どうもセントラルで何かあったらしい。
それを知ったのは、リゼンブールへ戻り、トリシャを生き返らせて数日経った頃だった。
中央司令部周辺で大規模な騒ぎが発生し、一部区域が封鎖されたこと。軍が多数動員され、地下施設で何らかの戦闘があったこと。そして、軍関係者の話として、中央に滞在していた国家錬金術師が正体不明の集団から襲撃を受けたらしいこと。
名前までは書かれていなかった。
だが、時期と場所を考えれば心当たりは限られてくる。そして、傷の男のこともあり、ある一人の顔が思い浮かぶ。
「……これ、ヘレシアのことじゃねえか?」
エドワードは新聞を睨んだ。
肝心なところだけ曖昧で、何が起きたのかはほとんど分からない。襲撃者の正体も、被害の規模も、当人が無事なのかさえ書かれていなかった。
アルフォンスも横から紙面を覗き込む。
「ヘレシアさん、大丈夫かな」
とはいえ、ヘレシアが襲われたと聞いても、素直に心配していいものか少し迷う。
ヘレシアの場合、襲った側の心配も必要だからだ。
そんなことを考えていた翌日。
玄関が叩かれた。
「はい」
アルフォンスが出る。
「あ、やっほー」
聞き覚えのある声だった。
エドワードは椅子から立ち上がった。
「……は?」
玄関にいたのはヘレシアだった。いつもの白衣。いつもの眼鏡。特に怪我をしている様子もない。
「お前!セントラルで襲われたんじゃなかったのか!?」
思わず駆け寄る。
「ああ、それね」
ヘレシアは何事もなかったように靴を脱ぎ、そのまま上がり込んだ。
「この私は分身の一人。本体――って言い方でいいのかな。とにかく、元の私はまだセントラルにいるよ」
「…………」
エドワードは数秒黙り込み、目の前のヘレシアを上から下まで見直した。
「緊急事態だったからね。ちょっといろいろあって……」
その答えだけでは到底納得できず、二人はヘレシアを居間まで連れていった。
「それで、何があったんですか?」
問い詰めるようにアルフォンスが尋ねる。
ヘレシアは勧められた椅子に腰を下ろすと、少し困ったように首を傾げた。
「あんまり私にも全部は分かってないんだよね。この私は途中で分かれて、そのままこっちに来たから。それ以降に本体が見聞きしたことは、まだこっちには入ってない」
エドワードの顔が引きつった。
「お前、自分の身体だけじゃなくて情報まで分割されてんのかよ……。」
「あとで統合すれば、記憶も経験もまとめて戻るから大丈夫だよ。多少話が食い違ってても、そのとき整理すればいいし」
エドワードが頭を抱える横で、アルフォンスも向かいの椅子へ腰を下ろした。
「それで、一体何に襲われたんですか?」
「うん。いきなりなんか変なのが何人……いや何個か来てね。見た目は人間だったけど、普通じゃなかった。傷をつけてもすぐ治るし、身体能力もかなり高い。結構強かったよ」
その評価に、エドワードは眉をひそめた。
「お前が『結構強い』って言うなら相当だな。それで、どうしたんだ?」
「最初は普通に相手してたんだけど、一人で何人も相手するのは面倒でしょ? だから途中から自分を増やして……」
あまりにも自然に言われて、エドワードは一瞬聞き流しかけた。
だが、すぐに嫌な予感がして顔を上げる。
「……待て待て。おいこら何をやらかした」
「あー、いやね。最初は二十人くらいかな。それでも向こうがしぶとかったから、そのあと必要に応じて増やしていって――」
ヘレシアはそこで指を折りながら、記憶を探るように天井を見上げた。
「最終的には千人くらいになってたと思う」
エドワードは両手で顔を覆った。
「怖すぎるだろ……。セントラル中にお前が千人いる光景を想像してみろ。襲ってきた連中よりそっちのほうがよっぽど災害だぞ」
アルフォンスは兄の横でしばらく黙っていたが、話を戻すように恐る恐る口を開いた。
「それで……結局、その人?たちはどうなったんですか?」
「あー、たぶんもう大丈夫だと思う。何度倒しても起き上がってくるから途中でやり方を変えたんだけど、最後には敵っぽいのは全部処理できたと思うよ。こっちも結構な数がやられたけど、あと人っていうといろいろ問題あるから個って呼んでね」
そこで、エドワードの手が止まった。
ゆっくりと顔を上げる。
「……こっちも結構な数がやられたってのは?」
ヘレシアは何を当たり前のことを聞くのかという顔をした。
「私だよ。増やした私。かなり死んだと思う」
あまりにも平然とした口調だったせいで、二人とも一瞬、その意味を理解できなかった。
エドワードは目の前に座るヘレシアと、今なおセントラルにいるという本体を思い浮かべる。
「……お前、自分が何百人も死んだ話を、そんな道具を何個か壊したみたいに言うなよ」
「でも、残った私を統合すれば記憶は回収できるから。今回は分かれたのが短時間だったから面倒でやってないけどね。それより、襲ってきた連中なんだけど」
ヘレシアは話題を切り替えるように続けた。
「どうも賢者の石を核にして身体を維持してるタンパク質でできた機械だったみたい。最初は何度倒しても戻ってくるし、威力の高い攻撃もしてくるから面倒だったんだけど、途中で仕組みが分かったから、賢者の石を使えないようにしたらそこまででもなかったよ」
