【完結】魔法少年ノ記録回帰   作:兼六園

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(拳で)

原作をプレイしてると嫌というほどわかるんですが、このシェリーとかいう女、本当にとんでもないレベルであまりにもハンナのことが好きすぎる。

あと、今回ちょっと……気合い入れすぎて文字数1万超えたので各自で頑張って読んでください。


ハートレス・ガールはかく語りき

 俺がノアとアンアンの部屋に閉じ込められた事件から翌日。今日も今日とて殺人事件も起きず、平和に過ごす──などという事態にはならないわけで。

 

「リンネさんリンネさんリンネさん!」

「ナンスカ」

「ケンカしましょうよ〜、ケンカ!」

「いやです……」

「は〜〜〜〜〜……??」

 

 医務室付近の通路でボケーッとしていた俺が即答で拒否すると、目だけが笑っていないシェリーが『何を言ってるんだこいつは?』みたいな声と共にギギギギ……っと首を傾げるのだが、何を言ってるんだこいつは? は俺のセリフなんだよ。

 

「リンネさん、あなたには無いんですか? どっちが強者か白黒はっきりさせたい欲求が!」

「無いよそんなの」

「まあ私にもありませんけど」

「お前にも無いのかよ……」

 

 ──シュッシュッとシャドーボクシングしているシェリーだが、こいつがこう迫ってくるのは今に始まったばかりではない。

 ここ最近、暇さえあればケンカしよう殴り合おう決闘しようとシンプルな暴力を求めてくるのだ、勘弁してくれこっちは自殺志願者じゃないんだよ。

 

「まあそれはさておき。昨日は大変だったみたいですねぇ〜〜、ノアさんたちの部屋に閉じ込められたんでしたっけ?」

「ああ。もし看守に見つかったら俺だけじゃなくてあいつらまで巻き込まれるかもしれなかったからな、朝まで毛玉2つと一緒に頭まで布団被って寝てたから暑苦しくて仕方なかったぜ」

「ほほぉ〜〜ん? それはそれは、不純ですね」

「いや別に、あんなチビには興味ね…………え、と、思うんだけど…………うーん?」

「……? どうかしましたか?」

 

 からかうようなニヤニヤ顔のシェリーに眉をひそめて言葉を返す俺は、不思議と断言が出来ない。

 ……いや、まさかなぁ? 確かに他のループではあのチビコンビのどちらかと恋人みたいな関係になったことはあったが、ぶっちゃけて言うがどこかのタイミングでこの牢屋敷内で誰かと恋人関係になるというのは共依存しているのと変わりないのだ。

 

 今回を除いた他の世界線では必ず誰かが殺されて裁判が起きて犯人を処刑して……という生活をしていたわけで、その状況で唯一の男である俺という拠り所に依存してくる奴が現れるのは仕方のないことで。まあ……不純っちゃあ不純だよな。

 

 で、問題なのは、シェリーにノアとアンアンを相手に揶揄(からか)われても否定できなかったところにある。

 

 ……俺はまさか……ロリコンなのか……!?

 

「リンネさーん、もしもーし?」

「まあ、まぁ〜まあまあまあ。……それで、だ」

「わあ」

「俺とケンカがしたいんだろ?」

「はい!」

「なら前に言ったことを覚えてるよな?」

「なんでしたっけ」

 

 こ、こいつ…………

 

「……ゴクチョーに直談判して、看守と懲罰房の世話にならなくていいなら相手してやる、って言っただろ。まずはあのフクロウを説得してこい」

「あ〜、なんかそんなこと言ってましたね」

「つーわけで、ほら回れ右!」

「はい!」

 

 パン! と手を叩いて強く言えば、シェリーはビシッと動いて体の向きを反転する。

 

「ゴクチョーを探してぇ〜〜こい!」

「うおーっゴクチョーさーん! どこですか〜!」

 

 俺がそう言えば、シェリーはそのまま流されるままに通路をドドドドと駆けていった。はい解決。

 

「ふん。あの面倒くさがりのゴクチョーが俺とのケンカなんて許可するわけないに決まってんだろうが。つまりあいつは無駄骨を折り続けるわけだ」

 

 なんて完璧な作戦なんだ……天才すぎる。

 

 ──なお、俺の穴の無い完全で完璧な作戦が崩壊するまで、残り24時間……!!

 

 

 

 

 

 

 

「むむむむ。こういうときに限ってどこにも居ないんですから困りものですねぇ」

 

 牢屋敷内のある程度を駆け回ったシェリーは、どこにもゴクチョーが居ないことに頭を悩ませながら歩いていた。気にならないとはいえ、人体構造の都合上どうしても肌に滲む汗が鬱陶しく感じて探偵風衣装の上着を脱いで小脇に畳んで抱えると、ふと玄関近くの応接室に人の気配を感じ取る。

 

「おや。誰でしょう」

 

 ひょいと覗き込むと、中では遠野ハンナが備え付けのゴミ箱に手を翳して、パチパチとその手に何かを押し当てていた。

 

「ハンナさんではないですかーっ!」

「ひょわっ!!?」

 

 誰が居るのかを確認したシェリーが表情をほころばせながら朗らかに声を上げると、体を跳ねさせたハンナが持っていたモノをテーブルの上に落とす。コトンと音を立てて落ちたのは、爪切りだった。

 

「おや、こんなところで爪切りですか?」

「……別にいいじゃありませんの。爪を切ってるところなんて人に見せるもんじゃねーですし」

 

