外で意識を失ってから数日、彩葉の生活は、それまで本人が崩さないよう必死に守っていた予定表とは正反対の、ひどく静かなものへ変わっていた。
学校で予定されていた講習にはしばらく出ず、アルバイトにも休みの連絡を入れ、外へ出る予定そのものをいったん取りやめる。翌朝には熱も前日ほどではなくなっていたため、彩葉としては早くも普段の生活へ戻れるような気がしていたものの、身体にはまだ重さが残り、少し長く起きているだけでも頭の奥へ鈍い疲れが溜まってくる以上、自分でも完全に回復したとは言い張れなかった。
何より、輝夜と交わした約束がある。
無理なときは無理と言うこと
今日やらなくてもいいことは明日へ回すこと
休んだ方がいいときには、きちんと休むこと
自分で口にして約束したばかりなのだから、翌日から破るわけにもいかず、彩葉は大人しく講習とアルバイトを休むことにした。ただし、完全に何もしないまま寝ていることまで受け入れられたわけではない。
体調が落ち着いている時間には机へ向かい、自宅で進められる夏休みの課題や、講習で扱う予定だった範囲の勉強だけは少しずつ進めていた。外へ出る必要がなく、時間も自分で区切れる勉強であれば、疲れたところで止めればいいし、何もせず横になっているだけでは、休んでいるというより予定から取り残されているような不安の方が強くなってしまう。
そこまでは、輝夜も止めなかった。
問題なのは、その代わりに彩葉へ向けられる視線だった。
机へ座れば見る
水を飲めば見る
一度咳払いをしただけでも、携帯を触っていた顔をすぐに上げる
最初のうちは偶然目が合っているだけだと思おうとしたのだが、問題集から顔を上げるたび、ベッドやソファにいる輝夜がこちらをじっと見ているものだから、さすがに偶然では説明できなくなった。
「……輝夜、さっきから何?」
「何が?」
「ずっとこっち見てるでしょう?」
輝夜は悪びれる様子もなく、彩葉の顔を正面から見た。
「顔色を見てるだけよ。朝より悪くなってないか確認してるの」
「そんな何回も確認しなくても大丈夫だよ」
「この前も大丈夫って言ってたわ」
あまりにも即座に返され、彩葉は開きかけた口を閉じた。
不動産屋の前でも大丈夫だと答え、帰ったら休むと言った直後に、輝夜の声へ返事をすることさえできなくなって倒れたのだから、今の自分が何度「大丈夫」と繰り返しても、以前ほど信用してもらえないのは仕方がない。
「でも、本当にちょっと勉強してるだけだからね。頭が重くなったら止めるし」
「それならいいわ」
返事だけ聞けば納得しているようだったが、その後も視線が完全になくなることはなく、彩葉は半ば諦めながら問題集へ戻った。
しばらくして集中が途切れ始めると、以前なら「あと少しだけ」と続けていたところで、自分からペンを置いた。限界までやってから休むのでは意味がないと理解したばかりなのだから、まだ進められると思えるところで止めるくらいがちょうどいい。
「今日はここまでにする」
その声へ、輝夜がすぐ反応した。
「本当に?」
「そこは信用してよ。ほら、もう閉じたから」
「また開かない?」
「開かないよ。約束したでしょう?」
彩葉が問題集を机の端へ寄せるところまで見届けると、輝夜はようやく満足したように笑った。
監視されているようで落ち着かない部分はあっても、意識を失った自分を抱えて家まで運び、仕事先へ連絡し、初めての料理まで作ってくれたことを思えば、少しくらい過剰に心配されても邪険にはできなかった。
そんな療養生活の間も、輝夜まで活動をすべて止める必要はなかった。
歌配信のように準備が多く必要なものは避けるとしても、雑談配信なら輝夜一人で十分に進められる。これまで何度も配信を重ねてきたことで、開始から終了までの基本的な操作も覚え、コメントを拾いながら話題を広げることにも慣れているため、彩葉が最初から最後まで隣へ座っている必要はない。
