3、
怪物は野原をのっしのっしと歩いては立ち止まり、うずくまったり足元の草花に触れてみたりと残されたものを逐一確認していた。
それを見るぼくとは、墓標群の向こうで未だ地面に転がっている人々と比べて何と幸運なのだろう。
そう、怪物は、最初はぼくに牙をむいた。
しかし、すぐに口を閉じてその場で突っ伏したのである。
あれはいったい何だったのか、と何度も考えては挫折する。
ぼくは怪物ではないし、怪物とは別の存在だからわからないのも当然だけれど、どうも落ち着かない。
何故なら、ぼくはそれを理解するべきだと思ったからだ。
それに、また、どうして? と更に問われたら答えられない。
そんな堂々巡りで悶々としているうちに思考は霧散し、曖昧になる。
ぼくはいつしか墓石にもたれかけ、怪物の観察をはじめた。
こうして見ていると怪物の行動はまるで子供みたいだ。
彼は地に手を這わせ、物を発見しては掴み取り、愛おしげに撫でる。
心なしか口元も笑っているように見えた。
これで周囲がまともで、あいつの外見がもう少し可愛ければ微笑ましい光景なのに。
そこでぼくは人々の死骸を思い浮かべて、思わず自分の身を抱いた。
何が怖くなったかって、人が大勢死んでいるのに、その人たちを殺した張本人に変な感情を抱いているからだ。
ここがまともでないのは、あいつがあの人たちを殺したから。周囲がまともじゃないのは、あいつのせい。あいつが可愛くないのは外見のせいではなく、人殺しだからだ。
「ありえないだろう、微笑ましいって……」
ぼくが額を抑えて溜息をついたところ、怪物が身を震わせた。
脈拍が跳ね上がる。
「アー」
と怪物はこちらを振り返り、ぼくのほうへ向かってきた。
その口元は相変わらず笑みの形だったものの、大量のよだれと鋭い牙を覗かせている。
危ない、今度こそ喰われる。そう思って逃げようとしても腰が抜けて動けない。
しかし心配するだけ無駄だったらしい。怪物はぼくの隣に座りこむと、その大きな顔を近づけ、じゃれついてきた。
先ほどと同様に、ぼくの手や足を撫でまわしている。
「ア、ア、ア、ア、アー」
それが赤ん坊の声にあんまり似ているので、ぼくからしてみれば、まるで親にでもなったような気分だ。そうしてぼくはまたも自分の思考回路に驚く。
4、
ぼくは彼女と夕食を食べた後、バルコニーへ出た。
夜になった途端に風が勢いを増し、手すりがきぃきぃと軋む音をたてている。
この屋敷も古いから、支柱が腐っているのかもしれない。
そろそろ立て替える時期かな、とぼんやり考えていると洗い物を終えた彼女がやってきた。
危ないよ、と言おうとしたけれど、それより前に黒の華奢なパンプスが木肌を鳴らす。
「今夜は星が綺麗ね!」
彼女はそう言って、口角をきゅっとあげた。その横に出来るえくぼが彼女をいつもより幼く見せる。
いや、本来ならば歳相応と言った方が正しいのだろうが、普段は大人びているので、このような表情を見慣れていないせいかどうも違和感を禁じえない。
「そうだね。月もよく見えるし、下の街も月光に照らされて綺麗だ……。住んでいる人たちもぼくたちと同じように、あの月を見ているんだろうか」
そこまで言って、彼女が蒼白になっているのに気付いた。紅い唇がかたかたと震えている。
「街に出たい、と思っているの?」
黒曜石のような瞳がきらきら光り、ぼくの姿を揺らす。瞬時に自分の失言を悔いる。
「そんなことはないよ。よく見えるね、ってだけだよ」
そうだ、ぼくらは……二人でいるために全てを捨ててここまで来たのだから。
それだから、二人以外のものに関心を持ってはいけないのだ。
それがここに来るまでに二人で決めた約束。
彼女はぼくの言葉を信じきれないのか、俯いて顔を両手で覆っていた。
夜の空気よりも冷たい沈黙、そしてその空気を振動させるか細い嗚咽。
全てがぼくを責め立てる。胸がきゅううと締め付けられ、罪悪感で胸が詰まる。
そのかすかに上下する華奢な肩に手を置いた。
「心配しないで。どんなことがあっても、ぼくは君を置いていったりしないから」
心の底から、そう思っていた。
二人が離れることは絶対にないのだと。
今後も全てを遮断した世界で互いだけを見つめながら生きていくのだと。
ぼくは本気でそう考えていた。
そうして彼女もそれを信じていた。
だからこそ彼女は顔を挙げて、ぼくを見上げ、儚い微笑を浮かべたのだ。
それは、今でもぼくの脳裏にこびりついて離れない。