エドワードは眉をひそめる。
「さらっと言ってるけど、賢者の石を使えなくするってどうやったんだよ」
「その辺はいろいろ。説明すると長いから、今度資料にしてあげる。それで、地下にも何体かいたから追いかけてたんだけど、途中で相手の攻撃に巻き込まれて周囲一帯が吹き飛んじゃってね。中央に残ってる私は、今ほかの私たちと一緒に始末書を書いてるところだと思う」
エドワードは額を押さえた。
詳しく聞けば聞くほど、知らない方が幸せだった気がしてくる。
だが、ヘレシアの説明はまだ終わっていなかった。
「ああ、それと途中で大総統にも会ったよ。なぜか近くにいて、いきなり斬りかかってきたんだよね。完全に不意を突かれて、私も五十人くらい斬られちゃった」
「……ブラッドレイ大総統が、お前を?」
先ほどまでとは違う声色に、ヘレシアも頷く。
「うん。さすがに変だと思って調べてみたら、大総統の中にも賢者の石が入ってた。たぶん、さっきの連中と何か関係があったんじゃないかな」
エドワードはそこで完全に話を止めた。
「ちょっと待て。賢者の石を核にした連中がセントラルの地下にいて、大総統にも同じように石が入ってたってことか? それ、今までの話とは次元が違うぞ」
「そうかな。もう石は抜いたから大丈夫だよ。ついでに傷んでたところも直して、記憶も少し整理しておいた。自分が私を襲ったことは覚えてないはずだし、今後こっちからいろいろお願いしたときは、なるべく聞いてくれるようにもしてあるから」
今度こそ、エドワードは言葉を失った。隣でアルフォンスが恐る恐る尋ねる。
「……ヘレシアさん。それ、大総統の身体だけじゃなくて、頭の中まで錬成したってこと?」
「……治療だよ。そんな目で見ないでよ!!賢者の石なんて変なものを入れられてたんだから、取り除いた後に後遺症が残らないよう調整するのは当然でしょ」
「最後の『お願いを聞くようにした』部分は絶対治療じゃねえだろ!」
アルフォンスが兄へ顔を寄せ、小さな声で囁く。
「兄さん……これ以上は聞かなかったことにした方がいいんじゃないかな」
「ああ。俺も今ちょうどそう思ってた」
当のヘレシアだけが、なぜ二人がそんな顔をしているのか分からない様子で首を傾げている。エドワードは深く息を吐き、強引に話題を戻した。
「……で? セントラルがそんな状況なのに、なんでお前はわざわざリゼンブールまで来てんだよ」
「えー。見事に目標を達成した可愛い弟子の様子を確認しに来たのに、ひどいなあ。中央がああなってるから、人体錬成しても怒りに来る人がいないんだからね!」
ヘレシアはまるで気にした様子もなく、楽しそうに笑った。
エドワードはそんな彼女をしばらく見ていたが、やがて小さく息を吐く。
「……母さんに関しては感謝してる」
「本当にありがとうございます、ヘレシアさん」
アルフォンスも頭を下げる。
二人から素直に礼を言われたのが嬉しかったのか、ヘレシアは満足そうに頬を緩めた。
「じゃあ、そんな可愛い弟子たちに、こっちからもプレゼントをあげよう」
「プレゼント?」
エドワードが怪訝な顔をする。
「うん。ちょうど地下で面白いものを見つけたから、ついでに連れてきた。君たちの父親を名乗る、ものすごく怪しい男」
そう言って、ヘレシアは玄関の方を指さす。
「……は?」
エドワードの顔が固まった。
ヘレシアは気にせず玄関へ声を投げる。
「もう入っていいよー」
しばらくして、玄関の向こうから一人の男が姿を現した。
長い金髪。眼鏡。伸びた無精髭。
忘れようとしても忘れられない顔だった。
エドワードの表情が、一瞬で険しくなる。
「…………クソ親父」
アルフォンスが目を見開き、それから男の名を確かめるように呼んだ。
「父さん……!」
ヴァン・ホーエンハイムは、ひどく疲れた顔で二人を見つめた。何か言葉を探すように口を開き、結局出てきたのはひどくありきたりな一言だった。
「……久しぶりだな」
「久しぶりじゃねえよ! 何年ほっつき歩いてやがった!」
「それについては……すまなかった」
あまりにも素直に謝られて、エドワードの勢いがわずかに削がれる。怒鳴るために用意していた言葉が行き場を失い、代わりに別の疑問が浮かんだ。
「……で、なんでお前がこいつと一緒にいるんだよ」
「ふっ、ふっ、ふ。説明しよう!!なんかいたのを私が拾った」
横からヘレシアが即答する。
「拾われたわけではない」
ホーエンハイムが疲れた声で訂正した。
「セントラルの地下で妙な動きがあることは以前から調べていた。確認のために潜ったところで……彼女たちと鉢合わせたんだ」
ホーエンハイムがそう言うと、ヘレシアは思い出したように手を打った。
「ああ、そうそう。私が地下を片づけてたら、この人がうろうろしてたんだよ」
「お前の説明だと完全に不審者じゃねえか」
ホーエンハイムも何か言いたげに口を開いたが、それより先にヘレシアがあっさりと頷いた。
「実際怪しかったし。でも話を聞いたら君たちの父親だっていうから、せっかくだし連れてきた。ちょうどこの人にとってもプレゼントになるわけだしね」
