八月に入ってから、輝夜の配信には、歌やゲームとは少し違う時間が増えていた。
何か大きな企画を立てるわけでもなく、現実の部屋からカメラを繋ぎ、コメント欄を眺めながらその日の気分で話していく雑談配信である。以前なら、話題が途切れるたびに彩葉へ視線を送り、次に何を話せばいいのかと助けを求めていたかもしれない。けれど、路上ライブや歌配信を重ね、芦花や真実と一緒にKASSENやDANMAKUへ挑戦するようになった今では、輝夜自身が画面の向こう側にいる人々とのやり取りを楽しめるようになっていた。
その日の夜も、輝夜はいつもの机の前に座っていた。画面の中心に映るのは輝夜。その少し横には彩葉がいる。完全な裏方へ引っ込むわけではなく、コメント欄を確認したり、必要なところで話を補ったりする程度には配信へ参加している。
視聴者にとって、彼女はあくまで「いろP」だった。
二人きりなら自然に「彩葉」と呼ぶ輝夜も、配信中だけはその名前を口にしない。何度か危うい場面を経験したおかげで、いまでは意識しなくてもかなり自然に呼び分けられるようになっていた。
「今日は何を話せばいいの?」
「雑談なんだから、好きに話していいよ。この前のKASSENでもDANMAKUでも、コメントで聞かれたことでも」
「じゃあ、今日は私に任せて」
配信開始前の短いやり取りを終えると、彩葉は最後の確認を済ませた。少し前までなら、この瞬間になると輝夜もわずかに緊張していた。けれど今は違う。カメラの向こうへ大勢の人間がいることを理解したうえで、それでも自然体でいられる。配信開始の表示が出て、すぐにコメント欄へ文字が流れ込んでくる。
『こんばんは』
『輝夜ちゃんきた』
『いろPもいる?』
『今日は部屋配信だ』
『二人いるの嬉しい』
「こんばんは。いろPもちゃんといるわよ」
「いるけど、今日は輝夜が中心だからね」
「分かってるわ。いろPは隣にいて」
彩葉がカメラへ軽く手を上げるだけで、コメント欄にはさらに多くの反応が流れた。
最近では、輝夜だけでなく、その隣にいるいろPまで含めて一つの配信として楽しみにしている視聴者が増えている。彩葉自身はいまだに自分が表へ出ることへ慣れきってはいなかったが、輝夜にとっては、彩葉が隣にいることそのものがすでに配信の一部になっていた。
最初の話題は、ここ数日で遊ぶ機会の増えたゲームについてだった。KASSENでは芦花と真実に教えられる側だったこと。対してDANMAKUでは、初めて遊んだにもかかわらず二人に勝てたこと。
さらに、自分でも通常弾やスペルを作れると知ってからは、どんな弾幕なら綺麗に見えるのか、どこまで複雑にしてもきちんと避けられるのかを考えること自体が面白くなっていること。話している輝夜は、少しだけ得意そうだった。
『DANMAKUまた見たい』
『初見で二人倒したのまだ信じられん』
『自作スペル作ってる?』
『絶対むずいの作る』
『審査通るやつにしてね』
「失礼ね。避けられないものは審査に通らないんでしょう?」
「そこはちゃんと守ってね。面白そうだからって無茶しないでよ」
「分かってるわよ」
そのまま輝夜は次のコメントへ目を移した。
会話の合間には、彩葉のマウスを動かす音だけが小さく響いていた。配信の流れを妨げるようなコメントが混じっていないか、彩葉は半ば習慣になった動作で画面を確認している。だからこそ、一つだけ毛色の違ったその文章は、妙に目についた。
『輝夜ちゃん結婚して』
彩葉の視線が止まった。ほんの一瞬だった。
次の瞬間には、考えるより先に指が動いていた。
コメントが消える。
削除してから、自分でも僅かに眉を寄せた。
荒らしではない。
暴言でもない。
輝夜を傷つける内容でもない。
配信をしていれば、好きな相手へ冗談半分に「結婚して」と書き込む視聴者が現れることくらい、彩葉にも分かっている。それなのに、輝夜が見る前に消してしまった。
「いろP?」
「何?」
「今、何か消したでしょう?」
