「――――ああ、もうこんな時間」
その夜。
無事に帰宅していたくれあは、勉強ノートから時計を見上げた。
「さすがに寝ないと・・・・」
ノートを閉じて、いそいそと寝支度を始める。
――――名前以外の、何もかもを忘れて。
このマンションで目覚めたのが、数か月前のこと。
足元がおぼつかないまま、果てしない濃霧に放り出された様な不安の中。
パティスリー・チュチュの店長に受け入れてもらえたのは、不幸中の幸いだっただろう。
(恩を返すためにも、たくさん頑張らないと・・・・!)
改めて気合を入れなおしながら、まずは明日の為にしっかり休むことにして。
静かに目を閉じた。
――――彼には、使命がある。
美しいものを、美しいままに保つ責務がある。
理解を求めるつもりはない、共感を求めるつもりはない。
元より、凡夫がこの崇高な理念を呑み込むことなど。
始めから期待などしていかなった。
一度は力及ばず断たれてしまったが・・・・。
「――――素晴らしい」
「君の手は、何人もの乙女達を救ってきたんだね」
やはり、天は己を見捨てはしなかった。
「まだまだ、この世の儚き者達を救う気があるのなら・・・・私と、来るかい?」
断わる理由など、始めから存在しない。
枷から解き放たれてすぐに、行動を開始した。
もう、何人も救ってきた。
――――そもそも。
乙女と言うものは実に儚い。
16という早いうちに盛りを迎え、それ以降はただただ老いていくだけの悲しい存在だ。
『それもまた良し』とする思想があるのも理解はするが、己は我慢がならなかった。
そして、今日もまた。
ごぼり、ごぼり。
『影』から伺う。
静かに寝息を立てている、今日の救済対象を。
間違いがあってはならない。
今年16になることは、きちんとリサーチ済みだ。
(大丈夫、大丈夫)
ごぼごぼ、ごぼごぼ。
『影』を広げていく。
ナマズの様な生き物を、食べたことで手に入れた『力』を。
存分に発揮していく。
「――――今、救ってあげるからね」
――――口を、塞ぐように。
くれあを、『影』の中へ引きずり込んだ。
「――――ッ!?」
寝入り始めたところに、呼吸もままならない場所に引き込まれたものだから。
くれあの眠気が、弾くように吹き飛ばされた。
何が起こっているのか、分からないまま。
とにかくなんとか浮上しようとするも。
「――――大丈夫だよ」
「ッ・・・・!」
怖気の奔る手つきで、体を撫でられて。
動きを阻害された。
・・・・誰か、いる。
自分を、ここに引き込んだ何者かが。
耳元に、生臭い息を吹き付けている・・・・!
(いやだ・・・・はなして・・・・!)
「ああ、ほら・・・・暴れない、暴れない」
藻掻けば藻掻く程、抗えば抗う程。
拘束は強固になっていく。
(だれか・・・・だれか・・・・!)
「ごぼッ・・・・!」
とうとう、大きく息を吐き出してしまったくれあ。
一気に意識が遠のき、視界が暗く閉ざされていく。
(たす・・・・け・・・・)
――――完全に。
ブラックアウトする直前。
誰かの顔が、見えた気がした。
(――――だれ?)
幻だと分からないまま、手を伸ばしたのを最後に。
蒼い光の中で、意識を手放す。
「――――ガアアアアアアアアアアッ!!!??」
――――彼が。
リサキジャが。
『影』から吹き飛ばされた。
「な、何故だ・・・・!?」
自分のテリトリーである『影』から、追い出された衝撃。
使命を邪魔された苛立ち。
何より、
「何故、妖精がここにいいいぃぃぃぃ!!!??」
アスファルトに投げ出された。
くれあの傍ら。
蒼く、ちいさな妖精が。
その体をめいいっぱい広げて、彼女を守らんと立っていた。
あの閃光が精いっぱいで、それ以上の戦う力など持たないのだろう。
震える足に、涙を溜めた瞳。
怖くて仕方ないのが、手に取る様に分かる。
「・・・・あっちいけでシュ」
それでも、そいつは逃げることなく。
「くれあには、手出しさせないでシュ・・・・!」
震える声で、くれあを必死に庇っていた。
「こ、この・・・・屑畜生めがアアァッ!!」
――――『崇高な使命』を。
こんなちっぽけな存在に邪魔されたのが。
よほど頭に来たのだろう。
先ほどまでの、比較的丁寧だった態度はどこへやら。
リサキジャは獣の様な咆哮を上げながら、妖精に飛び掛かって。
「――――させんッ!!」
――――くれあ達を囲む様に、突き刺さった。
無数の羽根に、たたらを踏まされる。
