ソードアート・オンライン ――或いは仮想世界のアンティフォン   作:ありさかいずも

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還れない場所

 金属の噛み合う音が、工房の作業台の上で鳴っていた。

 

 聖堂街を見下ろす高所には、冷たい風が吹いていた。

 

 石壁の外から鐘の音が届き、工房の奥で炉の火が静かに揺れている。

 

 マリアは〈落葉〉の短い方の刃を、長い刀身と並べた。

 

「ここで留めているの」

 

 柄の近くにある接続部を示すと、向かいに座ったルカが身を乗り出した。

 

 ゲールマンが武器を取り上げ、機構を確かめた。

 

 何度か着脱を繰り返したあと、油の染みた布で金具を拭う。

 

「〈落葉〉は良い武器だが、同じものをもう一つ作る気なら勧めんぞ。扱える者が少なすぎる」

 

「同じものにはしません」

 

 ルカは作業台の端に置かれていた、薄い金属板を手に取った。

 

 両手で力を加えると、板はわずかに撓み、手を緩めれば元の形に戻った。

 

「弓にします」

 

 ゲールマンが眉を上げた。

 

「金属でか?」

 

「木より重くなりますけれど、折れにくくなります」

 

「獣に近づかれたらどうするの?」

 

 マリアの問いに、ルカは金属板の外縁を指でなぞった。

 

「ここを鈍い刃にします。受け流す程度なら、問題ありません」

 

「両端は?」

 

「尖らせましょう」

 

 マリアは僅かに笑い、分離した〈落葉〉をルカの前に押し出した。

 

「では、この留め方を使いましょう。あなたの弓なら、私のより似合うかもしれない」

 

「狩人の武器は、獲物が懐に入ってからも働かねばならん」

 

 そう言いながら、ゲールマンは紙の余白に機構の形を描き始めた。

 

 階段の方から、誰かの声がした。

 

 扉を開けると、冷たい風と一緒に、焼いた肉と黒パンの匂いが入ってきた。

 

 マリアが作業台を片づけ、ゲールマンは描きかけの紙を工具箱の下に押し込んだ。

 

 その頃の工房は、帰ってくる場所だった。

 

          *

 

 第十一層の宿の一室のテーブルには、欠けた皿や木の杯、途中まで食べられたパンが、雑然と並んでいた。

 

 月夜の黒猫団の面々は、狩りから戻ったばかりだった。

 

 戦利品の分配をめぐる言い合いに、時折、別の声が割り込んだ。

 

 キリトは少し離れた椅子で、その騒ぎを聞いていた。

 

 ルカは壁際に立ち、その様子を眺めていた。

 

「やっぱり、一緒に来ない?」

 

 ケイタがもう一度尋ねた。

 

「弓が使える人がいれば助かるし、部屋だって、もう一人くらいなら何とかなるよ」

 

「入らない」

 

 ルカが答えると、ケイタは残念そうに笑った。

 

「そう言うと思った。でも、夕飯くらいは食べていってよ」

 

 サチが隣の椅子を引いた。ルカは少し迷ってから腰を下ろした。

 

 食事の間、サチは空いた木の杯に水を注ぎ、最後に残ったパンをルカの皿に置いた。

 

「お客さんが先」

 

 向かいから手を伸ばしかけていたダッカーが、不満そうに声を上げた。

 

 ルカはパンを半分に割り、片方を彼の皿に戻した。

 

 それを見て、卓の向こうで笑い声が上がった。

 

 ルカは少し笑いながら、その小さな騒ぎを眺めていた。

 

「ルカさんにも、こういう仲間がいたの?」

 

 卓を囲む者たちの声が、遠くの鐘と重なった。

 

          *

 

 数日後、ルカは宿の前でキリトを見つけた。

 

 彼は壁に背を預け、石畳に座り込んでいた。

 

 ルカが前に立っても、彼は顔を上げなかった。

 

「ケガは?」

 

「ない」

 

「ほかの人は?」

 

 返事はなかった。

 

 ルカは隣に腰を下ろした。

 

 やがて、キリトが言った。

 

「罠部屋だった」

 

「扉が閉まって、転移結晶も使えなくなった。俺は分かっていたはずなのに」

 

「帰ってきたのは、あなただけ?」

 

 キリトの喉が動いた。

 

「みんな死んだ。ケイタも……俺が話したあとで」

 

 ルカは卓の端で杯を持っていた少女を思い出した。

 

「サチも?」

 

 彼は頷いた。

 

「逃げろって言った」

 

 ルカの言葉に、キリトが初めて顔を上げた。

 

「俺も言えばよかった。もっと早く、俺のレベルを話していれば……」

 

「言っても、聞かない人はいる」

 

 ルカは自分の手を見た。

 

 自分にも、止められなかったのだ。

 

          *

 

 工房の扉が開くと、血の臭いが入ってきた。

 

 ゲールマンが脇腹を押さえ、マリアは片脚を引きずりながら入ってきた。

 

 ルカはゲールマンの手を退け、傷を確かめた。

 

 出血は多いが、すぐに命を失うほどではない。

 

 マリアの脚にも深い裂傷があったものの、骨は折れていなかった。

 

「洗って縫います。先にゲールマンを」

 

「その必要はない」

 

 ゲールマンは腰に提げていた革の包みを開いた。

 

 中には、暗い赤色の液体を満たした硝子の容器と、金属製の輸血器が収められていた。

 

 彼は慣れた手つきで容器を取り出し、輸血器に取りつけた。

 

「どなたの血ですか?」

 

「知らん。教会で受け取ったものだ」

 

「型は? 保存してから何日経っています?」

 

 ゲールマンは答えず、裾を捲り作業台に腰を下ろした。

 

「やめてください」

 

 ルカが輸血器を押さえた。

 

「これは医療とは言えません」

 

「だが、効くのだ」

 

 ゲールマンは静かに彼女の手を外した。

 

「何度もこれで助かった。今夜も狩人が要る」

 

「これを繰り返した先を、誰も見ておりません」

 

「何もせず寝ているよりはいい」

 

【挿絵表示】

 

 彼は輸血器の針を、自分の大腿に押し込み、一度だけ大きく息を吐いた。

 

 傷口からの出血は止まっていた。

 

 マリアも作業台に腰を下ろし、同じ形の容器と輸血器を取り出した。

 

「マリヤ?」

 

「明日も狩りがあるの」

 

「傷を縫えば治ります」

 

「治るまでに、何人死ぬの?」

 

 ルカは答えられなかった。

 

 マリアはスカートを大腿まで上げ、輸血器の針を肌に当てた。

 

「退いて」

 

「嫌です!」

 

「お願い」

 

 ゲールマンがルカの肩に手を置いた。

 

 誰も、彼女の言葉を聞かなかった。

 

 マリアは自分の手で、輸血器の太い針を大腿に沈めた。

 

 そのときはまだ、二人は人間だった。

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