輝夜が横から画面を覗き込もうとしたため、彩葉は何でもないようにスクロール位置を少し動かした。
変なコメントだった。それだけ答えて、詳しい説明はしなかった。けれど、削除されたことそのものに気づいた視聴者はいた。
『今なんか消えた?』
『いろPが消した?』
『何書いてあったんだ』
彩葉は反応しない。その直後、別の誰かが同じ内容を書き込んだ。
『輝夜ちゃん結婚してください』
また削除した。
今度は消える前に見た者が多かった。
『結婚って書いたら消されたw』
『いろP検閲入ってる?』
『俺も輝夜ちゃんと結婚したい』
『私も結婚したい』
彩葉は二つとも消す。けれど、一つ消せば二つ増え、二つ消せばそれを見た者がさらに参加する。最初は淡々と処理していた彩葉だったが、次第にコメントの方が速くなり、完全には追いつけなくなった。
「……いろP、さっきから何してるの?」
「変なのが多いだけ」
「そんなに?」
輝夜が自分の目で確かめようとコメント欄へ視線を戻した。
その瞬間だった。
『輝夜ちゃんと結婚したいです』
彩葉の指より先に、輝夜の目が文字を捉えた。
「あ」
僅かに声を漏らし、そのまま動きを止める。隠す意味がなくなったと判断した視聴者たちが、さらに同じような言葉を書き始めた。
『結婚してください』
『俺も』
『私も輝夜ちゃんと結婚したい』
『どうしたら結婚できますか』
『いろPもう無理だぞ』
『本人にバレたw』
彩葉はとうとう削除するのをやめた。
輝夜はしばらく黙ってコメント欄を眺めていた。恥ずかしがっている様子はない。かといって、すぐに笑って流すわけでもなかった。知らない誰かが、自分と結婚したいと言っている。しかも一人や二人ではない。
その事実よりも、なぜそう思うのかという理由の方へ興味が向いたらしい。
「私のどんなところがいいの?」
「そこ聞くんだ……」
「だって、気になるでしょう?」
問い掛けはあまりにも素直だった。自慢したいわけでも、求婚者を試したいわけでもない。本当に、自分の何を好きだと思ったのか知りたいだけだった。コメント欄の内容が一斉に変わる。
『歌声』
『笑った顔』
『かわいい』
『歌ってるとき楽しそうなところ』
『自信満々なところ』
『何でも楽しそうにやるところ』
『思ったことそのまま言うところ』
『ちょっと世間知らずなところ』
『路上ライブから好き』
『いろPにおねだりしてるとき』
『いろPと一緒にいるときの輝夜ちゃん』
輝夜は一つずつ、かなり丁寧に読んでいた。歌を褒められることは嬉しい。容姿を好かれることも悪い気はしない。けれど、それ以上に、自分では意識していなかった部分まで見てもらえていることが面白いようだった。
何でも楽しそうにするところ。思ったことをそのまま言うところ。彩葉へ何かを頼むときの態度。そして、いろPと一緒にいるときの自分。最後の一文だけは、ほんの少し長く視線が止まった。
輝夜が横を見る。彩葉も同じコメントを読んでいたらしい。一瞬だけ目が合いそうになり、彩葉の方が先に画面へ視線を戻した。
「そんなにあるのね」
「全部真に受けなくていいからね」
「でも、歌が好きって言ってくれてる人はいっぱいいるわ」
求婚そのものより、自分を見てもらえていると知ったことの方が嬉しいらしい。輝夜の表情には、最初よりもはっきりとした笑みが浮かんでいた。やがて、視聴者の興味は再び最初の問いへ戻っていく。
『じゃあ結婚してくれますか』
『どうしたら結婚できますか』
『条件ある?』
『何すれば結婚できる?』
今度は彩葉も消さなかった。輝夜はその文字を見つめたあと、ほんの一瞬だけ横にいる彩葉へ視線を送った。何かを思いついた。そのことだけは、表情を見れば分かった。
「わたしと結婚したいなら、まずいろPを倒してちょうだい。このお題を果たせないなら、結婚しないわ」
彩葉の顔が固まった。
「……ちょっと待って。なんで私なの!?」
「一対一ならSETSUNAとかDANMAKUがあるでしょう?」
輝夜の中では、すでにかなり筋の通った話になっているらしい。