ヘレシアはそこでホーエンハイムへ向き直った。
「それで結局、あの地下の連中は何をしようとしてたの? 途中まで聞いたけど、いろいろ壊したり殺されたりで忙しくて、ちゃんと聞いてなかったんだよね。本体はもう知ってると思うんだけどね。地下の親玉みたいなのは消滅させちゃったけど、取り巻きは残しているはずだし」
「お前、それを先に聞けよ……」
エドワードが呆れる横で、ホーエンハイムはしばらく黙っていた。
長年追い続けてきた計画を、今さら息子たちへ説明する。その事実そのものに疲れているようにも見えた。
やがて、重い口を開く。
「……アメストリスという国そのものが、一つの巨大な錬成陣として作られている」
エドワードの表情から、苛立ちが消えた。
「国そのものが……?」
「ああ。計画が完成すれば、アメストリスにいる人間すべての魂が、一度に賢者の石へ変えられる」
ホーエンハイムは静かに続けた。
「そして、その莫大な力を使って……奴はさらにその先にあるものを手に入れようとしていた……ようだ」
「あ、それならもう大丈夫だと思うよ」
あまりにも軽い声に、三人の視線が一斉にヘレシアへ向いた。
「国のあっちこっちに錬成陣があるみたいだから、そっちにも私を派遣して壊してるとか言ってたよ。数が多いから少し時間はかかるけど、そのうち全部壊せると思う」
ホーエンハイムが、何とも言えない顔でヘレシアを見る。
何十年もかけて追い続けてきた計画を、まるで家の害虫でも駆除するような調子で片づけられている。
何か言おうとした、そのときだった。
「エド?」
奥の部屋から、母の声がした。
エドワードは振り返る。
「さっきから賑やかだけど、お客様?」
トリシャが廊下から顔を出した。
その瞬間。
ホーエンハイムが動かなくなった。
エドワードは、その横顔を見た。
いつも何を考えているのか分からない男だった。何年ぶりに会っても相変わらず妙に落ち着いていて、こちらが腹を立てているのが馬鹿らしくなるほど、何もかもを静かに受け止めているような顔をして。
その顔が、今は完全に崩れていた。
「……」
口が僅かに開いている。
目を見開いたまま、瞬きもしない。
トリシャの方も、しばらく何も言わなかった。
「…………あなた?」
ホーエンハイムの喉が動く。
「トリシャ……?」
ひどく掠れた声だった。エドワードは黙って二人を見ていた。
トリシャが一歩、こちらへ近づく。
「あなた」
もう一歩。
その顔に、ゆっくり笑みが広がった。
「本当に、あなたなのね」
「……ああ」
ホーエンハイムはそれしか言えなかった。
トリシャは少し困ったように笑う。
「ずいぶん遅かったのね」
ホーエンハイムの顔が歪んだ。
「……すまない」
「もう」
「俺は……帰ってくるつもりだった」
「ええ」
「ちゃんと普通の身体に戻って……」
声が震える。
「お前と一緒に年を取るつもりだった」
トリシャは静かに聞いていた。
「なのに、間に合わなかった」
ホーエンハイムの目から涙が落ちた。
エドワードは初めて見た。
あの男が泣くところを。
「約束を……守れなかった」
トリシャは少しだけ目を伏せた。
それから、首を横に振る。
「それは私の方よ」
トリシャは笑った。
「ごめんなさい。待ってるって言ったのに」
「違う」
ホーエンハイムが即座に言った。
「違うんだ、トリシャ」
「じゃあ」
トリシャは一歩近づいた。
もう手を伸ばせば届く距離だった。
「今度こそ守りましょう」
「……」
「一緒に年を取るって約束」
ホーエンハイムの顔が、また大きく歪んだ。
「……ああ」
トリシャが両腕を伸ばす。
「おかえりなさい、あなた」
ホーエンハイムはしばらく動かなかった。
本当に触れていいのか確かめるように。
やがて、恐る恐るトリシャの背中へ腕を回した。
「……ただいま」
強く抱きしめる。
トリシャもその背中に腕を回した。
エドワードは何も言わなかった。
隣を見ると、アルフォンスが泣いていた。
「……アル」
「兄さんだって」
エドワードは反射的に顔を背ける。
「俺は泣いてねえ」
そのまま誤魔化すように袖で目元をこすったが、アルフォンスには全部見えていた。
「泣いてるよ」
少しだけ笑いを含んだ声に、エドワードはますます顔をしかめた。
「うるせえ」
母と父が抱き合っている。
子供の頃なら、何度も見ていたはずの光景だった。父が帰ってくれば母が迎え、二人が並んで笑っている。あの頃は、それがずっと続くものだと思っていた。
けれどもう二度と見ることなどないと思っていた。
トリシャはホーエンハイムの胸に顔を埋めたまま、涙の残る声で小さく笑った。
「エドもアルも、大きくなったのよ。アルなんて、今はエドより少し背が高いの」
「母さん!」
思わぬところを持ち出され、エドワードが慌てて声を上げる。その横でアルフォンスが堪えきれず吹き出し、ホーエンハイムの口元までわずかに緩んだ。
「そうか。アルの方が大きくなったのか」
「笑うな、クソ親父!」
そんなやり取りを見て、トリシャがホーエンハイムの腕の中から顔を上げる。
「あらあら。相変わらずね」
その声を聞いた瞬間、エドワードの胸に、ようやく実感が落ちてきた。
