ソードアート・オンライン ――或いは仮想世界のアンティフォン 作:ありさかいずも
ルカは、一層の草原を歩き続けた。
街道を外れ、丘を越え、小さな村があれば夜を過ごした。
夜になると眠り、朝になれば目を覚ました。
それは、この世界へ来る前に奪われていた日々の区切りだった。
道中では、何度もモンスターに遭遇した。
猪や狼に似たものもいれば、人の姿に近いものもいた。
どの敵も頭上に名前と色の帯を持ち、倒せば光となって消えた。
血も、死骸も残らなかった。
敵を倒したあとには、薄い光の板が現れた。
手に入れた金や品物、経験と呼ばれる数字が、そこに記されていた。
触れるだけで物を出し入れできる仕組みは、この世界に満ちた神秘として受け入れた。
ただ、傷を塞ぐ薬だけは、使う量と効き方を何度か確かめてから持ち歩くようになった。
剣を持つ者たちは、ときおり武器に色の光を宿して攻撃した。
決められた構えを取ると、その身体が人の力を超えた速さで動く。
それも神秘の一種なのだろう。
ルカの短弓には、その光が宿らなかった。
矢をつがえ、自分の指で鋼線を引き、狙ったところへ射る。
以前と変わったところはなかったが、それで困ることもなかった。
先を急がずに歩いているうちに、茅場の宣告から一月近くが過ぎていた。
ルカがトールバーナへ着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
山裾に築かれた街には、赤い屋根と白い壁の建物が並んでいた。
背後には、一層の天井へ届きそうな石の塔がそびえている。
街の中央へ近づくにつれ、同じ方向へ向かう者が増えていった。
広場を囲む石段には、数十人の武装したプレイヤーが集まっていた。
その中心で、青い髪の男が話している。
「第一層のボス部屋が見つかったんだって」
広場の外にいた男が、連れに説明していた。
「明日、攻略に向かうらしい。あそこで作戦を決めてる」
「本当に倒せるのか?」
「倒さなきゃ、いつまで経っても上へ行けないだろ」
ルカは石段へ入らず、通りの端から広場を眺めた。
青い髪の男はディアベルと名乗り、集まった者たちを班に分けていた。
その途中で、関西訛りの男――キバオウが前に出た。
ベータテストに参加した者たちが情報を独占し、そのために多くの初心者が死んだのだと責めていた。
やがて、褐色の肌をした大柄な男が一冊の冊子を掲げた。
情報は無料で配られていたと説明すると、関西訛りの男は不満を残しながらも引き下がった。
広場では再び作戦の話が始まった。
ルカには、彼らが何を争っているのかよく分からなかった。
知っている者が知らない者へ教えなかった。
そのために人が死んだらしかった。
悪夢に知識を隠す者は多かった。
秘密を抱えたまま死ぬ者も、秘密のために他人を殺す者もいた。
珍しい話ではなかった。
ルカは攻略会議が終わる前に広場を離れた。
宿屋で食事を取っていると、隣の卓から明日の攻略について聞こえてきた。
石の塔の奥に、大きなコボルトがいる。
斧と盾を持ち、三体の護衛を従えている。
傷を負うと武器を持ち替え、戦い方を変える。
倒せば、上の階層へ続く道が開くという。
「大きな犬みたいな怪物らしいぞ」
「四十人以上で行くんだ。どうにかなるだろ」
ルカは食事を続けながら、その話を聞いていた。
翌朝、武装した一団がトールバーナを出た。
ルカは少し遅れて宿屋を出ると、彼らが向かった道を歩いた。
参加するつもりがあったわけではない。
大勢が、一体の強い敵を狩りに行く。
そのことが、彼女の足を同じ場所へ向かわせた。
一行の姿を追い、森を抜けると、石造りの迷宮が現れた。
内部には狭い通路と広間が続き、壁に掲げられた灯りが青白く燃えていた。
煙も、焦げた臭いもなかった。
先を進んだ者たちが倒したのか、途中に敵の姿はなかった。
最奥へ着くと、巨大な二枚扉の前に攻略隊が集まっていた。
最後尾に立っていた男が、ルカに気づいた。
「待て。昨日の会議にいたか?」
「……いなかった」
「ここから先はボス戦だ。見物なら街へ戻れ」
声を聞いたディアベルが振り返った。
ルカの短弓を見ると、彼女と扉を交互に見た。
「一人で、ここまで来たのかい?」
「後ろを歩いてきた」
「そういう意味じゃないんだけどな」
ディアベルは困ったように笑った。
「弓は使える?」
ルカは頷いた。
「指示には従える?」
「聞こえれば」
素っ気ない返事だったが、ディアベルは追い返さなかった。
空中へ指を滑らせ、薄い光の板を出した。
「人数には余裕がない。護衛のコボルトを相手にする班へ入ってくれ。危なくなったら、無理をせずに下がること」
ルカが示された場所へ触れると、視界の端に数多くの名前と色の帯――HPゲージが加わった。
これほど大勢の命が神秘によって繋がるのを見るのは初めてだった。
ディアベルは全員を見回した。
「行こう。俺たちで、最初の扉を開くんだ」