コメント欄は完全に沸騰した。
『!?』
『いろP倒せばいいの?』
『難題きた』
『門番いろP』
『SETSUNAで勝てばいいのか』
『挑戦する』
『ガチでいろP倒す』
彩葉にしてみれば、とんでもない話だった。なぜ輝夜との結婚条件として、自分が立ちはだからなければならないのか。しかも挑戦者側は、単なる冗談として聞き流してはいなかった。本当に勝てば、輝夜が認める。そう受け取った者たちが、すでに勝つための話を始めている。
「私が負けたらどうするの?」
「その人が難題を果たしたことになるわ」
「それでいいの?」
輝夜はそこで初めて少しだけ考えた。そして、視聴者へ向けていたときとは違う、柔らかな表情で彩葉を見る。
「いろP、私を守ってね」
その一言で、彩葉の反論が止まった。自分で難題を作り、その前へ彩葉を立たせ、突破されたら結婚を認めると決めておきながら、その彩葉には負けないでほしいと言う。
随分と勝手な話だった。けれど、輝夜の目には冗談めいた色がない。本気で、いろPなら自分を守ってくれると思っている。
『守ってねはずるい』
『いろP絶対負けられない』
『ガチ勝負確定』
『姫を守れ』
『SETSUNA練習してくる』
彩葉は額へ片手を当てた。視聴者の方も完全にやる気になってしまっている。
こうなれば、もはや冗談だけで終わる雰囲気ではなかった。
◇ ◇ ◇
配信画面には、大きな文字が表示されていた。
――輝夜争奪KASSEN選手権。
今回の参加者は五人。
募集を始めると、想像以上の人数から応募が集まった。企画だから参加してみようという軽い者だけではない。勝つつもりでSETSUNAを練習し、いろPのこれまでの戦い方まで研究してきた者が何人もいた。
輝夜が出した条件を、皆が本気で受け取っている。いろPを倒せば難題達成。少なくとも彼らは、その先に本当に輝夜がいると思って戦う。
『輝夜争奪KASSEN選手権きた』
『今日はガチ』
『いろP倒せば輝夜ちゃん』
『挑戦者全員練習してきてるらしい』
『姫の門番を突破しろ』
「本当にみんな本気なんだけど……」
「いいじゃない。本気じゃないと難題にならないもの」
「輝夜は気楽だよね」
彩葉はそう言いながらも、いざゲームへ入れば表情を切り替えた。ここで手を抜く気はなかった。
最初に「守ってね」と言われたとき、その場では何とも答えなかった。けれど、いま自分が負ければ、相手は輝夜の難題を突破したことになる。そう思うと、簡単に負けてもいいとは思えなかった。
一人目は、開始直後から一気に攻め込んできた。彩葉に考える時間を与えないための速攻。動きにも迷いがなく、事前に何度もこの形を練習してきたことが分かる。それでも、攻め続けるという方針そのものが読まれれば脆い。
彩葉は正面から受けず、相手が踏み込みすぎた瞬間だけを拾った。
一人目、敗退
『いろPつよ』
『初戦からガチだった』
『輝夜ちゃんめっちゃ嬉しそう』
『まだ四人いるぞ』
輝夜は隠そうともせず満足そうだった。自分を争っている選手権なのに、挑戦者の敗北を残念がる気配はない。
二人目は、彩葉のカウンターを警戒して徹底して待った。先に仕掛けず、彩葉の動きへ合わせることだけを狙う。一戦目を見て戦術を変えてきたのだろう。
だが、待ち続ければ主導権を失う。彩葉は相手に選択を迫る状況を少しずつ作り、最後には自分から動かざるを得ない形へ追い込んだ。
二人目も敗退
『二連勝』
『いろP崩れない』
『輝夜争奪の壁高すぎ』
『でも次の人かなり強いぞ』
三人目は、そのコメント通りだった。事前に彩葉の戦い方をかなり研究している。
好む距離。
攻撃を仕掛けやすい場面。
相手の動きを待つ時間。
そのいくつかを読んでおり、初めて彩葉が明確に追い込まれた。
『いける』
『いろP押されてる』
『難題突破あるぞ』
『輝夜ちゃんの顔が真剣になった』
画面の端で、輝夜の表情から笑みが消えていた。彩葉が攻撃を受けるたび、自然と身体が前へ寄っている。
最後は本当に僅かな差だった。挑戦者が、彩葉ならこの方向へ避けると読み切って踏み込む。