母さんがいる。
隣にはアルがいて、目の前には、ずっと帰ってこなかったクソ親父までいる。
一度は全部なくしたと思っていたものが、今は同じ部屋の中に揃っていた。
……帰ってきたんだ。
ようやく、家族がここに戻ってきた。
「まあ、これで仕事は終わりかな」
見届けたヘレシアはそう言い残し、自らの胸元へ手を当てる。
錬成光が身体を包み、その輪郭が端からほどけていく。
指先は紙へ。髪はインクへ。骨も肉も、革張りの表紙と幾千枚もの頁へ。
崩れた身体は床へ落ちることなく、次々と人体錬成に関する書物へ組み替えられ、部屋のあちこちへ飛んでいった。
光が消えたとき、ヘレシアの姿はどこにもなかった。
セントラル。
戦闘が終わった街には、まだあちこちにその爪痕が残っていた。
崩れた建物。抉れた道路。吹き飛ばされた壁。中央司令部の一角に至っては、もはやどこまでが元の建物だったのか分からない。
その瓦礫の前で、ヘレシアが大きくため息をついた。
「あーあ。なんか私、貧乏くじじゃない?」
隣にいた別のヘレシアが瓦礫へ手を触れる。
錬成光。
「なんで戦った私たちが、街の修復までやらされてるんだろうね。そもそも向こうが先に攻撃してきたのに」
隣で石材を組み直していた別のヘレシアが、少し考えてから答える。
「まあ、壊した割合で言えば私たちも結構あるからじゃない? 最後に周囲一帯を吹き飛ばしたの、こっちの私だし」
「あれは仕方ないでしょ。賢者の石を無理矢理エネルギーに変えたんだから。あの状況で加減しろっていう方が無茶だよ」
文句を言いながらも、作業の手は止まらない。
少し離れた場所では、さらに何十人ものヘレシアが同じように動いていた。
街の修復。負傷者の治療。瓦礫の撤去。行方不明者の捜索。重傷者については、失われた身体そのものを再構築する。
そして、間に合わなかった者についても、まだ魂を回収できる可能性がある者から順に身体を戻し、蘇生を試みていた。
何百人もの同じ少女が、セントラルの至るところでそれらを同時に進めている。
その光景を眺めていた一人が、ふと思い出したように口を開いた。
「それにしても納得いかないのはさ、わけの分からない化け物と戦わされた挙げ句、その化け物たちからこっちが『化け物』呼ばわりされたことなんだよね」
近くにいた何人かが、一斉に頷いた。
「失礼だよね。自分たちだって賢者の石を身体に入れて、何度殺されても再生してたくせに」
「そうそう。それに比べれば、私たちなんて自分をちょっと増やしてるだけだし」
近くで聞いていた兵士が、思わずそちらを見る。何百人にも増殖した本人たちは気づかない。あるいは、気づいていて無視している。
そんな異様な光景は、地上だけではなかった。
むしろ、今回の騒動の中心となった場所には、それ以上に理解しがたいものが残されている。
中央司令部の地下。
そこには、地上の惨状とはまた別の意味で異様な光景が出来上がっていた。ホムンクルスたちは、すでに全員無力化されている。
正確には、それぞれに身体を維持させる必要がないよう一つの肉体へまとめられ、床から伸びた巨大な胴体の上に、いくつもの首だけが並べられていた。
ラスト。エンヴィー。グラトニー。
それぞれの頭上には大きなボタンが取り付けられており、それを押せば個別に意識を起動、あるいは停止できるようになっている。
今のところ、目を覚ましている者はいない。
さらに胴体からは何本もの管や肉の束が伸び、その先には用途ごとに分けられた器官が接続されていた。中には、記憶を格納するためなのか不自然なほど肥大化した脳まである。
それだけではない。
天井からは、へその緒のような管につながれた、ほぼ完全な人間の身体がいくつも吊り下げられていた。目を閉じたまま微動だにせず、必要になればいつでも頭部や意識を移せるよう準備された予備の肉体らしい。
マスタングはその光景を前に、しばらく何も言えなかった。
「……これは、何だ」
目の前の異様な構造物を見上げながら、マスタングが低い声で尋ねた。ヘレシアは何を問題にされているのか分からない、とでもいうように首を傾げる。
「だから、これは人間じゃないのでセーフです。そもそも私が一から作ったものでもありません。元からこういうものだったものを、逃げたり暴れたりしないように一つにまとめて、必要なときだけ起こせるようにしただけですよ」
とぼけた顔から繰り出される早口で謎の理屈が並び立っていく。
「まあ、確かにタンパク質でできててちょっとだけ人間に似てるところはありますけど、これって要するに機械みたいなものなんですよ。機械鎧がいくら高度で、それだけで動いたとしても、それって人間じゃないじゃないですか。だから、セーフですセーフ」
マスタングの顔がますます厳しいものになる。
「そっ、そんなに疑うなら本人……はだめか。この機械に聞けばいいじゃないですか。少なくとも、自分たちが人間なのか、誰に作られたのかくらいは知ってるでしょう。私が作ったものじゃないってことも、一緒に確認できますよ」
「……これにか?」
「はい。ちょうど必要なときだけ話せるようにしてありますから……あー、えっと多分これだ!」