 落とした爪切りを拾い上げたハンナは、恥ずかしそうにしながらも懐に仕舞うと、上着を脱いだシェリーのワイシャツ姿に訝しむ視線を向ける。

 

「ところで、なぜそんなに汗を掻いているんですの」

「いやあ、ゴクチョーさんを探して走り回ってましてね。でも全然見つからないんですよぉ」

「ふうん。まあ普段からどこで何してるのか分かったもんじゃないですし、逆に向こうから来るのを待ってから捕まえた方が効率いいんじゃありません?」

「なるほどー」

 

 そう返しながら、シェリーはストンとハンナの隣に座り、手元を覗いて疑問符を浮かべた。

 

「そういえば、ハンナさんこの間も爪切ってませんでした? もう伸びたんですか?」

「……そうみたいですわ。なんだかここに来てから、爪が伸びるのが早い気がするんですのよ」

「────。はえ〜……あ、私ここに来てから1回も切ったことないですね」

「……ズボラですわねぇ。ちょっと手を出しなさいな、見てあげますわ」

「はーい」

 

 シェリーの言葉に呆れつつも手を出させたハンナが、彼女の手を掴んで爪の長さを確認する。

 

「あら、確かに切らないといけないほどではないですわね。……わたくしがストレスを感じているから伸びるのも早いのかしら」

「────。ハンナさんの他に、爪が伸びるのが早くて困ってる人って居ました?」

「え? ええ、確か……アリサさんとココさん、あとはヒロさんとかミリアさんが、わたくしみたいに医務室から爪切りを持ち出す回数が多いですわよ」

「なるほど」

 

 自身の両手の指を確認するハンナを見ているシェリーが、考え込むように目尻を細める。それから指を離したハンナに呆れたように言われた。

 

「あまり伸びてないし尖ってませんから、切らなくて大丈夫ですわね。無駄に綺麗でムカつきますわ」

「はあ。…………ハッ!」

「な、なんですの?」

「こういうときは『ハンナさんの方が綺麗ですよ☆』っていうべきなんでしょうか!」

「あなたちょっとリンネさんっぽいですわね」

 

 ハンナの何気ない一言。それを聞いたシェリーが、ピシリと固まり思わず低い声で問う。

 

「…………。言われたことあるんですか???」

「いやありませんが。言いそうじゃないですか? あの人、悪い人ではないにしろだいぶ変な人ですし」

「あ、あぁ〜〜、そう〜〜、ですね〜〜?」

「何を焦ってるんですのよ」

「まあ、まぁ〜まあまあまあ。はーいちょっと失礼しまーす」

「は? ……ああもう、なんですの、まったく」

 

 誤魔化すように視線を逸らしたシェリーが帽子を脱いでハンナの膝に寝転び、脱いだそれをテーブルに置くと、帽子に留まっていた小鳥が飛んでハンナの頭にちょこんと着地する。

 

「……この小鳥、あなたの帽子のアクセサリーじゃなかったんですのね」

「え? ああはい、なんか最初からくっついてたんですよね。たまにどっか行ってますよ、それでもそのうち戻ってくるんですけども」

「えっ居なくなることあるんですの!?」

「気づいてなかったんですか〜?」

「そんなとこ、いちいち気にしませんわよ……」

 

 ハンナの呆れ顔を見上げてカラカラと笑うシェリー。彼女は一転して、スンと真顔に戻して言う。

 

「──ところでハンナさんは、ここから出られたら何をしたいですか?」

「いきなりですわね……そう言われましても、ここから出られない以上は叶えようがありませんが」

「もうちょっと前向きになりましょうよ〜。私は高校生活しながら探偵業ですかねー、どうせなら一緒にやりません? 助手も欲しかったところですし」

「…………。それ、ちゃんとお給料は出ますの?」

「えー、そりゃ出ますよ〜。タダ働きさせるのはよろしくありませんよ?」

 

 シェリーが見上げた先で、言葉を返されたハンナはぼんやりと虚空を見つめるように視線を彷徨わせると、それからポツリと呟いた。

 

「お金は大事です。住むにも着るにも食うにも、それに……お墓を建てるのにも」

「……ハンナさん?」

「真っ当に働いて、お金を得て、普通に暮らして……あとは、無縁塚に居る妹を、きちんと『遠野家之墓』に入れてあげたい」

「…………!」

「今のところ、それ以上は望みませんわ。それも……もし出られたら、の話ですが」

「ハンナ、さん」

 

 顔を下げたハンナの、くしゃりと歪んだ顔。

 

 自身を見下ろすその顔を見たシェリーは、胸の奥に強烈な不快感が湧いた事の理由を、言語化することができない。

 

「っ、……っ、──ぁ、ぇ、と」

「……なんて、別にあなたを困らせたいわけじゃありませんわ。こんなのは、その辺に1等の宝くじが落ちてないかと願望するような……贅沢なのだから」

「ッ〜〜〜、ハンナ、さん!!」

「うわぁ!? う、うるせえですわね!!」

 

 誤魔化すように、思わず大きくなった声と共に膝から離れて飛び起きると、シェリーは上着を羽織り、帽子を被り直して仁王立ちで腕を組む。

 

「私、は……っ!」

「……私は?」

 

 不自然に言葉を区切るシェリーに、ハンナがオウム返ししながら首を傾げると、シェリーは彼女の顔を見て、一息吐いてから冷静に言葉を続ける。

 