その読みを逆に利用した彩葉が位置をずらし、最後の一撃を通した。
三人目、敗退
輝夜が息を吐いた。本人は声に出していなかったが、明らかに安心した顔だった。
四人目は奇抜だった。一般的な戦い方から外れ、彩葉が対応しにくい動きを最初から組み立ててくる。序盤こそ翻弄されたが、彩葉は焦らなかった。何度か同じ形を見れば、そこに規則があると分かる。その瞬間から試合の流れが反転した。
四人目、敗退
残るは一人。
五人目は、参加者の中でもっとも評価の高かったプレイヤーだった。これまでの四人とは違い、一つの戦術へ固執しない。
攻めると見せて待つ。
待つと見せて一気に間合いを詰める。
彩葉が相手を読もうとするたび、そのさらに一つ先で選択を変えてくる。
『これガチで危ない』
『優勝候補』
『いろP頑張れ』
『輝夜取られるぞ』
最後のコメントを見た瞬間、彩葉の表情が僅かに変わった。それまで以上に集中する。輝夜も黙ったまま、画面だけを見ていた。
勝負は終盤までもつれ込んだ。最後に勝敗を分けたのは、本当に一瞬の判断だった。五人目が勝負を決めようと前へ出る。彩葉は下がらなかった。相手の攻撃を避けきるのではなく、その内側へ踏み込む。互いの動きが交差し。先に決定打を通したのは彩葉だった。
五人目、敗退
輝夜争奪KASSEN選手権
挑戦者、全滅
『全滅』
『いろP五連勝』
『ガチ勢五人倒した』
『難題突破者なし』
『輝夜ちゃん守り切った』
『本人めちゃくちゃ嬉しそう』
輝夜は、本当に嬉しそうだった。自分を争って本気で参加してきた五人が全員敗れた。そのことを残念がる様子はまるでない。
彩葉が最後まで勝った。
その事実だけで十分らしい。
「誰も突破できなかったね」
「それでいいわ」
「……やっぱり最初から結婚する気ないでしょ」
輝夜は答えず、ただ満足そうに笑った。それだけで、彩葉には十分だった。
◇ ◇ ◇
ところが、輝夜争奪KASSEN選手権が大きく盛り上がったことで、想定していなかった方向へ視聴者の注目が向いた。
五人の挑戦者を退けたいろP。これまで輝夜のプロデューサー、あるいは横にいる人という印象の方が強かった彩葉自身に、明確なファンが増え始めた。
別の日の雑談配信。先日の選手権について話している中へ、一つのコメントが流れた。
『いろPと結婚したい』
彩葉は最初、困ったように笑っただけだった。けれど、その一文をきっかけに、今度は彩葉へ向けた求婚が増え始める。
『いろP結婚してください』
『KASSEN見て好きになった』
『いろPかわいい』
『強いし面倒見いいし結婚したい』
『どうしたらいろPと結婚できますか』
輝夜の顔から、少しずつ笑みが消えていった。
怒っているわけではない。けれど、求婚コメントが流れるたび、その文字を目で追う時間が妙に長い。先ほどまで楽しそうに話していたのに、明らかに口数も減っていた。
『いろPと結婚する条件ありますか』
その一文で、輝夜の視線が止まる。
「私に勝ったら、いろPとの結婚を許可するわ」
「なんで輝夜が許可する側なの!?」
「いろPと結婚したいなら、私を倒せばいいのよ」
彩葉は呆然として輝夜を見る。当の輝夜には、何の迷いもない。自分と結婚したい者は、いろPを倒す。ならば、いろPと結婚したい者は、自分を倒す。
輝夜の中では、ひどく公平な話らしかった。コメント欄はすぐに反応した。
『相互門番きた』
『いろPを賭けて輝夜ちゃんと戦うの?』
『DANMAKUだろ』
『ガチで参加したい』
『第二争奪戦決定』
『いろP争奪DANMAKU選手権やろう』
その名称が、そのまま採用された。
◇ ◇ ◇
配信画面へ、大きな文字が表示される。
――いろP争奪DANMAKU選手権。
挑戦者は五人。
今回も募集開始直後から多くの参加希望が集まった。前回のような軽いノリはもうほとんどない。勝てばいろPへ一歩近づける。少なくとも挑戦者たちは本気でそう考え、それぞれが対輝夜用の戦い方を準備してきていた。
