放課後のAクラスの教室は、早くもいくつかの派閥に分かれつつあった。
葛城康平を中心とした規律を重んじるグループが今後の対策を話し合う中、皇ライは一人、席に座ったまま手元の端末を眺めていた。この学校独自の「プライベートポイント」の規約を読み込み、システムの抜け穴や減点対象になり得る行動を精査するためだ。
そこへ、規則的ながらもどこか独特なリズムの音が近づいてきた。コツ、コツ、と静かに床を叩くのは、白い木製の杖。ライが顔を上げると、そこには不敵な、しかし酷く愛らしい笑みを浮かべた少女が立っていた。ライの銀髪とは似て非なる色素の薄い髪に、人形のように整った容姿。彼女こそが、Aクラスのもう一人の中心人物であり、天才と称される坂柳有栖だった。
「初めまして、皇君。少しお話ししてもよろしいかしら?」
鈴が鳴るような声だった。しかし、その奥には明確に他人を観察し、品定めするような冷徹な光が宿っている。ライは端末をポケットに収めると、前世で数々の王族や曲者を相手にしてきた時と同じように、ごく自然で穏やかな微笑みを返した。
「ああ、構わないよ。坂柳さん、だよね。葛城君から名前は聞いているよ」
「あら、あの堅物な彼が私の話を。……ふふ、それにしても驚きました。私の視線を前にして、これほど呼吸一つ乱さない方は、この学年では二人目です」
坂柳の言葉に、ライは内心で小さく眉を動かした。二人目。つまり、自分と同じように彼女の威圧や観察を物ともしない人間が、他にいるということだ。Dクラスのあの目立たない少年だろうか、とライの明晰な頭脳は瞬時に候補を絞り込んでいく。坂柳は、ライの正面の席にゆっくりと腰掛けた。杖を傍らに立てかけ、じっとライの顔を覗き込む。
「皇君。貴方の入学試験の成績、そして面接での評価を拝見しました。非の打ち所がない、完璧な数字でした。ですが……」
そこで彼女は一旦言葉を区切て微笑み、話を続けた。
「私の知る『天才』の系譜とは、どうにも毛色が違う。まるで、すでに人生を何周も終えて、全ての答えを知っているかのような、奇妙な老獪さを感じるのです」
その鋭い指摘に、ライの心臓が一瞬だけ跳ねそうになった。前世の記憶。自分がこの世界とは異なる凄惨な戦場を生き抜き、世界の変革を間近で見てきたこと。それを彼女は、本能的な直感だけで見抜こうとしている。だが、ライは決して動揺を表に出さなかった。ただ困ったように眉を下げて、年相応の苦笑いを浮かべてみせる。
「買い被りすぎだよ。僕はただ、人より少し落ち着いているだけさ。期待に応えられるような、面白い秘密なんて何もないよ」
「お上手ですこと」
坂柳は細い指先を顎に当て、楽しげに目を細めた。
「ですが、隠しきれていませんね。貴方のその均整の取れた体躯、そして先ほど廊下で生徒とすれ違った際の、無駄のない重心の移動。貴方はただの頭脳明晰な生徒ではない。高度な戦闘訓練、あるいはそれに準ずる死線を潜り抜けてきたのではないかしら?」
ライは静かに息を吸った。前世の経験から引き継がれた身体能力と反射神経。それは無意識のうちに彼の挙動に現れてしまっていたらしい。ギアスという絶対遵守の力がなくとも、磨き上げられた肉体と経験は、坂柳のような観察眼の塊には格好の違和感として映るのだ。
「……この学校は実力至上主義なんだろう? だったら、僕にどんな過去や技術があろうと、クラスの利益になるなら問題ないはずだ」
ライの言葉は、否定でも肯定でもなかった。しかし、その声に宿る絶対的な安定感は、坂柳の探求心をさらに刺激するには十分だった。
「ええ、もちろん。文句はありません。私はただ、退屈なこの学校で、私を楽しませてくれる本物の『天才』を探しているだけ。貴方が葛城くんのような凡人の神輿に担がれるのか、それとも私と共に歩むのか。あるいは、私と敵対するのか……ふふっ、今からとても楽しみです」
坂柳は杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。去り際、彼女はライの耳元に顔を近づけ、囁くように言葉を残す。
「皇君。貴方が何者であれ、このクラスを率いるのは私です。それを忘れないでくださいね」
コン、と一度だけ杖が床を鳴らし、彼女は教室を去っていった。一人残されたライは、彼女の後ろ姿を見送りながら、小さく息を吐き出す。
(坂柳有栖……底が知れない女の子だ。だけど、僕の過去に触れさせない。この新しい人生は、僕だけのものだから)
ライにとって二度目の世界。そこに待ち受ける智略の嵐は、かつての世界での戦いにも劣らない熱を帯び始めている。ライは窓の外の青空を見上げながら、心地よい緊張感に唇の端を少しだけ吊り上げるのだった。