「────。私は、あなたのような人こそが、報われるべきだと思うし、幸せになってほしいと思います。だから……もう少し、前向きに頑張ってみましょう? もし必要とあらば、屋敷を囲ってるあんな壁だって、私が壊してみせますよ!」

「…………。何を言うかと思えば、アホらしいポジティブさですわね」

 

 握り拳を突き出すシェリーに、ハンナもまた呆れたように呟いてから、頭の上に乗っている小鳥がシェリーの帽子に移るのを見て口を開く。

 

「仕方ないですわね、あなたのそのアホ面に免じてもう少しだけ前向きになってあげますわよ」

「アホ面〜〜〜〜!? こんなに可愛いシェリーちゃんの顔が、アホ面なわけないじゃないですか!」

「その目だけが笑ってない変な笑い顔の事ですわよ、このおバカ」

「いや〜〜〜それは〜〜……流石に表情筋はイジれても目は無理じゃないですか?」

「あのですわねぇ、そんな無理くり作るもんじゃねーんですのよ笑顔ってのは」

 

 やれやれ、と呆れるハンナだが、シェリーは一瞬ムスッとした表情を作(・)っ(・)て(・)から彼女に背を向けて応接室から出ていこうとする。

 

「さて、休憩も終わり! 私は引き続きゴクチョーさんを探してきますね〜!」

「はいはい、危ないことはするんじゃねーですわよ」

「はーい」

 

 

 

 ──ドッタンバッタンと騒がしく出ていくシェリーは、応接室から逃げるように通路を駆ける。

 その途中、不意に足を止めて、深く息を吐いてから窓に目を向けた。

 

「……もし、爪の伸びる早さが魔女化の進行によるものだとしたら…………」

 

 思い返すのは、看守として活動している【なれはて】の姿。元が自分たちと同じ人間でありながら、体格も生えている無数の『手』も、人間の枠組みから外れているのだ。

 もしも、爪が伸びる早さが増しているのが、魔女化の進行で起きている肉体の変異だとしたら────

 

「囚人たちに残された時間は、そう多くない。ハンナさんたちは……遅かれ早かれ魔女化してしまう」

 

 確信に近い結論。それを独りごちるシェリーは、ギリ……と強く歯噛みする。

 

「誰かが、流れを変えないと。このままでは緩やかな自殺をしているだけにしかならないのなら、せめて、囚人たちの意識だけでも変えないと……このままでは、このまま、では…………」

 

 ──皆が、なれはてになってしまう。

 

「あんな、喋らない、反応も鈍い、存在に。……ハンナさんたちが……」

 

 シェリーの胸の奥にざわざわと言葉に出来ない不快感が募り、思わず窓ガラスの横に置いた手に力が入りミシリと壁にへこみを作る。

 それから一度深呼吸を挟んでから、決心したように、ガラスに反射する据わった瞳をした自分に向けて淡々と言葉を吐き出した。

 

「────。────。よし、やるべきことをやりましょう。……巻き込んでしまってすみませんね、リンネさん。でもあなた以外に耐えられそうな人が他に居ないのも悪いんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 ──シェリーを追い払った翌日。俺は昨日のあれから異様に静かなあいつに不気味さを感じながらも、昼の自由行動中にアトリエに訪れていた。

 

「はぁ〜〜〜、たまには平和な時間を謳歌したいもんだぜ。数ループぶりにココの配信に乱入してパペット捌きでも見せつけてやろうか」

 

 この世界線ではあんまり暇じゃなかったからまだやったことがないアレ、やっちゃおうかな〜。

 見せちゃおうかな〜? お兄さん、伝説のコラボ配信『パペットリンリン』を見せちゃおうかな〜?

 

「──あ、居ましたねリンネさん!!!」

「ウーーーーン……」

 

 俺の、大事な、平和がぁ……!!

 

 ノアの魔法由来だからか、バーン!! と勢いよく開けられても壊れていない扉の外から、何かを脇に抱えたシェリーが入ってくる。

 ふんふんと鼻息荒いシェリーは、俺の顔を見るなりズンズンと近づいてきた。

 

「なんだよ……つーかなに抱えてんだそれ」

「これですか? ゴクチョーさんです」

「は??」

【竜胆リンネさん……た、助けてください……】

「ゴクチョーーーー!!??」

 

 シェリーが抱えている物体。それは、真夏の田舎で吊るされたスイカのように、縄でボール状にギチギチに縛られているゴクチョーだった。

 

【わ、私の安全のためにも……さっさと橘シェリーさんと決闘でもなんでもしてください……】

「屈してんじゃねーよバカ!」

【私だって……私だって頑張って逃げていたんですよ……なのに……いきなり捕まえてきて縄で縛ったあげく、『許可を出すまで離さない。寝るときの抱き枕にするぞ』と脅されたので仕方なく……】

「…………。まあ、まぁ〜〜〜、うん……じゃあ……仕方ないかぁ……っ!」

 

 な、なんだよ、わりと健闘してるじゃん……

 この流れでちゃんと頑張ってることあるんだ……

 

「はいお静かに〜」

【むぎゅぶぶぶぶ】

「ご、ゴクチョーーーー!!」

 

 シェリーに両サイドから手のひらで潰されて、ひょうたんみたいな形に体をヘコまされるゴクチョー。くそっ、ゴクチョーが何をしたって言うんだ……!

 

 

 ・誘拐、監禁、洗脳、殺人、その他諸々。

 

 

 い、色々やってる……!

 シャレにならんこと色々やってる!!