そこで数日後の夕方、久しぶりに輝夜一人の雑談配信を行うことになった。
配信画面へ映るのは、普段から使用している二次元アバターだった。輝夜本人の動きに合わせて黒髪が揺れ、笑えばアバターの目元も柔らかく細められる。その下では、配信を待っていた視聴者たちのコメントが開始直後から次々と流れていた。
『久しぶり!』
『輝夜ちゃんきた』
『いろPは?』
『最近配信少なかったけど大丈夫?』
『次の輝夜争奪戦いつ?』
『DANMAKU再戦待ってる』
「いろPならいるわよ。ただ、今は休んでるの」
輝夜がそう答えた途端、コメントの内容が変わった。
『体調悪い?』
『大丈夫?』
『いろP生存確認』
『働きすぎ?』
「生きてるわよ。少し前に具合が悪くなったから、休ませてるの」
言いながら、輝夜の視線が自然と画面の外へ向いた。
少し離れた机では、彩葉が問題集を開いている。今日は朝から熱もなく、昼間にもきちんと横になっていたため、顔色も悪くは見えない。それでも、一度気になってしまえば、配信へ完全に意識を戻すことは難しかった。
「家で勉強だけしてるわ。でも長くやらないように私が見てるから大丈夫よ」
『私が見てる』
『完全に保護者』
『立場逆転』
『いろP監視中』
「監視じゃないわ。放っておくと、すぐ何か始めるもの」
机の方から彩葉が顔を上げた。
「聞こえてるよ」
「本当のことでしょう?」
配信へ直接参加しているわけではない彩葉の声が小さく拾われ、それだけでコメント欄には『元気そう』『生存確認できた』といった文字が流れていく。
彩葉は苦笑しながら再び問題集へ戻り、輝夜も最近ツクヨミで見つけた店や、海へ行ったときに撮った動画、次に食べてみたい料理などへ話題を移し、数日ぶりとは思えないほど自然に雑談を続けていった。
その間、彩葉も静かに勉強していた。
しばらく同じ姿勢で座っていると、頭の奥へ薄い疲れが広がり始めた。熱が戻ったわけではなく、単に少し疲れただけだと分かったため、今日はここまでにしようとペンを置き、問題集を閉じる。
その動きを、雑談していた輝夜が視界の端で捉えた。
「それで、そのお店にすごく大きなお団子があって――」
話の途中で声が止まった。
二次元アバターも、輝夜が顔を横へ向けたことに合わせて僅かに動く。数秒ほど彩葉の様子を見つめたあと、輝夜は画面へ向き直った。
「……ちょっと待ってて」
『え?』
『どうした?』
『どこ行くの?』
それだけ言い残して席を立ったため、配信画面には動かなくなったアバターだけが残された。輝夜はそのまま彩葉の机まで歩いていく。
「どうしたの? 配信中でしょう?」
「顔見せて」
あまりにも真剣に言われ、彩葉は戸惑いながらも顔を上げた。
輝夜は近くから頬の色や目元を確認し、先ほどまでより具合が悪くなっていないかを見逃すまいとするようにじっと見つめる。
「ちょっと疲れただけだよ。だから、もう止めようと思ってたところ」
「本当に?」
「本当。ほら、ちゃんと閉じてるでしょう?」
問題集が閉じられ、ペンも置かれていることを確認すると、輝夜はようやく僅かに肩の力を抜いた。
「じゃあ、しばらく休んでて。水も飲んでね」
「分かったから。みんな待ってるよ」
彩葉に促されて配信へ戻ると、待っていたコメントが一斉に流れ始めた。
『やっぱいろPだった』
『顔色確認?』
『配信止めてまで見に行ったの?』
『過保護』
『いろP愛されてる』
「彩葉の顔を見てきただけよ。少し疲れてたみたいだったから」
『心配しすぎでは』
『そんなすぐ悪くならないでしょ』
『ずっと見張ってるの?』