そう言ってヘレシアは、並んだ頭の一つ――エンヴィーと呼ばれていた首、その頭上に取り付けられた大きなボタンへ手を伸ばした。
「ほら。これの証言が一番確実でしょう?聞かれたらなんでも答えられるようにしてあるんで、聞いてみてくださいよ」
カチリ、と乾いた音が響く。
直後、閉じていたエンヴィーの瞼が開いた。
「……っ、くそ……」
意識を取り戻した途端、険しい顔で周囲を見回す。首から下が存在しないことに気づいたのか、表情がさらに歪んだ。
マスタングが一歩前へ出る。
「いくつか確認させてもらおう。まず、お前たちは何者だ。誰の命令で動いていた。セントラルの地下で何をしようとしていた。それから……」
そこで一度言葉を切り、隣に立つヘレシアへ視線を向けた。
「本当に、この女に作られた存在ではないんだな?」
エンヴィーはすぐには答えなかった。
眉間に皺を寄せ、何かを思い出そうとするように視線を宙へさまよわせる。だが、記憶を探れば探るほど、そこにあるはずのものだけが綺麗に抜け落ちているらしい。
やがて苛立たしげに舌打ちした。
「くそ……何も思い出せねえ。けど、ああ……少なくとも俺たちは、そいつに作られたわけじゃねえ。それと、人間でもない。そこまでは分かる」
言葉遣いこそ相変わらずだったが、質問そのものには妙に素直に答えている。
マスタングは、その答えを聞くなりヘレシアへ視線を向けた。
「……記憶を消したな?」
責めるような声色にも、ヘレシアはさほど悪びれた様子を見せない。
「消したというより、別のところに移しただけです。余計なことを覚えたままだと暴れたり、嘘をついたりするかもしれないので。必要な情報だけ残して、あとは記憶用の脳に避難させてあります」
「戻せ。こいつらが人間かどうかも確認する必要はあるが、それ以上に、何者の命令で何をしようとしていたのかを聞き出さなければならん。尋問する相手の記憶を先に抜いてどうする」
マスタングの声が一段低くなる。ヘレシアはそこでようやく、少しだけ目を逸らした。
「でも、戻したらまた面倒になると思うんですけど」
「戻せ」
間を置かずに言い切られ、ヘレシアはしばらくマスタングの顔を見返した。
やがて、明らかに不満そうに頬を膨らませる。
「……はーい。分かりましたよ。戻せばいいんでしょう、戻せば」
しぶしぶ立ち上がる。
その背中を見ていたエンヴィーが、突然声を荒げる。
「おい、待てよ! 勝手に話を進めんな! 俺は何者なんだ!? なんでこんな姿にされて――」
「うるさいなあ」
ヘレシアは振り返りもせず、後ろ手にエンヴィーの頭上のボタンを押した。
カチッ、と乾いた音がする。
言葉の途中でエンヴィーの目から力が抜け、そのまま首が沈黙した。マスタングはしばらく、その頭とボタンを無言で見比べていた。
そんな彼の視線に気づいたのか、ヘレシアが少し得意げに振り返る。
「便利でしょう? うるさくなったら、こうやって止められるんですよ。あと、オフにするたびに短期記憶も消えるようにしてます」
「……便利さを評価する前に、私はこれを許していいのか考えているところだ」
ヘレシアは気にする様子もなく、肉の管が伸びる先へ歩いていく。
「じゃあ、ちょっと記憶ユニットの方を見てきますね。どこに誰の記憶をしまったかな……」
その様子を見て、マスタングの眉間に深い皺が寄った。
「管理くらいしておけ」
「ちゃんと管理してますよ。たぶん」
そのまま奥へ消えていくヘレシアを見送ってから、マスタングは再び並んだ頭へ視線を向けた。
エンヴィーから情報を得られない以上、別の個体を試すしかない。少し考え、隣の間抜けそうな顔グラトニーを避け、さらにその隣、ラストの頭上にあるボタンへ手を伸ばす。
カチリ。
ゆっくりと、ラストの瞼が開いた。
最初こそ焦点の定まらない目で宙を見ていたが、やがて目の前に立つマスタングへ視線を合わせる。
「……これはまた、随分と趣味の悪いことをされたものね」
状況を把握しても、エンヴィーほど取り乱す様子はなかった。
マスタングは腕を組む。
「話が早そうで助かる。いくつか質問に答えてもらう」
「断ったら?」
「そこのボタンを押す」
ラストは自分の頭上を見上げることこそできなかったが、何を意味しているかは察したらしい。
小さくため息をついた。
「……それで、何が聞きたいの?」
「お前たちの目的だ。アメストリス全土を使って何をしようとしていた」
その瞬間、ラストの表情からわずかに余裕が消えた。マスタングは見逃さない。
「知っているな」
「あ、何を勝手に弄ってるんですか」
戻ってきたヘレシアは、ラストが起動しているのを見るなり眉をひそめた。
「分かりましたよ。ちゃんと説明しますから、勝手に触らないでください。この頭にはいろいろあらぬ記憶をいれる実験をしてたんで、とんでもないこと言い出しますよ!」
そう言ってラストの前まで戻ると、ラストを停止させ、少し考えるように腕を組む。
「もともとは錬金術の研究をしてたんです。錬成すると大量の熱が出たり、どこかからエネルギーが出入りしたりするでしょう? そういうものを、錬金術が物理法則と矛盾しないようにどう処理しているのか気になってたんですよ。錬金術って意外とその辺り適当でも発動しちゃうじゃないですか」