 

 ……よくよく考えたらまあ普通に擁護できないゴクチョーは置いといて。俺はシェリーに向き直り、ため息をつきながら問いかける。

 

「ったく、わかったわかったわかった。それで、何がしたいんだ?」

「以前も言った通り、ケンカをしましょう! 死んだ方が負けのスタンダードルールでいいですよね?」

「どの界隈の何???」

 

 えっなに?? 俺が知らないだけで外の世界ではそういうのが流行ってたの???

 

【あ、死人が出るようなのはちょっと困るので……名目上はあくまで囚人同士の普通のケンカってことにしといてくださいね】

「お前実は結構余裕あるだろ」

「もうちょい締めときますね〜」

【おごごごごご】

 

 ミシミシミシ……と締め上げられているゴクチョーを余所に、俺はそれとなく周囲を見回しながら体の節々を緩くほぐして言う。

 

「はぁ〜。ほら、やるんだろ。そろそろゴクチョーで遊ぶのやめとけ」

「仕方ないですねぇ」

【……やれやれ、いい加減に私を丁重に扱うルールを追加してほしいものですよ】

 

 縄から解放されてシェリーから逃げるようにアトリエ内のテーブルの上に着地するゴクチョーは、ブルブルと体を震わせてから、器用に着ているフードの位置を直しながら言葉を続ける。

 

【シェリーさんがあまりにしつこいので仕方なく今回一度限りの許可を出しましたが、あくまでケンカですからね。どちらかが負けを認めるか立てなくなったらその時点で終わりです。あと万が一どちらかが片方を殺してしまった場合は……面倒なんで裁判はせずにそのまま犯人扱いで処刑しますのであしからず】

「はいよ」

「わかりました!」

【では、は(・)い(・)始(・)め(・)】

「あ?」

 

 不意にそう言われて、一瞬反応が遅れる。──そしてまばたきを挟んだ次の瞬間には、既に踏み込んでいたシェリーが、ラリアットのようなフォームの大振りで拳を振り抜いていた。

 

「おりゃーーっ!!」

「チッ……!」

 

 仕方なく胸の前で交差させた両腕を盾にしながら、咄嗟に後ろに大きく跳んで、俺の方からわざと吹き飛ばされて窓から中庭に叩き出される。

 受けた衝撃を吹っ飛ぶ力に利用して、空中で身をよじって姿勢を整えつつ、枯れている噴水に手をついて余計な勢いを逃して地面に転がり着地。

 

「よいしょォ〜〜っ!」

「うおおおなんだァーー!?」

 

 ダンッと音を立てて立ち上がると、近くの木の辺りから悲鳴があがる。そちらを見てみれば、ハンモックに寝転んでいたアリサが目を丸くして驚いていた。

 

「り、竜胆!? おめぇどっから……」

「アトリエの窓から。あ、そこ動くなよ」

「は? なん────「ちぇいさー!」

 

 アリサにそう言いながら数歩下がると、俺と彼女の中間に、声と共に上からシェリーが飛び蹴りのフォームで落ちてきた。ズドン!! と轟音を奏でて地面の一部が破壊され、土煙が舞う。

 

「おっとと、足が埋まった……」

「ハエ女……!? てめぇなにしてんだ!」

「えー? リンネさんと決闘中! です!」

 

 ずぼっと足を引っこ抜いたシェリーが、ハンモックから降りて警戒しているアリサにあっけらかんと言う。……このままだと巻き込むな。

 

「ということだから、アリサ! ちょっと俺たち以外……ヒロたち全員を集めてきてくれ! シェリーはこっちだ、屋敷の外に行くぞ!」

「はーい」

「返事のわりに行動が怖えんだけど!!」

「まてまてまて〜〜〜!!」

 

 元気のいい返事と共に空気を裂きながら引っ掻くように振り回される拳から全力で回避しつつ、俺はシェリーを連れて逃走を開始する。

 

「……お、おい……なにがどうなってんだよ」

 

 困惑しているアリサの声を尻目に、ラウンジではなく医務室側から迂回するように玄関に向かう──途中、シェリーが壁際に配置されているミニチェストを指で引っ掛けるように持ち上げると、それを軽い動作に反した馬鹿げた速度でぶん投げてきた。

 

「お前バカッ……んなもん投げんな!!」

 

 逃げている姿勢から反転。真っ向から構えて、飛んでくるチェストの勢いを腕、腰、足と順に流して速度と威力を殺し、バレーのレシーブのように後に弾き飛ばして壊れないように床に優しくゴトンと転がす。

 

「危っ、ぶねぇなこの野郎……!」

「投ぁ〜……げておいてなんですけど相変わらずデタラメすぎません!?」

「クマと殺り合えばお前も出来るようになる」

「たぶん私でも流石に死ぬと思います!」

 

 ミラーマッチだからか? と言いそうになった口を1回閉じて、俺は一歩踏み込みシェリーのパンチを避けつつ胸ぐらを掴み、殴ってきた勢いを巻き込んで体を浮かせて────窓から外に投げ飛ばす。

 

「あれェーーっ!?」

「…………あ、やべ」

 

 ガシャーン!! と軽快な音を奏でてガラスが割れ、シェリーが外にすっ飛んで行き、俺もまた悠々と玄関に回って外に出る。

 

 ──と、ガラス片と土汚れを払うシェリーが屋敷の壁側の陰から出てきて、入口近くの俺の元に歩いてくる。それから少しして、屋敷内から慌ただしい足音が無数に響いてきた。

 