輝夜の初戦闘映像や、これまで公開されたDANMAKUのアーカイブまで研究している者もいる。しかも、輝夜の側も遊び半分ではなかった。あの日から作り始めていた自作通常弾と自作スペル。
正式対戦で使用するため運営へ提出し、回避可能性やルール適合性の審査を受け、その中から使用許可の下りたものを今回初めて本格的に投入する。
弾幕の意匠には、どこか共通するものがあった。
宝石を実らせた枝
炎の中でも失われない衣
龍が抱く珠
そして「難題」を賭ける今回の戦いには、不思議なほど似合っていた。
『いろP争奪DANMAKU選手権きた』
『今回は輝夜ちゃん突破戦』
『全員ガチ勢』
『いろPを勝ち取るぞ』
『輝夜ちゃん誰も通さなそう』
「みんな本気みたいね」
「そりゃ選手権って言ったら本気で来るでしょ」
「それなら私も本気でやるわ」
その言葉に、彩葉は少しだけ嫌な予感を覚えた。
輝夜は楽しそうだった。けれど、その楽しさの奥に、前回とは少し違うものが混ざっている。自分を争われたときは、どこか他人事だった。
今回は違う。争われているのは彩葉だ。
第一試合
一人目は徹底した回避型だった。輝夜のスペルを無理に破壊せず、弾幕の隙間を見つけ、グレイズを重ねながら耐える。最初のスペルを完全に凌ぎ切った。
『避け切った』
『うまい』
『一人目からレベル高い』
しかし、二枚目で弾幕の流れが変わった。正面から広がる光へ意識を向けた瞬間、斜め上から落ちてくる軌道を読み違える。その一度の判断ミスから残機を削られ、最後まで立て直せなかった。
一人目、敗退
『いろP一人目守られました』
『輝夜ちゃん嬉しそう』
『まだ四人』
二人目はスペルブレイクを狙う攻撃型だった。輝夜がスペルを展開すると同時に通常弾を集中させ、避けることよりも弾幕そのものを崩すことを優先する。一度は成功した。輝夜のスペルが途中で砕ける。
『ブレイク!』
『いけるぞ』
『いろP争奪ある』
だが、その成功で攻撃へ意識が寄りすぎた。
スペルが終わった直後の通常戦。回避が遅れた一瞬を輝夜は見逃さなかった。
二人目、敗退
三人目は、通常弾の配置が巧みだった。輝夜がどちらへ避けるかを予測し、その先へ弾を置く。何度か完全に進路を読まれる場面もあった。
それでも、空中での位置取りそのものは輝夜の方が自然だった。横へ逃げると思わせて高度を変える。下降すると見せて相手の真上へ抜ける。三次元の移動を、考えて選んでいるというより、身体が知っているように使う。
三人目、敗退
『あと二人』
『また全滅あるぞ』
『次の人かなり強い』
『いろPのために頑張れ』
四人目は、その日の挑戦者の中で初めて輝夜を明確に追い込んだ。回避も攻撃も安定している。輝夜のスペルを見て、ブレイクできるものと避けるべきものを即座に見極める。通常弾でも輝夜の動きを制限し、残機を削った。
『輝夜ちゃん残り少ない』
『あるぞ』
『勝てる』
『いろP結婚まであと少し』
その最後の一文が流れた瞬間だった。輝夜の顔から笑みが消えた。ほんの僅かな変化だった。けれど、動きは明確に変わった。それまでならグレイズを狙えた弾へ寄っていた場面でも、必要以上の危険は取らない。相手の移動先を先に潰し、徐々に逃げ場を狭めていく。
一発で勝負を決めようとはしない。
確実に。
一つずつ。
相手が選べる行動を減らしていく。
最後には、追い詰められた挑戦者が避ける方向を誤った。
四人目、敗退
『急に本気度上がった』
『輝夜ちゃん怖い』
『絶対いろP渡したくないだろ』
『門番じゃなくて護衛』
輝夜はコメントを読まなかった。勝敗表示だけを確認しわずかに息を吐く。
最後の五人目。今回の優勝候補だった。輝夜のこれまでのDANMAKUをかなり研究している。無理にスペルを壊さない。グレイズを取れる場面だけ近づく。喰らいボムを使うタイミングも完璧。
輝夜がこれまで自然に使っていた技術を、相手も意識的に準備してきていて勝負は長引いた。
『五人目強い』
『これ本当に分からん』
『輝夜ちゃん頑張れ』
