佐倉の従兄弟に転生した 作:メガラティアス
翌日から、高度育成高等学校での本格的な授業が始まった。
最初の数日こそ、10万ポイントという大金への高揚感と新生活の緊張感から、クラスの誰もが真面目にノートを取っていた。しかし、日が経つにつれて教室にはどこか緩んだ空気が漂い始めていた。
教師側も特に生徒を指して答えさせるようなことはせず、ただ淡々と黒板に向かって授業を進めていく。そのせいか私語こそほとんどないものの、午後の授業ともなると次第に多くの生徒が舟を漕ぎ始めていた。
(まあ……普通のそこらの中学生くらいの感覚だな)
ギリギリで意識を保ちつつも、重い瞼と格闘している生徒が大半といったところだ。幸いにも、あからさまに突っ伏して爆睡している奴はまだ見当たらず、私語やスマホいじりがないだけ、原作のDクラスに比べれば遥かにマシな状態と言える。
ふと教室の奥に目をやると、龍園は意外にも行儀よく(あるいは退屈そうに)席に座り、普通に授業を受けていた。彼なりに学校の様子を観察し、状況を見定めている最中なのだろう。
やがてキーンコーンカーンコーンと終業を告げるチャイムが鳴り、教師が教室内から退出していった。直後、前方の席から幸村が眉間にシワを寄せながら俺の席へと歩み寄ってきた。
「佐倉……なんか緩くないか、この学校の授業は」
真面目な幸村にとっては、この緊張感の欠けた教室の雰囲気がどうにも許せないらしい。
俺はそんな幸村に対し、言葉で返さずに黙って教室の後方上部——壁の隅に取り付けられた一台の機器を指さした。
「なんだあのカメラ……いじめ防止の監視用か?」
「いや、授業態度をリアルタイムで撮影して評価しているんだと思う」
俺が静かに告げると、幸村は眼鏡の奥の目をわずかに見開いた。
「まあ、幸村はそのままでいてくれればいい。お前みたいな真面目な奴が評価を下げることはないからな。……ただ、このままだとクラス全体がマズいのは確かだ。俺は今日の放課後から、クラスが手遅れになる前に一つずつ仕掛けようと思ってる」
「……仕掛けるだと?」
まだ眠たそうに欠伸を噛み殺しているメンバーたちや、すでに机に足を投げ出している金髪の不良グループへと視線を送る俺。幸村は訝しげな視線を俺と不良組の間に往復させ、俺が一体何を企んでいるのかを探るように眉をひそめていた。
その日の放課後。ホームルームが終わると、俺やひよりの席の周りに愛里と波瑠加、そして明人が集まってきた。
「よ、陽斗。部活でも見に行かないか?」
「いいね〜。陽斗が入るなら私、マネージャーやってあげる」
明人の誘いに乗っかるように、波瑠加が俺の顔を覗き込みながらいたずらっぽく微笑む。だが、俺は申し訳なさそうに首を振った。
「いや、すまん。今日はちょっとやることがあるんだ。だから明人、女子たちを頼めるか?」
「ん? 別にいいけど……何かあるのか?」
首を傾げる明人に対し、俺は「少しな……」とだけ返し、わざとらしく教室内へ視線を泳がせた。俺の視線の先には、鋭い眼光でこちらを睨みつけている数人の男子生徒たちの姿があった。
この時、俺は背後で明人や波瑠加、愛里、そしてひよりが不審そうに俺の様子を見つめていることーー
——さらには教室の奥から龍園が、観察力の高い目でその一連のやり取りをじっと見定めていたことに気付いていなかった。
放課後、校舎の陰になり、監視カメラの死角となっている学校裏。
冷たい風が吹き抜けるその場所にひとり佇み、俺は目的の人物たちが現れるのを待っていた。間もなくして、足音と共にガタイのいい男子生徒たちがゾロゾロと姿を現す。
