た。
二人が答えるより先に、マスタングへ顔を向ける。
「マスタング大佐。この二人、しばらく預かっていいんですよね?」
「そのために連れてきた」
「じゃ、決まり」
ヘレシアはぱん、と手を叩いた。
「そういうことで、しばらく私が君たちの師匠ね。先生と呼んで」
「はぁ!?」
「まあ、嫌なら名前でもいいけど」
眼鏡を押し上げる。
「敬意は忘れないように」
「なんで会ったばっかのお前に――」
「兄さん」
アルフォンスが止める。
マスタングは面倒そうに口を挟んだ。
「鋼の。少なくとも君たちの目的に関することについては、君より遥かに経験がある」
「ぐっ……」
「わあ、大佐さんが私を褒めた」
「事実を述べただけだ」
ヘレシアは楽しそうに笑った。
「じゃあまず、勘違いしないように説明しとくね」
椅子から立ち上がる。
「人体錬成って言っても全部が禁止されてるわけじゃない。死者の再構成や、人間そのものを新しく作ろうとするのは禁止。でも医療目的で失った組織や臓器を再構築することについては、一定の範囲で認められてる」
自分の腕を軽く叩く。
「指を生やす。皮膚を作る。骨を繋ぐ。臓器を補修する。その辺まで全部禁止したら、医療錬金術そのものが成立しないからね」
「じゃあ、さっきの腕も……」
アルフォンスが言う。
「そう。あれは死者錬成じゃない。単なる再生医療」
「単なるって……」
エドワードには、とても単なるものには見えなかった。
「で」
ヘレシアは机の上へ何冊もの本を積み上げた。
ドサドサドサ、と重い音がする。
「はい。午後はこれ読んどいて」
「……は?」
エドワードが一番上の本を取る。
『人体解剖学総論』
その下。
『循環器系の構造と機能』『神経解剖学』『内分泌系概論』『組織学』『細胞生物学』
さらにもう一冊。そんな山がいくつもある。
「……代謝経路?」
アルフォンスが覗き込む。
「身体の中で物質がどう変化していくかの本みたいだね」
「これ全部かよ!」
「全部覚えろとは言ってないよ。ざっと目を通して、自分が人体についてどれだけ知らないか理解してくれればいいから」
「なんだそりゃ」
「大事なことだよ」
ヘレシアはそれだけ言うと、午後の治療へ向かっていった。
そして数時間後。
治療を終えたヘレシアが戻ってくると、机の上には何冊もの本が開かれていた。
エドワードは眉間に皺を寄せながら解剖図を睨み、アルフォンスは代謝経路の模式図を追っている。
「どうだった?」
「……むちゃくちゃ複雑だな」
エドワードが素直に答えた。
「でしょ」
ヘレシアは椅子へ腰掛けた。
「君たちさ」
そこで急に声の調子を変える。
「多分、かなり適当な知識で人体錬成したでしょ」
エドワードの手が止まった。
アルフォンスも顔を上げる。
「材料になる元素を集めて、人間の身体の成分を調べて、それで人体錬成をやった。死んだ母さんを生き返らせたかっただけなんだ」
「その結果、身体とか脚とか腕とかを、あの『真理』とかいうのに持っていかれたと」
二人の反応を見る。
「……そうだ。そして、母さんも母さんの姿はしていなかった。人間のようななにかだった」
エドワードが低い声で答えた。
アルフォンスも頷く。
「なるほどね」
少し迷ってから尋ねる。
「だから僕、ずっと疑問だったんです。ヘレシアさんはあんなに人体を錬成しているのに……どうして平気なんですか?」
「うん」
ヘレシアは脚を組んだ。
「その前に一つ質問」
指を一本立てる。
「錬金術ってどういう技術?」
「は?」
「基本。習ったでしょ」
エドワードが答える。
「理解、分解、再構築」
「正解」
ヘレシアは机を指差した。
「じゃあ普段、君たちが錬成してるものを考えてみようか」
目をあちこちにやって例を出していく。