「オンキリキリッ!!」
「なぁっ!?ぐああああッ!!」
勢いを殺せないまま、展開された結界に頭から突っ込んでしまう。
「ああっ・・・・ぐうぅ・・・・!」
眼前に星を散らしながら、ふらつくリサキジャは。
懐に飛び込んで来たそいつに気付いてはいたが。
結局、防御も回避も取れないまま。
「――――ッ!!」
「ガッハァッ!?」
大也の回し蹴りを、もろにくらってしまった。
「モンド!」
「息はある、無事じゃ!」
「頼んだ!!」
言葉少なに、くれあの安否を確認した大也は。
「――――殺してやる」
怒りのままに、刀に手をかけて。
「ヒロヤ!待てッ!」
「ッ何や!?」
モンドの制止する声に、荒々しく返してしまう。
「そやつは人間だ!十手の方で相手しろ!!」
「ッソが!!」
「・・・・ハ、ハハッ!同心様は、随分とお優しいことだ!罪人を斬るなと仰せか!」
盛大に舌打ちしながらも、十手を抜き放つ大也。
それを見たリサキジャは、思いっきり嘲笑する。
「そんな体たらくだから、集団脱獄な、ボォッ!?」
言葉が、文字通り踏みつぶされた。
入念に鼻血ごと踏みにじられた後、再度蹴りを叩き込まれた。
吹っ飛ぶ前に頭を引っ掴み、腹に膝を突き刺す。
「――――十手なら、
「あ・・・・がッ・・・・!」
追い打ちとばかりに、横っ面を十手で殴り飛ばしてやると。
骨が砕ける感覚がした。
「あああああ・・・・!」
「・・・・痛かか?」
痛みにもんどりうつリサキジャへ。
一歩、一歩。
踏みしめるように。
大也はゆったりと迫る。
「痛かよな?あぁっ?」
「ひ・・・・ひっ・・・・!」
陣笠の下から、鋭く睨まれて。
リサキジャは情けなく尻を引きずって後退した。
「――――
足を踏み鳴らし、とうとう目の前にやってきた大也を。
震えながら見上げて。
「――――馬鹿がッ」
「・・・・ッ!?」
獰猛な笑みを浮かべて、能力を発動させる。
抵抗する間もなく、ドボン、と『影』に呑み込まれる大也。
「この影の中は水と同じ抵抗だ!!その十手で、俺に打撃を与えられるかな!?」
相手の言葉を受け、試しに動いてみると。
確かに、水の中と同じような感覚だ。
打撃の威力は、望み薄だろう。
「ハハハッ!お返しだ!!」
「ぐ・・・・!」
対する相手は、自在に動けるらしい。
まるで空を飛ぶように動いて接近したリサキジャは。
大也の懐へ急接近して、右ストレート。
怯んだところへ掴みかかって、首を締め上げる。
「さっきはよくもやってくれたなぁ・・・・!」
「・・・・っ」
ただでさえままならない呼吸が、さらに遮られて。
流石に苦悶の表情になる大也だったが。
しかし、おもむろに十手を手放すと同時に、刀に手をかけて。
リサキジャの手首を、深く斬りつけた。
「なぁっ・・・・!?」
まさか、反撃の余力があるとは思わなかったのだろう。
流れ出る血を見て、驚愕の表情を浮かべるリサキジャを嘲笑いながら。
隙を突いて、今度は首を斬りつけてやる。
「が、ぁ・・・・!?」
重ねた反撃に動揺するリサキジャ。
狼狽えている間にも、血はだくだく流れ出ている。
・・・・このままでは。
大也が窒息する前に、リサキジャが死ぬ。
『影』の中にいようと、いるまいと、だ。
「う、ぐ・・・・!」
どれほど『崇高な理念』を持とうが、死の恐怖に耐えられるかと言えば。
答えは、否だ。
さしもの連続殺人鬼であっても、それほどの精神性は持ち合わせていなかった。
「く、クソッ!!」
助かる方法は、一つだけ。
大也の持つ、同心妖精の十手の力で。
監獄に送還されることだけ。
「・・・・ッ」
何もかもを見越してのことだろう。
目の前の大也は、獰猛に笑っている。
「ぐ、ぐ・・・・ぎぎぎ・・・・!!」
多量の出血、遠のく意識、迫り来る死。
立て続けにやってきた危機を前に、追い詰められたリサキジャは。
最終的に、能力を解除した。
「――――っは!!」
解放された大也は、思い切り息を吸い込んですぐに。
転がっていた十手を拾い上げる。
そして、リサキジャに飛び掛かって。
「オラァッ!!」
「ギッ・・・・!」
柄で、脳天をかち割ると同時に。
『送還』と書かれた刻印が刻まれた。
「が・・・・ぐおお・・・・!」
送還の光の中、文字通り頭を抱えてもんどり打つリサキジャに。
ふと、黙って歩み寄った大也。
見せつけるように、片足を振り上げると。
「――――ふんっ!!」
躊躇なく。
股間を踏みつけた。