ヘレシアは少し考えるように指を立てた。
「それで調べていたら、地下に妙な構造があるのを見つけまして。どうも錬成の時は、そこを経由して力を使ってるみたいなんですよ。それから生じた余分な熱とか、乱雑さみたいなものを押し込める場所としても機能してるみたいで。ただ、当然どこかに処理上限はあるはずでしょう?」
そこで、何でもないことのように続ける。
「だから、どのくらいまで耐えられるのか、ちょっと負荷をかけて試してみたんですよ」
マスタングの表情が険しくなる。
「でっかい人間もどきみたいなのを、泥で大規模に錬成するんですよ。ただし、完成しても絶えず自壊するようにしておいて、それを錬金術で延々と修復し続けるんです。壊れる、直す、また壊れるを繰り返して、錬成系にどこまで負荷をかけられるかを見る試験ですね」
ヘレシアは、何でもない実験の説明でもするように指を立てた。
「物質の総量は変えません。崩れて乱れた配列を、ひたすら元の秩序ある状態へ戻し続ける。物質を消費せずに、錬金術による秩序の回復だけを延々と繰り返せるわけです」
マスタングは数秒、その言葉の意味を考えた。
「……待て。それを、地下の正体不明の構造を経由してやったのか?」
「はい。あっ、でもこのあたりでやる錬成は大体そこ経由なので、別に私が変なことをしたわけじゃないですよ。それでですね。最初は問題なく処理できてたんですよ。だから少しずつ規模と速度を上げていって、どこまで耐えられるか試してたんですけど」
悪びれもせず続ける。
「長いこと使ってたら、ある日どうも向こうが壊れたみたいで。様子を見に地下へ行ったら、この人……じゃなかった、この機械たちと鉢合わせたんです」
ヘレシアは並んだホムンクルスの頭を指さした。
「そしたら『お前がやったのか』みたいな感じで怒って襲ってきたので、こっちも反撃して――」
そこで、周囲に広がる異様な肉体の塊へ視線を巡らせる。
「結果、こうなりました。本当に仕方なかったってやつです」
マスタングはしばらく何も言わなかった。
先ほどまで「襲撃を受けた被害者」として聞いていた話が、少しずつ別の形に見えてくる。
「……つまり、この騒動の発端は……」
そうマスタングが呟く。
「その言い方だと、私が悪いみたいじゃないですか」
「今まさにその可能性を検討している」
ヘレシアはなおも抗議しようとしたが、マスタングは呆れていた。
地下での確認を終えた後、一行は修復された中央司令部へ戻った。司令部内の会議室では、今回の騒動について正式な事情聴取が始まっていた。
机を挟んで軍の将校たちが並び、その向かいには、一応「本体」とされているヘレシアが座っている。傍らではホークアイ中尉が調書を取っていた。
「ですから、何度も言ってるじゃないですか。私は地下の様子を確認しに行っただけで、先に襲ってきたのは向こうなんですよ。反撃しなかったら私が三回くらい死んでました」
ヘレシアはそう主張しながら、納得してもらえないのが不思議だというように両手を広げた。
ホークアイは表情一つ変えず、手元の記録を確認する。
「その『反撃』の過程で、あなたはがなぜか大量に増殖している。これはどういうことですか?」
「緊急事態だったんですから、人手が必要だっただけですよ。別に途中から面白くなって、どんどん増やしちゃったとかそういう理由じゃありません」
ホークアイのペン先が一瞬止まった。
誰もそこまでは聞いていない。
だが、わざわざ否定するということは、少なくとも途中でそういう発想が頭をよぎった可能性は高そうだった。ホークアイは何とも言えない顔をしながら、その発言も含めて書類へ記していく。
「……では、次に市街地の被害について確認します。現在把握されているだけでも、中央市街地の複数区画で建物が倒壊。道路の一部が消失し、中央司令部を含む軍施設にも大規模な損傷が出ています」
「そこはちゃんと分けてくださいね。全部私が壊したわけじゃありません。相手も相当派手な攻撃をしてましたから。私が壊した分なんて……」
ヘレシアは少し考え、指を折って何かを計算する。
「ちょっといろいろ割り引いて見積もったら半分くらいじゃないですか?」
ホークアイが返答に困ったように黙ったところで、会議室の扉が開いた。
大量の書類を抱えたヒューズ中佐が、肩で扉を押しながら入ってくる。
「いやあ、こっちも派手にやったな。被害報告だけで一冊の本が作れそうだぞ」
ヘレシアは救援でも来たように顔を上げた。
「ヒューズ中佐、ちょうどよかった。ちょっと手伝ってくれません? 私、どう考えても襲われた側なのに、なぜか朝からずっとこうやって責められてるんですよ」
「残念ながら俺もそっち側だ。今持ってるのも、お前さんたちが壊した施設の被害報告と復旧記録だからな」
ヒューズは机の端へ書類の束を置くと、軽く肩を回した。
ヘレシアはその山と、自分の前に積まれている書類を交互に見る。
「じゃあ、ついでに私の始末書も書いてくださいよ。どうせ内容は全部知ってるでしょう?」