「石の壁、地面、単純な金属製品、もちろん細かく見れば複雑だけど、構造としては理解しやすい。壁なら石材の配置が分かればいい。刃物なら材質と形が分かればいい」
ヘレシアは紙を取り、簡単な図を描いた。
「でも例えば、自動車のエンジンを完全にバラバラの素材から一発で組み上げろと言われたら?」
「……かなり難しいな」
「でしょ。部品の種類も多いし、一個でも配置を間違えたら動かない」
そしてヘレシアは、エドワードの前に置かれていた解剖学書を指で叩いた。
「人体は、その比じゃない」
ページを開く。
「成人の身体は、おおざっぱに言えば数十兆個の細胞でできてる。そのかなりの割合を赤血球みたいな比較的単純な細胞が占めてるけど、それでも残りには神経細胞、筋細胞、肝細胞、免疫細胞……とんでもない種類がある」
ページをめくる。
「しかも細胞を並べれば人間になるわけじゃない」
血管。神経。細胞外基質。ホルモン。イオン濃度。細胞膜の電位。タンパク質の局在。代謝物。無数の図を順番に指差していく。
「全部、あるべき場所にあるべき状態で配置しなきゃならない」
エドワードは黙って聞いていた。
「じゃあ、ここで問題」
ヘレシアが笑う。
「そんなものを人体についてろくに知らない子供が、材料だけ並べて錬成した」
エドワードの眉が動く。
「なのに――」
ヘレシアは両手を広げた。
「どうして、なまじ人間っぽい形にまでなったの?」
「……!」
アルフォンスが息を呑む。
エドワードも言葉を失った。
「おかしいでしょ」
ヘレシアは楽しそうだった。
「本当に君たち自身が人体を再構築したなら、そんな結果になるわけない。せいぜい元素の混ざった肉塊になるか、反応が失敗して終わる」
「じゃあ……」
アルフォンスがゆっくり尋ねる。
「あれを作ったのは……僕たちじゃない?」
「半分正解」
ヘレシアは指を立てた。
「君たちは注文した」
もう一本。
「実際の細かい計算をやったのは――」
自分の背後を親指で示すような仕草。
「『真理』とか呼ばれてる、あれ」
沈黙。エドワードが険しい顔になる。
「……どういうことだ」
「人体錬成すると真理の扉が開くでしょ?」
「ああ」
「そこで大量の知識を見せられる」
「ああ」
「で、身体の一部を持っていかれる」
「だから、それが等価交換の代価――」
「違う」
あっさり遮られた。
「何?」
「少なくとも、人体そのものに対する代価じゃない」
ヘレシアは机の上の本を指差した。
「君たち、材料は用意したんでしょ?」
「ああ」
「なら、物質収支の大部分はそこで済んでる」
「でも人間一人を錬成するんだぞ」
「だから?」
「だからって……」
ヘレシアは呆れたように肩をすくめた。
「人間の身体なんて、自然界では毎日作られてるよ」
エドワードが眉をひそめる。
「何言ってんだ?」
「妊娠」
二人が止まる。
「受精卵一個から始まって、母体から材料とエネルギーをもらって、十か月もしないうちに人間一人分の身体ができる」
指を振る。
「そのたびに母親の腕が一本消える?」
「……消えない」
「脚を持っていかれる?」
「……いや」
「でしょ」
ヘレシアは満足そうに頷いた。
「もちろん材料もエネルギーも必要。でも、それは食物や酸素なんかからちゃんと供給されてる。人体そのものが、物理法則に反した特別な物質ってわけじゃない」
そして、少し身を乗り出した。
「なのに錬金術で人体を作ろうとした途端、『脚一本いただきます』『身体全部いただきます』ってなる」
肩をすくめる。
「どう考えても料金体系がおかしい」
「料金体系って……」
アルフォンスが呟く。
「私の考えではね」
ヘレシアは紙へ二つの箱を描いた。
片方に『錬金術師』。
もう片方に『真理』。