いわゆるクラスの不良組。その数、実に8人。
「全員来てくれたみたいだな」
「けっ……昼休みにわざわざ時間潰してまで、俺たち全員に学校裏で話があるって呼び出したのはてめえだろ、佐倉」
「俺たちに何の用だ?」
「用件次第じゃ、ただじゃ置かねえぞ」
俺を取り囲むように立ち塞がり、不機嫌そうに拳を握りしめながら睨みつけてくる面々。圧迫感のある巨躯と荒々しい雰囲気が空気を重く湿らせるが、俺は内心緊張しながらも眉ひとつ一切動かさずに彼らを見据えた。
「用件はひとつだ。この1ヶ月の間……5月になるまで授業をちゃんと受けろ。当然、居眠りも禁止だ。しっかりノートを取って真面目に授業を聞け。それが俺の頼みであり、用件だ」
一瞬の静寂。
俺の口から飛び出したあまりにも意外すぎる言葉を理解した瞬間、不良たちは顔を見合わせ、腹を抱えて不気味に笑い始めた。
「ハッ! ギャハハハ! なにマジな顔して言ってんだコイツ!?」
「何様のつもりだてめえ……? なんで俺たちが、てめえみたいなガリ勉の指示に従わなきゃならねえんだよ」
「舐めてると殺すぞ、佐倉」
「聞く必要すら感じねえな。時間の無駄だったわ」
嘲笑は瞬く間に殺意を孕んだ威嚇へと変わり、8人の凶暴な視線が一斉に俺へと注がれた。激しい威圧感が校舎裏の空気を支配する中、俺は静かに拳を握り直し、腹を括るように息を吐き出した。
監視カメラのない校舎裏。
吹き抜ける冷たい風が、張り詰めた緊張感をさらに研ぎ澄ませていく。俺は体内を巡る鼓動の早まりを押し殺し、冷徹なまでに冷静な思考を維持しながら、静かに言葉を紡いだ。
「そうか。ならこうしよう——お前たちの得意分野(喧嘩)で勝負してやる。俺に勝てたら、俺の言うことなんて無視してくれて構わない」
俺の提示した予想外の提案に、不良たちは一瞬あっけにとられたような顔を見せたが、すぐに侮蔑を混じえた嘲笑へと変わった。
「はっ、急にビビり散らかしてんのか? 言うこと聞かせるつもりなら、てめえが負けた時はプライベートポイントを俺たち全員に寄越せや。それで手を打ってやる」
「……分かった」
「ほう、マジで舐めてんな、お前……」
「分からせてやろうぜ。まずは俺から相手してやるよ!」
舌を鳴らしながら真っ先に踏み出してきたのは小宮だ。鋭い眼光で俺を射抜く。流石に場数を踏んでいるだけあって、本気になった時の醸し出す威圧感と間合いの詰め方は一般生徒の比ではない。本気で俺を叩き潰す気だ。
小宮は地を強く蹴りつけると、低く鋭い踏み込みから一直線に俺の顎元へ向けて重い右ストレートを放ってきた。
速い。そして拳が切る風圧すら感じるほどの一撃。普通の高校生なら、あるいは前世の俺だったら、反応すらできずに一発で意識を刈り取られていただろう。
だが——今の俺は違う。
愛里と出会い、ここが『よう実』の世界線だと知ったその日から、俺は知識を蓄え脳を鍛え上げてきた。そして波瑠加と出会う頃には、成長期を阻害しない絶妙なトレーニングメニューを組み、血の滲むような努力でこの身体を鍛え上げていたのだ。
小宮の拳が鼻先に迫る直前、俺は最小限の頭部のスウェーでそれを紙一重かわした。小宮の目が驚愕に見開かれる。
ガシッ——!
「っ……!!?」
空を切って流れた小宮の右腕を、俺は左手で下から引っかけるように捕らえ、同時に右手で相手の奥襟をガッチリと掴み取った。間髪入れずに軸足を小宮の股間深くへと踏み込み、腰を沈めて一気に支点を作る。
ビュンッ!
ドサッ!!