「そこまで面倒を見る義理はない。自分で書け」
「冷たいですねえ。あんなに一緒に戦った仲なのに」
「俺はお前さんと一緒に戦った覚えはないぞ。気づいたら街中にお前さんが増えてただけだ」
そう言いながら、ヒューズは窓の外へ視線をやった。
中央司令部の周辺では、今も復旧作業が続いている。瓦礫を運ぶ者、崩れた建物を錬成で修復する者、負傷者の治療に走る者。そのどれもが同じ顔、同じ背格好の少女だった。
「……あれ、全部お前さんなんだろ?」
「そうですよ。役割ごとに分けて動かしてます。建築担当、治療担当、捜索担当、地下調査担当。この私は事情聴取担当ですね」
「便利なもんだな」
「でしょう? 一家に一人どころか、用途別に何人か欲しくなりません?」
ヒューズは少しだけ想像したらしく、すぐに首を振った。
「いや、遠慮しておく。家に帰ったら同じ顔が十人いるとか、普通に怖い」
ヘレシアが不満そうに口を尖らせたところで、再び扉が開いた。
今度入ってきたのはマスタングだった。地下の確認や各部署との調整を終えたばかりなのか、普段よりわずかに疲れた顔をしている。
「まだ終わっていないのか」
その一言に、ヘレシアは待ってましたとばかりに机の上を指さした。
「終わるわけないじゃないですか。見てくださいよ、この量。戦闘経過、被害報告、自己複製の記録、ホムンクルスの処置内容、人体錬成禁止令に抵触していないことの説明書……私一人に書かせる量じゃないでしょう?」
そこまで言ったところで、何か思いついたように目を輝かせる。
「言っておくが、事情聴取と報告書は一人でやってもらうからな」
「えー……酷いですよ」
すっかりやる気を失ったのか、ヘレシアは机の上に突っ伏した。
「もう疲れましたよ。私、襲われて、戦って、何百人か死んで、負傷者を治して、街を直して、地下を調べて、捕虜……じゃなかった鹵獲した機械の管理までしてるんですよ。それなのに最後は書類まで自分で書けって、働かせすぎじゃないですか?」
マスタングは椅子を引きながら、窓の外を歩き回る大量のヘレシアを一瞥した。
「そのうち大半は、今ここにいる君ではなく、別の君がやっていることだろう」
ヘレシアはすぐに顔を上げた。
「他の私も私ですよ。記憶もあとで統合しますし、最終的には全部私が経験したことになるんですから」
「都合のいい時だけ全員を同一人物として扱うな、そもそも増えるなと言っている」
ヘレシアは姿勢を戻し、今度は少しだけ真面目な声になった。
「でも私のおかげで助かった人も、結構いるでしょう?」
その言葉には、誰もすぐには返事をしなかった。
地下に潜んでいた存在は、軍の通常戦力だけで押さえ込めたかどうかも怪しいほど強力だった。
崩壊した建物から救出された市民。戦闘に巻き込まれ、本来なら助からなかったはずの重傷者。瓦礫の下から見つけ出された兵士たち。そして何より、地下で進められていた計画の存在すら知らないまま、より大きな災厄に巻き込まれていたかもしれない人々。
その被害を大幅に抑えたのがヘレシアであることも、同時に彼女自身がかなりの被害を増やしたことも、どちらも事実だった。
マスタングはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……それは否定しない。地下の連中を止め、市民や兵士を救助したことについては、君の功績だ。軍として正式に感謝する」
ヘレシアがぱっと顔を上げる。
「今の、もう一回言ってもらえます? せっかく軍から感謝されたんですし、褒賞として全国に『安全な人体錬成のやり方教室』を開く許可くらい――」
「調子に乗るな。君の責任についての調査が終わったわけではない」
そう言いながらも、マスタングの声には先ほどまでの呆れだけではないものが混じっていた。
彼は机の上に置かれた地下施設の図面へ目を落とす。
「それより問題は、あの地下だ。君の実験が何を壊したのかも含めて、徹底的に調べる必要がある。国土全体に繋がっているらしい錬成構造の話もある。偶然で片づけられる規模ではない」
ヘレシアもふざけるのをやめ、図面を覗き込んだ。
「私が確認した範囲でも、普通の研究施設じゃありません。セントラルだけで完結してなくて、地下の構造がかなり遠くまで伸びています。錬成反応を追った感じだと、アメストリス全体に何かしらの形で繋がっている可能性が高いですね」
その言葉を聞き、ヒューズも表情を引き締めた。
「国全体に錬成陣を仕込んでたってことか? だとしたら、あの連中は地下でこそこそ研究してただけじゃない。最初から国家そのものを使って何かやるつもりだったことになるぞ」
マスタングは地下へ続く扉を見る。
「何十年、あるいはそれ以上前からな」
しばらく沈黙が続いた。
あの地下施設がいつから存在していたのか。誰が、何のために作ったのか。軍の上層部がどこまで関与していたのか。
まだ分からないことの方が多い。ヘレシアはそんな空気を気にする様子もなく、椅子の背にもたれた。
「まあ、いいじゃないですか。それについては。でもやっぱり」
書類に向かいかけていたマスタングが、嫌な予感でもしたように顔を上げた。