「人体錬成で取られる代価は、人体を作るための物質やエネルギーそのものじゃない」
二つの箱の間へ矢印を引く。
「君たちが理解していない部分を、真理に丸投げするための代価」
「丸投げ……」
「そう」
ヘレシアは笑う。
「真理君はすっごく優秀なんだよ。解剖学も、生化学も、発生学も、神経学も全部知ってる。こっちが『人間作って』って雑な注文を出しても、ある程度それっぽく計算してくれる」
一拍。
「ただし、ぼったくり」
エドワードが顔をしかめる。
「真理をインチキ商人みてえに言うな」
「だってそうじゃない?」
ヘレシアは平然としている。
「知らないから高い金払って専門家に全部任せる。それと同じ」
自分を指差した。
「だから私は自分でやる」
「……自分で?」
「人体を理解して、必要な構造を自分で指定して、自分で再構築する」
先ほど治療した兵士たちの姿が、エドワードの脳裏に浮かぶ。
腕。脚。眼球。鼓膜。
「だから真理の扉を開く必要がない」
ヘレシアは何でもないことのように言った。
「片腕一本くらいなら、骨格、血管、神経、筋肉、皮膚を全部こちらで指定して作ればいい」
「そんなこと……」
「できるよ」
即答だった。
「さっき見たでしょ?」
エドワードは黙った。
確かに見た。
何度も。
「もちろん難しいよ。だから勉強するの」
ヘレシアは積み上がった医学書をぽんぽんと叩いた。
「人体を錬成するなら、人体を理解する。当たり前でしょ?」
アルフォンスがおそるおそる尋ねる。
「じゃあ……魂は?」
ヘレシアの笑顔が少しだけ薄くなった。
「そこなんだよね」
椅子にもたれかかる。
「肉体はかなり分かった。でも魂はまだ難しい」
「……やっぱり」
「何でできてるのかも、どこに情報が保持されてるのかも、まだ完全には分からない。だから魂そのものを扱う時だけは、私も真理君を使うことがある」
エドワードの目が鋭くなる。
「じゃあ、お前も代価を持っていかれるのか?」
「うん」
あまりにも軽く答えた。
「最初に聞いたら、『腕一本』だって」
「……は?」
「だから腕一本払ってる」
ヘレシアは自分の右腕を上げた。
どう見ても普通についている。
「あるじゃねえか」
「生やしたからね」
「……は?」
「先に一本余分に作っとくの」
エドワードとアルフォンスが固まった。ヘレシアは右肩の少し下を指差す。
「ここに予備の腕を一本錬成するでしょ?」
両手で何かを差し出す仕草をする。
「それから魂関係の錬成をして、真理君に『はい、約束の腕』って渡す」
「…………」
「そうすると元からある腕は減らない」
長い沈黙。
エドワードの顔が引きつる。
「それで、『人体に腕を増やしてはならない』!」
「ああ」
ヘレシアは手を打った。
「あれ私」
「やっぱりかァ!!」
「いや、一、二本ならばれなかったんだけどね」
「さて」
ヘレシアは椅子の背にもたれ、何でもない昔話でも始めるような口調で言った。
「まだ若かった私は考えました」
エドワードが眉をひそめる。
「今も若いだろ」
「細かいことはいいの」
ヘレシアは胸に手を当てた。
「私は素晴らしい人間です」
「いきなり何言ってんだ」
「だから、もう何人かいてもいいんじゃないかなって」
「…………は?」
アルフォンスも首を傾げる。
「もう何人か……?」
「私が」
ヘレシアは自分を指差した。
「世の中に一人しかいないの、もったいなくない?」
「全然」
「兄さん」
ヘレシアは気にせず続ける。
「それでね。身体の方はもう作れたから、問題は魂だったの」
机の上に置いてあった解剖学書をぽん、と叩く。
「私の身体を完全に再現して、あとは真理君に『この魂と同じものをもう一個お願い』って頼んだ」
エドワードの顔から表情が消えた。