輝夜は、むしろ何を不思議がられているのか分からないというように首を傾げた。
「だって、地球の人ってすぐに死んじゃうでしょう?」
それまで軽快に流れていたコメントが、一瞬だけ止まったように見えた。
『急に重い』
『何の話!?』
『なんでそう思った』
『地球人そんなすぐ死なない』
『どこ情報?』
輝夜は少し考え、それから当然のことを答えるように口を開いた。
「映画で見たわ」
『映画w』
『ソース映画』
『それフィクション』
『何見たんだよ』
「でも最後に死んでたわよ?」
『作品による!』
『映画を教科書にするな』
『いろP、映画の見せ方考えて』
そのやり取りを聞いていた彩葉は、思わず吹き出した。自分が実際に倒れた直後なので、「地球の人はすぐに死ぬ」という部分だけなら少し笑いにくいものの、その根拠が映画だと分かれば話は別だった。
「輝夜、映画の中で起きたことが全部本当だと思わない方がいいよ」
「でも、地球の人が作ったものでしょう?」
「地球で作ったからって全部実話じゃないの。作った話もいっぱいあるから」
「じゃあ、あの人は死んでなかったの?」
「映画の中では死んだんだと思うけど、それで地球の人みんながすぐ死ぬことにはならないでしょう?」
説明しているうちに、彩葉自身も何を真面目に説得しているのか分からなくなってくる。
輝夜は少し考えたあと、ようやく納得したらしく小さく頷いた。
「じゃあ、彩葉もすぐには死なないのね」
「普通にしてればね、あと名前」
「普通に?」
「そこ掘らなくていいから」
再びコメント欄が笑いで埋まった。
そのまま映画と現実の違いについて視聴者から輝夜へ妙な説明が始まり、話題はやがて、月では映画を見るのか、月には地球と同じような物があるのかという方向へ移っていった。
月という言葉を目にした輝夜が、ふと思い出したように瞬きをする。
「そういえば、月から持ってきたものならあるわ」
『何それ』
『月のお土産?』
『見たい』
『急に重要そう』
「本当にあるのよ。ちょっと待ってて」
輝夜は一度席を離れ、蓬莱の玉の枝を手に戻ってくると、二次元アバターでは実物を見せられないため、配信画面を部屋のカメラ映像へ切り替えた。突然、本物の輝夜が画面へ映ったことで、コメント欄が一気に騒がしくなる。
『カメラ!?』
『本人出てきた』
『実写だ』
『何見せるの?』
輝夜は画角を確認し、手にした枝をカメラへ近づけた。
蓬莱の玉の枝。
赤ん坊だった輝夜と一緒に電柱の中から現れ、彩葉にも未だ正体の分からない品だった。
見た目だけなら豪華な装飾品にも見えるが、普通の枝でないことだけは分かっている。赤ん坊だった輝夜が一夜のうちに今の姿まで成長したあのとき、この枝についた玉が確かに光っていたからだ。
何のために存在するのか
どうして輝夜が持っていたのか
あの急成長と本当に関係しているのか
彩葉には今も何一つ分からない。
そんな事情を知るはずもない視聴者へ向けて、輝夜は少し得意げに枝を掲げた。
「これよ」
『枝?』
『綺麗』
『高そう』
『撮影小道具?』
『いろP作?』
「違うわ。最初から私と一緒にあったのよ」
本当のことを話しているのに、誰一人として本気にしていないらしい反応へ、輝夜は少し不満そうな顔をした。しかしすぐに、今度こそ驚かせられると思ったのか、得意げに玉の枝を持ち直す。
「それに最近、これができるようになったの」
その言葉には、少し離れたところで休んでいた彩葉も反応した。
「何が?」
「見てて」
輝夜が枝の先へ目を向け、僅かに意識を集中させる。次の瞬間、先端についた玉が淡く光った。一度消え、また光る。それを繰り返し、玉は輝夜の意思へ応じるように、ちか、ちか、と明滅した。
「……輝夜、それ、自分でやってるの?」
