9、
化物は殺さなきゃ。ぼくを傷つけるものは消さなきゃ。
その一心でぼくは枯れ木を振りおろした。
ばき、と音がする。
折れたのは、枯れ木……だけじゃない。きっと、あいつの骨も。
ああ、化物なのに骨があるんだ?
「じゃあ、血もあるの? 化物のくせに」
ぼくが振り下ろした枯れ木はいつのまにかナイフと化していた。
あいつは動かず、ひゅうひゅうと醜い呼吸音をさせているのみ。
まるで、ぼくに刺されるのを待っているかのよう。だからぼくは全く躊躇わずに化物の背を刺した。
地を這うような慟哭が響いた。
「この血は誰のもの? お前の血? それとも食い殺した奴らの血?」
二度、三度。何度も何度も。ぼくは化物を切り刻んだ。
その度に手は血で汚れ、全身に飛沫が飛び散った。
周囲を生温かい空気が包んだ。
「化物のくせにどうして血が紅いんだ?」
その問いかけに化物が答えられない、とぼくは知っていた。
だからこその問いだった。
ぼくは、気が済むまで化物の肌にナイフをめり込ませた。
どうしてか、って? だって、この間は化物はぼくの思うとおりになるんだもの。
そのときを少しでも長く感じたい、当たり前のことじゃないか。
こいつはぼくを裏切ったんだ。裏切ったんだ。裏切ったんだ。
ぼくの純粋な好意を欺いて、澄ました顔でいかにも純粋無垢なように振る舞った。
ぼくはただ信じていただけだったのに、それさえ否定してのけた。
それだけで充分、罰を与える理由にはなる。
それにさらに付け加えるなら、「全てなかったことに」することができる。
ぼくは化物なんて愛してはいなかった。化物のことなんて信じてはいなかった。他の人々の死を悲しんでいないだなんて、そんなことは嘘。悲しいから、こうやって復讐をしていることにできる。
そう、ぼくは何も知らなかった。
だから、ぼくは悪くない。ぼくは正しい。ぼくが正義。ぼくが全て。
ぼくは過去を塗り替え、今ある事実を作りかえることができる。
これから、新しい世界を作ることだってできる。全て忘れて。
ぼくには、その権利がある。この胸の痛みがある限り。
10、
「待って。違うの」
ぼくはナイフを握りしめて彼女に近づく。彼女はテーブルの向こう側で後ずさりする。
「わたし、あなたのことが好きで。大好きで。だから、邪魔ものは嫌いで」
その黒曜石の瞳から涙が溢れる。
ああ、あんなにも美しかった瞳が濁っていく。
涙の向こう側で、黒い瞳孔が収縮する。まるで白痴にでもなったかのように、意思を伴わぬ瞳。
彼女は馬鹿みたいに大声を張り上げる。
それは酷く甲高く、ぼくの耳をつんざく。
「だから、だからね。殺したの。ね、わたし、あなたを裏切ってなんかない」
ばん、ばん、とテーブルを叩く。その手が滑稽に宙を舞う。
これから演説でもする気か? 彼女は引きつった顔で無理に笑う。
目を細め、その瞳の端から涙がつたう。
「だって二人で生きていこう、って言ったじゃない。二人だけで生きていくなら、こんな人たち、いらないでしょ? いらないものは始末しなきゃ! わたし、間違ったこと言ってる?」
もう一度、彼女はテーブルを叩いた。
瞬間、顔から笑みがかき消える。
「言ってない! 言ってないよね! だから、許してくれるんでしょ?」
必死な形相で黒髪を振りみだす。
頬に髪の一房が張り付き、それを白い歯で噛んでいる。かち、かち、と変な音が鳴る。
テーブルもかたかた鳴る。
ぼくは一歩踏み出す。
ナイフの切っ先を彼女に突き付けた。
ひっ、と白い咽喉から小さな悲鳴が漏れる。
「……ぼくが愛したのは」
ぼくは、また一歩進む。
進む度に手足が冷えていく。それは徐々に全身へひろがり、心をも凍らせていく。
そこに温もりなどかけらも残ってはいない。
「狂った殺人鬼なんかじゃない。ぼくが愛したのは綺麗で、可愛くて、ぼくの世話を焼いてくれるけどどこか放っておけない、そんな女性だよ」
靴音がいやに響く。冷酷に、一定のリズムで。
刻一刻とそのときに近づいていく。
「お前は違う」
ぼくは彼女のすぐ傍で身を屈めた。ナイフを持つ手の力が強まる。
「お前なんていらない。いらないものは、始末しなきゃ」