「今回、人体錬成とかできる私がいてよかったですよね?」
マスタングの動きが止まった。
その反応を肯定と受け取ったのか、ヘレシアは嬉しそうに指を折り始める。
「怪我人はその場で治せたし、普通なら助からないような重傷者も戻せたでしょう? 敵の身体だってすぐ調べられたし……。こうして実際に役に立った以上、やっぱり人を錬金術で作ることそのものを全部危険物扱いするのは間違ってると思うんですよ」
「……つまり君は、今回の一件を人体錬成の規制緩和に利用したいと言っているのか?」
「利用って言い方は悪いですけど、実績ができたのは事実でしょう? 少なくとも医療目的の研究くらいは、もう少し自由にしても――」
「その話なら何度言っても却下だ。君は今回、有用性を示したかもしれないが、それ以上に『君のような錬金術を自由に扱わせると何が起こるか』も実演している」
ヘレシアは納得できないという顔をした。
そのやり取りを聞きながら書類を整理していたヒューズが、ふと手を止めた。
「……なあ、ロイ。今の話を聞いてて、俺ちょっと嫌なこと思いついたんだが」
マスタングは視線だけを向ける。
「奇遇だな。私も何を考えたのか、だいたい分かった気がする」
二人の視線が同時にヘレシアへ向いた。
「なんですか、その目。私、今かなり真面目な話をしてたんですけど」
ヒューズは椅子にもたれながら、慎重に言葉を選ぶ。
「地下にいた連中についてなんだがな。本当に、お前さんが行く前からあそこにいたんだよな? そこだけは念のため確認しておきたい」
ヘレシアが何度か瞬きをした。
「……どういう意味です?」
マスタングが代わりに説明する。
「君は以前から人体錬成の規制に不満を持っている。そして今回、ちょうど都合よく正体不明の敵が現れ、君の技術によって多数の人命が救われ、人体錬成の有用性まで証明された」
そこまで聞いて、ヘレシアの顔が徐々に引きつっていく。
「ちょっと待ってください。まさか――」
「そのまさかだ。あの連中を君自身が作り、自分で戦い、自分で街を壊し、自分で負傷者を治療したうえで、『ほら、人体錬成は必要でしょう』という結論に持っていくための自作自演ではないな?」
会議室が静まり返った。
ホークアイも、さすがにペンを止めてヘレシアを見る。
ヘレシアはしばらく絶句していたが、やがて椅子から身を乗り出した。
「ひどくないですか!? いくら私でも、規制緩和のためだけに国家規模の事件なんて起こしませんよ! そこまで信用ないんですか、私!」
「信用の問題ではなく、君なら技術的に可能そうなのが問題なんだ」
「技術的にできることと、実際にやることは別でしょう!」
「それを君の口から聞くことになるとは思わなかったな」
ヒューズが堪えきれず笑い出す。
「まあまあ。なら誓えるんだな? 本当にあいつらとは無関係だって」
「もちろん誓えますよ。私が作ったものでもないし、事前に存在を知ってたわけでもありません!」
マスタングの表情が一気に渋くなった。
「全く信用できん」
横でホークアイが再びペンを走らせ始めた。
ヘレシアはその動きに気づき、身を乗り出す。
「中尉、今の何を書いてるんです?」
「『本人はホムンクルスの製造、および一連の事件への事前関与を全面的に否定』と記録しています」
あまりにも事務的な言い方に、ヘレシアの顔が引きつる。
「なんで完全に容疑者の供述調書になってるんですか。私、被害者ですよね?」
「その点も含めて現在確認中です」
「ひどいなあ……」
机の上には、まだ大量の書類が残っている。
セントラルの長い一日は、どうやらまだ終わりそうになかった。
感想や高評価いただけると幸いです。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
少し短いですがこれにて本編は完結となります。今後、おまけをいくつか投稿するかもしれません。
この話は、数年前に「国家錬金術師の禁則を片っ端から破るやつがいたらどうなるんだろう」という思いつきから書き始めたものでした。
当初はもう少し原作に沿ってストーリーを展開するつもりだったのですが、ヘレシアを動かせば動かすほど、原作で起こるはずだった問題が片っ端から別方向に解決してしまい、これ以上まともに原作沿いで話を続けるのは不可能だと判断したため、この形に落ち着きました。
そもそも原作の設定がかなりしっかりしているので、そこに無理やり禁則を踏み倒す人間を放り込むと、あちこちからほつれが出てきます。それを全部拾って収拾をつけようとすると、今度はいつまで経っても話が終わらないので、このあたりがちょうどいい区切りかなと思っています。
正直、書き始めたときには、こんなに多くの方に読んでいただけるとは思っていませんでした。多くの感想や評価をいただき、本当に望外の喜びです。
原作の素晴らしい主題や、「等価交換」「禁忌」といった重たいテーマを盛大に別方向へ転がしてしまった作品ではありますが――
だいたい主人公が悪いので許してください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。