「そうよ。最近、光ってって思うとできるようになったわ」
「前はできなかったよね?」
「できなかったけど、今はできるの。すごいでしょう?」
輝夜は褒めてもらうつもりで胸を張っていたが、彩葉には笑って済ませられる変化には見えなかった。
以前、この枝が強く光ったのは、輝夜が急成長したときだった。その同じものが、今は本人の意思へ反応している。彩葉が玉の光を見つめていた一方で、視聴者から返ってきた反応は、輝夜が期待していたものとはまったく違った。
『光ったw』
『おもちゃじゃん』
『月のおもちゃ』
『電池どこ?』
『ゲーミング玉の枝』
『点滅するの草』
輝夜の得意げな笑顔が止まった。
「……おもちゃじゃないわ」
『でも光るだけだし』
『スイッチある?』
『玩具っぽい』
『月にもこういうのあるんだな』
「電池もスイッチもないわ。本当に私が光らせてるの」
否定すればするほど、視聴者には配信上の設定を守ろうとしているようにしか見えないらしく、コメントはますます面白がる方向へ流れていった。輝夜は納得できないという顔で玉を睨むと、今度は先ほどより速い間隔で点滅させる。
ちか、ちか、ちか。
『点滅モードあるじゃん』
『余計おもちゃっぽい』
『次は七色で頼む』
『新機能追加待ってる』
「だから、おもちゃじゃないって言ってるでしょう!」
とうとう声を上げた輝夜を見て、彩葉は先ほどまで感じていた不安を一瞬忘れ、吹き出してしまった。
「いろPまで笑うの!?」
「ごめん。でも、配信で見たらそう思うのも分かるよ」
「いろPは普通のおもちゃじゃないって知ってるでしょう!?」
「普通じゃないのは知ってるけど、月から持ってきた物だって証明する方法はないからね」
「本当に月から持ってきたのに……」
輝夜は不満そうに玉の枝を見つめたあと、「そのうち、もっとすごいことができるようになったら見せてあげるわ」と宣言したが、それすら『玩具の進化予告』『アップデート待ってる』と返され、最後までおもちゃ扱いを覆すことはできなかった。
配信画面をカメラから再び二次元アバターへ戻したあとも、彩葉だけは、ときどき置かれた蓬莱の玉の枝へ視線を向けていた。
調べたいという気持ちはある。
どうして急に輝夜の意思へ反応するようになったのかも気になる。
けれど、今からPCを開いて何時間も調べ始めれば、また同じことの繰り返しになる。体調が完全に戻ってからでいいし、今日分からなくても明日困るわけではない。
そう考え、彩葉は自分からそれ以上追いかけることをやめた。
配信が続いている間も、輝夜は何度か彩葉の方へ視線を向けていた。
一度目は水を飲んでいるか。
二度目はまた問題集を開いていないか。
三度目には、さすがに彩葉の方が先に気づいた。
「大丈夫だよ」
「まだ何も聞いてないわ」
「見てたでしょう?」
「見てただけよ」
「それを確認してたって言うんじゃないの?」
輝夜は少しも悪びれず、画面へ向き直った。
「ちゃんと見てないと、また大丈夫って言うかもしれないもの」
『いろP信用ゼロ』
『前科あり』
『監視継続』
「誰が前科者なの」
彩葉の声にまた笑いが広がったが、その日はもう問題集を開かなかった。
◇ ◇ ◇
それから数日が経つ頃には、彩葉の体調もようやく元へ戻っていた。
熱はなくなり、身体の重さも消え、家で進めていた勉強も予定していた範囲まで終わった。休んでいた講習やアルバイトについても少しずつ復帰できるようになったものの、一度休んだ分をまとめて取り返そうとはせず、空いているところへ無理に予定を詰め込まないよう意識して組み直していった。
その予定表を横から覗き込んでいた輝夜は、空白になっているところを見つけるたび、満足そうに頷いている。
「そこ、何も入ってないわね」