「リンネ、何をしている!」

「お、来た来た」

「シェリーさん! 何してやがるんですの!」

「…………。ハンナさん」

 

 ヒロとハンナを筆頭に、この場に俺とシェリーを除いた囚人全員と、遅れてバサバサとゴクチョーが羽ばたいてきて近くの木の枝に留まる。

 

【あの、リンネさん。窓ガラス割りましたよね。直すの地味に面倒なんでやめてほしいんですけど】

「この流れで俺が悪くなるのは違うと思う」

「まあまあゴクチョーさん、ここは私に免じて許してあげましょうよ!」

「俺が悪い前提で話が進むのも違うと思う」

「……リンネ、何があったんだ」

 

 話の流れを戻すようにもう一度問いかけてくるヒロに視線を向けて、俺は体と意識だけはシェリーに向けながら口を開いた。

 

「前々からシェリーにぶつかり稽古の誘いをされててな、ついにはゴクチョーが根負けして合法の名のもとに襲い掛かられてるってわけだ」

「……本当なのか? シェリー」

「もしかして嘘だと思ってる???」

 

 ヒロ!! こ、こいつ……俺への信頼というものが無いのか……!!? ただちょっと普段からオモチャにしておちょくってるだけなのに……!!

 

 ──うーん自業自得。

 

「本当ですよぉ、この件はぜーんぶ私が悪いです。ですが止めないでください、これは私が動けなくなるかリンネさんが動けなくなるかの戦いですから」

「な、なんでこんなことしてるの、シェリーちゃん! ケンカなんてやめてよ!」

「そうは言いましてもねぇエマさん。まあ、ちょっとばかり……やむにやまれぬ理由もあるものですから」

 

 エマの必死な声色にも、シェリーはヘラヘラと軽薄な顔で返す。……なんかこいつ、焦(・)っ(・)て(・)な(・)い(・)か(・)?

 

「さあリンネさん、第2ラウンドと参りましょう!」

「……おい、シェリー」

「はい?」

「お前、何を焦ってるんだ?」

「…………。…………はて?」

 

 相変わらず目だけが笑っていない笑顔。けれどもわかる、今……少し揺(・)れ(・)た(・)な。

 

「────。いやあ、そりゃあ焦りますよ〜。攻撃は当たらないしぶん投げられるし、勝てるビジョンがいまいち見えないんですもん。リンネさんって、バトル漫画の世界からやって来たんですか?」

「さてなあ。……そういうお前こそ、出来の悪いミステリー小説の世界から来たんじゃないか?」

「……ほーう?」

 

 ……仕方ねえ、少し踏み込むか。あんまり詳(・)し(・)す(・)ぎ(・)る(・)とゴクチョーや黒幕に正体がバレる可能性が増えるが、そうも言ってられねえなこりゃ。

 

「さっきアトリエから中庭に落ちながら飛び蹴りかました時も、窓ぶち破って外に放り投げた時も、お前はピンピンしてたな。俺みたいに勢いを流すのが得意なわけでもないのなら、考えられることは1つ」

「…………」

「お前は痛みを感じていない。違うか?」

「──!! 痛みを……!?」

 

 思わず口を衝いて出たように呟くヒロを筆頭に、状況を眺めている全員が驚く。当のシェリーは、スンと表情を『無』にしていた。

 

「あー、厳密には少し違います。私も普通に痛みは(・)感じてるんですよ、ただちょっと……気にしないでいられるだけです」

「気にしないで、ねぇ」

「ある種の無痛症に近い感覚ですかねえ。例えば腕を切って血が流れたとして、痛みは特に気になりません。ただ腕にお湯が伝うような不快感があるだけで、あまり危機感を抱けないんですよねぇ」

「っ、なんで……なんでそんなこと黙ってやがりましたの! シェリーさん!」

「……ハンナさん」

 

 横から声を荒らげるハンナに、シェリーは一転して困ったように表情を変える。

 

「そう言われましても……ただ怖がらせるだけじゃないですか。皆さんのなかに、こんなバケモノが混ざってるなんて、余計なストレスを与えるだけでしょう」

「はァ〜〜!? 誰が! バケモノ! なんですの!! 言ってみなさいシェリーさん!!」

「えぇ〜〜〜……!?」

 

 ダンダンと地団駄を踏むハンナに、シェリーもやや毒気が抜けたような顔になった。

 

「……あのですね、ハンナさん。私はどうも、自分の痛みが分からないのと同じように、人の感情の機微といったものもわからないんですよ」

「何を言って……」

 

 ふっと小さく微笑を浮かべると、その笑みを獰猛に歪めて、シェリーは俺に殴りかかってくる。

 

「っ、てめ──」

 

 拳を流して、返しの縦拳を顔に打ち込むが、鼻血を流しながらも動きが止まらない。

 

「──むかぁ〜し昔ある所に、橘シェリーちゃんという可愛い女の子が居ました。親に捨てられて施設で育ったシェリーちゃんは、職員に日常的に暴力を振るわれて育ち、毎日が血と痣にまみれていました!」

 

 ここに来て完全に防御を捨てた動きで殴り続けるシェリーのパンチを捌き、数発のレバーでたたらを踏ませるが、それでもなお血を垂らしながらも動きのキレは一向に衰えずに向かってくる。

 