綺麗な軌道を描いて空中を舞った小宮の巨躯が、背中から勢いよく地面へと叩きつけられた。
柔道の基本にして真髄、『背負い投げ』だ。幼少期から打ち込み、上級生すら圧倒するまでに昇華させた空手の体裁きと、技の幅を広げるために修得した柔道の投げ技が、この実戦の場で完璧に噛み合っていた。
「がハッ……!? な、なにをしやがった……!」
背中を激しく打ちつけられ、肺の空気を強制的に吐き出された小宮が、呼吸を詰まらせながら信じられないといった様子で俺を見上げる。俺は追撃せず、すばやく体勢を立て直して残りの不良たちへと向き直った。
「てめえ……! たかがガリ勉だと思ってりゃあ!」
「舐めやがって! 全員で囲んで叩き潰すぞ!!」
小宮が一瞬で沈められた光景に激昂した不良たちが、一斉に怒号を上げて俺へ襲いかかってきた。7人が一気に押し寄せる圧力。
正面から二人が同時に腕を振り上げ、右からは体格のいい男がタックルを仕掛けてくる。俺は瞬時に優先順位を見極めた。まず正面の一人が放った大振りのフックに対し、空手の『上段受け』で前腕をぶつけて威力を殺す。支えを失った相手の顎下へ、掌底を突き上げるように叩き込んで姿勢を崩させると、そのまま袖を掴んで『大外刈り』を炸裂させた。
ドスン、と一人目が倒れると同時に、右からのタックルが迫る。俺は右足を大きく引いて半身になり、相手の突進力を利用して首の後ろと腕を抱え込み、体を反らせながら『払い腰』で側頭部近くからグラウンドへ叩き落とした。
「くそが! 後ろが空いてんだよ!」
背後から死角を突いて、腰を狙った重い前蹴りが迫る。
一対一の組手なら完璧に捌けるが、一対多の無茶苦茶な喧嘩はこれが人生で初めてだ。背後からの攻撃に対し、俺は振り返りざまに腕で防御姿勢を取ったものの、ガードの上から重い衝撃が走り、数歩たたらを踏んだ。さらに横から伸びてきた拳が俺の頬を掠め、鋭い痛みが走る。服を掴まれ、体勢を崩されかける。
(チッ……さすがに数が多すぎると被弾ゼロとはいかないか!)
だが、怯みは一切ない。俺は頬の痛みを意識の外へ追いやり、服を掴んできた男の手首を脱力した動きで逆手に取り返した。関節を決めながら支点を外し、相手の体勢を前傾させると、膝を叩き込むようにして『内股』で鮮やかに投げ飛ばす。
さらに、先ほど背後から蹴りを放ってきた男の次の攻撃に対し、俺は体を沈めてその軸足を両腕で力任せに抱え上げた。
「うおっ!?」
悲鳴を上げる男の体躯を、鍛え上げた背筋と脚力で一気に持ち上げると、遠心力を乗せてそのまま豪快なジャイアントスイングの要領で周囲の敵ごと薙ぎ払う。追撃しようと肉薄していた二人が巻き込まれ、重苦しい肉体同士の衝突音と共に地面へ転がった。
「ヒッ……なんだよコイツ、バケモノか……!?」
残るは石崎一人。周囲で転がり、呻き声を上げる仲間たちの姿を見て、石崎の顔から余裕が完全に消え去っていた。冷や汗が顎を伝い落ちる。
愛里と同じく容姿端麗で、一見すればただの整った顔立ちの優等生にしか見えない俺が、これほど圧倒的な格闘技術と筋力、そして幾多の修羅場を潜り抜けてきたかのような立ち回りを披露するなど、誰一人として想像すらしていなかったのだ。
「っ……ふざけんなぁぁぁ!!」
ヤケクソになった石崎が、血走った目で右拳を振りかざし、全身の体重を乗せて突進してきた。
直線的すぎる攻撃。俺は冷酷なまでに冷静な視線でその軌道を見送り、左手で石崎の手首を外側へ弾く。同時に懐深くへと滑り込み、右足で石崎の軸足を刈り上げた。
ドスゥン——!!
豪快に地面へ叩きつけられ、仰向けに転がった石崎。その視界を覆うように、俺は上から覆いかぶさり、鍛え上げられた右拳を上空高くへと引き揚げた。
そして——体重の全てを乗せ、石崎の顔面へ向けて全力の拳を真っ直ぐに振り下ろした。
ゴォッ——!!
