一通りの情報交換が終わり、部屋の中に一時の静寂が訪れた。異なる歴史の断片を突き合わせ、お互いが進むはずのなかった未来の交差点に立っていることを理解した二人は、押し寄せる情報の重流に息をつく。
「ひとまず今日は休みましょう。色々あって疲れたでしょうし、この部屋のベッドで……」
ユーリアが労いの言葉をかけながら、部屋の奥にあるベッドの方へ目を向けた瞬間、彼女の思考は完全に停止した。そこには、学院の生徒である彼女が普段使っている一人用のベッドしかなかった。一応、二人が横になれるだけの幅はあるものの、けっして余裕があるわけではない。そして他にあるものといえば、今日の授業が始まる前、まだ見ぬ使い魔のためにあらかじめ部屋の隅に用意しておいた、簡素な藁の寝床だけだった。
ラウンズであり恋焦がれたライを、よりにもよって藁のベッドに寝かせる……それだけは何としても阻止しなければと脳内が爆発を起こしたように錯乱したユーリアは、クールな仮面をかなぐり捨てて叫び出した。
「ラ、ライ様はベッドをお使いください!私はあちらの藁で寝ますので!」
「えっ? いや、流石にそれは頷けないよ。僕が藁で寝るに決まっているじゃないか」
突然の提案に驚きながらも、ライは当然のように首を振った。だが、ユーリアの忠誠心と動揺はそんなことで収まるはずもなかった。
「嫌ですよ!! ラウンズであった貴方様にそのような無礼な真似を働くなど、天地がひっくり返っても出来ません!」
「女の子を藁に寝かせて、自分だけベッドで眠るなんて恥知らずな真似、僕に出来る訳ないだろう?それに僕は君の『使い魔』というものになったんだから尚更だよ」
ライも負けじと、困ったように笑いながらも一歩も引かない構えを見せる。お互いの譲れない矜持がぶつかり合い、会話は完全に平行線をたどっていった。時間が経つにつれ、部屋の空気はますます気まずく、そして妙な熱を帯びていく。ついに痺れを切らしたユーリアは、顔を真っ赤に染め、俯きながら消え入るような声で口にした。
「じゃ、じゃあ……一緒に、寝ますか……? ベッドで」
まさかの提案に、今度はライが「え……?」と本気で困惑の表情を浮かべた。そんなライの視線から逃げるように、ユーリアは早口で言葉を重ねる。
「今はこれ以外に方法はありません。それに、ライ様なら私は心から信頼できますし……」
ユーリアはそこまで言って、自身の胸の内で「別にライ様になら、何をされても良いのだけれど」という、およそかつての軍人らしからぬ不埒な本音をひた隠しにした。必死に理性を保とうと、渋るライに対してさらに語気を強める。
「こ、これが私が現時点で出来る最大限の提案です! もしこれを受け入れられないというのなら、私は無理矢理にでも藁で寝ます!」
きつく両目を閉じ、湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして言い放つユーリア。そのあまりの剣幕と、頑ななまでの決意に、ライもとうとう降参せざるを得なかった。
「分かったよ。ユーリアの提案を受け入れる。でも、今後もし少しでも嫌になったり、窮屈だと思ったら、遠慮せずにきちんと話すようにしてほしい」
ライが苦笑混じりに、しかし優しくそう告げると、ユーリアの身体が条件反射のように反応した。ライの言葉を主君からの「命令」として受け取った彼女は、瞬時に背筋をピンと伸ばす。
「イエス・マイロード!」
ハルケギニアの学生服を着ているにもかかわらず、その動きはあまりにも洗練されていた。前世の、神聖ブリタニア帝国軍人としての記憶が肉体に刻み込まれているかのような、見事なブリタニア式の敬礼だった。それを見たライは、可笑しそうに、そしてどこか懐かしそうに微笑むのだった。