「休む時間だからね」
「ちゃんと覚えてるのね」
「誰との約束だと思ってるの」
彩葉が少し呆れたように笑うと、輝夜も嬉しそうに目を細めた。
そして、体調を崩して以来初めて、二人そろってツクヨミへログインした。
数日ぶりに広がった仮想世界の街並みは、それほど長く離れていたわけでもないのに、彩葉には妙に久しぶりに感じられた。人々の声が絶えず行き交い、ライバーの広告やイベント告知が視界のあちこちへ浮かんでいる光景は、療養中の静かな部屋とは正反対だった。
二人が向かったのは、真実が普段使っている部屋だった。
室内へ入ると、先に来ていた芦花が軽く手を上げ、その奥では真実が水辺に腰を下ろし、釣り竿を手に浮きの動きをじっと見つめていた。
「彩葉、本当にもう大丈夫なの?」
顔を合わせて早々、芦花の視線が彩葉の顔から全身へ動く。
「大丈夫。講習もバイトもちゃんと休んだし、家では勉強だけにしてたから」
「本当に勉強だけ?」
彩葉が答えるより早く、隣の輝夜が胸を張った。
「私が見てたから間違いないわ」
「その言い方、見張ってたみたいだよ」
真実が釣り糸の先を見つめたまま笑う。
「見張ってないわ。顔色を確認してただけよ」
「配信途中で席立ってまで?」
芦花に蒸し返され、彩葉は思わず笑った。
どうやら療養中の配信は二人とも見ていたらしく、「地球の人はすぐ死ぬ」「映画で見たわ」のやり取りまでしっかり知られていた。
「それより、始まるよ」
真実が水面を見たまま言い、部屋の一角へ大きな画面が浮かび上がった。
映し出されたのは、忠犬オタ公によるヤチヨニュースだった。
「今日はヤチヨカップ特集みたい」
芦花の言葉に、輝夜がすぐ画面へ向き直る。
大会も終盤へ近づき、現在どのライバーが上位にいるのかが映像とともに紹介されていく。
三位、湯雲ぬくみ
二位、テレリリ・ティートテート
そして一位――Black onyX
通称、黒鬼。
画面には圧倒的な存在感で首位を走る黒鬼の姿が映し出され、KASSENでの実力やこれまでの活動が紹介されていく。
「やっぱり黒鬼が一位なんだ」
芦花が呟くと、輝夜は食い入るように映像を見つめた。
「強そうね」
「実際かなり強いよ。今のところ、ヤチヨカップの本命じゃないかな」
彩葉が説明しても、輝夜は不安そうな顔をするどころか、むしろ楽しそうに目を細めた。
「なら、抜き甲斐があるわね」
「そう簡単に抜ける相手じゃないからね」
「簡単だったらつまらないでしょう?」
相変わらずだった。
強い相手がいるから諦めるのではなく、強いからこそ勝ってみたいと思う。
輝夜にとって、順位差は恐れるものではなく、これから縮めればいい数字でしかないらしい。
ニュースはさらに続き、順位圏外ながら急速に注目を集めている存在についても触れられた。
歌配信
KASSEN
DANMAKU
そして、求婚者が現れるたび不定期で開催されるようになった、輝夜争奪KASSEN選手権と、いろP争奪DANMAKU選手権。映像を見れば、誰のことなのかは一目で分かった。
「彩葉、私たちよ」
輝夜が嬉しそうに振り返る。
「見てるよ」
「ちゃんと紹介されてるわ」
「かなり勢いあるみたいだね」
芦花も笑いながら画面を見ていた。
まだ上位には届いていない。それでも、短期間でこれだけ注目を集めているという事実は、ヤチヨカップ優勝を目指すうえで十分な追い風だった。ニュースが終わり、四人がそのまま大会の話をしていると、不意に輝夜の視界の端へ新しい通知が浮かび上がった。最初は気にせず流しかけたものの、表示された差出人を見た瞬間、その目が止まる。
「……帝?」
その名前に、彩葉と芦花が同時に反応した。
「帝って、黒鬼の?」
「そう」
輝夜が通知を開き、三人にも見えるよう表示を広げる。