凄まじい風圧が石崎の頬を叩き、鼻先のわずか数ミリ手前で、俺の拳はピタリと停止した。
「……っ!?」
寸止めされた拳から伝わる圧倒的な破壊力の予兆に、石崎は息をすることすら忘れ、目を丸くして固まっていた。額から冷や汗が噴き出し、砂利の上にぽたりと落ちる。
静まり返る校舎裏。荒い息を吐く不良たちの声だけが、虚しく響いていた。
寸止めの拳の風圧に身をすくめ、血の気の引いた顔で固まっていた石崎。しばらくの間、信じられないものを見るような目で俺を見上げていたが、やがて敗北を悟ったように固く目を閉じ、自嘲気味に吐き捨てた。
「……くそっ……俺たちの負けだ。……潰せ」
腕をだらりと投げ出し、好きにしろと言わんばかりに諦め顔を見せる石崎。
「そのつもりはない」
俺が即座に短くそう告げると、石崎はハッとしたように目を開けた。地面に膝をついたままの近藤が、忌々しそうに俺を睨みつけて口を開く。
「……殴らねえなら、じゃあなんだよ? 学校に言いつけて俺たちを処分させる気か……!?」
俺を取り巻く不良たちの間に、敗北感と学校側からの制裁に対する焦りが広がっていく。だが俺は石崎の上に覆いかぶさっていた体勢を解くと、ゆっくりと立ち上がり、服についた砂埃を払った。
「明日、俺はクラス全員に向けて『あること』を説明する。これからの俺たちの学校生活において、文字通り命運を分けることになる極めて重要な内容だ。……お前たちにも、一人残らずその場にいて、俺の話を聞いてほしい」
そう言いながら、俺は地面に横たわったままの石崎の肩を掴み、そのまま腕力でぐっと引き上げて立たせた。驚きに目を見開く石崎の正面に立ち、その瞳を真っ直ぐに見つめ直す。
「昨日までに、俺はこの学校のシステムや過去の動向について徹底的に調べ上げた。……結論から言えば、この学校で最後まで誰も欠けることなく卒業するのは決して簡単なことじゃない。そんな都合のいい学校じゃないんだ」
「……な、んだと……?」
俺の静かだが確信に満ちた声色に、石崎だけでなく、周囲の近藤や小宮たちも息をのんで顔を上げた。
「だから明日、必ず俺の話を聞いて最後まで生き残れ。俺から今言えるのはそれだけだ」
静まり返る校舎裏。夕闇が迫る風の中で、俺の言葉は不良たちの心に重く突き刺さっていた。
自分たちを圧倒した力と、それ以上に底知れない先を見据えている俺の存在に対し、石崎たちは言葉を失ったまま、ただじっと俺を見つめ返していた。
肩で荒い息を吐きながら、石崎たちは気まずそうに俺から目を逸らし、去っていった。その背中を見送り、俺も学校裏から校舎へと向かって歩き出す。
角を曲がった、その瞬間だった。
「陽斗、大丈夫!?」
不意に影が飛び出し、波瑠加が焦った様子で駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか……? あまり物騒なことはしないでほしいです」
続いて姿を見せたひよりが、ほっと胸を撫で下ろしつつ心配そうに眉をひそめる。さらに愛里がすっと歩み寄ってくると、小さな手で俺の頬や腕にそっと触れてきた。
「ここと……腕が、少し赤くなってる……顔にも傷ついてるし、あとで消毒するよ、陽斗君」
「ん? 愛里がそれ言うの?」
間髪入れずに波瑠加がくすりと笑いながらツッコミを入れる。かつては人見知りでオドオドしていた愛里が、俺のことになると積極的になる変化を揶揄うような視線だ。愛里は少し頬を染めながらも、真っ直ぐに俺を見つめ返した。
「……だって、私は大丈夫だけど、他の人に陽斗君が傷つけられるのは嫌だもん」
「なにそれ(笑)。愛里ちゃん、積極的〜」
波瑠加が楽しそうにからかい、場が一気に和やかな空気に包まれる。
「なんだか素敵な関係ですね。でも愛里さんの言う通り、ちゃんと消毒してくださいね、陽斗君」
ひよりまで柔らかく微笑み、俺は気恥ずかしさを隠すように苦笑いを浮かべた。
「お前たち……見てたのか?」
「ああ……。長谷部たちがどうしても心配だって聞かなくてな。見てる俺も冷や冷やしたぞ。けど、蓋を開けてみりゃあそこまで一方的だったから、下手に手を出さずに待ってたんだ。……陽斗のことだから、何か考えがあるんだろ?」
腕を組み、明人が歩み出てくる。
「ああ。俺一人で十分だ」
「はは、なら加勢しなくて正解だったな。……けど、やっぱり強いな、陽斗。中学時代から腕は全然衰えてないみたいだ」
明人がポンと俺の背中を軽く叩く。その力強い感触にどこか救われる心地がした。
「分かったよ。サンキューな、みんな」
彼らと肩を並べ、夕暮れ時の校舎を背にして帰り道を歩き出す。
その途中、ふと気配を感じて校舎の2階へ横目を走らせた。
窓際に佇む、長い紫髪の男——龍園翔が、腕を組みながら校舎裏での一部始終と俺たちのやり取りを、底知れない瞳で見下ろしていた。
一瞬だけ交錯する視線。龍園は口角を不敵に吊り上げると、そのまま影の中へと姿を消した。
(……龍園も、見ていたか)
だが、俺にだって計画がある。龍園の視線を脳裏から追いやり、俺は隣で楽しそうに喋る波瑠加や愛里たちの会話へと意識を戻した。