「お話いたしましょう。我らの千年間を」
嘗てこの大森林には魔王の国が存在した。
彼らは圧倒的な武力によって森を平定し、そこに地上での魔族の拠点となる国を興した。
数代の後、かの国は繁栄し大陸中の富、武力、技術、人が集まる場所になりつつあった。
かの国はあらゆる種族を受け入れる。人であれ、魔物であれ、悪魔であれ天使であれ。
先代まではそうではなかった。だが、時の魔王は人類との共存を望んだ。
あらゆるものを受け入れる坩堝と化したかの国は更に発展した。結果としてある一人の少年、少女と大妖怪を呼び寄せることになる。
国の支配者、魔王たる彼女は彼らを受け入れるか悩んだ。
少年は人類の宗教である教会と敵対し妖怪は恨まれていた。
受け入れると言う事は人類との共存に大きくブレーキを掛けることになる。
だが、魔王は彼らを追い出すことは無かった。
時を過ごし、友として、信頼できる家族として接した。少年とは親友として、後の二人とは姉妹のように。
神を殺し、悪魔を退け、幾度もの戦争を跳ね除けた。
時には死地を、時には地獄を、時には天国を、時には地上を共に駆けた。
人類の国家とは関係が悪化したが魔王が予想したほどの大ごとに発展せず、今後、長い間睨み合いを続けることになる。
そして、長い、永い時が過ぎた。
幾度もの戦乱、平穏、危機が訪れ魔王は全てに対処した。時には失敗したが多くの者達の手に支えられ立ち上がり続ける。
少年も、魔王に並ぶ『覇王』として隣に立ち、共に歩んだ。
少女は少年と共にある。
妖怪は怠けてこそいるが大変な時には手を貸している。
次もきっと大丈夫。
誰もがそう思っていた。
それが起きるまでは。
その時までは。
それを目にするまでは。
ある日の、朝。
良く晴れ気持ちのいい朝。
覇王と妖怪は出かけ国には居ない。
いつも、彼らの笑い声の聞こえる場所に立っていたのは血に濡れた勇者、そして、塵となり始めた魔王。
広場には陽気な誘い声も、無邪気な笑い声も、暖かな呟きも無い。
僅かな生き残りは覇王と妖怪に助けを求めた。
先に到着したのは覇王。魔王の臣下たちは見たこともないほど怒り狂った彼を見て勝利を確信した。
しかし、返ってきたのは斬り落とされた右腕。
行方は知れず同行した少女も生死は知れない。
勇者は撤退した。
だが、妖怪も遥か遠き地から来た英雄に討たれ、魔族たちに戦う力は残っていない。
国は崩壊し、魔族は行き場を失った。
同盟を結んでいた国は反旗を翻し味方はいない。
各地で腫物のように扱われ、次第に迫害された。
過去の鬱憤を晴らすかのように。
体も魔力も強く見目も麗しい魔族は奴隷として扱うには理想的であった。
魔王と言う庇護者が消えたことにより各地に存在した魔族は奴隷狩りの対象となる。
奴隷となった魔族は時には肉壁として、戦争に駆り出され、またある者は権力者の私兵として、もしくは慰み者として使われ壊れれば解体され売り飛ばされる。
嘗ての栄光などどこにも残らない。
この世界で安心できる場所など無く、常に聖騎士と奴隷商に脅えて過ごさねばならなかった。
だというのに彼らは変われなかった。
彼らは賢くはあったが人間ほど狡猾でも柔軟でも無かった。
太古の昔から捕食者であった魔族は狩られて尚、その事実を目にして尚、変わらない。
人間と言う数が多いだけの種族から逃げることに恥を覚え、泥水を啜ってでも生き抜こうとする者を軽蔑した。
彼らは大半が復讐、仇討に躍起となり戦い、敗れた。
逃げるべき。姿を隠すべきであった。
現状を理解した者達は離れ隠れ逃げ延びる。
復讐に心を燃やしていた者達は死んでいった。
逃げ延びた魔族もやがては殆どが人間に見つかり殺される。
結果、狩られ蹂躙され魔族は地上からは一部の混血や人間社会に紛れた極々少数を除き姿を消したとされている。
魔王城のあった森の最深部には今では朽ち果てた廃墟が残るのみとされている。
「……」
言葉が出ない。
不快そうに顰められた表情が彼の内心を物語っている。
「……惨状は、知っているつもりだった」
「ええ」
「だが、認識が甘かったのか」
沈痛な静寂が場を包む。
エルリアも現状についてはある程度、知っているつもりである。
しかし、どこかの国の重役と言う訳でも、教会の幹部でもない一冒険者の持つ手段は少ない。