帝アキラ。
黒鬼の中心人物であり、KASSENでも高い実力を持つ有名ライバー。
その本人から輝夜へ直接届いた連絡の冒頭には、かぐやいろPチャンネルのファンが百万人へ到達したことへの祝福が書かれていた。
「百万人だって」
嬉しそうに読み上げた輝夜が、そのまま文章の続きを送る。
そこで、声が僅かに弾んだ。
「……KASSEN?」
帝が持ちかけてきたのは、自分と輝夜による直接対決だった。
そして、その勝負には名前まで付けられている。
「『帝VSかぐやの竹取合戦』……だって」
「竹取合戦?」
真実まで水面から視線を外し、竿を持ったまま身体を少しこちらへ向けた。
ただ勝負をするだけなら、そんな名前を付ける必要はない。
彩葉が嫌な予感を覚えたところで、輝夜はさらに文章を読み進め――次の条件で目を止めた。
「私が負けたら……帝と結婚?」
「は?」
彩葉の声が、考えるより先に漏れた。
輝夜といろPを巡る二つの争奪戦が不定期で行われているため、求婚者が勝負を挑んでくる光景そのものには慣れつつある。
しかし今回は違う。
ヤチヨカップ首位を走るBlack onyX、その帝本人が、自ら条件を提示しているのだ。
「まだ続きがあるわ」
輝夜が文章を送る。
帝側が負けた場合は、輝夜の願いを一つ何でも聞く。
最後には、この勝負で一緒にツクヨミを盛り上げようという趣旨の言葉が添えられていた。
「面白そう」
一通り読み終えた輝夜が、楽しそうに笑った。
彩葉は思わず顔を向ける。
「輝夜、負けたら結婚ってところも読んだ?」
「読んだわ」
「相手、帝だからね。普段の争奪戦の挑戦者とは全然違うよ」
「だからいいんじゃない。強い人から勝負を挑まれたのよ?」
「しかも負けたら結婚」
「勝てばいいでしょう?」
迷いの欠片もない返答だった。
結婚という条件より、強い相手からKASSENで挑戦されたことの方が、輝夜にとってはずっと重要らしい。
「受けるわ」
輝夜が勢いよく言った、その瞬間だった。
「待って、今来てる!」
真実の声が重なり、水面の目印が大きく沈んだ。
慌てて釣り竿を引いたものの、次の瞬間には糸が軽くなり、真実は何も付いていない先端をしばらく見つめてから、ゆっくり輝夜へ顔を向けた。
「……逃げた」
「残念だったわね」
「輝夜ちゃんのせいなんだけど!」
「私?」
本気で心当たりがない顔をする輝夜に芦花が吹き出し、彩葉も堪え切れず笑った。
帝から求婚条件付きのKASSENを持ちかけられたというのに、真実が逃した魚一匹で緊張感が消えてしまうのだから、結局四人で集まればいつも通りだった。
勝った場合に何を頼むかまでは輝夜も決めていなかったが、勝負を受ける意思だけは変わらない。
彩葉は帝から届いた文章をもう一度確認しながら、以前の自分なら、この場ですぐに帝の過去の対戦映像を集め始めていただろうと思った。
けれど今は違う。
「返事だけして、対策は明日からにしよう」
「今から考えないの?」
「今から始めたら、また遅くまでやることになるでしょう?」
輝夜は一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに意味を理解したらしく、小さく頷いた。
「……約束したものね」
「そういうこと」
やりたいことがあるからといって、全部を今日やる必要はない。
彩葉がそれを覚え始めたように、輝夜もまた、彩葉へ頼むことには「今すぐ」でなくていいものがあると理解し始めていた。輝夜は帝への返信画面を開き、勝負を受ける意思を送信する。
Black onyX
帝アキラ
そして、帝VSかぐやの竹取合戦
静かな療養生活を終えて戻ってきたツクヨミで、ヤチヨカップを大きく動かす次の勝負が始まろうとしていた。