ソードアート・オンライン ――或いは仮想世界のアンティフォン 作:ありさかいずも
しばらくは、誰も声を上げなかった。
やがて勝利を示す文字が頭上に現れると、広間の各所から歓声が起こった。
武器を掲げる者。
その場へ座り込み、肩を抱き合う者。
生き残ったことを確かめるように、互いの名前を呼ぶ者もいた。
その中から、キバオウが黒髪の剣士へ歩み寄った。
「ちょっと待てや」
歓声が次第に小さくなった。
キバオウは黒髪の剣士を指さした。
「お前、あのボスが最後に持ち替える武器を知っとったんやろ。せやのに、なんでディアベルはんに教えへんかった」
周囲の者たちが、黒髪の剣士へ目を向けた。
「攻略本に書かれていたのは曲刀だった。だが、実際に出てきたのは、あの長い蛮刀や。お前は見た瞬間に気づいとった」
責める声に、何人かが同調した。
「こいつもベータテスターなのか?」
「知っていたのに黙っていたのかよ」
「ディアベルが死んだのは、そのせいじゃないのか」
勝利を喜んでいた広間に、別の熱狂が広がっていった。
ベータテスターは、安全な狩場も、効率よく経験を得られる方法も、自分たちだけで独占している。
そのために何も知らない者たちが大勢死んだ。
この一月、人々の間へ溜まり続けていた不満が、黒髪の剣士一人へ向けられていく。
彼は反論せず、しばらく黙っていた。
ディアベルが消えた場所へ一度だけ目を向ける。
やがて顔を上げると、唇の端をわずかに持ち上げた。
「俺を、ほかのベータテスターと一緒にするな」
静かな声だった。
「ベータテストに参加した連中の多くは、剣の使い方もろくに覚えないまま終わった。今のお前たちと、たいして変わらない」
広間がざわめいた。
黒髪の剣士は、わざと相手を見下すような口調で続けた。
「俺はテスト中、誰よりも先の階層まで進んだ。敵の攻撃も、手に入る品も、ほかの連中よりずっと多く知っている。ここで配られている手引きに載っていないこともな」
「なんや、それ……」
キバオウが言葉を失った。
代わりに、別の場所から声が上がった。
「そんなの、ただのベータテスターじゃない。知識を独占して先へ進むチーターだ」
「ベータテスターで、チーター……」
誰かが、二つの言葉を繋げた。
「ビーター……そうだ、こいつはビーターだ」
その呼び名は、囁きとなって広間へ広がった。
「ビーター、か」
確かめるように繰り返すと、彼は笑みを深くした。
「悪くない呼び名だ。これからは、俺をほかの元ベータテスターと一緒にするな」
自分へ向けられた敵意だけでなく、ほかのベータテスターへ向かうはずだった疑いまで、その言葉で引き受けた。
黒髪の剣士は空中へ指を滑らせ、攻略の報酬として得た品を選んだ。
細かな光が肩から流れ落ち、裾の長い黒い外套へ変わる。
彼はそれを身につけると、上層へ続く階段へ向かって歩き始めた。
誰も道を塞がなかった。
人々は彼を避けるように左右へ分かれ、広間の中央に一本の道を作った。
ルカは、その背中を見送った。
黒髪の剣士が語ったことが、どこまで事実なのかは分からなかった。
ただ、自分が憎まれるように、言葉を選んでいることだけは分かった。
黒い外套を揺らしながら、彼は一人で階段を上っていった。
その場に、彼を呼び止める者はいなかった。
広間は勝利を喜ぶ声で満ちていた。
その一方で、ディアベルが消えた場所を見つめたまま、動けずにいる者たちもいた。
何も残っていなかった。
光の欠片さえも、すでに空に消えていた。
ルカはディアベルが斃れた場所に膝をついた。
右手が、額から胸に、右肩から左肩に十字を描いた。
ディアベルが何を信じていたのか、彼女は知らなかった。
それでも、神を知らずに世を去った者のための祈りが、口をついた。
「主よ、この世を去りしディアベルを憐れみ給え……」
そして、記憶に残る結びの言葉を繰り返した。
「永遠の記憶。永遠の記憶。永遠の記憶……」
そばにいた者たちは黙っていた。
聞き慣れない言葉だったが、それが死者のための祈りであることだけは分かった。