情報の隠蔽をされてしまえばそれを探すのは困難を極める。
奴隷となった魔族を見たことはある。
奴隷狩りも知っていた。
でも、知っていただけなのだ。
「すまない。俺は、何もできなかった」
深く頭を下げる。
彼らが苦しんでいる時、自分はただ、逃げていた。
ダラダラとなんの目標もなく、死ぬ気にもなれず惰性で生き続けていた。
勇者から受けた傷は癒え、力こそ封印されたままだが、今では冒険者としてそこそこの地位にいる。
全員を解放することはできないだろう。
或いは、自らを捨て石とすれば助けれたかもしれない。
流石に見ず知らずの魔族にそこまでは出来ないが、少数であれば助けられたかもしれないのだ。
売られている奴隷を買う、その上で開放する。
匿う。逃げる道を作る。
幾らでもやりようはあった。
「それでも、俺は動かなかった。逃げて、絶望して……理由を付けて、後回しにして、何もしなかった」
エルリアは、ゆっくりと噛み締めるように言う。
「すまない」
「いえ、貴方が謝られることなどどこにも御座いません。全ては我々の実力不足。魔王様をお守りし切れなかった我々にこそ責はあります」
「だがな……」
「勇者と戦った後、どうなったかは存じ得ませんがそれでも相当に精神をすり減らされていたでしょう。我々の為に戦っていただいただけで十分なのです。それ以降の事に責任を感じる必要はありません」
確かに、勇者と戦った直後のエルリアは憔悴していた。
同行していたヴェルを喪い、自身は力を失った。
魔族は蹂躙され、帰る場所もない。
一時期は本当に廃人のようになったこともある。
自死を選ばなかったのは本人の気質故か、それともただの惰性かは分からない。
それでも、エルリアは謝らなければならない。
親友の遺したものを、守れず、目を背けて逃げてきた。
「だから、謝らせてくれ」
「……分かりました。謝罪を受け入れましょう。代わりと言っては何ですが願いを一つだけ、聞いてもらえますでしょうか?」
「俺にできる事なら何でも」
渋々と言った体でルフェアは謝罪を受け入れた。
二人は家の外に出ると里の中を歩いて回った。
魔王城とその城下町の跡地に作られた里はどこに行っても街の残滓が見える。
不健康と言う程ではないがおおよそ、健全とは言いにくい者も多い。
「食料が無いのか?」
「ええ。確かに獲物は豊富なのですがこの森の深淵部故、脅威度も高く……」
獲物はいるが強い。そのため、全員が生活できるほどの食料を安定して供給するのは難しい。
かと言って農業をするにもノウハウが無い。
「ただ、不満は無さそうだな」
「彼らは、生まれた時からこうですので」
ルフェアが言うには魔王領時代の豊かな生活を知っている魔族は殆ど残っていないとのこと。
数人いるらしいが彼らは世に疲れ、話したがらない。
新たに生まれた者は豊かさを知らない。
知らなければ不満は生まれない。
「その代わりに向上もない、と」
不満が無ければ向上心も生まれにくい。
新たに生まれた世代は不満を知らない。
過去を知る者達は目指すことを諦めた。
魔王の生きていた頃、彼らは希望を持っていた。
意欲があり、街がキラキラと輝いていた。
この里はどうだろうか。
「ん?」
少し眉を落としていればくいくい、と何かに袖を引っ張られる。
「あい」
子供が小さな花を差し出していた。
落ち込んでいると思われたのだろうか。
受け取るために屈めば頭を撫でてくる。
黄色く、優しく開いた花。
幸縁花。魔王城周辺に多く生えていた花だ。
「ありがとう」
「うぃ。あんばって」
バイバイ、と手を振って子供は去っていく。
奥から親と思われる魔族が走ってきて申し訳なさそうに頭を下げている。
大丈夫だと身振りで伝え、もう一度、歩き始める。
「なぁ、ルフェア」
「何でしょう」
「お前の願いってのは何だ?」
少しだけ間を開けてルフェアは言った。
「私の願いは、我らの国の再興。……そして、貴方に願うは」
振り返り、エルリアの目の前に跪く。
頭を深く垂れる。
「我らが王。再び王として、覇王として立っていただきたい。これが、私が叶えていただきたい願いであります」
「そう。そうか」
ふふ、と軽く笑う。
小さく笑っただけだがそれは、心から、本当に嬉しそうだ。
「……俺を、選んでくれてありがとう」