敬礼を綺麗に決めたユーリアを見つめながら、ライは少し表情を引き締め、今後この世界で生活していく上で最も重要となる取り決めを切り出した。
「ところでユーリア。今後について、一つだけどうしても約束してほしいことがあるんだ。君の、僕に対するその態度についてなんだけど」
「な、何か無礼な振る舞いでもしてしまったでしょうか……?」
ライの真剣な声音に、ユーリアは先ほどまでの赤ら顔から一転して青ざめ、目に見えて狼狽した。己の不手際で主君の不興を買ってしまったのではないかと焦る彼女に、ライは穏やかに首を振って微笑みかけた。
「いや、むしろ逆だよ。僕は君の使い魔としてこの世界に召喚されたんだ。だから、周りに人がいるときもそうやって畏まられると、不自然だし怪しまれてしまう」
「それは……確かに、そうかもしれませんが……」
「それにね」と、ライは少しだけ視線を落とし、はにかむように苦笑した。
「僕にとっては殿下の親衛隊だった頃、同僚として、そして友人のように対等に接してくれた君のほうが馴染みがあるんだ。今の君みたいに、僕に対してあまりに畏まられすぎると……なんだか遠くにいってしまったみたいで、少し寂しいんだ」
「ライ様が、寂しい……?」
胸を突かれるような思いだった。まさか自分の忠誠心が、大好きな主の心を曇らせていたなんて思いもしなかった。ユーリアは必死に自身の記憶を探り、ラウンズになる前――まだ同じ親衛隊員として、彼の隣に並んで戦っていた頃の感覚を呼び覚まそうとした。激しく高鳴る鼓動を抑え、喉まで出かかった「ライ様」という敬称をぐっと飲み込む。ユーリアは顔を真っ赤に染めながら、かつての声音をなぞるように口を開いた。
「こ、これで良いかしら……? ライ」
精一杯の強気と、どこか気恥ずかしさが混ざったその呼びかけに、ライはどこか嬉しそうに目を細めて笑った。
「うん。まだ少しぎこちないけれど、まあその調子で頼むよ」
「う、上手くできていたかしら。それなら良かったわ。……でも、周りに見せつけるための練習が必要ね。ライ、これから少し私の主人としての振る舞いに付き合いなさい」
「いいよ。じゃあ、まずはルイズたちの前でどう声をかけるかの練習から始めようか」
それから二人は、この魔法学院での日常を乗り切るため、主人と使い魔としての掛け合いをいくつか熱心に練習した。ユーリアは必死にクールな「主人」としての態度を取り繕い、ライもそれに合わせて忠実な使い魔の演技を返していく。しかし、前世で一度失ったはずの最愛の人がすぐ目の前にいて、自分を「主人」と呼んでいるのだ。その事実がもたらす破壊力は、ユーリアの理性を容易く削り取っていった。クールに振る舞おうとすればするほど、胸の奥の恋慕と緊張が限界を迎え、ついに彼女は両手で顔を覆って叫んでしまった。
「や、やはり二人きりの時だけはご容赦ください! 私の心臓が持ちません……! 他に人がいるときは善処しますから……!」
指の隙間から覗く肌まで真っ赤にして慌てふためく彼女の姿に、ライはこらえきれずに吹き出した。その笑い声は優しく、彼女の緊張をきれいに解きほぐしていく。
「……分かった。そこは君のやりやすいように任せるよ、ユーリア」
こうして、二人の奇妙で愛おしい異世界生活のルールが決まった。これ以降、ユーリアは他人の目がある場所では、かつてライの同僚として、そしてこの世界の周囲の学生に対して取っているような、理知的でクールなお嬢様としての態度でライに接した。しかし、ひとたび扉を閉めて二人きりになると、彼の副官として、そして一人の少女として、心からの敬意と親愛を込めた従者の態度へと戻るのだった。
やがて日も暮れ就寝時間となった後……狭いベッドで互いの体温を感じながら、交差した世界線の先にある新たな明日へ向けて、二人は静かに目を閉じた。