アルフォンスが恐る恐る尋ねる。
「それで……できたんですか?」
「できたよ」
「私の記憶も性格もだいたい同じ。身体も同じ。最初はちょっと感動したなあ」
ヘレシアは懐かしそうに笑った。
「目の前に私がいるんだよ?」
エドワードが嫌そうな顔をする。
「想像したくねえ……」
「でも、一人作ったらもう一人くらいいてもいいかなって思うでしょ?」
「思わねえよ」
「それで二人目」
指を二本立てる。
「三人目」
三本。
「四人目」
「待て待て」
「その辺から一人ずつ作るのが面倒になって、予備の腕をまとめて生やす方法を思いついて気がついたら十人くらいになってた」
部屋が静まり返った。
「ただ、ちょっと増やしすぎたみたいで大総統直々に怒られちゃったから、後で全部統合したんだよね」
「統合?」
アルフォンスが聞き返す。
「うん。身体を一つに戻して、各個体が経験した記憶もできる限り統合したよ。それに、いろいろ使い道もあるしね」
「そんなことまでできるのか……」
エドワードは呆然としていた。
ヘレシアは自分の頭を指で叩く。
「おかげでしばらく、同じ一日の記憶が十通りあって大変だったけどね」
「怖えよ」
「まあ、そんなわけで」
ヘレシアは急に話を戻した。
「人間を作ること自体はできる」
エドワードとアルフォンスの表情が変わった。
「ただし」
ヘレシアは指を一本立てる。
「一応、大っぴらにはやるなって軍から言われてる」
「一応じゃねえだろ」
「だから、君たちのお母さんを作りたいなら――」
エドワードの身体が強張った。ヘレシアはまっすぐ二人を見る。
「君たち自身でやって」
「……俺たちが?」
「うん」
ヘレシアは頷いた。
「私ならたぶんできる。細かい記憶とかは難しいけど、大体のところはなんとかなる。でも、それじゃ意味ないでしょ」
エドワードが眉をひそめる。
「何がだよ」
「君たちが欲しいのは『人間一人』じゃない」
声が少しだけ真面目になる。
「君たちのお母さんなんでしょ?」
二人は黙った。
「身体を作るだけなら教えられる。魂の扱い方も、私が分かっている範囲なら教える。でも最後に、それが本当に君たちのお母さんなのか判断するのは、私じゃない」
ヘレシアはそこで再び笑った。
「それにね」
机の上の医学書をエドワードたちの方へ押す。
「こんな素晴らしい技術、もっと普通に使われるべきなんだよ」
「普通に……?」
「腕を失ったら生やす。眼が潰れたら作り直す。臓器が駄目になったら交換する。どうしてできることを禁忌だ禁忌だって怖がって、みんな不自由なままでいなきゃいけないの?」
「だから人体錬成の本を配ってるのか?」
「そう」
ヘレシアは胸を張った。
「地道な啓蒙活動」
「軍に片っ端から回収されてたぞ」
「ひどいよねえ」
「当然だろ!」
「『はじめての人体錬成』なんて、かなり分かりやすく書いたのに」
「初心者に勧めるな!」
「挿絵もいっぱい入れたよ」
「そういう問題じゃねえ!」
アルフォンスが小さく笑う。
ヘレシアは立ち上がると、積んである本をさらに二冊追加した。
ドン。
「ということで」
エドワードが嫌な顔をする。
「……なんだよ」
「とりあえず君たちは勉強。最低限……」
ヘレシアはエドワードの機械鎧を指差した。
「自分で腕一本くらい生やせるようになるまで」
次にアルフォンスを見る。
「君は身体一式ね」
「僕の方が多い!?」
「全身ないんだから仕方ないでしょ」
そして楽しそうに笑った。
「大丈夫!!私ができたんだから、君たちにもできるよ」
エドワードは山積みになった医学書を見上げた。
ただ、目の前の『発生学総論』を手に取った。
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