「あるときシェリーちゃんは、殴られっぱなしの生活にちょっとばかり嫌気が差して、なんとなくやり返してみました。すると不思議、職員はスイカ割りのように弾けてしまいます! どれだけ殴られても気にならない痛み、殴り返せば殺せてしまう【怪力】。職員は私を恐れて暴力を振るわなくなり、やがて養父母候補の夫婦にシェリーちゃんを押し付ける形で、施設から追い出してしまいました!」

 

 言葉が途切れた──瞬間、シェリーの左手が俺の右腕を掴み、メキメキと骨が軋む。即座に左手でシェリーの左手首を掴んで捻り、力を入れられない角度に曲げて拘束を抜け出すが、その直後に振り抜かれた右フックが俺の脇腹を捉え、脊髄反射で滑り込ませた左前腕を挟んだまま思い切り殴り飛ばされる。

 

「ご、ぉ……ぁっ!?」

「ふーっ、ふぅ〜っ……、心優しい養父母の元ですくすく育ったシェリーちゃんですが……施設で歪んで壊れているシェリーちゃんは、人の感情をまるで理解できません。養父母の優しさに意味を見いだせず、学校に通えばクラスでは浮いてしまう。喜び方がわかりません、怒り方がわかりません、哀しみ方がわかりません、楽しみ方がわかりません。だって、こうなる前に誰も何も教えてくれなかったから」

 

 地面から立ち上がる俺に、シェリーが淡々と言う。腕……は無事か、直撃したら間違いなく内臓が破裂してたな。まだまだ俺の合気も練度が足りねえ。

 

「だから……だからこそ、ここに連れてこられて、皆と関わって、衝撃でした。ただ普通に生きたいと願うことすら贅沢だと思ってしまうような、優しく、美しく、輝いた魂の持ち主が居たんですから」

「…………! シェリーさん……っ」

「……お前……ああ、なるほどな」

「わかりますか、リンネさん。今ここでは殺人事件は起きていません。ですが、因子による魔女化の進行は止まらない。リンネさん……はわかりませんが、少なくともストレスを理解できない私は魔女化が進行してませんけど、皆さんはそうはいきません」

 

 血の混じったツバを地面に吐き捨てる俺に、シェリーは言葉を続ける。

 

「ここでの生活は緩やかな自殺です。このままでは皆が順繰りに魔女化して、それで終わり。そうなってはいけないんです。私のようなバケモノはともかく、彼女たちがここで人生を終わらせていい道理は……無い! 無いんです! だからっ……! 流れを、変えないといけなかった……!!」

「……ぺっ、それで俺とケンカしましょうってか。なんつうか、不器用だよなお前」

「────。すみませんね、こんなことに巻き込めそうなの、あなたくらいだったので」

「モテる男はつらいね」

 

 全身に駆け巡る鈍痛。この痛みを、シェリーは感じているが気にならないなら、このまま殴り合っていれば痛みと疲労による差で俺がジリ貧。

 

 …………。ここまで来ての【記録回帰】はナンセンスだよな、しょーがねーなーまったくもう。

 

「シェリー」

「……!」

「最終ラウンドだ、掛かってきな」

「──はいッ!」

 

 俺が何発も打ち込んだダメージよりも、こいつに1発軽いフックを貰った俺の方がダメージがデカい。……と来れば、シェリーを倒す方法は1つしかない。受(・)け(・)て(・)、流(・)し(・)て(・)、返(・)す(・)。

 

 ──突き出された右手を避け、右の縦拳で左頬を打つ。殴り抜けると共に奥歯を折る感触が伝わり、返す刀で左手の裏拳が飛んできて、屈むように躱してお返しのように右フックで脇腹を抉るように殴る。

 

「ぐっ、う……!」

「あのなあシェリー、お前がお前自身を感情の理解に乏しいバケモノだと思うのは勝手だ。人間らしさを学びたいと思うなら、これからもエマたちと関わってやれば自然と学べるさ。でもな────」

「っ、ぁあ!!」

 

 シェリーのパンチを避け、返しの拳を打つ。何度も続けられ、ついには苛立たしげに俺に目掛けて振りかぶった、拳を耳元まで引くいわゆるテレフォンパンチの構え。それを見た俺は、シェリーの不器用な生き方を肯定する言葉とともに、左腕で防御する。

 

「──お前がバケモノであること、それのいったい、何がいけないんだ?」

「…………ッ!!」

 

 ──刹那、左腕で右手を受け止め、俺の体を破壊せんとする衝撃を取り込むように受(・)け(・)て(・)、流(・)し(・)、逆に俺の右腕に伝わらせて右手から放つように返(・)す(・)。

 

「がっ…………!!」

「……お前、わりと人間臭いぞ?」

 

 果たして合点がいったような、歯車が噛み合ったような、どことなく憑き物が晴れたような顔をしたシェリーの胸に叩きつけられた掌底が、彼女の体を吹っ飛ばして屋敷の壁に衝突させた。

 

【…………。はい、はい。橘シェリーさんの戦闘不能ですね。勝者は竜胆リンネさんってことで、はい。2度目はないですからね……】

 

 バサバサと羽ばたいたゴクチョーが、シェリーの様子を一瞥してから、捲し立てるようにそう言い終えて飛び去っていく。

 

「……っぶへぇ〜〜〜。なんとか生きてらぁ」

 

 緊張が途切れ、どっと雪崩込むように伸し掛かる痛みと疲労で汗が噴き出る体……膝に力を入れて倒れないようにしながら、俺はエマたちに言う。

 