『挑戦者頑張れ』
挑戦者が輝夜の弾幕を抜けるたび、少しだけ身体が強張る。輝夜が残機を削ると、僅かに肩の力が抜ける。
やがて、最後の攻防へ入る。挑戦者は輝夜のスペルを破壊するのではなく、最後まで避け切ることを選んだ。密度の高い光の中へ、安全な道は残されている。ほんの僅かに。
理論上は通れる。だが、その道は一瞬ごとに形を変えていく。
最後の最後。
挑戦者が一歩だけ遅れた。
被弾、残機が尽きる。
五人目、敗退
いろP争奪DANMAKU選手権。
挑戦者、全滅。
『全滅』
『こっちも突破者ゼロ』
『輝夜ちゃん強すぎ』
『いろPへの道遠すぎ』
『ガチ勢五人でも無理だった』
『二人とも鉄壁すぎる』
輝夜は勝敗表示を確認したまま、しばらく何も言わなかった。五人全員を退けた。彩葉へ辿り着いた者は一人もいない。胸の奥にあった落ち着かないものが、ようやく少し静まっていく。
けれど、コメント欄では早くも次を口にする者がいた。
『次はもっと練習する』
『次こそいろPと結婚する』
最後の一文で、輝夜の視線が止まった。少しだけ目を細める。先ほどまでの勝負を楽しんでいた顔とは違う。
ほんの一度、すぐ横にいる彩葉へ目を向ける。そして、再びカメラを見る。
「残念だけど、いろPは誰にも渡さないわ」
彩葉の動きが止まった。コメント欄も、一瞬だけ沈黙したように見えた。
次の瞬間。
『!?』
『今なんて?』
『誰にも渡さない!?』
『独占宣言きた』
『それもう争奪戦成立しないだろ』
『いろP固まってる』
『本気じゃん』
輝夜は言い直さなかった。冗談だとも、配信を盛り上げるための演出だとも付け加えない。自分の中にあった感情を言葉にして、それを初めて自分でも認めたような表情だった。
「……私は輝夜のものじゃないからね?」
「分かってるわよ」
「じゃあ、その言い方は何なの……」
彩葉は困ったように輝夜を見る。所有していると思われているわけではない。それくらいは分かる。
輝夜自身も理解している。
それでも。
「誰にも渡したくないのは本当よ」
二度目は、先ほどより静かな声だった。だからこそ、彩葉はすぐに返す言葉を見つけられなかった。
『ガチだ』
『いろP何か言え』
『相互門番じゃなくて相互独占では?』
『争奪戦やった結果二人の独占欲が分かっただけ』
彩葉はコメント欄へ視線を戻した。これ以上輝夜の方を見ていると、何を言えばいいのか分からなくなりそうだった。その隣で、輝夜はむしろ少し落ち着いていた。
自分から「私に勝てたら許可する」と言い出した。それなのに、実際に挑戦者が彩葉へ近づきそうになるたびに嫌だった。
四人目に追い込まれたときも、最後の一人がスペルを避け続けたときも、頭のどこかにあったのは勝負そのものではない。
この相手が自分に勝ったら。
その先に、いろPがいる。
それが嫌だった。
誰にも渡したくない。
結局、理由はそれだけだった。
『相互難題』
『互いの門番』
『輝夜ちゃん→いろPが守る』
『いろP→輝夜ちゃんが守る』
『誰も突破できませんでした』
『結局お互いが一番ガチだった』
配信終了が近づいても、コメント欄では二つの争奪選手権についての話が続いていた。輝夜へ辿り着くためには、いろPを倒さなければならない。いろPへ辿り着くためには、輝夜を倒さなければならない。
挑戦者たちは全員、本気だった。KASSENでは彩葉を研究し、勝つための戦術を用意した。DANMAKUでは輝夜の弾幕を分析し、突破するために練習してきた。それでも、一人として難題を越えられなかった。
そして何より。
一番本気だったのは、門番として立った二人の方だった。
輝夜を誰にも渡したくないと、最後まで負けなかった彩葉。
いろPを誰にも渡したくないと、最後には自分から言葉にした輝夜。
本人たちがその違いをどこまで理解しているのかは、まだ分からない。
ただ。
配信が終わり、画面が暗くなったあとも。
「いろPは誰にも渡さないわ」
その一言だけは、彩葉の耳に妙に鮮明なまま残り続けていた。