「――――ヒロヤ」
「モンド」
悲鳴を上げることなく、監獄に送還されたリサキジャを見送っている大也に。
渋い顔をしたモンドが歩み寄る。
「ようやったが・・・・やりすぎじゃ」
「・・・・」
小言を言われた大也は、バツの悪そうに目を逸らすのみ。
反省はしているようだが、納得のいっていない彼の態度に。
モンドがため息を禁じ得なかった。
「――――あの」
「おお、お主」
そこへ、もう一人。
いや、一匹歩み寄ってくる。
くれあを庇っていた妖精だ。
「ありがとうございまシュ・・・・お陰で、くれあは無事でシュ」
「良い良い、人を
「いつも美味そうに食ってるもんな、チュチュのケーキ」
「お主もな」
すっかり胃袋を掴まれている野郎二人を見て、妖精は微笑まし気にくすくす笑う。
「迷惑ついでで、申し訳ないでシュが・・・・くれあをお部屋に戻したいでシュ」
「おお、そうじゃな、このまま寝かしとくわけにもいくまい」
それから、気を取り直してくれあを部屋に運び込むことになった。
妖精の案内で、鍵を開けてもらったベランダから室内へ。
依然、気を失ったままのくれあをベッドに寝かせる。
「・・・・す・・・・っ」
つい先ほどまで襲われていたことなど、忘れてしまった様に。
静かに寝息を立てるくれあ。
「お主、名は?何故くれあ殿と共に?」
「シュシュタンは、シュシュタンでシュ。知識の妖精でシュ・・・・どうして、くれあといるかは・・・・」
その寝顔をしばし見下ろして、大也が安堵している後ろで、モンドが最もな質問を妖精に投げかけると。
対する妖精、『シュシュタン』は。
名乗りこそしてくれたものの。
それっきり、口をつぐんでしまった。
「ああ、言えぬならそれでも良い・・・・事情は、それぞれじゃ」
「・・・・ありがとうでシュ、あんまり言えなくて・・・・助けてもらったのに、ごめんなさいでシュ」
事情があると察したモンドの言葉に、シュシュタンは深々と頭を下げる。
「・・・・こちらも、礼を言わんばならん」
「シュ?」
会話が一段落したところで。
大也もまた、口を開いた。
「お前が守ってくれたから、俺達が間に合った・・・・ありがとう」
「・・・・シュシュ~」
そうやって、頭を下げると。
シュシュタンは、照れくさそうに尻尾を揺らしたのだった。
「――――あ、いらっしゃいませ!」
――――翌日。
パティスリー・チュチュ。
いつものように大也が店を訪れると、くれあがいつもと変わらぬ笑顔で出迎えてくれる。
営業スマイルであることを踏まえても、変わらぬ様子にほっとしながら。
今日はいつものチョコレートケーキを注文し、席に着く。
「中村さん、昨日はありがとうございました」
「ただ一緒に歩いただけですよ・・・・その後は?」
「ええ、特に何とも・・・・と、言いたいんですけど」
ケーキを持ってきてくれた彼女に、それとなく調子を伺ってみると。
くれあは、苦笑いを零す。
「昨日、誰かに引きずり込まれて、溺れかけちゃう夢を見ちゃって・・・・」
「・・・・それは、災難でしたね」
「はい、疲れてたのかも・・・・」
心当りしかない夢の内容に、大也が改めてリサキジャへ殺意を抱いていると。
『ああ、でも』と、くれあは明るい声を取り戻して。
「誰かが助けてくれたんですよ」
「・・・・ほう?」
「残念ながら、『青かった』ってことしか、覚えていないんですけど・・・・でも、何だか安心したんですよね」
・・・・そう言って。
守ってくれた誰かを想いながら。
くれあは、空になったお盆を抱きしめた。
「って、嫌だわ。お客様にこんなお話」
「いえいえ・・・・いつも美味しいケーキ、ありがとうございます」
「ふふっ、ごゆっくり」
一礼して、去っていく彼女の後ろ。
長い髪を、作業の邪魔にならないようまとめたシュシュが。
確かな意志を持って、ふわりと光を灯したのが見えて。
大也は一人、静かに微笑んだ。
おまけ
リサキジャ
『16歳の少女』に執着するシリアルキラー。
妖精を喰らうことで奪った、『影』を操る能力を持つ。
純潔を汚したうえで殺すという、尊厳を蹂躙する残虐な方法で。
何人もの犠牲者を出していた。
モチーフは『切り裂きジャック』と『沼鬼(鬼滅の刃)』
ナマズの姿をした妖精
影の中を自在に泳ぎ回る能力を持っていた、いたずら好きの妖精。
暗がりからにゅっと顔を出して、びっくりさせるのが大好きだった。
ある日脅かした人間が、キチガイだったばっかりに・・・・。