「シェリーを医務室に運んでやんな。メルル、治療してやってくれ」

「は、はいぃ!!」

「シェリーちゃん、しっかり!」

「……やれやれですわ、まったく」

 

 3人に担がれて中に入っていくシェリーを見送ってから、俺はようやく、どすんと地面に尻もちをつく。……あ゛〜〜、しんどい。

 

「リンネ、無事か……?」

「無事なもんかよ……最後のも失敗したら俺の左腕が千切れてたんだからな」

「最後の……アレは、なんだったの?」

 

 ヒロに続いて駆け寄ってきたナノカが、当然の疑問を投げかけてくる。

 

「なんちゃって合気道の……奥義? みてーなもんだ。あいつのパンチの威力を俺の体を通して逆に返した。貫通技だから、わざと吹っ飛ぶようにズラさなかったらシェリーの心臓だけが爆裂してたな」

「……やっぱり、あなただけ違う世界から来ていたりするのかしら……?」

「なんであんなことが出来るようになったかっつーと、出来るようにならないと俺がシェリーに殺されるからだ。つまりあいつが悪い」

 

 呆れた顔のナノカに言葉を返しながら、俺はナノカとヒロに肩を支えられながら中に戻る。一旦ラウンジに移ってソファに座り、軋む体の痛みに耐えながら上着を脱げば、シャツの下の肌は青痣まみれだった。特にガードに使った左腕とその上から殴られた脇腹の痣は色が濃くなっている。

 

 それから後ろからついてきていて、俺の怪我を見たマーゴだけが、なんか妙な眼差しを向けてくる。

 

「あらあら……綺麗な青痣ね♡」

「なんで嬉しそうなんだ??」

「私とお揃いね、リンネくん♡」

「エーーーーウ!!!」

 

 ヒローーー! 助けてくれーーー!!

 おい! 目を逸らすな! ヒロ!

 

 

 

 

 

 

 

 ──同時刻、医務室。担ぎ込まれたシェリーは、ベッドの上で足を伸ばして座っている。

 

「いや〜〜負けちゃいましたね! あっはっは!」

「まったく情けねーですわね。あんだけカッコつけて啖呵切っておきながら負けるんですから」

「ハンナさん手厳しいな〜!」

「ハンナちゃん、あんまり厳しく言わなくても」

「いいえ、エマさん。こういうおバカはちゃんと言わないと伝わらないんですのよ!」

「う、うう……今回ばかりは言い返せない」

「エマさんもうちょっと頑張ってくださいよぉ」

 

 無茶をしたシェリーに対して怒り心頭のハンナが、傍らに座って冷たく言い放つ。大人しく聞き入れつつ、シェリーはメルルが翳した手を遮った。

 

「シェリーさん、今【治癒】を使いますからね」

「あ、そのことなんですがメルルさん」

 

 それからシェリーは、一拍置いてメルルに言う。

 

「とりあえず食事に困るので口の中だけ治してもらえます? 殴られて奥歯も折れちゃってるので」

「え、えぇ!?」

「顔とか体の怪我は治さなくていいですよ、というより……治したくないんです」

「ど、どうしてですか!?」

 

 突然の物言いに、メルルは驚きながら聞き返す。すると、シェリーは腫れた頬を指でさすりながら、柔らかく笑って言った。

 

「いま、体のあちこちが熱いんです。……こうして、本気でぶつかって、ようやくわかったんです。私がこれまで無視してきたこの感覚こそが、この『熱』こそが、痛みなんだって」

「シェリー、さん……」

「メルルさん、すみませんが、私はこの『熱(いたみ)』と向き合ってみたいんです」

「わ、わかりました……っ」

 

 シェリーの強い意志を尊重することを決めて、メルルは渋々といった様子で彼女の口元に両手を添えて魔法を使う。

 

「……! ふう……。お口の中だけは治しました。ただ、体も疲れているでしょうから、安静にしていてください」

「はーい」

「メルルさん、エマさん。シェリーさんはわたくしが見ていますから、少し2人にさせてくださる?」

「え? ……うん、わかった。メルルちゃん、リンネくんの怪我も診てあげてくれる?」

「そうですね! では、私たちは席を外します」

 

 ハンナにもそう言われて、エマとメルルは医務室から包帯や消毒液、痛み止めなどを持って出ていく。残ったハンナを横目に、ずりずりと姿勢をずらしてベッドに横になるシェリーは、彼女を見上げて言う。

 

「ハンナさん。私、その……」

「──前に、あなたにお風呂に誘われたとき、嫌がったことがあったでしょう」

「え? ああ、はい」

「あれ、わたくしの貧相な体を見られるのが嫌なのもありましたが、それだけではなくてですね。……前に、地下の部屋で着替えていたあなたの体を、うっかり見てしまったことがあるんですのよ。……あなたの、古(・)傷(・)だ(・)ら(・)け(・)の(・)背(・)中(・)を」

「…………。ありゃ〜、それはまた汚いものをお見せしてしまったようで」

「──汚いものですか」

 

 ハンナは椅子に座りながら、横になるシェリーを見下ろして、殴られて腫れている部位に触れないように気をつけながら髪を指で撫でる。

 

「確かに驚きましたが、あなたの事情を知れば、それはむしろ、あなたが必死に生きようとした証だとわかったのですから。あなたはわたくしなんかを分不相応な言葉で褒め立てましたが、全くの逆じゃないの」

「は、ハンナ、さん」

「あなたは、ただの人間ですわ。さんざん傷つけられて、心を守るために歪まざるをえなくて、ノンデリで、アホ面で……わたくしたちの魔女化の心配をするあまりに変な行動に出たおバカな人間」

「え、わりと罵倒混じり……」

「なので」

「あ、はい」

 

 ビシッ、と言葉を区切ってから、ハンナはシェリーの片手を両手で包むように掴んで言った。

 

「もう、無茶はしないこと。いい?」

「…………わかりました」

「よろしい。……さ、疲れてるでしょうし、そろそろお眠りなさいな」

「そうですね〜。あ、夕食の時間には起こしてください! あんな料理でもカロリーと栄養は必要なので」

「ほんと、あんな料理でも……なのよねぇ。というか大丈夫なんですの? あなたさっき奥歯が折れてるとかどうとか言ってませんでした?」

「おっと、そうでした。酷いですよねぇ〜乙女の顔面容赦なくぶん殴るんですから、リンネさんってば私のことをなん、だ、と…………」

「……シェリーさん?」

 

 ハンナと会話をしながら、シェリーはそれとなく舌で口の中を探るように触る。

 特に、なかば無意識に折れたはずの奥歯の辺りに舌を這わせて、ふと違和感を覚えた。

 

「……!?」

「な、なんですの!?」

 

 ガバっと起き上がり、シェリーは驚くハンナを余所に指を口の中に突っ込み、歯を確認して──気づく。あ(・)る(・)のだ。折れたはずの奥歯が。

 

「治ってる……いや、戻(・)っ(・)て(・)る(・)……!? …………まさか、メルルさんの魔法って…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──メルルはリンネへの【治癒】も終えたあと、割れた窓ガラス付近に近づいていた。

 

「──ふっ……!」

 

 そして、ガラスの無い窓枠に手をかざして魔法を発動する。──と、周囲に飛び散ったガラスがひとりでに動き出し、映像を逆再生するかのように戻っていき、やがて時間を掛けずに窓ガラスは割れる前の形状まで戻っていた。

 

「……まったくもう、あんまり派手に壊されると困ってしまいます」

 

 ため息をついて、メルルは踵を返す。ゴクチョー経由でシェリーとリンネに決闘をさせることになったことに苦心しつつ、ともあれなんとか誰も死ななかったことにホッとしていると。

 

「ふんふ〜ん♪」

「……ノア、またそれか」

「ん〜、なんか耳に残っちゃってて」

 

 ふと、地下室に向かう階段のある玄関付近で、ノアとアンアンの後ろ姿を見つける。

 

「…………えっ」

 

 後ろ姿を見つける。それだけならよかった。けれども、問題は、ノアが口ずさんでいた歌にあった。

 

「のっ、のののノアさん!!!」

「ひゃあぃ!?」

「ぬおぉっ!?」

 

 メルルが恥も外聞も投げ捨てた勢いで駆け寄り、2人の肩をがしりと掴んで引き留める。

 

「いっ、今の……今の歌! それっ、どうして……いったいなぜ知ってるんですか!?」

「な、なぜ? なぜって〜〜その〜〜」

「り、リンネがわがはいたちの部屋に閉じ込められたときにヤツが歌ってくれた子守唄だが……そ、それがなんだ?」

「…………リンネ、さんが……???」

 

 メルルの手から力が抜ける。異様さに恐怖よりも心配が勝った2人に見上げられながら、メルルは動揺と困惑で視線が右往左往していた。

 

「……どう、して、どうして、リンネさんが……」

 

 ──どうして、竜胆リンネが、大(・)魔(・)女(・)様(・)の(・)子(・)守(・)唄(・)を知っているのか。

 

「……聞かなきゃ……」

「え? メルルちゃん?」

「な、なんだったのだ……」

 

 

 

 

 何が何やらといった様子のノアとアンアンを尻目に、メルルはおぼつかない足取りでリンネの元へ向かうために歩を進める。

 500年待ち侘びた目的を果たすために、停滞した澱みに流れを加えるために。メルルはリンネが体を休めるために1人になりたいからと向かったはずの娯楽室に向かうべく、2階への階段を駆け上がった。




お気に入りと感想と高評価ください。


橘シェリー
・『痛みは普通に感じてるが気にしないでいられる』という特殊な体質で、そのため処刑による恐怖や苦痛での魔女化の促進が出来ず、原作1章3話ではハンナを殺害したのち火刑で焼死、2章4話ではレイアとエマを殺害した犯人として処刑されるハンナを人として死なせるために乱入し、落石に巻き込まれ共に死亡。
本作ではこのまま牢屋敷生活を送ることが緩やかな自殺であることを理解し、流れを変える切っ掛けを作るためという打算も込めて、どこか普通の人間とは違うリンネに期待し決闘(ケンカ)を持ちかけるも敗北。しかし本気でぶつかったリンネの拳から『熱(いたみ)』を感じ、自身が人間であることを再確認することができた。

竜胆リンネ
・『拳が掠れば青痣、掴まれたら骨折、おまけに痛みを全く気にしない、ミニサイズのヒグマのような女と戦って殴り勝て』という無茶振りを完遂した。
リンネ自身、どのループでもシェリーに対しては「痛みを不快に感じない以外は普通の人間じゃないのか?ぶっちゃけお前みたいなヤツわりと居るだろ?」くらいにしか思っていないが、本人に口だけで言っても全く通じないため、どちらにせよ拳で語り合う以外にわからせる手段は無い。勝率は約8割。

氷上メルル
・……え???
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